垣根は長い夢の中で、ついに彼女と出会った。
「帝督!」
自分自身がいつの間にか消える。
何が起きたのか垣根にはわからない。ただ、目の前には何故か自分の足で立っている病理がいた。
「テメエ……何でこんなところにいる」
ここは虚数学区である、と垣根は仮定した。ならば木原病理がここにいるのはどう考えてもおかしい。
(……そういや病理は俺の『未元物質』を体内に入れ込んでたな。ならここに来れるのか……?)
だとすれば送り込ませたのは垣根に他ならない。しかし、垣根にはそんなことをさせた記憶はどこにもない。
すると、病理は笑った。
「あなたにはコントロール出来てないようですね。……ということは『共鳴』とでもいい表わせばいいでしょうか?」
「……どういうことだ」
「そうですね……。私の体内には『未元物質』があります。もし私の死をそこからテレパシーのように伝えられていたとすれば……あなたがここに私の意識を送り込んだとは思いませんか?」
死んだ、という言葉を問いただしたくなって……やめた。垣根もいつかはこういう展開があるのではないかと思っていたからだ。そういう環境で二人は生きていた。
病理もその様子に安心すると、言葉を続ける。
「とは言っても、私は厳密には『木原病理』ではありません。〇と一の思考を似せただけの模造品……でしょうね。だからここであなたが何を言ってもオリジナルには届きませんよ」
「……俺の『未元物質』はそんな段階にまで来てるのか」
垣根自身も驚きを隠せない。やはり、『未元物質』はかなり秘密の多い能力のようだ。
しかし、それ以上に垣根には納得できないことがあった。
「……お前はどうして死んだ? 生半可なヤツらじゃお前に傷一つも与えられねえだろう」
「レオンと美空ですよ。……全く、生みの親に容赦なく襲いかかる辺りさすがですねえ」
「……あの二人がお前を殺したのか?」
「いえ、違いますよ。その寸前に私が自滅しました。……どっちにしろ助かりませんでしたからね。それなら後の世に研究材料を少しでも残しますよ」
『木原』らしい歪んだ最後だった、と病理は誇らしげに付け足した。
一方、垣根はその先に病理の真意を読み取る。
「……お前、あの二人をかばったのか」
「? どういう意味でしょう」
「もし、お前を直接殺しちまえばあの二人は俺か慶に報復を受ける。そんな安くて短絡的な考えで自壊したのか」
「……、」
病理はため息をつく。無言の肯定だった。
垣根としては腹立たしいことこの上ない。そもそも、自分も天谷もその程度のことで下らない復讐に手を染めることはしないのに。病理が最後の最後にしたことは本当に無意味なことだと思った。
「……何でそんなことをした」
病理は何も言わなかった。何も言おうとしないのは、何かを恐れているようにも見えた。そこにかつて全ての科学を求めた『木原』の姿はない。ただ、少しばかり光っていた過去の幸せにしがみつく妄執の塊……垣根にはそう見えた。
「どうしてだ。どうしてそんな答えしか出せなかった。お前はそんなに頭の悪い女じゃなかっただろう」
静かな言葉に自然と、感情がこもる。
どうしてだ、という怒り。そんなものだったのか、という失望。
そこまで思われてもなお、病理は無言を貫く。まるで、この状況を求めているようだった。
「……何か言えよ。いつもみてえな皮肉な笑いと一緒に、何とか言ってみろよ!」
届かない。何を言えば病理に自分の言葉が届くのかわからない。
本心を言えば、病理も口を開いてくれるかもしれない。ただ、言いたくなかった。
それでも言わなければ病理は無言のまま消えていくだろう。それもまた、垣根には耐えきれないような結末だった。
「病理……俺はお前が死ぬなんて信じたくねえ。だから、言ってくれ。冗談だって。これは悪い夢だって、そう笑えよ」
ここは現実でも虚実でもない中途半端な世界。ならば、嘘以前に真実と病理が認識させられている可能性もある。その可能性を認めてほしかった。まだ完全には死んでいない。だから助けられる。そういう可能性が一%でも欲しかった。
そして病理が口をゆっくりと開いた。これは垣根の気のせいだろうか。動いた唇は普段の数倍は艶めかしく感じられた。
「本当ですよ。……私は自ら埋め込んだ『自壊機能』で消滅しました。その時に多少周りを巻き込んだのは些細な問題ですが」
垣根にとっても本当に些細な問題だった。周りはどうなってもいい。今は病理が一人、助けられると証明したかった。
「……死体は!? お前の思考は残ってんだろ! だったらお前の体に電気信号と各機能の循環、〇と一の思考さえ埋め込んでしまえば……」
「無駄です。私の遺体は『未元物質』に飲み込まれました。思考に関しては今ですらどうにかなってますから大丈夫でしょうけど……虚しいだけだと思いますよ?」
「……、」
思考すら戻せる。遺体に命を吹き込むこともできる。いや……無から新たな命を生むことができるようになっても、木原病理を取り戻すことは不可能になった。
もうすぐ、彼女の全てが失われる。
だが、木原病理はそこまで悲観的ではなかった。
「帝督くん。気にしないでください。確かに私はいなくなりますが最後にあなたの顔を見れた。だから、もういいんです」
違う、そんな言葉を聞きたいんじゃない。垣根が聞きたい言葉はもっと他にあった。恨みの言葉でも、助けてという懇願の言葉でもかまわない。
ただの自己満足に等しい。でも、抑えられない。
(……何で、そんな満足そうに死ねるんだ。何で、俺と――――)
必死のその先は噛み殺した。唇をかみしめなければいけない程、強い思いだった。
おそらく、病理は垣根の気持ちに気付いている。だから、黙り込んだままでいようとした。しかし、それは無理だったのだ。それは病理もまた同じ気持ちだったからだろう。
「帝督」
病理は初めて、垣根のファーストネームを呼び捨てにした。その目にはうっすらと水滴が見える。
「私は……とんでもない人間です。何人もの人間を『諦め』させておきながら、自分だけは幸せになろうとした。これは悪魔のような所業です。でもですね……長く科学に依存してると、ときどき神様のイタズラを信じたくなるんですよ」
きっとイタズラだったのだろう、と病理は思う。気まぐれな神が病理に少しの間、幸せを与えて飽きたから元に戻した。ただそれだけ。
でも、病理はその幸せを精いっぱい享受できた。だからもういいんだ、と。
まるで幽霊が成仏でもするかのように病理の体が薄れていく。
「おい……!」
「さよなら、帝督。私の――――」
病理の声がかすれて聞こえない。もう、時間がない。
垣根が最後の最後で伝えた言葉は単純だった。
「病理! 俺は……本心ではお前を――――」
消えていく体を抱きしめようとして――――消えた。
「――――逝くな、病理」
直後。
まるで悪い夢から覚めるように、唐突に垣根の意識が覚醒した。