上条当麻。
本来なら、ありとあらゆる戦場で主役として戦うはずだった少年。
彼は科学サイドにおいてこう呼称されていた。
『幻想殺し』。
彼の右手はその現象が異能によるものなら打ち消すという性質を持っている。
そしてそれは八月二十日、一方通行と垣根帝督の激突を止めるという形で垣間見えた力。
だが現実的に考えてそんな事が可能なのだろうか?
あれほどまでに莫大な二つの力は常識で考えればできるはずがない。
でも。
もしあの時、何かの片鱗があったとするなら――――
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「……クソ、どうなってんだ」
上条当麻は研究所の内部に足を踏み入れ、進む事を一瞬ためらった。
研究所の中の様子があまりにも酷かったからだ。
廊下はまるで鋭い爪に引き裂かれたようにズタズタで、まるで獣が脱走した後のようだ。
(もしかして、本当にいるのか……?)
そう思いたくなるほどの惨状だった。
しかしこの向こうに間違いなく何かがあるのだ。
上条は急ぎ足で研究所の奥へと進む。
そして壊れかけた鉄製のドアの向こうへ足を踏み入れる。
その、向こうには――――
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幸せになってはいけない人間。こういう人間がいる、と高らかに叫ぶ者がいる。
それは犯罪者であったり、何の努力もしない人間であったり……とにかく世間一般からはそう思われても仕方のない人間がいるのだ。
だが、幸せになってはいけない人間は他にもいる。
何かと戦い、何かに勝利する事によってしか生きていると実感できない人間。平和に身をおいたその瞬間に腐って何もできなくなる人間。そんな人間もいた。
自分は違うと思ってきたし、そんな人間いるはずもないと思ってきた。
だから『二年前』の事件が終わった時に何もかもが終わり、平和な時間が過ごせると思った。
一番大事な少女が死んだ事だけは悔やまれるが、彼女の分まで幸せになろうとしてきた。
でも、なのに。
身体がうずいた。平和が耐えられない程の屈辱だった。
自分では勝てそうにない理不尽な怪物と殺し合っている時の方がずっと落ち着いていた。
平和になれば時間に隙間ができる。隙間ができれば暇が生まれる。
そのわずかな時間が途方もなく苦しく、無限なものに感じられた。
だから、少年は苦しくも悦びを感じられる戦いの道を選んだ。
だから。
だから。
だから――――
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天谷慶は鈴科百合子に追い詰められていた。
いくら本来よりも力を発揮できると言っても、所詮は人間の領域。一方通行には隙をついて勝てても、そこを抑えている鈴科には拳を届かせることはできない。
だが。
「……誰だ」
彼の後ろにはツンツン頭の少年が立っていた。
上条当麻。
上条の右手に宿る『幻想殺し』はありとあらゆる異能を無効にする。
彼の協力があれば鈴科に勝てるかもしれない。そんな希望的観測が天谷の頭をよぎる。
その安堵が負けに繋がるとも知らずに。
「……は?」
それは唐突な出来事だった。
天谷の体中から力が抜け、膝ががくがくと震え始める。
身体にまとわりつく疲労感を自覚した時には立てない程、身体が重たかった。
(……?? 何だ、何が――――)
天谷は回らない頭を必死に動かしながら状況を整理しようとする。
今来たばかりの上条を横目に見るが、彼も状況を理解できないのか茫然と天谷を見ていた。
となると必然的に考えられるのは――――
「私じゃ、ありませんよ」
天谷の思考を読むように鈴科が口を開く。
彼女の笑った口元は三日月のように歪で、三日月のように綺麗だった。
「……そもそもスポーツなどに見られる『ゾーン』なンて平たく言えば、極限の集中状態を言うンですよ? それを私相手に勝つまでするなンて無理に決まってるじゃないですか。……怪物相手に出来るわけないじゃないですか」
鈴科はこの為に天谷と戦っていた。
自分が手に入れてしまった力は人間という枠をはるかに超えている。無能力者の天谷がどうこうできるレベルではない。
そうしてどうしようもない力の差を見せつけて、鈴科は天谷をこの抗争から遠ざけたかった。
内心、無駄だと悟りつつも、そうせずにはいられなかった。
そして。
「……無理だよ。もしお前がそうして諦める程度のヤツなら、こんなところにいるのか? もうお前を見捨てていたはずだ。あったんだよ。ソイツにはどうしてもお前を見捨てられない事情が、理由が。……だったらそれだけで充分だろ。受け入れればいいんじゃねえのか?」
それは赤の他人である上条当麻にでさえ一瞬で看破される程、稚拙なものだった。
「……うるさい。何も知らないくせに」
鈴科が俯きながら呟く。
そこにはさっきまでの怪物という禍々しさはなく、ただ一人の少女が愚痴をこぼすような声色だった。
「慶さンは卑怯なンですよ。……人を簡単に事件に巻き込むくせに、『同居しろ』って勝手に家に連れ込むくせに……一番危険で大変な事だけは全部自分で請け負おうとする! ……私達が大事なンじゃなくて、そうやって過去にした事を償おうとしてるだけなンですよ!!」
鈴科がその悲痛な声とは対照的に軽く地面をつま先で叩く。
そこから生まれるベクトルを操作し、烈風を吹かせて天谷へとぶつける。
天谷は笑ったまま、動かなかった。確信があったからだ。
彼なら、上条当麻なら止める、という確信が。
直後。
パキィン!! というガラスの砕けるような音と共に風がぴたりとやんだ。
そして右手をかざしながら鈴科を見据える上条は強く言う。
「……お前が動けないってんなら俺が動いてやる。俺がアイツを止めてやる! だから、お前は後の事だけ考えろ。怪物みたいな力を持ってしまったアイツをどうやって立ち直らせるかだけ考えろ!!」
少年が対峙する。
それは誰の思惑か。
目の前の少女はかつての第一位の幻影だった。