島津飛翔記   作:慶伊徹

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❇︎超悲報「明日から船の上という地獄」


五十話 島津義久からの主命

 

 

 

五月二十日、辰の刻。

島津家が九州を平定してから二ヶ月経過した。

その間に島津忠棟が畿内で講和交渉に励み、尼子義久や長曾我部元親と会談して、九州に帰ってくるや否や島津義久に謝り倒した出来事が立て続けに起こった。

現在、島津の本拠地は隈本城となっている。

薩摩国では九州全体を把握し難いという点があるから仕方ないのだが、長年島津の本拠地として栄えていた内城を放置する訳にもいかず、また九州南部を見張るという役割も存在する為、島津義久の妹である『島津歳久』が城主として治める事になった。

島津家宰相が絶対の信頼を置く内政官。

文官の足りない島津家に於いて、現状だと誰よりも頼りになる存在。故に寝る間も惜しんで政務を司る様は、小姓から哀れみの視線を向けられるほどである。

そんな彼女に御庭番衆が報告した。

島津忠棟が供回りを連れて薩摩国に入ったと。翌日にも内城へ到着すると。九州南部の視察が目的なのだと。

家臣の手前もある。

翌日、歳久は慇懃な態度で家宰一行を出迎えた。

書院の間に案内して、小姓の差し出したお茶を口に付け、ある程度場が温まった状態になってから口火を切った。

 

「視察に来るなら早目に知らせてください」

 

怒鳴り散らしていない。

それでも冷え切った声は脳髄を震わせる。

島津忠棟は顔を青くして直ぐに頭を下げた。

 

「申し訳ありませぬ」

「貴方は仮にも島津家宰相です。西国一の弓取りと称される武将なのです。下手に動けば、それだけで九州全体が揺れる。しっかり理解しなさい」

 

島津家宰相、島津忠棟。

その名前は日ノ本全土に響き渡った。

曰く、西国一の弓取り。

曰く、戦国の鳳雛にして剛勇鎮西一。

西国大名からは畏怖の視線を向けられ、東国大名からは関心の目で見られる武将。誰もが名前を聞くだけで震え上がる島津家の切り札である。

歳久は思う。

剛勇鎮西一は如何なものだろうかと。誰よりも島津義弘にこそ相応しいだろうに。もしくは島津家久か。忠棟の武力なんて有象無象の武将と変わりない低さなのだ。ともすれば歳久ですら勝てる程である。噂だけが先行して、このような異名を付けられたなら何とも可哀想な話であった。

 

「お言葉ながら--」

「何ですか」

 

ふざけた言い訳なら許さぬ。

言外にそう伝える紫紺の双眸。

忠棟は真っ向から見つめ返してから告げた。

 

「九州を揺らす。それが視察を行う理由の一つで御座りまする」

「揺らす?」

「然り。成る程、九州は平定され申した。国人衆も恭しく従っておりまする。さにありながら心中穏やかならず者も少なからずおりましょう」

 

淡々と発言する忠棟。

歳久は確かにと頷いた。

九州南部ならいざ知らず、九州北部は島津家の領内になって日が浅い。国人衆も大友家、龍造寺家を懐かしむ事とてあろう。今後を不安に思う日もあるに違いない。その弱みを他家に付け込まれてしまう可能性は成る程、低くなかった。

毛利家の弱体化と宇喜多、尼子、長宗我部などの中小大名が乱立し、西国に奇妙な力関係が生じた結果として、恐らく一年から二年の間は至極平穏な日々となる。

その裏で行われる謀略合戦。

敵の先手を挫きたいという狙いなのだ、忠棟は。

 

「貴方が視察に赴くことで、寝返りを予防するつもりですか。無理な弾圧は謀叛を早める、とは源太の言葉だった気がしますが」

「御意。故に某、こういう物を用意しておりまする」

 

小姓に持たせていた一本の鍬。

歳久が何度も見た鍬と形が違う。

何よりも木製ではなく、鉄製である。

 

「それは……」

「某の考えた農具に御座りまする」

 

忠棟曰く、水分の多い粘質土は鍬の刃に多くの土が付着し、普通の鍬では打ち込むのに抵抗が大きくなり非常に疲れてしまう。この問題を解決する為に刃を3本から5本に分け、粘質土と触れる面積を小さくしたとの事。

 

「ほう。使えそうですね」

「無論。既に有用性は実証しておりまする」

 

隈本城周辺で試したのだろう。

自信満々な口調から、より良い結果を得られたに違いない。千歯こきの開発といい、島津家宰相は絡繰を発明させる才能も多分にあるのは間違いなかった。

 

「抜け目ない事で」

「現在、島津家の抱える鉄砲は約二万丁。鉄砲鍛冶の三割を、この農具の作製に回したいと考えている次第。ご了承頂けませぬか?」

「三割も?」

 

確かに鉄製農具だとすれば、製作するのに鍛冶職人の手助けが必要である。腕のない者が作れる技術的限界を超えているからだ。

だが、鉄砲鍛冶を三割も回すとなると--。

一年もしく二年、西国にて合戦は起こらない。そう考えて問題ない。鉄砲の数は現在二万丁。他家を圧倒している。だが万が一の可能性を鑑みれば直ぐに首を縦に触れない。

思い悩む歳久に、忠棟が一歩近付いた。

 

「某の見立てなれば恐らく一年から二年、西国にて戦は起きませぬ。それに、で御座る。今まで無償で与えていた尼子、長曾我部にも鉄砲を売る手筈を整え申した。鉄砲鍛冶の三割を農具作製に回しても問題ありますまい。九州北部にて千歯こきを普及させる必要もあります故」

 

毛利勢を長い時間、山陰地方に留めさせる為。

一刻も早く土佐を統一させ、河野家に圧力をかける為。

様々な思惑があり、尼子と長宗我部に鉄砲を無償提供していた島津家だったが、両家に当面の敵がいなくなった故、これからは惜しみなく売る事になったのだと聞けば、島津歳久とて素直に首を縦に振った。

 

「鉄砲鍛冶の説得は?」

「時堯殿にお願いしておりまする」

「万事抜かりないようであれば構いません」

「はっ」

 

恭しく頭を下げた忠棟。

歳久は意地悪したくなり問い掛けた。

 

「農具を作製して何をする予定ですか?」

「民の心を掴み、国人衆に謀叛を起こさせないようにする為に御座りまする」

「ふふっ。それだけではありませんよね」

 

思わず漏れた笑い声。

歳久に長年仕えている小姓は目を見開いた。

それ程までに島津歳久が笑う事は少ないのだ。

代わりに忠棟は狐につままれたような顔をした。

 

「……流石は。よくお気づきになられましたな」

「何年も貴方と政務を行なっていれば誰でも察せられるでしょう。私を甘く見過ぎです、源太」

「歳久様を甘く見ていたつもりなど毛頭御座りませぬ。平にご容赦を。試したつもりもないと天地神明に誓いまする」

「構いません。して、目的は?」

「耕地を整理する為に御座りまする」

「整理?」

「御意」

 

島津忠棟は逆行者である。

先祖の無念を晴らす為に、戦国時代に於ける様々な問題点や解決策を必要不必要関係なく頭に叩き込んでいた。今も記憶は色褪せていない。秘伝と記した書物に残してあるから忘れても問題ない。

そして--。

数多くある問題点の中に『耕地の歪さ』が存在する。

中世から明治初期まで、日本の田園風景とは現代のような四角に区切られた田圃ではなく、歪な形をした緩やかな棚田のような形であったとされている。そう言った形状の水田は畜力による田起こし、または水田から水を抜く排水路の掘削が困難である為、現代農法の視点から見ると収量を低下させる原因となり、更に耕作する田畑が分散していると云う問題も存在した。

故に歪な耕地を綺麗な形に整え、分散していた耕地を集約する必要性が出てくる。

だが、無理に断行できない事情があった。

中世から複雑怪奇な土地所有権が進んだからだ。戦国時代になると一円支配のお蔭で多くの土地権利が整理されたものの、それでも尚、複雑に絡み合った土地所有権は消えていない。名目上の荘園所有者と、それを管理する国人、国人の支配を追認する大名、実際に耕す農民と云った具合に複雑に権利が絡み合っていた。

加えて、耕地を綺麗に整えて、面積に応じて農民に分配したとしても、用水路からの距離や利便性かつ自分の家や道路からの距離などを考慮すれば常に公平になると限らず、不満を抱く者も少なからず現れてしまう。だからこそ戦国時代に耕地整理を行う場合は国人、農民の不満を抑える為に強権を発揮できる大名の力が必要となる。

 

「今の島津家ならば断行に踏み切った所で問題ありますまい。当然念には念を入れており申す。不満を持つ民に『薩摩鍬』を無償で与える次第」

 

忠棟から耕地整理の必要性を説かれた歳久は、柄にもなく島津家宰相に同情した。

恐らく忠棟は前々から耕地整理を行いたかったのだろう。一朝一夕で考え付く政策ではない。下手すれば島津義久に仕え始めた頃から温めていた改革案の一つだったのかもしれない。

だが、島津家の国力、他家の存在、国人衆の反発など様々な面から断念せざるを得なかった。例え生産量が向上する策であり、島津家の国力増大に繋がる案だとしても諸般の事情を鑑みて已む無くお蔵入りしていたのだろう。

政務を司る様になって、歳久も少しずつ理解できた。

有用である案ほど反発者は多くなる。

既得権益に貪る者、新しい物に反発する者を時に脅し、宥め、説得し、理解させる。

一昼夜で改革が進まない理由でもあった。

 

「そして、貴方が視察に訪れる事で国人衆の不平不満を取り除こうという腹ですか」

「関所の撤廃、街道整地などもあります故。国人衆の説得もさりながら、彼らにも多大な利益があるのだと教える必要もありましょう」

「……承知しました。私個人の考えとしては問題ないでしょう。民の生活が楽になるに越したことはありません」

「御意」

 

つまり、忠棟は九州を一回りする予定なのだ。

帰順した国人衆と触れ合い、各地の港や町などを視察。浮き彫りになった問題点を持ち帰り、直ぐに解決策を提示して周囲からの賛同を得る。

とてつもなく地道な活動だが、島津家宰相が行うとなれば国人衆も無下に出来ず、また家宰殿から期待されているのだと喜ぶだろう。

その分、忠棟の仕事は増える訳だけども。

 

「私からも相談事があります」

 

心中で謝りながら口にする。

 

「何なりと」

「年貢についてです」

「ほう」

「昨年から合戦が続きました。民百姓も酷く疲弊しています。今年の年貢は四公六民とするのが適切ではないかと」

 

昨年までは五公五民だった。

これでも民から非常に喜ばれていた。

十年前まで八公二民だったのだから当然である。

坊津での税収増加、砂糖による莫大な金銭確保なども合わさって、島津貴久の時代から七公三民、六公四民へと税率を段階的に引き下げていった。

そして--。

島津義久が家督を継いだ年に、年貢を五公五民とする御触れを出した。さりとて夏頃から続いた合戦の影響もあり、稲作に必要な男たちも酷く疲弊している。九州北部の民百姓も同様だ。今年、もしくは来年まで四公六民という税率の方が今後の為にもなると歳久は考えた。

 

「はっ。畏まりました」

 

忠棟が万事御意のままにと平伏。

不意を突かれた歳久は苦笑いを浮かべる。

 

「即答ですね。よろしいのですか?」

「いずれは三公七民にする予定であります故。九州北部は他家の臭いがこびり付いており申す。消し去るには島津の財力、恩情をチラつかせていくしかありますまい。幸いにして薩州金も軌道に乗り始めたと聞いておりまする。問題ないかと」

 

一年半前から推し進めていた金山開発。

更に一歩踏み込んだ財政基盤の強化策。

この二つがつい先日、軌道に乗り始めた。

金を一定の大きさと重さを持つ貨幣とする制度を整え、九州を平定したからこそ広く流通させる目処も付いた。

勿論、金貨も工夫している。

これまでの金貨は大きさも重さも疎ら。単に持ち運びのしやすい塊でしかなかった。つまり取引にあたっては、一々天秤を使って重量を量らなければ使用する事が出来なかったのである。

だが--。

一定の大きさと重さにすれば、枚数を数えるだけで取引する事が可能だ。これこそ『薩州金』の革新性であった。忠棟曰く武田信玄を真似ただけと口にしていたが、そんなのは瑣末事であると歳久は思う。

更にこの制度を便利にする為、忠棟は四種類の金貨を生産して通貨制度を統一した。碁石金一個を『一両』、その下に四枚で一両の『一分判』、四枚で一分の『一朱判』、更に四枚で一朱の『糸目判』という制度を確立する。

既に薩摩内では流通している貨幣だ。これからは島津家領内である九州全土に広がっていく事だろう。

 

「わかりました。後は度量衡の統一ですか」

「京枡に統一致しましょう。いずれ畿内を平定した際にも、京枡ならば度量衡を変更させる必要なくなります故。正確な徴税は農民たちからも歓迎されましょうな」

「耕地整理も大きな反発なく行えそうですね」

「安堵しております」

 

口だけでなく、ホッと一息吐く忠棟。

小姓の用意したお茶を飲み干し、安堵からか肩の力を落とす様は以前と何一つ変わらない仕草だった。

十年も見てきた。伊集院から島津へ姓が変わり、独り身だった頃から一転して正室と側室を迎え、金稼ぎしか能のない卑しい餓鬼から誰もが認める島津家随一の弓取りへと周囲の評価が変貌する様を、陰ながら見守り、人知れずひたむきに応援してきた。

そんな彼女は一安心から吐息を洩らす。

如何に西国一の弓取りと称されても、根っこの部分は島津歳久が好きになった『伊集院掃部助忠棟』のままだったのだから。

 

 

 

 

◼︎

 

 

 

 

五月十日、申の刻。

時間は十日ほど遡る。

沈み行く夕陽が隈本城を橙色に染め上げる中、島津義久の部屋には三人の美女が集合していた。十国の太守である島津義久、龍造寺家を密かに壊滅に追い込んだ謀略家である鍋島直茂、そして雷神の武勇を誇る戸次道雪という、いずれも九州平定時に活躍した姫武将たちだった。

小姓も女中もいない部屋で、三人は額を突き合わせる。

所謂、女子会であった。

 

「奥方様、漸く旦那様をお許しになられたのですね。七日間も夜を独占されるのは困ります。私とて一刻も早くお子が欲しいのですから」

「直茂殿、落ち着いて。殿、久秀殿の文には忠棟殿との情事が書かれていたとか?」

「それはもう鮮明に書かれていたわねぇ。まさか三年前の堺の時点で身体を交えていたなんて想像もしてなかったわ」

「忠棟殿にしては手が早いですね」

「事実は異なりますよ、道雪殿。あの甲斐性なしにそのような度胸はありません。一服盛られた後に、気が付けば貞操を奪われていたという事でしょう」

「貞操……。久秀殿が、忠棟殿の初めての相手という事ですか?」

「源太くんは違うと言い張ってるけどねぇ。久秀殿の文を鵜呑みにすればそうなるのかしら。困ったわねぇ、直茂」

「御意。他家の女に貞操を奪われているなど沽券に関わります。故に、次は私がお子を授からねばなりますまい」

「前後が繋がっていませんよ、直茂殿」

「でも、愛してる人から隠し事されていたのよぉ。幾ら私でも、悲しさから源太くんを独占してしまうのは仕方ないと思わないかしら?」

「仕方なくないです、奥方様」

「張り合うのはやめて下さい、お二人共」

 

女三人集まれば姦しい。

至言である。

思わず逃げ出した忠棟は正しかった。

 

「兎に角。源太くんにこれ以上、悪い虫が付くのは阻止しようと思うわ。島津家中を混乱させる一因にもなりかねないもの」

 

松永久秀から送られた爆弾は効果覿面だった。

三年間隠されていた秘密。それとなく尋ねても平然と嘘を吐く忠棟。一週間、義久が夜を独占するという解決案で事なきを得たけれど。

当然、松永久秀の嘘である可能性は高い。さりとて書面に記されていた情事は生々し過ぎた。鬼気迫る内容だった。忠棟の『大きさ』まで正確に書かれていたら信じざるを得ない。

 

「殿には妙案がお有りなのですか?」

「勿論よ、道雪殿」

「やはりアレしかありませんか、奥方様」

「ええ。大友家の残党も島津家に仕官しやすくなるもの。人手不足もある程度は解消される。悪い虫も付かない。一石三鳥ね」

 

島津義久は確信を得たように頷く。

視線の先にいるのは戸次道雪だった。

台詞の内容からすぐに察した彼女は頬を紅潮させた。四ヶ月前、薄暗い臥所にて忠棟に抱き着いた時の温かさを思い出してしまう。耳まで真っ赤に染まった。

 

「道雪殿」

 

義久が一歩進んだ。

 

「源太くんは九州全土の視察に赴くわ。当然、相談役の貴女も連れ立って。知ってるでしょう?」

「え、ええ」

「好機よ、源太くんを堕としなさい。いいわね」

 

迫真の表情に、道雪は思わず首肯した。

その光景を眺めながら、直茂は例の文を後生大事に残しておこうと決める。いざという時に正室を出し抜ける切り札になる。一週間も独占されたのだ。此方は十日間通ってもらおう。それで漸く吊り合いが取れるという物だから。

 

この時はまだ誰も知らない。

直茂の残した久秀からの文が、遠い未来にまで遺されるという事に。

 

 







本日の要点。


1、世間「島津忠棟は剛勇鎮西一」←武力の数値は38程度。


2、久秀「掃部助殿の困った顔が目に浮かぶようだわ(哄笑)」←悪い虫。


3、未来「島津忠棟ってお盛んだったんだなぁ」←アソコの大きさも残った模様。


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