木原病理が生前、最もその意欲を示した能力者は垣根帝督だった。
それは何故か。
彼女はその立場上、一方通行が統括理事長の思惑によって『生み出された』という事を知っていた。彼が一位になるのは確約されていたのだ。
だが、垣根は違う。彼は他でもない彼自身の才能によって『未元物質』を手に入れた。
天然で荒削りだが、価値の高い貴金属と人口で使いやすいが、それ以上価値が上がらない貴金属。
彼女がどちらに魅力を感じるかなど、火を見るより明らかだった。
だから垣根帝督は第二位になる。
言うなれば超能力を作り上げた街の大きな意思によって。
ただ、もしも。
木原病理がその奥にもっと別の何かを感じていたとするなら――――
――――――――――――――――
「ゴホッ……、」
垣根提督は病院服のまま、夜の学園都市をよろよろと歩いていた。
起きてからというもの体の感覚がおかしい。まるで体中に鉛を巻きつけているようだ。
しかし、ここで立ち止まるわけにはいかない。
『あの時』誓った事をここでやめるわけにはいかないから。
「……みーつけた」
唐突に。
垣根の背中から腹へと手を回し、陽気にそう言う少女の声が響く。
木原円周。
彼女はその小さな体で精いっぱい垣根を押しとめた。
垣根がちょっとその気になれば自分なんてすぐに吹き飛ばせる。そうわかっていた。
だが、わかっているからといって、ここで彼を行かせていい理由になるとは思わない。
それは誰かの思考データをコピーしている、とかそんなではなく彼女自身がそう思っているからだ。
「……帝督お兄ちゃん。今は、ダメ」
「お前には関係ねえだろうが。……そうやってれば俺が諦めてくれると思うなよ」
「うん、言わないよ。私は……病理おばさんじゃないから」
その言葉に垣根ははっと後ろから抱きつく円周を横目で見る。
少女は、泣いていた。
「……病理おばさんはね、ずっと言ってたんだよ。帝督お兄ちゃんは慶お兄ちゃんに会う前から、人の心を捨てきれない弱い人だったから、誰かが理解してあげないと寂しくて壊れちゃうって」
「あの野郎……」
垣根は円周の言葉を否定しなかった。
かわりに彼は円周の手をぎゅっと握りしめる。
「……誰の思考パターンかは知らねえが、データと統計論で俺は止まらない。……確かに俺はクズかもしれねえけど、そんな俺を許した慶が傷ついていい理由にはならないんだ。そして俺がアイツを見捨てる理由も……ない」
「フフ……帝督お兄ちゃんはバカだなあ。私は……木原円周はそんな事を言ってるんじゃない。誰かの言葉を仰々しく借りてる訳じゃないんだよ?」
「……、」
出来る事なら。
言ってほしくはなかった。円周の言いたい事なんてとっくにわかっている。
でもその言葉を聞いてしまったら垣根は心のどこかが揺らいでしまうような気がした。ここまで積み上げてきたちっぽけ何かを棒に振ってもよくなってしまうような気がした。
だから、言ってほしくはなかった。
そしてそれを円周はわかっている。彼女だって垣根の気持ちはわかっていた。
ただ、それ以上に。
失うかもしれない物より、今、留めておけば手に入れられる物の方が魅力的だった。
だから、言う。
「行かないで、帝督お兄ちゃん」
力強く放たれた一言は。
垣根の前進もうと言う意思を確実に鈍らせる。
少し前の自分なら簡単に切り捨てられた一言。
なのに。
今の自分にはあまりにも重たすぎる一言だった。
これを受け入れる事が強さなのか。
これを無視してでも進む事が強さなのか。
(……俺には、わからない)
アイツなら、天谷慶ならどうするか。
自然とそんな方向へ思考が流れていく。
だが。
「ずるいよ。私は自分の本音を言ったのに。帝督お兄ちゃんは誰かの言葉を借りるの」
えぐり取るような、あるいは垣根の逃げ場を奪うような一言が響く。
円周はあくまで垣根自身との対話を望む。
今まで、天谷のためとか、天谷に協力するとかそんな理由で自分の決断を先送りにしていた少年を問い詰めた。
そして。
「俺は――――」
垣根は少し間を空けて考える。
というよりは、自分の気持ちをまとめる為のものだったのだろうか。
とにかく彼は自身の服を掴む円周の手をそっと握り言った。
「俺はアイツの為に戦う。……それは『あの時』から変わってねえし、これからも一緒だ。その為なら俺は死んだって構わない」
「……わかったよ」
円周は諦めたように呟くと、小さな手を放した。
そして、今にも泣き出しそうになるのをこらえて言う。
「なら、もう止めない。――――行ってらっしゃい」
「……済まない」
結局。
第二位の力を手に入れても、二つのものを同時に守る事なんてできなかった。
いや、『未元物質』にその力があったとしても垣根という一人の人間はそんなに強くはなかったのだ。
ただ、それだけのことだった。
――――――――――――――――
「……待てよ」
鈴科を置いて、研究所から立ち去ろうとする天谷を上条が止めた。
天谷は彼の方を振り向かずに言葉だけで返す。
「何だ。……俺は生憎と急いでる。手短にしてくれないか?」
「この子は、どうするんだ」
「……、」
天谷は少しだけ考えるそぶりを見せて、天井を仰いだ。
「そうだな……お前に任せる。こんなところにまでわざわざ命をかけるくらいバカなお前なら信用できるしな。ここまでやって見捨てる理由の方がねえだろ?」
「そうじゃない。……確かに、お前は俺が来なきゃ負けてたのかもしれない。だけど、この子を止められるのがお前だけだったからそうしたんじゃないのか!?」
「お前の右手でもどうにかなってるのが現実だ。……俺は昔からヒーローじゃなかった」
「お前……そんな下らない体面のためにこの子を一人にするのか? 確かに俺がこの子を病院に連れて行って、この子の命を救う手助けをするのは簡単だ。でも、この子の心をどうにか出来るのはお前なんじゃないのか!?」
「……なるほど、ね。お前はそもそもにおいて勘違いしてるみたいだ」
その言葉に上条の表情が怪訝なものになる。
天谷はそこで初めて振り向くと、上条に告げた。
「――――俺は、他人が何人死のうがどうでもいいんだよ」