天谷慶にとって鈴科百合子という少女は微妙な存在だ。
簡単に切り捨てられるが、そうしては何となくいけないような気がする。
彼女はいわば、天谷の過去の幻影。後ろから迫る影。
「……つゥかなめられ過ぎじゃねェか」
そんな強烈な存在と正面から向かい合っても、天谷は恐れない。
たまたま相性がいいから、とかそんな単純な理由ではないのだ。
目の前の少女はそんな天谷の言葉に反応する。それが理性を保ってのものなのかどうかは天谷にはわからない。
だが、一つ感じられる事があった。
彼女は自分を殺しに来る。
直後。
「あァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
鈴科の枯れかけた咆哮と共に膨大な衝撃がまき散らされる。
それはベクトルというよりは何か別のものだった。
思えばたった一度とは言え、天谷があの力を前に無傷だったことも何かおかしい。
まるで、自分自身の身を削って放つかのような衝撃。
「クソ……ッ、こっちも時間はありませンってか!?」
天谷は足を強く踏み出し、鈴科へと手を伸ばす。
だが。
「……フフフ」
鈴科が歪な笑みをこぼした。
これは罠だ。
天谷はそう察し、止まろうとするがもう遅い。
彼女の身体が天谷の懐に飛び込み、その手を伸ばす。
しかしここで天谷の『ゾーン』がその本領を発揮した。
全てが止まって見えるかのような感覚。身体も軽い。
そしてその予感は当たっていた。天谷は自分の想像の枠を超える力を表出させている。
少年は自分へと伸ばされる少女の腕を掴む。
そしてそのまま背中を鈴科に押し当て、足をかけて投げた。
「ッ!?」
鈴科の軽い身体はそれだけで宙を舞い、地面へと押し倒される。
天谷は倒れ込んだか細い少女にまたがり、耳元で囁くように言った。
「……ったく、いつまで操られてるつもりだ。いい加減にしろ」
「……慶、さン」
そしてその言葉に鈴科は明確な反応を示す。天谷は自我が戻ったのかと、一瞬安心した。
言いかえれば、油断した。
次の瞬間。
「ク、フフフフフフフフフフフフフフ……」
妖しく笑う鈴科は身体を天谷の下でもぞもぞと動く。
そして天谷の頬に手を当てて、言った。
「アナタが……元凶、とは思いませン。全ては『大人の都合』というだけで私達やアナタを巻き込んだ人こそが悪……だから、慶さンはなにも悪くありませン」
ふわり、と風が揺らいだ。
その現象に天谷は違和感を覚える。
屋内で、風が吹くはずがない。
そして鈴科の能力は『ベクトル操作』だ。あの、一方通行と同じ能力。
それはつまり――――
「――――風のベクトルか!」
その直後だった。
轟! と巻き上げられた空気が天谷の身体を吹き飛ばす。
そのまま地面を転がり、起き上がった。
そして目の前に佇む少女を見据える。
その、空間全てを支配する少女を。
――――――――――――――――
一方通行は現代的なデザインの杖をつきながら、夜の街を闊歩する。しかし、そうは言ってもその気ままな散歩と彼の表情は一致していない。
原因は彼の横にいる少年。
木原練成。
彼はボロボロになった黒のYシャツからスポーツ用のTシャツへと着替えている。それでもこだわりがあるのか胸元の開いたタイプなのは変わらなかった。
「……なあ、一方通行。俺の妹、助けてくれないか?」
「そンな事する意味は俺にはねェな」
練成の言葉に一方通行は即答で拒否を示した。当然だ。
そもそも『木原』なんて種族を彼は信用していない。差別的な思考なのかもしれないが、『木原』というだけで彼はその人間を疑ってかかる。
そしてそんな事は練成も承知していた。その上で話しを持ちかけているのだ。
「そう言うなって。お前にもちゃんとメリットを与えるようにはする。……相手はあの第二位だぞ? タダ働きなんてふざけた条件にはしねえよ」
「……だとしても、だ。俺には俺に領域ってのがある。それをオマエに好き勝手させる訳にはいかねェだろォが」
「おいおい、一万人も殺しといて何言ってんだよ」
「……、」
その言葉に一方通行は立ち止まり、練成を睨む。
しかし、練成は第一位の威圧するような態度にも怯えない。
「死にてェなら先にそう言え」
「悪いがそれはできない、な」
練成はそう言って一方通行に背を向けてから大げさに肩をすくめた。
一方通行にはわからない。彼が何を考え、何を狙っているのか。
そしてそんな彼の疑問をあざ笑うように、練成は言った。
「俺が差し出すメリットは――――黒い翼、この世界の真実だよ」
黒い翼。
その言葉はほんの一瞬だけ一方通行の時間を止めて。
夜風が、その時間を再び動き出させた。