脳神経応用研究所。その内部。そこに無能力者の少年、天谷慶はいた。
外部にあった窓は外から中を見えないように設計されていた。
大胆な発言の割には慎重な行動を取りたがる天谷にとっては少々心細い。
しかし、内部が確認できないだけで帰るのもアホらしいので、中に入ってみる。
「……退散してから、そう時間はたってないみたいだな」
垣根からかかってきた電話の情報などを吟味すると、暗部組織が待ち受けている可能性が高い。
封鎖された扉を軽い調子で触る。
当然のことだが、扉は頑丈にできており普通に開けることはできない。
しかし、御坂美琴がしたように電磁的介入、干渉はできる。
天谷は丁寧な動作で端末を接続し、操作する。
ハッキングも美空やどこぞの風紀委員ほどではないがそれなりにできる天谷。
ゆっくりと開いたドアを見てほくそ笑む。
「行くか」
周囲に視界を運びつつもゆっくりと通路を進んでいく。
研究所の内部は、まず長い通路が続いていた。その横にはいくつもの通路が枝分かれしており、どれがどこにつながっているのか判断ができない状況だった。
天谷は端末から拾った情報を確認しながら進んでいく。
「こっちか……」
その時、ふっと何かの影がよぎった。よぎったというより何かの気配を感じた。
少し立ち止まりそちらを見る。
黒髪の高校生くらいの少女。制服は長点上機学園、学園都市でも屈指のエリート学校のものだ。
向こうも天谷に気付いたのかぎょろりとした目を向けてくる。
敵だと判断されたのだろうか。天谷を一瞥した後、その少女は逃げるようにして、姿を消した。通路の奥へと。
天谷はガシガシと粗雑な動作で頭をかきながら、
「……アイツ、何がしたいんだ?」
ゆっくりと少女が消えた方向へと歩く。
エレベーターの通り道のように上下へ伸びた空間に備え付けの梯子設置がされている。緊急用の移動手段か何かだろう。
少々、身に行くのが遅かったためか少女の姿はわずかに下に降りて行くのを確認した程度だ。
(第三位じゃない……。別枠で動いているヤツがいるのか?)
天谷は梯子を下りて行きながら思考を巡らせる。
(それにあの目……気のせいかもしれねえが、どうも俺を誘っているようにも見えたな)
柔らかい動作で梯子から地面に降りる。
タン、と小さな音が響いた。
辺りを見回すほどでもない風景だった。鉄製の床、歩くたびにカツンカツンと音が鳴りそうな床。
十メートルも歩けば、目の前にある扉に到達する。
歩き、ドアを確認するが特別なロックはかかっていない。簡単に開くように設定されていた。
ドアが開く。
「……あァ?」
天谷は思わず怪訝な声をあげた。
室内にいたのは先ほど見かけた少女。
しかしそれだけではない。
二人の比較的、大柄な男にその二人には不釣り会いなほど小柄な少女がいる。
絹旗最愛。
天谷と同じ『暗闇の五月計画』の被験者であり一方通行の『防御性』を獲得した大能力者の少女。
「どうやら他にも侵入者がいたようですね」
少女は冷めた声色で呟く。
男に押さえつけられている少女はその一瞬に隙を見出した。
ゴキリ、と自らの関節を外すと、天谷に注目し、油断した男が掴んでいる白衣からスルリと袖を外す。
その男の腰に装備されている拳銃を抜きとると、
「動かないで!」
敵が具体的なアクションを起こす前に絹旗に銃を突きつけた。
荒らぐ息を必死に整えながら、
「私はここで止まるわけにはいかない。今だけ……退いてちょうだい」
絹旗は冷めた目で少女を一瞥してから感情の無い返答をする。
「聞けませんね」
少女はその言葉に目を見開いた。
この状況なら何をしようとしても自分が引き金を引くのが最速のはずだ。ならば、どうして。
わずかにためらうように唇を噛む。
しかし、引くしかない。引かねばならない。
頭に突きつけた銃口をわずかに下へずらす。
パァン!! と乾いた音が響いた。
「……ッ!?」
「この期に及んで急所を外す気遣いは超見上げたものですが」
少女の目が驚きに染まる。
本来、絹旗の肩を撃ち抜くはずだった銃弾は直前にある壁のようなものに阻まれ、先端が完全につぶれていた。
「拳銃程度では私の『窒素装甲』は破れませんので」
だが同時に。
もう一つの影が動いた。天谷である。
素早く、流れるような動作で二人の男に攻撃を加える。
拳の威力に声も上げる間もなく倒れた男を見ながら天谷は軽いため息をつく。
「なるほど。またお前ら……いや、お前とやり合うってのも乙なモンかもな。絹旗最愛」
「……何者ですか?」
「お前には致命的な弱点を示したつもりだよ。お前が学習したかどうかは知らねえし興味もねえけどな」
天谷はあざ笑うような視線を絹旗に送る。
今、この場で動けるのは天谷、絹旗、そして黒髪に長点上機の制服を着た少女の三人である。
絹旗にとって、少女が脅威で無いことは証明されている。
ならば、全力で目の前にいる敵を倒すだけだ。
轟!! 絹旗を覆うように空気の……より正確には窒素の壁が作られていく。
絹旗の『窒素装甲』は文字通り、空気中におよそ八割もある窒素を鎧のように纏う能力だ。そしてその鎧は絹旗に車を軽く持ち上げるほどの怪力をもたらす。つまりは一撃喰らえば骨が砕け、当たり所によっては即死という展開もあり得るのだ。
そして特筆すべきは『防御性』である。無意識下、つまり、寝ていても自動的に制御できるだけではない。並みの拳銃なども防ぎきるほどの性能を持つ。
それほどの力なのだ。過去に一度、絹旗の所属する『アイテム』から逃げきれたといっても、天谷は勝ったわけではない。一対一で勝てる確率など無能力者の彼に与えられなくても当然なのだ。
しかし。
天谷は受け止める。車一台を軽々と投げ飛ばす力を手にした少女の拳を易々と。
少女の冷めた目に驚きの色が混ざる。
「……何故ですか?」
「教えてやるよ『格下』。お前の『窒素装甲』は風力使いの派生系に近い」
天谷は拳を受け止めるのではなく、絹旗の細い腕をわしづかみにして食いとめていた。
絹旗はその力で無理矢理、手を振りほどくとわずかに距離を置いた。
「そして空気には『抵抗』ってのが存在する。全力で走った時に感じる向かい風がそれだな。とにかくスピードを出せば出すほど空気はその抵抗を大きくする。んでもって抵抗があるなら空気は掴めるっていう理論だ。……そこで本題。お前は能力という枷で窒素を収束してる。細かい理論は置いといて、まあそんなモンだろ? だったら空気に能力的な干渉という異物が混ざりこんでることになるんだよ。これはさお前のもう一つ上の次元の話だけど、第四位の『原子崩し』は粒子と波形のどちらでもない曖昧な状態の電子を使う。当然、常識ではそんなことは起こり得ない。でもそれは粒子や波形となった電子じゃなく『第四位の能力そのもの』が法則を歪ませた結果に生じる現象なんだよ」
絹旗はようやく天谷の理論をつかめた。
つまり、天谷は絹旗の能力が『窒素の力で怪力を生み出す』のではなく『絹旗の能力によって収束された窒素が怪力を生み出す』と言いたいのだ。
一見、ほとんど差はないように見えるが大きく違う。
確かに空気に抵抗は存在する。しかし、天谷の言ったように空気を掴めるかと言われたって掴めるわけではない。風で抵抗を感じることはできる程度のものだ。
だがそこに異物が紛れこんだら?
例えば超能力。
『自分だけの現実』から世界に干渉する超能力は自然界の法則を破壊しているともいえる。
それを顕著に現したのが垣根の生み出すこの世に存在しない物質である『未元物質』だったり、麦野の『原子崩し』というわけだ。
では絹旗の『窒素装甲』はどうなのか。
平たく言ってしまえば窒素を集めるだけだが。着目すれば『一か所に集中して窒素が集まる』などという状況は自然には起きない。
つまり能力という異物が手で握ることのできない窒素を握るようにしていたのだ。
「……超屁理屈な理論ですね」
「褒め言葉として受け取ってやる」
イラついた調子で呟く絹旗。
しかし、さっきの動き……つまり絹旗の腕がつかまれたことにより二つの理論が証明されてしまった。
一つは絹旗の能力により窒素そのものの抵抗が歪んでいること。
もう一つは『窒素装甲』によって生み出された怪力は正面のベクトルに対してしか発動しないことである。
そして天谷は敵の制約、弱点を見逃さない。
ダン! と天谷が大きく一歩を踏み出した。
しかし、絹旗はまだ負けていない。
自身の能力を自身より理解するものが現れた。だからどうした。
相手は自分に攻撃を通す手段がない。あれば、何故さっき使わなかった? 答えは単純。そんな手段、手札がないからだ。
「……超舐めてんじゃないですか」
「ああ、舐めてるさ。お前は無能力者の俺にすら及ばない程度だとな」
直後だった。
バチン!! と。
絹旗の体に衝撃が走った。
おかしい、何故だ。違和感を覚える。
ガクン、と体が崩れる。
天谷しかいない。この状況を生み出せるのは彼しかいない。
絹旗が何か言いだす前に天谷は笑う。
「そうだな。物理的な攻撃なら俺はお前に傷一つ与えられない」
けど、と天谷は右手に握っているものを見せつける。
バチバチ、と電気音を鳴らすそれは、
「ス……タン、ガン?」
「通常より高い出力になるように改造してるけどな」
そう絹旗の『窒素装甲』は物理的な攻撃しか防げない。
電撃などもってのほかである。
体に力が入らない。うまく動かない。ガクガクと膝が笑っている。
このままではまずい、というところで。
天谷は肩の力を抜く。まるで戦う意思がないことを示すように。
「……『暗闇の五月計画』か。懐かしいよな。お互いにとって」
「な、なん……超、何を……?」
「思い出すな。お前と顔を合わせたのは数える程度だったか。前に言おうと思ってたんだけどな。フレンダとかいうのもいたし、言えなかった」
おかしい。何かが引っ掛かる。過去をほじくり返してあざ笑っているわけではないようだ。
しかし、絹旗の記憶に何かがよぎった。
言葉が漏れる。
「あなたは……まさか」
「生き残ってるのは俺と海鳥とお前……最愛の三人だけか」
絹旗の記憶の引っ掛かりが消える。
かわりに生まれたのは一つの名前。見たことも聞いたこともあるような名前。
「――――――――慶?」