無能力者は異能を全く使えないわけではない。顕微鏡レベルまでグレードを落とせばその変化・事象を観測できなくもない。もちろん全くの無能力者もいるわけだが。
天谷は前者の無能力者に当てはまる。レベル0の『ベクトル操作』。そもそもレベル0でまともに機能するかも怪しいがそれでも希少価値が高いことには変わりない。
これを前提にして。
今回の騒乱の大きな目標は何だったのか。
結標が。『悪性』が。麦野が。そんな怪物たちの中心に立っているのは木原数多という……言ってしまえばただの科学者だ。格闘スキルも高く、特異な性質ではあるものの政治的権限という意味では皆無に等しい。それが学園都市の科学を支える『木原』一族であってもだ。いや、逆に何千と拡散している一族だからこそその力は分散し弱いともいえる。
その木原数多が何を持ってここまでやりたい放題しているのか。
無能力者の天谷はそれに深くかかわる何があるのか。
――――――――――――――――事件の一週間ほど前
「『人的資源』プロジェクトぉ?」
病院の一角にある隠し部屋で木原数多は間の抜けた声を出した。
正面には白衣を着た女性がモニターテーブルに腰をかけている。その横にはナース服を着た二十前後の少女が佇む。
その言葉に女性は軽く答える。
「そ……とは言っても、あれは二年前に一回頓挫したんだけど。だから今回はその計画を昇華させたものになるなかなー?」
「…………」
この手の上に立つ連中の言動はさすがに理解できないのか、数多はため息をこっそりとつく。特に目の前の女性……薬味久子はこれを道楽的にやっている部分がある、というよりそのためにやっている。数多にもその部分は多くあるものの、さすがに薬味久子のレベルになるとついていけないようだ。
それに気付いてか、気付かないでか、薬味は言葉を進めていく。
「前の計画ではとある無能力者を弱者……守るべき者に設定することで対戦カードを任意選択して共食いを狙ったんだけどね。まあ、その無能力者がものの見事に前提を覆しちゃって……もー大変。まさか、第二位まで参戦するなんてって訳。……何だか年寄りの思い出話になってきたわね。恋査ちゃん、アレ渡して」
かしこまりました、という事務的な声と共に資料が渡される。
数多は軽く目を通し、
「……『僕が太っているのはフライドチキンの隠謀ちゃんのカルテ』?」
「すいません間違えました。こっちです」
恋査は表情を変えずに書類を渡す。しかし、その手が微妙に震えていることからちょっと恥ずかしいようだ。
「もー……恋査ちゃん。その辺はちゃんとやってよね。もっと別の機密の書類とかだったら面倒なんだからさー」
「あー……それはともかく何で手書きで?」
「ああ……端末とかに残すと、消去しても再生させられる可能性もあるし。まー学園都市のハイテク技術えをごまかすには結局とことん原子的にならないといけないんだよねーって訳でこれに落ち着いたの」
「そう……ですか」
慣れない敬語に口が詰まるが相手は仮にも学園都市トップに立つ十二人の統括理事会の一人だ。下手に機嫌を損ねて得することはない。それに、さすがの数多もこの女性の心理は読みかねるようで、
「それで何が目的で?」
「さっきから片言っぽくなってるのは緊張かな? ……ま、どっちでもいいや。今回の最も重要な取引の内容についてね。これは簡単。あなたはただ私の主導する計画を調整してほしい。あの無能力者を計画の内側に抑え込むの。必要なら直接手を下してでも……ね?」
『人的資源』プロジェクト。その中枢に天谷慶を抑えたいのはわかるが、木原数多には別にこの計画に参加する理由はない。
だが、それすらも見透かすように薬味は言葉を続ける。
「もちろん報酬は出すわよ。あなたは『残骸』の回収……好きに使っていいわよ。どっかのバカは外部組織と提携して別の何かを求めてるみたいだけど……ま、学園都市の技術は学園都市のものだと決まってるわけだし。まさか、そのバカも外部に売ったりはしないでしょうけど。その辺も折り合いをつけてねー? と、いうわけで後は任せるわよ」
どうやら彼女は一定の目標さえ果たせれば細かいことは気にしないらしい。確かに統括理事会の後ろ盾があれば街で事を起こすには心配はないが……。
隠し部屋の横合いにあるダストボックスのようなところから出た木原数多は軽くため息をついた。
「ま、なるようにはなるか」
ライターで焼き尽くした紙にはわずかにこう書かれていた。
『人的資源プロジェクト・被験対象者、コードBよりコードF。その「引き金」には天谷慶を弾丸に垣根帝督を代行するネットワークを使用する』と。