木原練成はその肉体に『未元物質』を宿すことで『悪性』との対等な戦いを実現しようとしている。少なくとも『悪性』はそう判断していた。
しかし、それは愚手である。
なぜなら、『未元物質』とは本来、垣根帝督という人間が主導権を握るべき能力なのだ。しかし、その垣根帝督は植物状態に陥っている。
つまり。
この場で『未元物質』の主導権を握っているのは『悪性』だ。
『悪性』はビルの屋上で、軽く指を動かす。
それだけで、木原練成の体内に存在する『未元物質』は暴発を起こし、その体を内側から崩壊させる。
だが。
木原練成は倒れない。その右腕を振り回し『未元物質』の軍勢と対峙し続ける。
『悪性』は軽い調子で、
「……おかしいよなあ? 『未元物質』の主導権はこの俺にあるはずなんだが」
「おいおい、とぼけるなよ。『未元物質』の主導権という物は『悪性』と『善性』で五分五分に分配されているはずだぜ?」
「まさか……」
『悪性』の思考が一つの可能性を作り出す。
垣根の他に『未元物質』を操れるのは『善性』と『悪性』しかいない(その二人も垣根のようなものなのだが)。それは、『善性』と『悪性』の能力に対する主導権は五分であるという事だ。つまり、互いの生成した『未元物質』に干渉する事ができない。
『悪性』はその事実が気に食わないのか歯ぎしりをする。
「……さすがは『木原』ってところだな。この俺の唯一の弱点をついてくるとは」
だが、と『悪性』は言葉を続ける。
「だから、どうした? それは、この俺と『善性』を騙る誰かさんの操る『未元物質』の無限が互角なだけであって、お前や、他のメンツがこの俺に勝てる事にはならねえだろうが」
「そうだな」
木原練成は右手を横薙ぎに振るい、『未元物質』の軍勢を吹き飛ばしながら、笑う。
まだ、何かある。
「もし、俺の力がコレだけだったらな」
ゴッ! という音が響いた。
何の前触れもなく、『悪性』の頭部が謎の衝撃に揺さぶられ、地面を転がった。
「……痛えな。何のマネだ、これは」
木原練成は心底、愉快そうに笑っている。その笑みは『木原』のように邪悪で、子供のように純粋だった。
右手ではない、左手だ。左手が何かを纏っている。
ゆっくりと、確実に。その力は大きくなって『悪性』に迫る。
「おいおい……何だ、まさかその力は――――」
『悪性』が何か言葉を発する前だった。
木原練成から生み出された力が『悪性』に激突し、体が消し飛んだ。
そして。
『悪性』を中心に展開されていた『未元物質』が失われていく。
「こんなもんかね」
木原練成は詰まらなさそうに呟いた。
(……『善性』と同じ不死性を持っていたって、その根幹となる肉体そのもの使用不能なレベルで破壊すれば生きていようが関係ない。……賭けではあったがこんなもんだ)
この状況なら誰でも木原練成の勝利を確信するだろう。実際、彼自身も本格的な激突を前に得たはずの勝利を確信していた。
そう。
勝利した、はずだった。
「……やるなあ。ああ、本当にすげえよ、お前。この俺のいい性能試験になってくれる訳だ」
目の前の景色がもう一度、白に染まる。『未元物質』によって支配された事を示す白へと。
お返しだ、という『悪性』の言葉と共に木原練成の体が地面を転がる。自分がそうされたように。
「な……に、が」
「やれやれ、頭の悪い『木原』だな」
『悪性』は、右手の人差し指でトントンと頭を叩く。木原練成を挑発していた。
「この俺は『未元物質』で肉体を生成するに至った。……それは脳を生み出す事も例外じゃねえ。結局さ、この俺の力の源泉ってやつはそこにあるんだな。だから、この俺を何回殺しても、その分だけこの俺はよみがえるんだ。殺すだけ無駄だ」
本来、人が持つべき恐怖、有限、劣等感……ありとあらゆる感情が欠落してしまっている。
死の恐怖などない。何度でも自身を複製してしまえばいいし、痛いのがいやなら痛覚を遮断すればいいだけなのだから。
死なないのなら、人の持つべき時間の限界などない。だから、努力など必要ない。
努力が必要ないなら、劣等感などない。『未元物質』から機能として肉体に性能を組み込めばいいのだから。
何が、どこまで垣根帝督だったのか。『悪性』は本当に垣根帝督を映すだけの存在なのか。
もう、わからない。
「ハ、ハハハハ! この俺は! もう、オリジナルを超えている! 後は、実証、実験、それだけなんだ! だったら、もう『悪性』なんてチンケな名称で終わらせる必要なんてねえんだよ!! この俺こそが垣根帝督なんだからよォおおおおおお!!」
白く、悪意のこもった槍が大量に生まれる。
これで、木原練成と『悪性』の優劣は決定された。仮に、木原練成が他に何か隠し持つ手札があったとしても『悪性』に決定的な打撃を与えるには至らない。
そのはずだった。
直後。
ガクン! と『悪性』のネットワークの一部が異常を示した。
「……あ?」
具体的な現象でこそ現れないが、それは確かに起きていた。
『悪性』のネットワークの一部が誤作動のような動作を繰り返している。狂ったまま回っている歯車はいずれ致命的な崩壊を起こすだろう。
(……どう、なってやがる。個々のネットワークはブロック化と直結を綿密に線引きしている。この俺の表面的な電気信号、回路に侵入できたとしても解析なんてレベルまで到達できる訳が……)
そこで、気付く。
自分と同じ視点を持つことができる存在がいることに。そして、そこから生まれる意味や波及効果に。そして、この状況を作り上げる事のできるのは……。
「この、俺を! ……パクリやがってよぉ、このクソ野郎がァァァァァァァァ!!」
白い壁の向こうにソレはいる。ばら撒いた『未元物質』が確かに観測している。
こうしている今も『悪性』は自身のネットワークを切り崩すという屈辱的な作業をつづけなければならない。
なぜなら、二つに割れた盾の片方が、言うなればもう一人の自分が攻撃しているから。
「あなたは……愚かです。この上なく、愚かな存在です」
『悪性』に見えない攻撃を加え続けるソレは確実に、哀れむように、言う。
「でもそれが垣根帝督なのだから。受け入れる以前の問題でしょう。水には酸素と水素が必要なように、垣根帝督には善と悪が必要なのです。それも、一定の割合で。だから、どちらかが強くなりすぎてはいけない」
そのための戦い。均衡を保つために、戦う。垣根帝督というパーソナリティを守るために。
だが、それこそ『悪性』が最も嫌う状況だ。
薄く、薄く、憎悪のこもった笑みを浮かべる。
「……舐めてんじゃねえのか? この俺こそが垣根帝督だ。そこに他の異物、……ましてや『善性』なんてものが入ってこれる訳ねえだろうが」
そして、木原練成の能力を『悪性』は把握しきれていなかった。科学の法則には従っているのだろうが、何かがずれていた。
このままではさすがに分が悪い。
もう一度、『未元物質』を展開する。
「チッ……、面倒なマネを」
木原練成が不愉快そうに表情を歪める。
周囲の酸素が奪われていた。
そもそも、人間ではない……というより体が『未元物質』で構成されている『善性』はその気になれば呼吸という機能を排除して活動する事もできるだろう。
しかし、木原練成は普通の人間だ。いや、普通ではないかもしれないが、酸素を主な成分として呼吸している。つまり、空気中から酸素を奪われるという事は死ぬのと同意義と言える。
『悪性』は背中から翼を作り出し、臨戦態勢をとる。
(何だかんだ言っても、無限の可能性を手に入れたこの俺は負けるっていう概念そのものが消失している。……だったら話は簡単だ。この俺はただ、この俺を続けていればそれでいい)
もう、負ける理由などなかった。木原練成は元々、消化試合や自身の性能試験のために手を出したに過ぎない。『善性』がネットワークを構成する同質の『未元物質』を使い、侵入してきた事には多少なりとも驚いたが、それだけだ。致命的な一手にはならない。
ここで終わりだ、と『悪性』は明確に宣言する。
そこで、『善性』は壁に穴をあけるように、白い槍を突き刺す。『未元物質』の包囲網を破るためだった。
「ここまでですね」
「ああ、こっちの『プラン』に向けてのデータはそろった。あとは、お前……『悪性』を倒すだけだ」