島津飛翔記   作:慶伊徹

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十六章 伊東義祐への褒美

 

 

七月十五日、午の刻。

陽が昇り始めて三刻経った。

飯野城の南に位置する池島川の畔り。重傷者を含めた伊東義祐率いる3000の兵士が布陣。同じ轍を踏むまいと奇襲を警戒しつつ、加久藤城から退却する時に別れた相良勢の合流を待っていた。

伊東義祐は本陣にて瞑目しながら思案に暮れる。

島津義久の巧みな夜襲から二日が経過した。

疑心暗鬼と焦燥感から瓦解寸前だった軍勢の綻びも直し終え、直ぐにでも加久藤城か飯野城を攻略したい伊東義祐だったが、相手は伊東相良連合軍を手玉に取った島津義久である。

加久藤城の戦いの如く、再び翻弄されては元も子もない。此処は相良勢の合流を待ち、一兵でも多く城攻めに回すのが肝要であろうと判断した。

だが、不安と疑念は残る。

夜襲時、島津隊は相良の旗指物を持っていた。

恐らく六日目の戦闘で手に入れた物だろうが、疑って見ればわざと加久藤城に置いてきたとも考えられるのではないか。

 

「誰かあるか?」

「はっ。此処におりまする」

 

答えたのは柚木崎正家であった。

『日州一の槍突き』と謳われ、二日前に起きた夜襲の際も槍の名手として殿を務めた上に、傷一つ負うことなく無事に本陣へ生還した強者である。

真っ先に逃げた伊東祐青と違い、伊東義祐に忠義を尽くした柚木崎正家。主君がどちらを重用するか考えるまでもなかった。

 

「正家か。お主はどう考える」

「相良殿の事でありまするか?」

 

何を、と尋ねない聡明さ。

伊東義祐は満足気に頷いた。

顎髭を擦りながら正家に己が考えを伝える。

 

「如何にも。既に二日経っておる。義陽殿から音沙汰が無いのは、噂通り我々を謀っておったからだと思うのだがな」

 

相良義陽が島津家と手を組んでいる。

それは島津義久が意図的に流した噂でなく、事実では無いだろうか。

無論、明確な証拠はない。

しかしだ。

現に相良義陽は合流しない。音沙汰すらない。

にも拘らず、柚木崎正家は即答で反論した。

 

「某の考えを申しますと、全ては島津義久の謀略でしょうな」

「ほう。してその心は?」

「一つに相良殿の動きで御座りまする。もし相良殿が始めから島津と手を組んでいたとなれば、加久藤城の合戦に持ち込む必要がありませぬ。加えると、二日前の夜襲時、島津隊は相良殿の旗指物を持っておりました。相良勢がこの時に呼応して我々を攻めなかったのも、島津義久の仕組んだ謀略である理由として挙げられまするな」

 

成る程、と納得した。

確かに正家の言う通りだ。

相良義陽は2000の兵士を従えていた。

例え、島津義久率いる島津隊が1000人の寡兵だったとしてもだ。合わされば3000になる。

これなら野戦でも充分に伊東義祐と張り合えただろう。

なのにしなかった。籠城を選んだ。

つまり、島津義久と相良義陽は敵同士だった。

 

「ならば、よ。何故義陽殿から音沙汰がない?」

「それはわかりませぬ。挙げられる理由としては薩摩に留まっている島津義弘の援軍に睨まれているか、それとも島津義久と一戦交えて敗れてしまったか。そのどちらかでしょうな。無論、何か別の理由も考えられまするが……」

「いずれにしろ義陽殿と合流するのは時間が掛かりそうだ。此処に布陣していても埒が開かぬ。兵糧も尽きかねん。正家、お主ならどう動く?」

 

数瞬の間が空いてから正家は淀みなく答えた。

 

「某なら、相良殿と合流できずに士気も低下した現状だと薩摩へ攻め入るのは諦めますな」

「ーーであるか」

「ただ何も奪えずに佐土原城へ戻るのは国人衆の反発を生むでしょう。故にがら空き同然の飯野城を奪い、後々の足掛かりにすればよろしいかと」

「それしかない、か」

 

現実を見た策である。

伊東義祐も幾度の合戦を経て傷付いた兵を見て、薩摩へ攻め入る程の士気は無いと気付いていた。

だが何の戦果も得ずに佐土原城へ引き返すのは武将としての恥である。

肝付家の救援にかこつけて意気揚々と4000の兵を連れ、相良勢も巻き込み、それでいて姫武将に負けて逃げ帰るなど末代までの恥となろう。

だが、此処までくれば致し方無し。

飯野城を奪い、これ以上傷を増やす前に佐土原城へ帰還する。考えるまでもなく最善手だ。

佐土原へ帰ろうと決意した伊東義祐は立ち上がろうとして、そして本陣に慌てて入ってきた兵士を眺めて嫌な予感を覚えた。

 

「殿、一大事に御座りまする!」

「何があった?」

「島津義弘率いる3000の兵が佐土原城を囲んでおります。支城も五つほど陥落しましたッ!」

「なんだとッ。義陽殿は如何に!?」

「殿、相良勢が人吉城に退却したと斥候から!」

「な、にーー」

 

耳を疑う急報だった。

島津義弘が佐土原城を包囲している。相良義陽が撤退した。

夢であったなら覚めてくれと思った程だ。

島津義弘は薩摩にいるのでは無いのか。どうやって3000もの兵士を集めた。そもそもどのような絡繰りを用いれば誰にも気付かれずに日向国へ赴けるというのか。何故相良義陽は撤退したのだ。

答えは出ない。

混乱した頭では疑問点しか浮び上がらない。

それでも必要なのは迅速な決断である。

飯野城を奪うことしか出来ない疲弊した軍勢。相良勢はいない。そして本城が3000の島津兵で包囲されている。

此処は悩むまでもない場面だ。

伊東義祐は小姓に家臣共を集めよと下知。数分足らずの内に集結した武将たちに現状を告げると同時に、一目散に佐土原城へ戻れと命令した。

殆どの武将は首肯したが、伊東祐青と柚木崎正家は声を大にして反論した。

伊東祐青曰く、佐土原城は堅城である。容易く落ちぬ為、今は飯野城と加久藤城を攻めることに先決すべきだと。

柚木崎正家曰く、罠の可能性が高い。虚報を用いて我々を退却させ、島津隊は後方から奇襲を仕掛けるつもりだと。

思わぬ諫言に伊東義祐は目を見開くも即座に一蹴した。

 

「戯け。敵は島津四姉妹で最も有能だと噂される島津義弘ぞ。万が一の可能性もある。正家にしても不思議なことを申すな。罠だとしても奴らは1000にも満たない寡兵よ。奇襲されようと容易く食い破れるに決まっておろうが」

 

早口で言い切る。

佐土原城を囲んでいるのは島津義弘。武に優れた姫武将だと聞く。

島津義久よりも恐ろしい存在だ。

時間が勝負であると言外に伝えると、正家も了承しているのか簡潔に口にした。

 

「ならば。某が殿を務めまする!」

「……よかろう。大いに励め」

「ははぁ!」

 

柚木崎正家は槍の名手だ。

殿としての働きに期待できる。

だが、伊東祐青は納得いかないのか伊東義祐に詰め寄った。

 

「殿!」

「祐青も納得せよ。島津義弘と合戦を行う際はお主に先鋒を命ずる故」

「ーーうっ。……ならば、仕方ありませぬな」

 

先陣を切れば一番槍の可能性も高まる。

大きな武功を求める伊東祐青は、表面上は不満そうにしながらも内心だとほくそ笑んでいた。柚木崎正家を出し抜ける好機だと考えたからである。

そんな内情を察しつつも、伊東義祐は全軍に通達した。

 

「よし。正家を殿として退却せよ。佐土原城を包囲している島津義弘を討ち取れ。さすれば褒美は思いのままぞ!」

 

 

 

◼︎

 

 

 

「大旦那、伊東勢が甲地点を通過したよ」

「承知した。重位に気づいた様子はあるか?」

 

伊東義祐が虚報を聞いて本城へ戻っている。

本来なら事実だった佐土原包囲も、義弘様の活躍によって既に佐土原陥落となってしまった。まさに鬼島津の如く。疾風迅雷とはこの事だろうな。

虚報を告げたのは三太夫だ。

流石の演技力で伊東義祐を騙してみせた。

現に奴らは佐土原城に帰還するつもりである。殿に柚木崎正家を命じたと聞いた時は少し焦ったものの、先頭を突き進むのが伊東祐青だと知って安堵した。

俺は飯野城と佐土原城を繋ぐ街道沿いに布陣している。数にして400。半分以上が鉄砲隊。堅固な陣を敷いており、闇雲に突破すれば敵方の被害甚大となるのは間違いなかった。

 

「ない。大旦那の指示に従って気配も殺してるからね。此処に到達するまで四半刻って所かなぁ」

「計算通りか。三太夫は義久様の元へ走れ。何があろうとも守り抜くのだ。出来るなら義久様に武将を一人討ち取らせよ」

 

四半刻。つまり三十分か。

伊東勢の騎馬隊は少ないからな。

一刻も掛からなくて良かったと一安心した。

だが、現状はあまり宜しくない。

戦運びの話ではなく、今後についての話である。

三太夫も察しているのか苦笑いを浮かべた。

 

「弘女将さんが張り切り過ぎたからね〜」

「佐土原城を落とすとはな。島津家全体から鑑みれば目出度い話なのだが、義久様を当主とする為にはちと頭が痛くなってしまうぞ」

 

此度の合戦で得た義久様が得た武功。

それを霞ませてしまった義弘様の佐土原城陥落。

このままだと当初の目論見が擦れてしまう。

どうにかしなければなるまい。

最善策としては次の合戦で武功を立てる事か。

その為にもーー。

というか、そもそもな話なんだがな。

義久様と義弘様、お二人の関与していない次期当主争いなど片腹痛い。馬鹿なんじゃないかな。

家臣達の身勝手な行いが、島津家の今後を危ぶむ事に繋がるのだとわからないんだろうか。

 

「あはは〜。あんまり無茶しないでよ、大旦那」

「わかっておる。死ぬつもりなど毛頭ない。それよりも、三太夫。手元におる忍に伝えて欲しい事がある」

「なに?」

 

三太夫の耳元で呟く。

 

「うむ。実はなーーーー」

 

聞き終えた三太夫は頭を掻いた。

納得出来ないといった表情で尋ねる。

 

「……いいの?」

「致し方あるまい。苦肉の策だが、義久様が次期当主となられる為に奴はまだ必要となる。本来なら容赦なく殺すつもりだったんだがな」

「成る程ね。大旦那の言う通りにするよ」

「頼んだぞ。では、行け!」

 

音もなく消えた三太夫。

あいつの脚力なら問題なく義久の元へ辿り着く。

問題は俺と兼盛殿だ。

此処で3000の兵士を食い止めねば全てが水の泡となる。加治木城から新たに運んだ鉄砲200丁と狭い街道、そして堅固な陣を駆使すれば四半刻持たせる事など造作もないとわかっているんだがな。

って。馬鹿か、俺は。

此処まで来たら後はやるだけだろ。

不安を表に出せば全体の士気に繋がる。

武将たる者、常に堂々と構えておくべし。

ご祖父様の言葉を反芻した俺は馬上から兵士達を鼓舞し、四半刻を待った。兼盛殿はひたすらに前を見据えていて、俺が憶測で三十分数えた頃、前方から砂埃が見え始めた。

一気に緊張感が高まる。手汗が滲み出た。

だけど、籠城戦を経験する前より格段に落ち着いていられた。

やはりアレは良い経験だったようだな。

 

「忠棟殿、伊東勢が来ましたな」

「ええ。兼盛殿、鉄砲隊の指揮は任せましたぞ」

「任されよ。まさに飛んで火に入る夏の虫。薩摩を攻めようとしたツケ、ここで払って貰うとしようではありませぬか!」

 

兼盛殿は意気揚々と鉄砲隊の横に躍り出た。

良く通る声で下知を下す。

 

「鉄砲隊、構え」

 

鉄砲衆が膝立ちとなり、一列に並んだ。

手慣れた様子で種子島を構え、息を殺す。

 

「妄りに撃つことは許さぬ。ぎりぎりまで引き付けよ」

 

向ける銃口の先に有るのは驚愕する伊東祐青の顔だった。寡兵なのに正面から待ち構えていると思わなかったのだろう。

その油断が命取りだと知れ。

兼盛殿が手を掲げた。

伊東祐青は更に馬の速度を上げた。

三間、二間半、二間、一間半、一間と迫り来る伊東勢の兵たちの面容がはっきりと捉えられた瞬間だった。

 

 

「撃て!」

 

 

号令一下、耳を劈くような轟音が鉄砲隊から響き渡る。

刹那、伊東兵がもんどりうつようにして倒れた。

続けて弓隊が前進。鉄砲隊が弾を詰め替えるまでの間、矢の雨を降らせる。

鉄砲と弓の間断なく行われる攻撃に伊東兵の足色も鈍りを見せた。

だが、これで終わりではない。俺の遣わした伝令兵によって、街道沿いの木々に紛れ込ませたうつ伏せの鉄砲衆50名が起き上がり、伊東兵の横腹を突くように銃撃を加えていく。

俗に『十字砲火』と呼ばれる奴だ。

走り続けて体力を消耗していた伊東兵を薙ぎ払う銃弾と弓矢だったが、そもそもの数が違った。

少しずつだが堅固な野戦陣を突破される。

三重に設けた木の柵を押し倒し、銃弾を受けた同胞を見捨ててでも次なる柵に群がる伊東兵。その突破力は、如何な島津兵を以ってしても抑えきれるものではない。七倍近い敵を野戦で正面から食い止めるなど所詮は無理な話である。

轟音、喊声、嘶き、悲鳴。

様々な音や声が街道一帯に轟く。

兼盛殿も槍を振るって獅子奮迅の活躍を見せるものの、徐々に押し込まれている。伊東祐青が前線で手槍と共に指揮しているからだろうな。

四半刻経っていないが仕方ない。

十分に役割は全うした。

そう判断した俺は小姓に下知する。

 

「退き鐘を鳴らせ!」

 

直後、街道に響く『退き鐘』の音。

島津兵はまるで待ち侘びていたかのように、我先にと佐土原方面へ向かって街道をひた走る。

俺と兼盛殿も、背後から迫り来る伊東兵を確認しながら目的の場所まで駆けた。

見事な退却だった。

練度の高い島津兵だからこそだ。

策が成就した事を確信しながら狭い街道を抜けて広い道へと躍り出た瞬間ーー。

 

「撃て!」

 

左の有川殿と右の義久様が同時に鉄砲衆へ号令。

左右から放たれた銃撃は伊東兵たちを薙ぎ払う。

思わぬ反撃に脚が止まった伊東勢たちを嘲笑うかのように、最初からこの場で待機していた義久様が日頃と真逆の凜とした声で下知した。

 

「かかれ!」

 

長槍を持った島津兵が我先にと躍り出る。

何が起きているかもわからぬ不安から動きを止める伊東兵たち。何も出来ずに島津兵に命を奪われていく様は俺の高揚感を掻きたてた。

だが、何もこれで終わりではないんだぞ。

 

「反転しろ!」

 

釣り野伏せは、野戦において全軍を三隊に分け、そのうち二隊をあらかじめ左右に伏せておいて、機を見て敵を三方から囲んで包囲殲滅する戦法である。

先ずは中央の部隊のみが敵に正面から当たり、敗走を装いながら後退する。これが所謂『釣り』であり、敵が追撃するために前進すると左右両側から伏兵に襲わせる。これが『野伏せ』と呼ばれるものであり、このとき敗走を装っていた中央の部隊が反転し逆襲に転じることで三面包囲が完成する。

俺の下知に応えて反転した島津兵は、同胞に負けじと正面から突撃していった。伊東祐青が大声を張り上げて兵たちに指揮するも、大混乱する伊東兵たちはなす術なく討ち取られていく。

ーーって。あ!

 

「伊東祐青、討ち取ったり!」

 

兼盛殿が高々と叫んだ。

事実、伊東祐青は馬上から落ちてしまい、島津兵の下敷きとなっている。

指揮する武将もいなくなった伊東勢の先陣は瞬く間に瓦解し、他の武将たちも軒並み首だけの姿と成り果てたのだった。

 

 

 

◼︎

 

 

 

結果として島津軍は大勝した。

伊東祐青を始めとする名のある武将を15名討ち取り、伊東軍の死傷者は半分以上にも及んだのだから如何に『釣り野伏せ』が有効な戦法だったのか述べるまでもないだろう。

義久様も伊東又次郎を討ち取った。

100人率いた東郷重位は伊東軍が瓦解した後に後方から突撃し、混乱に乗じて柚木崎正家を一撃で討ったのだから驚きである。示現流最高とかほざいていやがったので一発頭を叩いてやった。

そしてーー。

 

 

「大旦那の頼み通り、伊東義祐は逃したよ」

「そうか」

「豊後に逃げ込んだってさ」

「であろうな」

「大友家に大義名分を与えるんじゃないの?」

「故に逃したのよ。次なる標的は大友宗麟なのだからな」

 

 

俺は、次なる戦に備えて策を練るのだった。

 

 

 






本日の要点。

1、釣り野伏せって最強説。

2、忠棟、今後の作戦を大きく変更。主に鬼島津のせいで。

3、伊東義祐、豊後へ走る。

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