どこにあるのかもわからない場所に。しかし、それは確かに存在した。
虚数学区。
学園都市と同じ場所にありながら誰も見る事も触れる事も許されない場所。
物質で構成される世界に対する反物質で構成される世界に近いか。
机上の空論であるという所まで同じなこの理論は証明された。
能力者が無意識の内に放つAIM拡散力場によって生み出された怪物が。
それを慎重に観察する者がいた。その者は巨大なビーカーのような容器の中でじっくりと観察していた。
アレイスター=クロウリー。
学園都市の統括理事長にして、世界最高最悪の魔術師。科学と魔術の双方で頂点に立つ者。
その男とも女とも、子供とも老人とも、聖人とも囚人とも見える『人間』はモニターの映像を見つめている。
同じシーンを何度もリプレイしているその映像は垣根帝督を映していた。
(ふむ、やはり私の『プラン』とは違う方向で動いている。……想定していたシナリオを修正せねばなるまい)
本来なら彼はここまで成長するべきではなかった。第一位こそが絶対的な強さで科学に君臨するべきだったのだ。
しかし、定説は覆された。垣根は第一位にも及びかねない、あるいは逆転しかねない程の力を手に入れようとしている。本人が自覚しているかはわからないが。
超能力という異能を生み出したアレイスターにはわかる、わかってしまう。
だが、アレイスターの思考はそこに留まらない。
その先を見据える。
(しかし、今回の成長を利用すれば充分『プラン』に組み込めるか……? それよりも)
アレイスターの意思に沿うような形でモニターが切り替わる。
映し出されたのは天谷だった。
アレイスターの目がわずかに細まる。
(……異能も使えないのにも関わらず『プラン』に食い込んでくる方が問題だ。……消すにしても今はその時ではない。むしろ利用した方が有益だろう)
モニターがプツンと消える。
学園都市内の頂点に立ちありとあらゆる残酷な法則を築き上げた人間は静かに目を閉じた。
―――――――――――――――――――――
「下らない真相だった」
天谷は誰もいない自室で一人そう呟いた。今回の事件はその一言に尽きる。そう思った。
ベッドに腰をかけながらゆっくりと体を預ける。
まっ白な天井を見上げながらぼんやりとした思考を動かす。
(アレイスターの狙いは理解できた。もちろん一端に過ぎないが。……それをどう流用するつもりかは知らねえが間違いなく木山は『泳がされていた』)
その上で。
天谷は自分がどんな行動を取るべきかを考える。
(さあて。お次は最強気取ってやがるバカの目を覚ました方がいいのか? ……しかし、どうやって止める? 俺は実験に組み込まれてる。誰かがアイツを『最強じゃない』と思わせる必要がある)
ふと浮かぶのは『幻想殺し』を持った少年。
しかし、その考えに天谷は自ら首を振るという形で否定する。
情報が少なすぎるのではない。逆だ。溢れすぎている。彼の性質にいたるまでを知ってしまっている。おそらく、あの少年に全てを話せば細かい事情はさておき拳一つで『最強』に立ち向かうだろう。全てを救う……守るために。
それをさせる訳にはいかない。
死んでしまうかもしれない、からではない。
楽しみが奪われてしまうからだ。
天谷の唇が不気味に歪む。
(現実的なのは帝督、か?)
次に思い浮かんだのはやはり垣根だった。
吟味する。頭の中で彼らの戦いをシュミレートする。
(肝は垣根が『未元物質』を解析されるまでにどこまでダメージを与えられるか、という事だが)
それもさほど時間はかからないだろう、と天谷は結論付ける。
第一位である一方通行の『ベクトル操作』は法則を歪める。対して垣根の『未元物質』は法則を塗り替える。しかし、塗り替えられた法則もまた法則にすぎない。この世に存在しない物質、すなわち虚数に対して一方通行は対応できないか、と問われれば答えは否だろう。
(待てよ?)
次の『遊び』への思考を進めていく過程で、何かが引っ掛かった。
(虚数?)
そのワードに天谷の思考がパズルのピースの最後を詰め合わせる瞬間のように組みあがっていく。
(そうか、そういう事か! 帝督の能力の正体は――――)
そこまで思考が及んだ時だった。
カーテンが風に揺れた。
おかしい。天谷は明確な違和感を覚えた。窓を開けた覚えはない。なのに、どうして。
しかし、その奥には綺麗な夜空が広がるだけ。何もなく、誰もいない。
いや、前ではない。
天谷は窓側ではなく背後に明確な気配を感じる。
素早く振り向いた天谷の目の前には一人の少女が壁に背中を預けていた。
「……誰だ」
目の前の少女は肩まで垂らした特徴的な金髪で顔を隠している。俯き気味なせいかその容姿は見えない。ピンクのパーカーに太ももまで露出したショートパンツも視界に入った。
「……まだ、わからないの?」
「……」
ゆったりと。
少女はその顔を上げていく。
「……まさか」
その容姿が完全に見える前に天谷はそれが誰であるかを特定してしまう。
彼の記憶が正しければこの少女は青い瞳をしていて、外国人のような印象を抱かせたはずだ。
「木原、龍華……」
「ピンポン当たり」
天谷の言葉に少女……木原龍華はその金髪をふわりと揺らしながら答える。
「何をしに来た」
「何も」
予想外の返答に顔をしかめながらも天谷は警戒を解かないよう、意識を向ける。
木原龍華はゆったりとした歩調で全開となった窓へと歩みを進める。
天谷は一瞬たりとも視線をそらさない。そらせない。それほどまでに彼女の放つ雰囲気は異様だった。
「もしかして私がアンタにちょっかいをだしに来たと思った? 冗談。今のアンタにはそこまでの価値がない。……会ってみてがっかりだよ」
あざ笑うかのように木原龍華は視線を向けない。背を向けたままだ。
天谷の中で煮えたぎるような苛立ちがわき始める。
「アンタは本当に自分の立場がわかってる? いつ命を狙われてもおかしくない立場に立ったのはアンタ自身の選択でしょ? それで? この街を理解したつもり? 笑わせんな。アンタみたいな最弱が知れる事なんてたかがしれてんの」
ここで天谷が動く。『木原』に対して絶対的な強さを持つ『最弱』の天谷が動く。
ベッドを蹴りだすように一歩目を踏み込むと、そのまま拳を叩きつける。
だが、届かない。
かわりに返ってきたのは鳩尾部分への鈍い衝撃。木原龍華が蹴りを放ったのだ。
そのまま彼女は倒れこむ天谷を見下ろす形で言葉を続けた。
「アンタは自分を『対木原戦』において最適だと称してるけどそれは違う。どれだけ成長しようとアンタは所詮、無能力者止まり。本物の怪物に対抗する手段なんて持ってないでしょ。……アンタに負けたらどれだけ強くても人の領域を出ていないという証明にも繋がるけど」
つまり、と痛みに悶える天谷に対して木原龍華は結論をはじき出す。
「私の『木原』はアンタのちっぽけな『最弱』を塗りつぶす程の怪物って事。……『幻想御手』なんていう愚作この上ない事件を通して見てきたけど。これは決定的ね」
そこまで言うと彼女はもう一度背を向け、今度こそベランダへと立つ。
「最後に一つ。……せいぜい私を楽しませてね。私が私の『木原』を満たすための実験動物として」
ふっ、と木原龍華の姿が夜の風景に消える。おそらく飛び降りたのだろう。『木原』である彼女がマンションから飛び降りた程度でケガをするとも思えないが。
「……く、そ」
天谷は悔しさのあまり何も言えなかった。
しかし。
それでも彼の口元は薄い笑みを張りつかせたままだった。
第一章は終了となります