刀憑きの青年   作:桐竹一葉

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本来は書き終えた時に纏めて投稿する方が良いかとも思いましたが、このままでは数年後になってしまうにでは、と危惧し、一話一話を地道に投稿していくことに決めました。



予兆

暗い暗い、音も光も無き深淵の中。一人の青年が、青褪めた顔でそこを遮二無二走っていた。

その様子は、まるで何かから只管逃げているように見える。金魚が如く口の開閉を繰り返し、掠れた吐息を続けながら、文字通り必死の形相で。しかし、それは無理もない。何故ならその深淵は、至る所に幾つもの人の目玉が浮いているのだから。それらは何を捉えるでもなく、忙しなく、何かを探っているかのようにギョロギョロと動いて止まない。青年は見据えられている訳ではない。確かにそれすらも常人には耐えられざる狂気的な光景ではあったが、青年はそれに怯えて走っているのではない。

 

 

地面とも呼べたものではない、底無しにも思える漆黒の地面には、数々の腐敗し切った骸。

人間、動物、はたまた見たこともないような未知の生物、それらの骸の上を、何かから逃げるように、少年は走っていた。いや、ように、ではなく、逃げている。

 

 

よくよく見てみると、目玉と骸と暗闇しかなかったかのように見えた空間の中で、小さな何かが群れを成して少年に迫りくる。目を凝らせど闇と見分けのつかないそれは、夥しい量の、大小様々な虫の群れ。羽虫、蜚蠊、百足、蜘蛛……闇が象っただけのようなその黒い虫達は、骸を踏みしだき、骸を貪りながら、少年を追い立てる。

 

 

それを恐れて、逃げ道など一片も見える事ない深淵の中を、少年は走り続けている。

青年には、よもやどれ程走り続けたかなどと考える余裕すらなかった。恐怖のみが渦巻く胸中を、脳で必死にその感情を抑圧しながら、それ以外の感情も思考もなく、走り続けた。

虫の群れと青年の距離は、いつまでも変わらない。青年が速度を落とせば好機と見て迫り来るというのに、青年が今まで以上の速度で走ろうとそれに易々とついてくる。それが遊びであるのか、なんらかの理由があるのかなど、青年に考える余裕も体力もなかった。

 

 

 

 

それから、もうどれだけ経ったかも知れない。若しかすれば、それはほんの数十分程度の事だったやもしれない。若しかすれば、それは既に数日間にも及ぶ逃走劇であったかもしれない。

 

 

しかし、以前から一進一退を繰り返していた少年と虫の均衡は、ある時一瞬で崩れ去った。

骸の肋骨に足を引っ掛け、大きく躓いてしまったのだ。拙い、そう思い立ち上がるも束の間。

 

 

その僅かな時間で、距離を完全に詰めた虫達は好機逃そうと考える筈もなく、ここぞとばかりに青年に群がり始めた。

 

 

青年の物とは思えない、程のこの世ならざる絶叫を上げ半狂乱になりながら、青年は精一杯身体を振り回して抵抗する。しかし、振るえど振るえど虫は離れない。かさかさ、がさがさ、がちゃがちゃ、

夥しい物量の黒が、青年を埋め尽くした。

 

 

 

無論、虫が集るならばされる事は一つ。そこら中に鏤められている、無残に食い散らかされた骸達と同じ。

 

 

ーー食われる。

 

 

徐々に、徐々に、虫が蹲る彼の身体中に纏わり付いた。青年は自らの身体を叫びながら振るう。しかし、そんな抵抗は儚くして終わる。

 

 

ーー刹那、生きてきて一度たりとも感じた事のない、到底言葉には言い表せない激痛が、彼を襲った。

 

 

足の表皮が、腕の表皮が、腹の表皮が、背の表皮が、顔の表皮が、ぐちぐちと、聞くに堪えない瑞々しい音を立て、食い千切られている。痛み、痛み、痛み。先程まで恐怖に塗り潰されていた脳内が一瞬にして、

痛い、という脳からの信号へと塗り替えられた。次第に、巨大な虫の刳い口が、彼の肉をも蝕みだす。にちにち、ぶちぶちと、筋繊維と呼ばれるそれを千切り食らう。

 

 

正に、地獄の苦しみ。否、これ以上の苦痛など、地獄でさえあるだろうか。

針で刺す、刃で切られる鋭い痛みではない。拳で殴られる、棍棒で打たれる鈍い痛みではない。

懇切丁寧に、嫌という程痛覚に訴えかける、身体中の肉を徐に千切り貪られる、形容し難い痛み。

 

 

 

そんな地獄の苦しみに気が狂いそうになる青年には、救いなどなく。

身体の肉を食らう巨大な虫とは違う、普通の大きさの虫。

 

 

 

その小虫が、彼の口の中へ侵入し始めた。歯、歯茎、舌、喉と貪り始めた。

歯は溶かされ、砕かれ、食い荒らされ、中の痛覚神経を虫達は刺激した。

歯茎は小虫一匹一匹に丁寧に噛まれ、大量の血が噴き出した。

舌には虫の乾いた感触が感じられ、頭にも虫の動く音が聞こえた。

喉を食い破りながら、大量の小虫達が身体の奥へと突き進んだ。

虫に集られる青年の姿は、黒く蠢く人を模したナニカ、そうとしか形容出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っぁぁあああああ!」

「わっ!」

 

唐突に、青年は起き上がった。次に青年の目に入ったのは、果て無き深淵ではなく、眩い光。

今さっきまで食らいついていた虫は何処だ?此処は何処だ?一瞬で移動したのは何故だ?

無数に存在する疑問に、青年の頭の処理は追いつくこと能わない。

 

 

 

それも当然の事で、其処は深淵の闇などではなく、眩い陽光が差す神社の中だったのだから。浮いた無数の目玉も無ければ、鏤められた骸も、大小の黒い虫も無い。

息を荒げながら、疲弊を顕にした表情で呆ける青年に対し、その横、突如奇声じみた悲鳴を上げた彼に、傍らで茶を啜っていた少女は思わず仰天してしまったようだ。思わず湯呑みを手から滑り落としてしまったのだが、どういう原理か一瞬にして空中で手も使わずに留めた。

 

「っぶないわね……」

「……?」

 

そこで、漸く彼は少女の存在に気が付いた。非常に緩慢な動作で、少女の方へ向き直る。

少女の身に纏うその赤い装束は、俗に言う巫女装束という代物であった。赤と白を基調にした、着物

に似た衣装。しかし、それは通常の物とは異なり、脇が開いているのだ。

物珍しい、と心に僅かな余裕が出来たが故かそう思い凝視する青年に、少女は呆れた目を返しながら見ながら溜息をつく。

 

「ったく、嚇かさないでよ。やっと起きたと思ったら断末魔上げて」

 

覚醒し切らない混濁した意識でも、どうにか少女の発した言葉を理解することは出来た。見れば彼の寝ていた布団のすぐそこに、その少女はいたのだ。少女は、まるで奇怪なモノでも見るように喋っている。この前蔵の整理をしていて、先程まで光の無い目と骸だらけの場所で虫との逃走劇をしていた少年は、何故こんな神社のような所にいるのか。この少女は一体何者か。そういった疑問すらも容易く口には出来なかった。

 

「あ、あの……」

 

その自らの発した声に、青年は微かながら驚いている。掠れて、生気を感じさせない、酷く草臥れた声。どうにか振り絞って出した声は、その表情も相俟って、酷いものだった。

 

「……これまた酷い顔と声ね、魘されてたから何かあったのかとは思ったけど」

「……え」

「あんた、此処に来て寝たまんまだったけど、魘されっぱなしだったのよ」

 

魘される、と言えば、悍ましい夢を見て寝たままの状態で苦しげな声を上げる、という事を意味する。何故かは不明だが、布団に寝かされているこの状況。そして少女の、やっと起きたと思ったら、という言葉。それらから推測するにーー

 

 

 

「あれは……夢?」

 

 

 

「はい?何のことよ?」

 

そう、夢だったのだ。あの闇の世界も、あの目玉も、骸も、虫も。全ては脳内で構築された空想世界に他ならなかったのだ。

 

「……っはぁ。そうか、夢、か」

 

あの嫌に現実的な痛みは疑問に思ったが、今は傷一つも痛みもない事から、只の思い込みだろうと考える事にした。痛みとは元々脳から発せられる信号なのだから、強く痛いと思えば痛いと感じる事もあるだろう。そう一人で納得して安堵故に吐息を漏らすと、痺れを切らした少女が苛立ちを孕んだ声を掛けた。

 

「で?考え事はもう終わった?」

「え……あ、まぁ、終わりました」

 

高圧的態度で接するその少女に、年下だというのに強気だな、という思いを思考に留め、言葉を返す。尤も、自分の思う通り事が運ばない、自分の話を聞かない彼に対し、高圧的になるのも致し方なかろう。

 

「先ず、私は博麗霊夢っていうの。それで……」

「っと……石塚。石塚園枝(いしづかそのえ)です」

 

霊夢と名乗った少女は、青年こと園枝に変わった名前ね、と棚に上げ珍しげにそう言った。

自分の名前こそ珍しいではないか、という思いも、今の彼には一々呟く気にさえなれない。

 

「あの……此処は一体、何処なんでしょうか?」

「それは、この神社の事…………じゃないみたいね。まぁ確定的だったけど、やっぱり外来人だったか」

「……外来人、と言うのは?」

「外の世界から来た人間の事」

 

外来人、という言葉が此処にはあり、それは外の『世界』から来た存在を示すらしい。

 

 

 

「…………あの、何を仰っているのか、分かり兼ねます」

「えぇ、予想はしてたわ」

 

しかし、そんな未知の単語を聞かされたところで、何一つ園枝には理解の及ばぬ事。

一から説明しなきゃなのね、と頭を押さえる霊夢に申し訳ないとは思いつつ、聞かねばならない事であると、気怠げな彼女の説明を待った。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

「……ていう事なんだけど、分かった?」

「…………言ってる事自体は分かりますが、理解が」

 

と尋ねる霊夢に、先程の彼女に似て頭を押さえながら、園枝は低い声でそう答える事しか出来ない。

 

一切聞き覚えのない単語だけではない。妖怪という超常の存在がここ、幻想郷に跋扈している事。

目の前の博麗霊夢という少女が、幻想郷と彼の元いた世界たる外の世界とを隔てる為の結界、博麗第結界を維持する博麗の巫女という重要な存在である事。霊力や妖力といった常識破りのエネルギーが存在し、それを人間も妖怪も扱える事。

 

それら簡潔に述べられた事に、園枝の頭は先程よりも尚更処理が追いつかなくなっている。

簡潔なのは説明の仕方であり、説明の内容ではない。否、内容も簡潔と言えばそうなのかもしれないが、そんな浮世離れした世迷言じみた事を言われれば、理解不可能なのは常人なら当たり前だ。

 

「ま、そりゃ今まで外の世界にいたんだから、理解出来ないのも当然よね。別に無理して納得しなくていいわ」

「はぁ、どうも」

「どういたしまして……あぁそうそう。今度はこっちから聞かせて欲しい事があるんだけど、いい?」

 

自分に聞く事など何があるというのか、と園枝は疑問に思うが、教えられる範囲でなら、と釘を刺して承諾する。

 

 

 

 

「貴方、赤に白い花柄の鞘の刀を知ってる?」

 

 

 

 

「………………あ」

 

そう、彼は漸く思い出した。あの刀に触れた瞬間凄まじい頭痛が起こり、それにより意識を失い、気付けば此処にはいたのだと。それを思い出し、あの痛みに再度身体が震えた。死んだ方がマシなのではないか、大した苦痛も味わった事のない彼にとって、あの痛みはそう思うに事足りる程なのだ。

 

「……はい、知ってます」

「やっぱり。なんせ、森の中で気絶してた貴方が持ってたんだから、当然よね」

「あの……僕、外の世界、にいたときに、その刀に触れてしまったんです。そしたら凄まじい頭痛がして、気が付けば此処にいまして……一体、どういう事なんでしょうか」

 

それは、と口を開きかけた霊夢が、急に口を閉ざしたのは直ぐの事だった。

本当に急の事だった為に、園枝は霊夢に何かあったのかと聞く。すると彼女は、溜息を吐きながら、二人の中間に位置する天井を無言で指差した。

それに合わせて顔を其方に向けるが、それは何の変哲もない天井で、異常など一切なかった。

 

 

「あら、やっぱり霊夢には分かっちゃうのね」

 

 

すると、突如室内に声が聞こえる。何処からともなく聞こえる声に驚き、狼狽える園枝。片や、まるで驚いた様子が見られない霊夢。何故驚いていないのかと園枝は霊夢を凝視するが、それを気にせず、霊夢は天井へ向かって話し掛けた。

 

「あんたね、出歯亀するくらいなら最初から来なさいよ」

 

天井に目を向けて話し掛ける霊夢は、一般的に見れば異常者の類に見えてしまうかもしれない。しかし、此処は幻想郷である。

 

 

 

「ふふ、御免なさい」

 

 

 

天井に亀裂が入ったと思えばそれが開き、紫の空間が広がるその中から金髪の美女が上半身を覗かせている情景など、幻想郷に於いてはこと珍しい訳でもないのだ。

 

「一応見守っておこうと思ったの。貴方も、二人相手より一人の方が話し易いでしょう?」

「えっ……えっ、えっ、えぇぇ、ちょっと……えぇ?」

 

その美女は空中でぐるりと方向転換し園枝に話しかけた。が、彼はその登場の余りのインパクトに、只々困惑した様子で短い声を漏らすだけである。妖怪などの、外の世界にはいない筈の存在がいると話には聞いていたが、本当にこんな現実離れした光景を見てしまっては、呆気にとられるというものだ。そんな園枝を尻目に、その女性は紫の空間から降りると、優雅かつ身軽な動作で、すとんと着地した。

 

「私は八雲紫という者ですわ。改めて、私も含めお話ししましょう?石塚園枝さん」

「……は、はぁ」

 

こうして、二人の少年少女に、一人の妖怪の話し合いが

 

「土足で上がんのやめて」

 

霊夢の一声の元、どうにも締まらない形で始まった。

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