先日はあれだけ楽しそうに歩いていた人里を今日は落ち込んだ様子で歩く少女。その理由は紫から下された命令にあった。その内容は勝手に風見幽香を呼び込んだ罰としての意味合いもあるのだが、彼女はそれに気付かない。単純に紫が会いたくないだけだと考えているのだ。しかし、それも大きく間違っている訳では無い。
幻想郷という地域を管轄する存在は多岐に渡るが、こと妖怪に関しては八雲紫が一大巨塔を担い、他の妖怪がそれに追随するという形を取っている。その為最強の妖怪と問われれば誰もが八雲紫の名を出すのだが、実際には彼女に勝るとも劣らない存在も少なくない。特に警戒しなければならない妖怪は三人居る。
一人は妖怪の山を統括する天魔。彼女達の確執はまだ誰もが知っていることだから問題無い。次に花の大妖怪、風見幽香。こちらは戦闘力こそ高けれども他の妖怪をまとめるのには適していないし、本人もそれを望まないのでこれまた無問題。危険なのは最後の一人である。そして黄緑がこれから会いに行く相手である。
しかし、それならば何故黄緑は人里に居るのか。距離で言えば──スキマを使えば距離など関係無いのだが──人里と妖怪の山はそれなりに離れている。彼女が自分の足で歩く意味は全く無いにも関わらず、現に彼女は項垂れながら里の大通りを歩いている。
「三河屋の葛餅は前に持ってったし、饅頭は普段から食べてるしなぁ。どうしよう」
ぶつぶつと呟くのは甘味の話題。なんてことは無い、彼女は持っていく菓子折りについて悩んでいるのである。春夏冬仁葉という妖怪は大層な美食家で、あれは駄目、これはいいと貰い物にもケチをつけるのだ。現に最初黄緑が高価な生菓子を持ってきた時は価値は値段で決まらないと一喝し、黄緑の好物であるシュークリームを持っていった時は趣味に合わないと一蹴された。ようするに我侭なのである。そしてそれが許される実力者なのである。
悩んでも答えは出ず、困った時は適当な店にでも入るかと彼女は偶然目に入った甘味処に足を踏み入れた。羊羹の店のようで、どんなものがあるのかと、黄緑は人里には珍しいガラスケースの内を覗こうとする。だが、黒い幕に覆われて上手く見えない。
「誰よ、って文じゃない。こんなところで何をしてるのよ」
「おや、黄緑さんですか。奇遇ですね」
「いいから翼閉じなさい。邪魔なのよ」
「おっとっと、これは失礼」
声を掛けられた射命丸文が自慢の黒い翼を折り畳む。ようやく選ぶ段階にまで入れた黄緑だったが、美味しいのかどうかは食べてみないと分からないし、客人の口に合うかは食べても分からない。時間も限られているし、長々と悩んでいる暇は無かった。そこで黄緑は隣で同じく吟味している。文に目をつける。妖怪の山に暮らし、更には活動的な新聞記者でもある彼女だ。春夏冬仁葉についても詳しいのではないだろうか。
「文、おすすめって何かないの?」
「おすすめですか? 黄緑さんや紫さんの嗜好なら甘めのこれでしょうけど」
「いや、私じゃないのよ」
「えー、それじゃあ答えられませんよ。相手の人柄も知らないのに分かるもんですか」
文の言うことはもっともである。黄緑は仁葉のことを言おうとして僅かに言葉に詰まる。目の前の新聞記者に話してしまって良いものだろうか。命知らずな彼女なら記事にしてしまってもおかしくない。それは少し危険な賭けだった。仁葉が気を悪くするとは欠片も思わない。しかし他の妖怪達に「八雲紫は春夏冬仁葉に勝てないのだ」とでも喧伝されたら堪らない。
文がそんな黄緑の様子を見て顔を青くする。黄緑の表情から菓子を渡す相手が何者なのか理解してしまったのだろう。
「もしかして、あの人ですか?」
恐る恐る、出来れば違っていてほしいと言外に告げる口調で文が聞く。あの人、とは仁葉のことだと把握した黄緑もぐったりとした顔で頷いた。
「なるほど、彼女なら甘みは抑え目の方が好みです。渋さの中に甘みがあるのが好きらしいですよ」
例えばこれなんてどうですかね、と指差す文に釣られて自分もショーウインドウを覗き込む。それは白餡に煎茶を練り込んだらしい羊羹だった。甘さは控えめ、ほんのり渋く、それでいて甘味の域を超えない。確かに文の言う仁葉の好みには十分一致している。すぐさま黄緑はこれにしようと決めた。他に妙案が浮かばなかったのと、もう時間が押してきていたからだ。妖怪の山の内部にスキマを使って移動するのは褒められたことではない。入口から待ち合わせ場所まで登るには多少の時間が必要だった。
「ありがとう文。これにするわ。それとこの話は」
「オフレコですね。分かってますよ」
「・・・・・・随分と物分かりがいいのね。逆に怖いわ」
「馬鹿言わないでください。私達もあの人の記事なんてめったに書かないんですよ」
下手な事書いて怒らせたら危ないじゃないですか、という文の言葉に黄緑は深く頷いた。
店員を呼び出して目当ての茶羊羹を買い、慌ててスキマを開いて妖怪の山へ行く。急がなくては、時間に遅れたら首が飛ぶかもしれないと彼女は焦っていた。予定よりも時間を使ってしまっていたのだ。
妖怪の山は入口からでは木々に遮られて僅か上も見上げることが出来ない。意を決して黄緑が足を踏み入れると、警告の声が聞こえた。
「そこの者、我らが山に何の用だ」
名も知らぬ白狼天狗だ。偶然哨戒の天狗に見つかってしまったらしい。ただでさえ時間が無いのに面倒だ。黄緑は茶羊羹の入った袋を掲げて八雲紫の式であること、春夏冬仁葉に用があることを告げる。
「時間が無いの。早く通してくれない」
「・・・・・・信用出来ない。即刻立ち去れ」
これだから頭でっかちは!
黄緑はいっそこの天狗を殴り飛ばして無理矢理入ってしまえばいいのではないかと考える。しかしそれは天魔から八雲紫を非難する口実を与えてしまうようなものだ。仁葉がこちらの味方をしてくれれば良いが、気まぐれな彼女がそう都合良く動いてくれるかは分からない。どうしたものかと頭を悩ませていると、また別のところから天狗が飛んで来るのが視えた。その顔を見て黄緑は安心したように脱力する。当然見張りの天狗もそれを訝しみ、腰に差した剣を抜いた。
そこに見るからに格の違うと分かる白狼天狗が舞い降りた。
「何の騒ぎですか」
「椛、山に侵入しようとする輩が居てだな」
「どんなやり取りだったかは知っています。彼女は正真正銘八雲の式ですし、仁葉さんとの会談の席があることも事実です。道を開けなさい」
「へ? あ、いやしかし」
「貴方の手際の悪さで妖怪の山が滅びるかも知れませんよ」
「分かった! と、通って良し!」
椛が来た瞬間に態度を翻した生意気な天狗に一発くれてやりたい気持ちでいっぱいになるが、彼女にはそんな暇は無い。やはり余裕を持って行動すべきだったと彼女は今日何度目かの後悔をする。
「とにかく助かったわ椛」
「もっとしっかりしてください。仁葉さんはこっちです。飛んでくので遅れないでくださいよ」
「分かってるわよ」
仁葉との仲介役とまで揶揄される犬走椛に従って黄緑は妖怪の山の中を飛ぶ。ぐんぐんとスピードを上げる椛に置いてかれないようにと能力をフル活用して木々を避けていく。間に合った。特徴的な背中が見えた時に黄緑はそう安堵した。
「あら遅かったわね黄緑ちゃん」
振り返って開口一番、春夏冬仁葉はそう言った。