この世界が正しいものだなんて一瞬たりとも思ったことはなかった。それが間違ったことなんて疑ったこともなかった。
でも、少女はふと思った。生まれてから一度も世界を信じられないのは異常なのではないか?
この世界が見えなくて当然の年頃から、今だって未成熟な精神がこの世界を信じないのはおかしいことのはずだ、と。
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心理定規の目から見て、天谷慶という少年は不思議な存在だった。
どうとでもなる、と言えばどうとでもなるような気がしたし、誰かが何の根拠もなくお前には無理だ、と彼女に囁けば何となく納得させられてしまう。そんな特定の形を持たない存在だった。
「お前だって気分で行動することあるだろ? そう気にするなよ。俺は自分の全てを気分に任せてるだけなんだから」
少年は親しげにそう言ったが、心理定規は信じない。彼が嘘をついているとは思わなかったが、本能的にこう感じてしまった。
垣根に似ている、と。
しかし、すぐに間違いに気づく。
天谷が垣根に似ているのではなく、垣根が天谷に似ているのだと。
「そんな訳ないだろ。アイツと俺じゃ、そもそもの基準が違いすぎるんだよ。お前の目が狂ってるだけだ」
垣根は認めたくないだけ、というような調子でそう吐き捨てた。おそらく本人は本気でそう思っていたのだろうが、彼の思考が天谷に感化されつつあったのは心理定規の目には一目瞭然だった。
だが、第二位にそこまでの影響を与える天谷に何があるのかだけは彼女にもわからない。
だから、ある時聞いてみた。
「彼は……どういう人間なの?」
垣根は笑って答える。
「こっちが聞きたいな。精神能力者のお前でもわからないのか?」
「私の能力は心の距離を測って、その距離を自在に操るだけよ。もちろん、簡単な読心ならできるけれど、第五位にでも頼むのが一番よ。あなたなら干渉もされないだろうし」
「……悪いけどそういうのは自分で確かめたいんだ。お前や第五位なんざ、どうだっていい」
結局、心理定規は天谷慶という少年を知ることはできなかった。
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心理定規はふと、われに返る。どうやら垣根の頭を撫でているうちに過去を振り返ってしまっていた。
「懐かしいわね……」
もう一度、優しく髪に手をいれながら、呟く。
「……私もあなたを救うわね。その時は……何か言う事でも聞いてもらおうかしら」
彼女はクスリと笑い、病室を立ち去る。
しかし、心理定規は気付かなかった。
垣根の指先がわずかに動いたことに。
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「分身と言ってもさすがは帝督の分身ね。第一位をあそこまで追い詰めるなんて」
心理定規はビルの屋上から地上を見下ろす。
どうやら『悪性』は無限の再生能力を獲得しているようで、一方通行が何度、壊しても復元されるようだった。チョーカー十五分の制限も御坂の電流で補充は可能だ。しかし、御坂も無限に電気を繊細に制御できる訳ではない。すでに額には汗が浮かびつつある。
「あれれぇ? 誰かと思えば私に勝てない哀れな心理定規さんじゃないですか☆」
彼女の背後には常盤台の制服を着た金髪の少女。
食蜂操祈。学園都市最高の精神能力者。
「それでぇ? あなたが例の協力者さんになるのかしら?」
食蜂は歪んだ笑みを見せつけるかのように、ゆったりとした調子で言う。
心理定規は眉をひそませ、
「……相変わらず、嫉妬の激しい女ね。そんなに帝督が欲しいの?」
「第二位、としての必要性は二割くらいですよぉ? 私には私の都合がありますし」
「ホント、慶君がいなかったらチームワークも協調性もあったものじゃないわよね。私達って」
心理定規の嘆息を無視して、食蜂はリモコンを取りだす。狙いは垣根帝督を名乗り、あまつさえ下らない実験の犠牲者の墓を暴いたクソ野郎だ。
「そりゃあ……私があの実験にどうこう口出しするつもりがないのも事実だしぃ? 御坂さんがどんな思いしたかなんて知ったことではないんだけどぉ……」
食蜂はリモコンをわずかに強く握りしめる。唇は歪んでこそいるが、その表情はいつものような笑みとは言えない。むしろ、隠しきれない怒りを体現した表情。
「あなたが偽物に過ぎないってことを証明してあげますよ☆」
「……ホントに子供ね。醜い嫉妬だわ」
学園都市最高の精神能力者が動きだす。たった一人の怪物を壊すために。
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ピー、という電子音が鳴る。一方通行の生命線であるチョーカーが時間切れを伝える音が。
そこに、迫る白い槍。
だが。
「使いなさい、バカが」
第三位、御坂美琴が繊細に制御した電流が迸り、正確にチョーカーへと導かれていく。
赤いランプが灯り、再び十五分の力が呼びもどされる。
「……舐めやがって」
一方通行に触れた白い槍が霧散する。しかし、一方通行にはかつて、垣根の『未元物質』を解析した時のような感覚にはならない。あの、自身の中で何かが膨らむような感覚には。
一方通行の力は脳の障害で確実に力は衰えている。あの実験の時に出した黒い翼だって自分の意思で出せる訳じゃない。
だが、それでも。
これだけは言える。目の前の白い塊はあの日初めて第一位が敵と認めた男ではない。そんな人を認めるという……今まで一方通行にはなかった別の強さが口から零れ落ちる。
「オマエは垣根帝督じゃねェ。アイツはもっと大きな何かを抱えていた。拭いきれないとわかっていても、それでも清算しなけりゃァいけねェ何かを抱えていた。その清算のために俺と戦ったに過ぎねェ。……どォせアイツにとっちゃどォでもよかったンだよ。第一位の座なンてものは」
『悪性』はその口を三日月に引き裂く。黒に染まった眼窩がわずかにぶれる。厳密には赤い瞳の揺れに連動しているようだが。
「確かに、な。だがこの俺はお前を殺して第一位になる。この俺だってこの街を壊す気はない。この街は利用するだけの価値がある」
ボコン! と金属がへこむような音と共に黒い球体が無数に浮かび上がる。その球体が一方通行と御坂を囲む。
「お前はアレイスターから直接交渉権を得られる程の立場にいながらそれをしない。重大な怠慢だ。使わないんだったらこの俺に譲れよ。お前は安心して死ねるしな。皆幸せってヤツだ」
「バカじゃねェのか?」
「今回ばかりは第一位に賛成ね」
二人はそろって首を横に振る。珍しい一致だった。
垣根帝督。
どこかの無能力者が広げた波紋は彼からも広がっていた。その事実に『悪性』は気付けない。
「第二回戦……ここからはワンサイドゲームになるわね」
ゆったりと目を閉じた心理定規の唇はわずかに笑みを作っていた。