島津飛翔記   作:慶伊徹

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三十三話 島津忠棟への悪戯

 

 

 

 

 

大友軍と干戈を交える十日前。

俺は川上久朗に一枚の書状を送った。

久朗は佐土原城にて義弘様の補佐を任ぜられていた為、実際にアイツの元に届いたのは恐らく七日前ぐらいだろう。

内容は以下の通り。

水軍を用いて志布志港から耳川付近の港へと進軍。

二十日未明の騒ぎに乗じて上陸した後、そのまま二日掛けて二十数キロを踏破。派遣してある百地三太夫の指示に従い、開戦するまで付近の森や山に隠れておくこと。

この作戦は言うまでもなく隠密性が鍵である。

大友家の忍を予め排除する必要があった。

薩摩で鍛え上げた数多の忍を周囲に放ち、久朗の連れてきた兵士には私語することを禁じた。馬には枚を噛ませ、鎧の草摺りにも注意を払わせておいた。

 

「久朗は巧くやったか。なら、決め所だな」

 

それでもーー。

土地の者による情報網には太刀打ちできない。

そもそも戦国時代に於いては農民が耕している田畑の支配者が誰であるかは極めて曖昧だった。故に様々な武士が税を取り立てにくる場合も少なくなかった。

そこで農民側も自衛策を取り始める。

収穫量を誤魔化す、田畑の存在を隠す。

誰の領土か曖昧な場合には、最も強そうな領主に税を納めるといったことも平然と行っていたのである。

つまり、だ。

農民は強い領主に治められていたいという事。

安心して作物を育てることができる上、略奪や侵略の危険に怯えずに済むといった安心感も得られるのだから当然と言える。

今回の場合、大友家と島津家を天秤に掛けたのだろう。国力は依然として大友家が上だ。領国の数も負けている。

もしも万が一、大友宗麟が日向に神の国を作ると大々的に宣伝しなければ。懸領内の神社仏閣を尽く焼き払わなければ。土地の者たちは天秤の結果から大友家に味方していたかもしれなかった。

それを覆したのは大友宗麟の隠しきれない蛮行の数々と、半年間で民衆の心を掴んだ義弘様の善政による物だったに違いない。

二つの事柄が重なって、土地の者は島津家に味方した。

結果、戸次道雪隊の背後を突く事ができた。

 

「伝令兵!」

 

この一手で形勢は決まった。

3000の兵士が後方から襲い掛かったのだ。

戸次道雪ですら不可能と断じたに違いない後方からの奇襲は、戦域全体に漂っていた大友軍有利の空気を払拭した。

見事に釣り野伏返しを行った大友軍。

此処まで全軍を統括してきた戸次道雪に危機が及んでいると理解すれば、それは焦燥と不安を呼び起こして、いずれは指揮系統の崩壊に繋がるだろう。

総大将の危機は武将を焦らせる。

武将の焦燥は兵士の不安に変換される。

さすれば大友軍の士気とて低下するだろう。

実際、島津勢に対する圧力は急激に減少した。

大友家の武将は浮き足立っている。

情けない顔で戸次道雪隊に視線を向けた。

現場指揮官から指示を得られない大友軍の兵士たちは、正面の敵を攻撃すればいいのか、それとも戸次道雪隊を救援に行くのかわからずに戸惑っていた。

勿論、全軍の攻撃が緩んだ訳ではない。

一時的に島津勢の前線を崩した吉弘鎮信隊などは今こそ総大将の首を取ると言わんばかりに激烈な進軍を強行した。

それでも両翼の進行は目に見えて遅くなった。

この隙を見逃してはならない。

即座に方円の陣を解いた。魚鱗の陣に移行する。

一刻も早く他の部隊と合流して、大友軍の中核を担う戸次道雪隊を壊走させる、もしくは潰乱に追い込まなくてはならん。

吉弘鎮信隊が予想以上に働いているせいだ。

前線が完全に崩壊したら、久朗の頑張りが水泡に帰してしまう。此処までやっても勝利条件が整わないなんて理不尽極まりないぞ、戸次道雪めが!

 

「策成れり。前線を押し返す。方円から魚鱗に移行して反撃を開始せよ、と全軍に通達しろ。義久様には後詰を出すように伝えるのだ!」

 

数多くの伝令兵を走らせる。

元々各個撃破されないように密集していたのだ。

直ぐに各部隊へ俺の指示が伝わった。

方円の陣から組織的な魚鱗の陣に展開。

主に梅北国兼殿、有川貞実殿、村田越前殿、本多親治殿、種子島時尭殿たちが手柄と勝利を掴むべく諸手を挙げて反撃に移った。

俺は島津家の宰相である。

無闇に前線へ飛び出れば軍配を振れなくなる。

義久様のいる本陣に何か起きた場合、直ぐにでも駆け付けられるよう戦場の中心に陣取らねばならなかった。

だからこそ傍らの東郷重位に下知を飛ばす。

 

「重位、お主に1000の手勢を預ける。久朗の援護に回れ。戸次道雪は出来る限り生け捕りにせよ。よいな?」

「承知致しました。兄上、この重位が示現流の名前を日ノ本全土に轟かせてみせまするぞ!」

「あー、そういうのはいいからーー」

「御免!」

 

人の話は最後まで聞け。

戦場だからそれが普通かもしれないけど。

手槍を片手に、満面の笑みを浮かべて駆け出す妹分。

示現流を極めた武勇は言うに及ばず、統率力とて並の武将よりも成長した重位なら手勢を預けても安心して任せられる。

ただ示現流を広めるとかいいから。

そもそもお前が開祖でいいんだからね?

 

「押せ、押せ!」

 

自ら先頭に立った重位が大友兵を圧倒しながら叫んだ。

会心の手応えだった釣り野伏から一転して、大友軍から辛酸を舐め続けさせられた島津兵たちは鯨波の声を上げる。

 

「進め!」

 

積み重なった屍を乗り越える。

散発的な銃弾に臆することなく突進した。

死も恐れず長槍を振るう島津兵の勢いに飲まれたのか。

それとも勝利を掴みかけながら寸での所で掌中から逃がしてしまった衝撃からか。

はたまた兼盛殿率いる別働隊に恐れを抱いたからか。

いずれにしてもーー。

反撃を開始して四半刻が過ぎた頃だった。

右翼に展開していた田原紹忍隊が敗走を始めた。

我先にと北へ走り出す大友兵。

獰猛な犬に変貌した島津兵に背中を見せれば、瞬く間に蹂躙されてしまう事など火を見るよりも明らか。

田原紹忍の下知すら無視して、兵士たちは逃げ出した。

 

「今が好機ぞ。かかれ!」

 

勿論、有川殿と梅北殿が見逃すなど有り得なかった。

壊走する田原紹忍隊に手兵を向ける。別働隊の兼盛殿と合流して一気に飲み干し、そのまま左側から戸次道雪隊に猛攻を仕掛ける。

 

「これで、鶴翼の陣は無価値となった」

 

片翼を失った鶴翼の陣など欠陥品以外の何物でもない。

田北隊と田原隊を亡くした今、戸次道雪隊は丸裸も同然。だが、三方向から挟撃されていても尚崩れない統率力は鬼道雪の面目躍如と言ったところか。

こうなると左翼の佐伯惟教が邪魔である。

四半刻経過した今も頑固に抵抗されていた。

村田殿とて決して遅れは取っていない。

但し、史実でも有能だったと称される佐伯惟教を相手にすれば決定打に欠けてしまうのだろう。

それでも誰かに後詰を任せれば問題なく落とせると判断した俺は、近くに布陣している筈の本多殿に伝令兵を送ろうとした直前、佐伯隊の後方から襲い掛かる一団を視界に捉えた。

目を凝らさずとも理解できた。

松原の陣を陥落させた島津義弘様の部隊だと。

 

「忠棟様、義弘様から伝令。松原の陣を陥落せしめた。このまま佐伯隊に突撃、これを蹴散らすとのことです!」

 

駆け寄ってきた伝令兵。

承知した、と俺は鷹揚に頷いた。

なんと頼もしいお言葉であろうか。

僅か二刻で臼杵鎮続率いる6000の兵士を蹴散らした鬼島津に任せれば、小半刻すら掛けずに左翼も食い破ってくれるに違いないと確信する。

実際、臼杵鎮続を一騎打ちにて討ち取った義弘様の気迫に圧され、左翼を任されていた4000の部隊は完全に崩壊した。

これで両翼を引きちぎった。

左右前後から戸次道雪隊に島津勢が殺到する。

史実と同じく下半身不随らしい道雪に、四方から襲い掛かる島津軍15000の目を盗んで逃げ切ることは不可能である。

輿など使っていたら目立つからな。

とにもかくにもーー。

後は角隅石宗と田原親貫の部隊だけ。

合計で約8000の兵力だと報告を受けた。

その半分である4000しか兵がおらず、また裏切ったばかりの志賀親度を含める為、流石の家久様と忠元殿でも苦戦必至だと心配していた時が俺にもありました。

 

「家久様より伝令。8000の敵兵を尽く討ち取ったり。角隅石宗、田原親貫の両名を捕縛したとのこと。現在、豊後へ敗走する大友兵を追撃しております!」

 

一体どうやって討ち取ったのか。

敵将を二人も生け捕りにした手腕は何なのか。

色々な疑念が湧いたものの、取り敢えず俺は重畳至極と答えた。一種の思考放棄である。情けないとか言うな。

島津家最強の戦術家は格が違った。

ともあれ角隅石宗の率いていた本陣は壊滅。

義弘様の突撃で隊列を崩した佐伯隊も敗走。

此処に至って漸く島津家の勝利条件は整った。

 

「鬼道雪、恐ろしい相手だったな」

 

北九州に鎮座する大大名、大友家。

九州探題に任ぜられた大名家に於ける二枚看板の一人であり、雷神とも称される名将を相手にしているんだ。完全な包囲網を築き上げてからでないと勝利宣言も行えない。

有川殿と兼盛殿は左から。義弘様と村田殿は右から。久朗と長寿院は後方から。本多殿と重位は前方から。

過剰な戦力かもしれない。だが、犠牲を少なくして勝利するには弱みなど見せず一気に圧し潰す事こそ肝要だ。

戦力の逐次投入は下策である。

 

「東郷殿より伝令。大友勢壊滅。全軍が北へ逃走中です。戸次道雪は捕らえたとのことですが、如何致しましょうか?」

 

ーーと。

過剰戦力を投入したのは正解だったらしい。

不測な事態は何も起こらなかったようである。

にしても重位、お前が雷神を捕らえたってのか。

うむ、どうしようか。

お前に赤備えを任せてもいい気がしてきたぞ。

 

「全軍に追撃は耳川付近までと厳命しろ。下手に追い過ぎれば思わぬ反撃を受けかねん故な。重位には戸次道雪を連れて本陣に戻れと伝えよ」

 

複数の騎馬武者たちに伝令役を申し付けた。

騎馬武者たちは御意と首を縦に振って、数刻足らずで地獄絵図と化してしまった高城川一帯を駆け抜けていった。

俺は油断せずに戦場を見渡す。

両軍の屍が散乱している。

鮮血の臭いも蔓延している。

生きている存在は俺を取り囲む1000の兵士だけ。

それでも岩剣城の戦いで得た教訓を思い出した。

勝って兜の緒を締めよ。

ここで怪我でも負ってしまえば物笑いの種になってしまおう。義久から本気で心配されて、直茂からは呆れられる未来が見える。

ーーそうだ。

内城にいる歳久様と直茂に戦勝報告しないとな。

 

「三太夫」

「大旦那、呼んだ?」

 

何処からともなく現れる不幸忍者。

開戦前から大友軍の間者を殺し回っていたにも拘らず、百地三太夫は顔面の半分ぐらいを鮮血で塗らしながら、無邪気な笑顔を貼り付けたまま小首を傾げた。

うん、普通に怖いぞ。

せめて笑うなよ。夢に出てくるだろうが!

 

「内城に駆けよ。歳久様と直茂に戦勝の報告をするのだ。後は事前に話した計画通りこのまま肥後へ侵攻する故、準備を整えておくようにともな」

 

了解と軽く頷いた三太夫。

 

「豊後はどうすんの?」

 

大友家の本拠地たる豊後国。

日向から攻め込むことは可能だ。

決戦に勝利した余勢で征伐に赴くのも一理ある。

だが、大友家の実力は決して侮れない。

今侵攻するのは性急に過ぎると思うわけだ。

 

「懸城は奪う。だが、豊後まで攻めるのは早計の至りよ。大友家には高橋紹運がおる。万全の準備を施さねば返り討ちにあおうて」

 

何しろ高橋紹運がいる。

史実だと岩屋城の戦いが有名だ。

九州統一を間近に控えた島津軍は大友家を滅ぼす為に九州を北征する。その際、高橋紹運が篭る岩屋城にて足止めを食らった。

高橋紹運は防御の薄い岩屋城にて763名と共に籠城。島津軍の降伏勧告を拒絶して徹底抗戦したのだ。

約二週間に及ぶ戦いの結末は悲惨だった。

高橋紹運以下全員が玉砕することになった。

しかし、島津軍にも戦死傷者3000人とも言われる甚大な被害を与え、島津軍は軍備立て直しのため時間が掛かってしまった。

結果として豊臣軍の九州上陸を許してしまう。

高橋紹運らの命を賭した徹底抗戦は、結果的に島津軍の九州制覇を打ち砕くことになったのだ。

正直な話、こんな所で余計な被害は食らいたくないんだよ。そもそも負けてしまいかねない。立花宗茂の実父だしなぁ。

 

「へぇ。一応、内城の後は豊後の方に潜入しとこっか?」

 

それも良いが、俺を約束を守る男だ。

ちゃんと部下を休ませるのも必要だろう。

 

「いや、お主には休暇を与えよう」

「うぇ!?」

「ほう。いらぬか?」

「いやいや、いるいるいるいる!!」

 

三太夫が首をブンブンと横に振る。

必死過ぎる姿に少しだけ笑ってしまった。

 

「金子も与えよう。充分に休養を取るといい。だが、全て放り投げて休むのは肥後北部に忍衆を放ってからぞ」

「なーる。城はどうすんの?」

「隈本城を増築すればよい。その周辺は徹底的にな」

「承知したよ。じゃあ、オレは行くからね」

 

片手を挙げてから姿を消した忍衆の棟梁。

その後ろ姿を眺めながら、俺は内心で三太夫に謝った。今度からは出来る限り短い間隔で長期休暇を与えよう。

扱い易いという理由で酷使してたな。

人権がない時代だからこそ反省せねばなるまい。

腕を組んで唸っていた俺。

そこに伝令兵が近付いてきて口にした

 

「忠棟様、義久様が本陣にてお待ちです」

「承知した。直ぐに向かうと伝えていてくれ」

「はっ」

 

やれやれ。

戦後処理が面倒だ。

政務だけなら得意なんだが、敵将の説得とか無理です。

出来れば戸次道雪を島津家に迎い入れたいんだけど、二君に仕える気など毛頭ないって拒否られるだろうしなぁ。

処刑するなんて勿体無い。

だが、仕える気など無い人間を養うのも無理な話で。

はてさて、どうしたものかな。

この時はまだ軽い気持ちだった。

戸次道雪が島津家に忠誠を誓わずとも、島津四姉妹の能力を鑑みれば大きな問題にならないと。少なくとも大友家に帰還させないのであれば、死なせたとしても構わないと考えていた。

此処は戦国時代である。

非情に徹しなければ勝ち進めないのだ。

そう思って、俺は本陣へと馬首を向けた。

 

 

 

 

 

▪️

 

 

 

 

 

嗚呼、と笑うしかなかった。

どうしてなんだ、と頭を抱えてしまった。

もしも神様とやらがいるんだったら出てこい。

思いっきり地の果てまでぶん殴ってやるからさ。

 

「貴女はーー」

 

長く美しい濡羽烏の髪には土砂が付着している。

玲瓏たる白い美貌には紅い鮮血が浸透している。

下半身不随にも拘らず無理矢理茣蓙に座らされていた。

それでも、敗軍の将でありながらも紫紺の双眸に覇気を纏わせ、今なお戦意を保ち続ける姿は『傑物』という言葉を連想させる。

いや、そんな事はどうでも良かった。

鬼道雪が傑物であることなど知っている。

只、信じたくない事実だけを突きつけられた

 

 

「雪、さん……?」

 

 

俺の声は震えていただろう。

情けない表情だったんだろう。

だからなのか。

戸次道雪はーー。

雪さんは、苦笑いを浮かべた。

 

 

「強くなりましたね、忠棟殿」

 

 

まるで、出来の悪い弟の成長を喜ぶように。

 

 

「だから笑いなさい。貴方はこの鬼道雪に勝ったのですから」

 

 






本日の要点。

1、今士元が鬼道雪に勝利する。

2、忠棟が雪さんの正体を知る。
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