プロローグ
学園都市に存在する幾多の『闇』。
その深さや種類もあるがその中の一つに『暗闇の五月計画』というものがある。
第一位・一方通行の演算パターンを他の能力者に埋め込むというバカげた、そして無茶苦茶な実験。
その実験も時間と共に頓挫していた。
そしてその実験によって生み出された能力者(といっても全員ではなく、指で数えるほどだが)もある者は暗部に堕ち、ある者は――――
「だるい」
男子としては平均的な長さの茶髪に制服という極めて平凡な格好の少年は机に顔を伏せながら呟いた。
洋風な喫茶店の屋外席。気温の上がってきている七月に外で茶をすするのはなかなかにきついものがあるだろう。
「男の子がだらしないですねえ」
同じ席に向き合う形で車いすに座る女性が答える。
「うるせえな。目の前でパジャマとか見てるだけで暑さが増すからやめてほしいんだけど」
確かに目の前の女性はこの『夏』と呼ばれる季節にパジャマ(しかも真昼間からである)を着ておりとても快適とは言えなかった。
「私はこれで充分なんですがねえ……」
考えるように首を傾げてはいるが、表情は口元の緩みがあり別に変える意思はないようだ。
「あっそ……」
少年は顔を突っ伏したまま呟く。
「そーれーよーりー! 考えてくれました?」
「……何を」
女性はフフン、と鼻をならしてから、
「私と結婚」
「死ね」
少年は女性の言葉を半分も聞かずに暴言を吐く。しかもその一言にはありったけの憎悪が込められているようにも感じられた。
「何で断るんですかぁ?」
そんな相手の感情に気付かない(おそらく気付かないふりだろうが)女性は首をかしげる。
「そもそも俺は『木原』に興味なんてないし」
「……私に興味はないんですかあ?」
女性の言葉にピク、と眉を反応させる。
「ないね」
「そうですか……」
しょんぼりとうなだれる女性を見て、少年は居所が悪くなったのか。そっぽを向きながら、
「……ま、まあ、そこらの女よりはマシなんじゃないか?」
その言葉と同時に女性の目がキラン、と光を帯びた。
「だったら結婚」
「死ね」
二度目の求婚にも少年は全く同じ言葉を返す。
「ひどい……」
目をウルウルとうるませながら口を手で覆い目をこする。
「もういいだろ」
少年はそう言うと、席を勢い良く立つ。
「……いいティータイムだったぜ」
小銭をじゃらじゃらと数枚置く。紅茶の代金だろうか。
「フフ……」
女性は少年に聞こえるように、不気味に笑う。
少年もその声が聞こえたのだろう。
立ち止まりもう一度女性を見る。
「なんだよ?」
女性はもう一度クスリと笑う。
「『暗闇の五月計画』」
「……」
女性の出した単語に対して少年は何も返さない。
構わず女性は言葉を続ける。
「被験者数十名のうち『成功』と呼べる事例はわずかに三つ」
女性は一拍おいてから、
「優等生・絹旗最愛は一方通行の自動制御を獲得。これがこの実験の最も成功といえるものでしょう……。劣等生・黒夜海鳥は攻撃性を。しかしそれは性質的なものにとどまり、能力に何かが明白に何かが現れることはなかった」
「何が言いたい」
「ではもう一名は何を引き継いだのですか?」
「俺が知ってるとでも?」
女性は軽く笑みをこぼす。
「当然じゃないですか。最後の被験者・天谷慶……。それはあなた自身なんですから」
「……それを知りたいなら調べればいいだろう? どうして俺に聞くんだよ」
「それが調べられないんですよ」
女性は残念そうに呟く。
「へえ……。木原一族の上に属する木原病理が調べられないことってあるんだ」
皮肉をこめて天谷は言う。
しかし木原病理はそれを無視して、
「ええ、本当に不思議ですよねえ……。あなたに関するデータがないんですよ。まるであなたは最初から実験などしていなかったかのように」
木原病理という学園都市の闇の深いところに属する人間でも知ることができない情報というものはかなり限られるだろう。
つまりこの天谷という一個人の実験データが閲覧できないということは、
「俺の実験で得た力はそれだけ価値がある……もしくは脅威となるってことだろ?」
今度こそ天谷はその場を後にする。
一人残された木原病理は引き裂くように笑っていた。
(だからこそ実験体にする価値があると思うんですがねえ……)