・いちゃいちゃはします。空中いちゃいちゃもあります。
・はるのんにも色々と諦めてもらいました。
◆ ◆ ◆
つまんない。……つまんなーい!
家事をあらかた終えてしまったわたしは、ソファーで膝を抱えるなり、内心で子供みたいに駄々をこね始める。いつものことである。
少なくとも暇はつぶせるからと彼に勧められたいくつかのゲームアプリは、どれもガワを変えただけの粗製乱造に同じような作業の繰り返しと、数分も経たないうちに全て飽きた。じゃあSNSならと開いてみれば、承認欲求を満たすためだけの投稿やスクリーンショットで溢れ、心底どうでもいいなーと一分も経たないうちにスマホを放った。
つまんないなー……。
声のトーンと言い方がちょっと違うだけで、さっきとまったく同じように、さっきとまったく同じ主張をした。
なんて感じで、わたしは誰に聞かせるでもない独り言……いや、正確に言えば、この不満を聞かせたい人はいる。この駄々に付き合わせたい人はいる。ただ、あいにく彼は会社にいてこの場にはいない。世界は常に等しく残酷である。
……つまんない……。
小さな子供がいじけるようにむすっと唇を突き出してみた。けど、結局は何も得られず虚しくなり、無味乾燥な吐息だけが一人きりの部屋に溶けていく。
やがて非生産的な行動を取ることすらも飽きたので、そこらへんに放ったままのスマホを手繰り寄せ、時間確認。現在の時刻は午後五時を過ぎたあたり。
少しだけ心が晴れた。
わたしはお馴染みのトークアプリを起動して、いつもの画面で、するするするっとメッセージを入力し、ぽちっとな。
『お風呂おっけー。ご飯も準備おっけー。で、まだ?』
うんうん、くったくただろうにひどいなわたし。でもしらなーい。
すると、間もなく既読の表示。ふむふむ、既読がついたってことはちょうど会社を出たか出てないかくらいか。
となると……あ、いいこと思いついちゃった。
『早く帰ってきてね? あ・な・た♡』
サービスにハートもつけちゃうぞ、とばかりの、間違いなく彼は本気で鬱陶しがるであろうメッセージをお構いなしに続けて送り、わたしはカーディガンを羽織った。
そのまま軽く身支度も整えていると、ぴこぴこっと音が鳴る。
『帰る』
ホーム通知にはそんな短い一言だけ。
つれないなー、ほんと。ま、そういう子だってわかってるけど。だから、今はあえて既読をつけないようにして。
そうして、ハミング交じりの足音軽やかに、わたしは玄関の戸を開いた。
× × ×
『早く帰ってきてね? あ・な・た♡』
うっわ……。
鬱陶しさも相まって一色みたいな引き声が出た。表情筋が秒で痙攣した。文面から漂ってくる威圧めいたもんが半端ない。疑問符なのがもっとやばい。
思わず「は、話を聞いてくれ! 違うんだ! 誤解なんだ!」と浮気がバレた亭主の如く入力してしまいそうになったが、やましいことは何もしていないので冷静に『帰る』と返信した。
しかし、まさか陽乃さんと同棲することになるとは……。いくら二次創作を理由に原作での関係や時空を歪めているとはいえ……いや、だからなのか? でも、だからといってやりたい放題していいわけじゃないんだよなぁ……。
などと各方面からもお叱りが飛んできそうな自虐で字稼ぎをしながら、あばよ社畜共よろしく、今日も今日とて定時ダッシュを決め込む。や、うちは普通にみんな定時で帰るけどね。ホワイト万歳! なお繁忙期! ガハハ!
だが、そうして会社を離れたとて、すぐに安息は訪れないのが世の常である。帰るまでが遠足よろしく、お次は『暑い・臭い・苦しい』のトリプルスリーを達成している満員電車くんのターンである。冬はまだマシだけど夏場はマジ地獄だよね……。
特に
けれど、まぁ、それさえ凌げれば、城の最奥にある玉座で鎮座し勇者を待つ魔王の如く(場面転換先からの圧力)……違いますね、ぼくのかんがえたさいこうのおよめさんがおうちでまっていてくれるからですね!
……とは言いつつ、陽乃さんに昔ほどの恐怖は覚えなくなったのも事実である。もちろん怖いには怖いが、なんというか、その……ふとした時の甘え方がとてもとてもアレなので、イメージがだいぶだいぶアレになったのである。……何一つ伝わらない説明ね(妹のんボイス)。……だ、だって勝手に言うと後が怖いし(矛盾)。
とまぁ、今回はサブである俺のパートを使って自虐に皮肉にメタ、しまいにはルビ振って遊び始めるわ尺の都合上で説明が雑だわと一気にやりたい放題したところで。
今日もまた愛妻(魔王からは逃げられないし逃がしてはくれない)のもとへ少しでも早く帰るとしますかね。
ただでさえめんどくさい彼女が、拗ねて余計めんどくさくなる前に。
◆ ◆ ◆
こんな素敵なお姉さんつかまえといて、あの子ったら、まったくもう。……あとでおしおきしちゃうぞ?
ふと妙な電波を受信してしまったことにくすっと微笑みつつ、わたしは後ろ手を組みながら、スローテンポの四分音符を刻むように、駅までの道をつったかつったかとゆっくり歩く。
学校からの帰り道だろうか。年頃の男の子がわたしを見るなり、口を半開きにして鼻の下伸ばしてる。うんうん、そういういかにも男の子な反応、お姉さん嫌いじゃないよ。でもそれが許されるのは青春してる今だけだぞー?
サラリーマンのおじさんがわたしを見るなり、「うお、すげー美人……」と小声で呟く。うんうん、確かにわたしはすごい美人だけど、おじさんはもうちょっと自重したほうがいいと思うな。女の人はそういう目にも敏感だから気をつけてねー。
嫌でもこれでもかと浴びせられる視線を、いつもどおり、笑顔という形式に沿って作っただけの表情で軽く流しつつ。
そのついで、スマホのスリープ状態を解除した。
デジタル時計が示す数字群は、先程までの時刻とそう変わってはいない。
「ちょっと出るの早すぎたなー」
再びスマホをスリープ状態に戻すと、わたしは歩くペースをさらに落とし、もっとゆっくり、つったかつったか。
ときどき優しい風が吹き抜けて、街路樹を静かに揺らしては、わたしの肌を一緒に撫でていく。余韻のような緑のさざめきも心地よい。時間の流れはより緩やかに、まるで本当に遅くなっていくような気さえしてくる。
たまにならそんなに悪くないかな、こういう時間も。毎日はさすがにキツいし飽きるけど。よし、今度は愛しの旦那さま(わたしからは逃げられないし逃がさない)も巻き込んで連れ出しちゃおっと!
それにしても、まさか、あの子と今こんなふうになるなんてね。昔のわたしが知ったら、ちょっとびっくりした後に絶対爆笑するだろうなー。
人生どこでどう転ぶかわかんないもんだ、ほんと。……ま、こんなパラレルワールドもあるってことで。
それでも、もし彼が、ごく普通の男の子だったなら。わたしは間違いなく、ただの『どこにでもいそうな雪乃ちゃんの同級生』として、そして、有象無象に埋没しきった『毒にも薬にもならない』存在として歯牙にもかけず、それ以上濃く関わることも深く交わることもなく、覚えているか聞かれてやっと「あー、そんな子いたかもね」程度の認識で片付ける男の子に成り下がっていた。
ただ、それはあくまで、もしもの話。無意味なたらればだ。
事実は小説よりも奇なり。
常に引かれてはこちらばかりが惹かれ、わたしともあろう者が、なんたる不覚。そのまま興味ごと心が口説かれ、これは恋心なのか知りたくて、それは本当に恋なのか確かめたくて、ひたすら彼を追いかけては押しかけているうちに――。
いやー、ほんと人生わかんないもんだ。それにしても、だいぶ都合よくアグレッシブだね、この世界線のわたし。わたしらしくないけど、今幸せだし、別にいっか。
と、ちょっぴり軸を過去と外の世界へずらしている間に、ワインレッドのラインカラーでお馴染みの京葉線が、少し離れた高架橋上を走っているのが見えた。
お、さすがわたし。完璧だ。
わたしは、待ち人であり想い人でもある彼を乗せているであろう、その電車が。
やがて間もなく滑り込む駅の改札口を目指して、つったかつったかと。
パンプスの足音で、ご機嫌を奏でながら。
× × ×
……え? また俺の視点? 台本と違う! 聞いてない!
だが、回ってきてしまったものは仕方ない。これも
「おかえりー」
なぜか未来の嫁(予定は強制)がそこにいて、俺に手をふりふり。
「……なんでいるの?」
「いちゃダメなの?」
「……別にダメじゃないけど」
「じゃあいいじゃない」
困る。ダメどころか嬉しいけど困る。なんでかってそりゃお前、この世のものとは思えない美人が、この世のものではないだろうゾンビみたいな目をしたやつに笑顔で手を振ったんだぞ? そいつと親しげに話してんだぞ?
……ああっ、そんな見ないでください……恥ずかしいよぉ……(駆逐感)。
「ん」
視線の集中砲火に気もそぞろな俺などどこ吹く風、有無を言わさない圧力を放つはるのんスマイルと共に、陽乃さんが手を差し出してくる。
どうやら帰り道はエスコートしろということらしい。しかし、そうは問屋が卸さないのが俺という人間である。『シャル・ウィ・ダンス?』とばかりに宙ぶらりんなままの手と彼女の顔とを見比べては「えぇ、……えぇ?」と繰り返すだけ。
そんな俺の様子に痺れを切らしたらしく、彼女は、はぁと呆れ笑った後に。
「もう……いい加減慣れなさーい」
「ちょっ、えぇ、……えぇ?」
俺の退路を断つかのように腕をしゅるりと絡めてきて、そのままがっしりがっちりホールド。やわらかい近いなんかめっちゃいい匂いするあとめっちゃやわらかくてやわらかくてデカァァァァァいッ! 説明不要! ……いまさらなんだよなぁ。見たことも触ったこともある俺に死角はない。
なのにどうしてこうも往生際が悪いのか。答えは簡単、人前だからです。
「あの、陽乃さん、わかったから……もうちょっとだけ離れてくれる?」
「君がそう言ったところで、わたしが素直に離れると思う?」
「……だよなぁ」
◆ ◆ ◆
まったくもう、せっかくわたしが甲斐甲斐しく迎えに来てあげたのに。一体なにがそんなに不満なんだ。全部か。やだ、お姉さん悲しくて泣いちゃう……よよよ……。
でも、ま、そういうところも可愛くてたまんないんだけど。年上のお姉さんまでこんなにたぶらかして、この子ったら、まったくもう!
「ね」
「ん」
「呼んでみただけー」
「ああそう……」
「旦那さまがつめたーい。嫁にもっと優しくしろー。じゃないと拗ねるぞー」
なんとなく、彼の腕に頭をくっつけて、うりうりと甘えてみる。
あ、照れてる照れてる。
ふふ……かわいーなー、もう。
だから、なんとなく、暇なほうの手で彼の頬を突っついてみる。
思いっきりウザがられた。
「ぶー……」
「口で言うなよ……ていうか人で遊ばないでくんない……」
「だって楽しいんだもん」
「さいでっか……」
「うん」
「ね」
「……今度はなに?」
「楽しいよ、わたし。すごく」
「だからなんのアピールなのそれ……」
「そういう気分なの」
「……さいでっか」
「そ」
一人ぼっちのたそがれ色から二人ぼっちの幸せ色へと変わった夕の帰り道を、二人並んで足並み揃えて、ただただ、つったかつったかと。
道すがら、年頃の男の子が、サラリーマンのおじさんが、果てには年頃の女の子や主婦の方々などなどいろいろな人たちが、わたしの隣を歩く彼を見るなり絶句する。
うんうん、わかるよ、そういう反応しちゃうの。でもこれ、オッズ最下位に見えて実は競争率高かったんだよね。しかもライバルみんな可愛い子でさ。でもこれ、今はわたしのなの。もうわたしだけのものなの。ふふん、いいでしょ。
信じられない――という無作法で無遠慮な視線に対しては、いつもどおり、一応はまだギリギリ笑顔にカテゴライズされるであろう表情で「なんか文句ある?」とひけらかしつつ、ちらりと隣を見た。
愛しの旦那さま(わたしまだ雪ノ下姓だけど)はやっぱり居心地が悪そうだ。
「……迎えに行かないほうがよかった?」
「バカ言え。っつーか、そういう聞き方すんのはずるいでしょ……」
「じゃ、迎えに来てほしかった?」
「変わってないんだよなぁ」
「ずるくてもいいのは女の子のとっけーん」
「……もう女の子って年でもないような」
「……。……怒るよ? わたしだって傷つくこと、あるよ?」
「出来心ですごめんなさい」
これはあとでたくさん慰めてもらわないと立ち直れないや。慰めてもらうまで立ち直る気がないともいう。おしおきしちゃうとはなんだったのか。
年甲斐もなくぶっすーと膨れ、つーんと唇を尖らせたわたしに、彼は困り顔で。
「悪かった。機嫌直してくれ」
「……なんでもするからって言ってくれたら許してあげる」
「なんでもね……まぁ、とりあえず帰ってからな」
「やだ。今がいい。今すぐがいい」
「拗ねのんモード入っちゃったかぁ……」
んー……そうだなぁ。
彼にしてもらいたいことはいっぱいあるし、どんどん思いつくし、これからもっとできるだろうし、満足することなんてないんだろうけど。
ま、とりあえず今日のところは、一緒のご飯食べて、一緒のお風呂入って、一緒のベッドで……いっぱい愛してもらおっと。あとはそれから考えればいっか。
「……で、まだ? 早く言ってくれないと拗ねちゃうよ?」
「いや、あなたもう拗ねてるでしょうが……ああもうめんどくさい……」
あのわたしを、こんなにしたんだ。これくらい付き合ってもらおう。
今日も、明日も、明後日も、それから先も――ずーっと、ね。