「はぁーい。どうもどうも、学園都市が誇る最弱こと天谷慶様のお通りですよー」
天谷は極めて軽い調子で鉄の扉を開ける。当然、その扉には電磁的ロックが掛かっていた。学園都市製であるため、簡単にはいかないが、そのロックを超えるスペックでハッキングすれば問題はない。
(美空の『講釈』がこんな所で役に立つなんてな……)
美空は、コンピューター関連におけるプロである。正式にプロという階級に身を置いている訳ではないが、それに匹敵するレベルだという事だ。
その技術の一部を天谷は手に入れたのだ。当然、敵と味方の関係性が曖昧になっている彼女たちが自分の全てを見せる訳がない。しかし、ちょっとだけ盗み見をしていたら少しだけコピーできたのだ。
「さて……用件はわかってるな? 木原数多」
「ぁあ? クソガキにいちゃもんつけられるような事した覚えはねえんだけどなぁ。……つーか、お前に価値なんてないんだわ。死ねよ、実験動物」
「相変わらず『木原』ってのは品がねえな。というか、個人的な暇つぶしに来ただけだから、どうでもいいんだけど」
そう言って、天谷は軽く辺りを見回す。鉄製のゆりかごのようなものは実験用の設備だろうか。その設備は一つや二つだけではなく、十から二十前後は並べられている様子が薄いガラス越しに見えた。そして、目の前にある一つのゆりかごにはわずかに血がこびり付いている。おそらく、少し前までは危険な実験を行っていたような様子だ。
しかし、木原数多はそこで起きたであろう悲劇には何の罪悪感も抱かないし天谷はその事を気にする訳でもない。ただ、天谷の場合、事実そのものに対しては苛立ちや怒りを覚える。
(操折はうまく周りをかく乱してるし、円周は外装型の『未元物質』を試してる。……となれば、俺はコイツを叩きつぶせばいいんだな)
己の中でやるべき事を設定してしまえば、後は実行あるのみ。とても単純だ。こうなった時の天谷は相当に強く、そこらの能力者には絶対に負けない。
「……お前らが『樹形図の設計者』を狙ってるってのは、とっくに織り込み済みだ。『悪性』はともかくとしても、第四位やお前を俺が見逃すと思ってるのか?」
「バーカ。いつまで最弱気取ってやがんだぁ? お前という一人の無能力者に対して、有利な状況を構築するのにどれ程の人間が躍起になってると思ってんだ? このクソガキがよぉ!」
狭い研究室であっても、両者はその地理条件を最大にまで利用する。与えられた条件や状況から最も有効な方法で戦闘を進めていく、という戦い方はこの二人の唯一の共通項であると言えるだろう。
天谷は、その動きを一瞬、しかし確実に観察する事でわずかな違和感に気付く。それは、木原数多の足の軌道。完全な直線ではなく、わずかに曲がりくねった軌道だった。
(円周のデータでコイツは確か、『金づちレベルの破壊力を顕微鏡サイズで制御する』とかいう傾向がある。……つまり、一見すると大雑把に見える動きもコイツの場合、繊細に組み立てられている!)
そして、この状況でステップを不規則化する意味は一つしかない。タイミングを外す事で、相手の防御と自身の攻撃のインパクトをずらし、集中力などの精神面にブレを生み出させる事だ。
さらに、精神という一見、非科学的な要素は科学的見解でその有用性が認められている。特にスポーツ時における精神の状態はパフォーマンスにおいてかなりの影響を与える。
木原数多は初手を確実に決める事でその効果を狙ったのだ。
(見た目に反して確実な一手……。病理や円周に似てると言えない事もないな)
そう呟いているかどうか、きわどい感覚で天谷は判断する。しかし、勝負は一瞬の出来事で流れが移り変わってしまう事がある。つまり、早いタイミングで相手の動きを読んだ天谷に初手に軍配は上がる。
「……よっと」
軽い調子で木原数多から距離を取り、次の攻撃に備える。
「……やっぱケンカってのは何度やっても飽きないな。病みつきになる」
「はあ? 何言ってるんだぁ、クソガキが。お前の場合は『二年前』の贖罪っていう下らない理想だろ? ……なら、お前がやってるのはただの傲慢で偽善。最も『木原』らしい行動原理って訳だよなぁ! ハハハハハハ!!」
狭い研究室に木原数多の笑い声が響く。嘲笑に近い笑い声だった。
天谷はその言葉にどんな感情を抱いたのか。
それは、とても単純なアクションで示された。
問答無用で腰に携行していた拳銃を抜きとると、それを木原数多へと突きつけた。
「……何のマネだ」
「『ソレ』は俺の前では禁句だってのは、知らねェ訳じゃねェだろォなァ? ……特にお前みたいに『あの時』を知らねェで面白半分に口にするヤツが一番気にいらねェ」
天谷は口では色々言うが、完全な悪に染まれてもいないし弱い者を傷つけて喜ぶような人間でもない。むしろ、ケンカするなら強い者という戦闘欲だらけだし、人に甘い部分だってある。彼が一方通行と同じ口調になる時は極端に興奮した時、怒りを抑えきれない時だ。
では、木原病理、龍華、唯一、そして数多がほんのわずかに言及している『二年前』とは何なのか? 天谷をそこまで揺さぶる過去とは何なのか?
木原数多は口元に笑みを浮かべながら、あざ笑った調子で言う。
「あの女も哀れだよなあ……。自分の命と引き換えに残したものがこんな出来そこないの実験動物だとはなぁ」
ここで、天谷の中の何かがプツンと音をたてた。
直後。
最弱の手に握られた拳銃がいくつもの破裂音を響かせ、木原数多へと襲いかかる。