世紀の対決から一夜明けて──
あれからすっかりと平静を取り戻し、
一人、ゲフェンの北西にある定位置のベンチに寝転びながら空に向けて腕を伸ばしていた。
「はぁ……どうしたものか…。」
片手で腕枕をしながら視線を真上に向け、握られたアイテムをまじまじと眺める。
ゲフェンの美しい蒼い空と、暖かい陽射しに交じり、不思議な輝きを放っていた。
セイフティリング──空に掲げたこの指輪はこの世界において、最高級のレアアイテムである。
今までボスになんかまるで興味もなく、
ましてやこんな非力なシーフがまさかMVPを取ることなんて誰が予想できただろうか。
そもそもMVPアイテムはドロップではなく、
直接インベントリに入ることをまったく知らなかったぐらいの素人だったわけで。
一夜にしてそんなお宝を手にし、本来であれば喜ぶべきはずが、
こうしてため息をついているのには理由があった。
あの後、興奮冷めやらなぬ中、大慌てで"廃人広場"へ戻ると、
先ほどの
一応、お礼のつもりだったのだが、よくよく考えてみればタダの自慢話に過ぎないことに気づく。
それでも溜まり場の仲間達は嫌な顔一つせずに祝福してくれたのが嬉しく、
素晴らしい仲間に恵まれたことに感謝した。
もちろん中には舌打ちをしながら苦虫を噛み潰した表情をしていたプレイヤーもいたが。
そんな中、ある一人が疑問を投げかけた。
「で、ちるちるさん、そのセイフティリングいくらで売るの?」
最初はその言葉の意味を理解できずに困惑するも、すぐにその理由が分かった。
「そうだね~、ちるさんはAGI型だし、セイフティリングはあんま意味ないよね。」
この指輪はアクセサリ装備において唯一、
被ダメージを大幅に軽減するため、例え一つ装備しただけでも絶大な効果を発揮するわけだが、
あくまでその効果を有効に使えるのは耐久を主体とするVIT型キャラクターであり、
自分のような防御行動を回避主体としている場合はまるで真価を発揮することが出来ない。
結局のところ、せっかく手にした高級装備も今の自分には使いこなすことのできない
単なる宝の持ち腐れだったわけである。
そんなわけでこうしてこの指輪の処分をどうするべきか、
こうして悩んでいたわけだが、自身初のMVPアイテムだし、このまま売り払うのは忍びない。
かといって使えないアイテムを倉庫に眠らせておくのもなんだか癪である。
色んな勿体無いお化けが発動し、結論は出ないままだった。
「ちーちゃん、おっはよー!」
そんな悩みを覆い隠すような影が目の前に現れ、いつもの明るい声が飛んできた。
「やあ、アユ。おはよ…ってもう、とっくに深夜だけどね。」
いつものようにアユは突然現れる。
とはいっても既にログインをしていて、こちらに来るのはとっくに分かっていたのだが、
毎度のことのように気づかない振りを決め込んでいた。
そんな彼女の行動原理について今まで言及したことはないが、
自分のもとにすぐに会いにきてくれる行為──いや、好意というべき振る舞いに
実は期待に胸を躍らせて待っている自分の姿にも気づかない振りをしていた。
彼女と視線を合わせるとニコっと笑顔を見せる。
それを合図にこちらも怠惰な姿勢を正そうと起き上がる。
すると、アユは空いたスペースに嬉しそうに座りこみ、寄り添うようにして肩を並べた。
二人の間に沈黙が流れる。
ふと横目でアユの表情を見るととても嬉しそうにしているようだが、
こちらとしてはこのなんとも形容しがたい雰囲気に我慢できず、遮るようにして会話を切り出した。
「今日はログインするの遅かったね?」
「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃった…あとちょっとで落ちないといけないから、
狩りに行かないでお喋りだけしながらのんびりしたいなっ!」
今日は珍しく、アユのログインが遅かった。
まあ、自分とは違って色々とリアルの世界での用事があるのだろう。
「そうだね、でもまあ丁度良かったよ。ちょっとあゆにも相談に乗ってもらいたいことがあるんだ。」
「え?何?何?私でよければ何でも聞くよー!」
袖をぐいぐいと何度も引っ張りながら、興味深々といった具合に顔を近づける。
思わず、視線を逸らしながら手に握っていたアイテムを見せた。
「これのことなんだけど…」
「これって…指輪…?」
「えーと、これはセイフティリングって言ってね、まあ、つまるところMVPアイテムなわけなんだけど…」
「えええええ!?ちーちゃん凄いっ!いつの間にそんな凄いレアアイテムをゲットしちゃったの?」
「いや、話せば長いんだけど色々と幸運が重なってね──」
MVPアイテムと流石に驚いたようだが、
何せ自分にとってもアユにとっても縁のない話である。
入手した経緯を含め、この指輪の効果や価値、
そして、自分にとっていかに役に立たないアイテムなのかを一から説明した。
「…ということでせっかく手に入れたんだけど、ボクには全く使い道が全くなくてね…」
「なるほどぉー、悩み事っていうのはそういうことだったのね。」
「うん、でもどうしようかなぁ~…」
「ふふふ、じゃあ、私がちーちゃんの悩み事を解決してあげるね。」
するとアユはすっと手を目の前に差し出し──ニッコリと微笑みかけた。
「はい、どうぞ~。」
「へっ…?」
その笑顔の意味を確認するため思わず視線を下げる。
よく見ると、差し出されたのは左手で手の甲が上を向いていた。
「はやく~!」
「えっと…これはどういう…──」
「あれぇ?結婚指輪ってこうやって新郎様がはめてくれるのを待つんじゃなかったっけ?」
その言葉を聞き、彼女のニコニコした顔を何度も凝視する。
そして彼女の不自然な手の向きの意味をようやく理解すると──
「ええええええええええええええええ!?」
思わず大声を上げる。
こっちが混乱しているにも関わらず、アユはお構いなしに
ずいっと差し出した手をさらに押し進める。
「いやいやいや…いいから落ち着きなさい。」
慌てて差し出した左手を元に戻すよう肩を押さえてたしなめるも、
アユは「イ・ヤ」と全力で手を払い拒否をしてくる。
相変わらずの強引なアプローチはいつも突然やってくるのだが、
今日はいつも以上に頑固で引く気はまるでない様子だった。
しばらく押し問答が続いたが、アユは一向に意思を曲げないため、
少しだけ語彙を強め、納得してもらうおうとした。
「セイフティリングは超レアアイテムなんだよ?そんな簡単に渡せるわけないじゃないか…。」
その言葉にアユがむっとしたのが表情の変化から分かった。
「ちーちゃんは私よりアイテムの方が大事なんだね…。」
「いや、そういうわけじゃじゃ…」
「じゃあ、なんで渡してくれないの…?」
「それは…」
確かにこの指輪はこの世界では超がつくレアアイテムだ。
とはいえ、今の自分にとっては何の価値も見出す事が出来ない代物で
それなら彼女が望むとおりのことをしてあげればいいのに何故かそれが出来ない。
アユの気持ちは当然、わかっている。
普段からねだったりしない彼女がこうまでして欲しいというのは理由がある。
レアだから欲しいなんていう気持ちはサラサラなく、もっと別の意味を求めているに違いない。
だとすれば、その気持ちにおいそれと応えることも、
そして、拒否することも今の自分には出来なかった。
アユの表情が次第に重くなっていき、その雰囲気に押しつぶされそうになる。
曖昧な誤魔化しでは到底納得できないであろうその真剣な眼差しに
どんな言葉を投げかければ納得してくれるか必死に考え、思考を回すも答えは出ず。
すると、アユは俯き加減に視線を下に向け──
「…じゃあ、もういい。わたし落ちる。」
「えっ…?」
その言葉に無意識に手を伸ばし触れようとしたが、その行為を拒絶するかのごとく、
アユは一瞬で目の前から姿を消した。
さっきまで仲良く会話をして、そして今日一日の終わりを楽しく過ごすはずだったのが、
一転して谷底に落とされてしまった気分になり、同時にたくさんの後悔の念が押し寄せてくる。
後悔というのは何度体験しても気持ちが悪く、滅入ってしまう。
そして何度同じようなことを繰り返せば気が済むのだろうか。
いい加減学習しなければ、きっといつまでも同じことを繰り返すだろう。
こうして一緒に行動するようになって半年近くが経ち、初めての喧嘩をした。