そう簡単に人里などへ放っておける筈がない、そう考えた結果、こうなりました。
園枝が次に光を見たのは、変わらぬ朝に輝く陽光だった。ふと身の回りを見れば、園枝が寝ているのは布団だった。仄かな温もりを布団から感じている所為か寝惚けた意識の中、煩わしい蝉の鳴き声を遮断し、どうにか回想に思考を委ねる。霊夢と紫を交えて説明を受けたが、突然意識が遠のいた。ただそれだけの、単純な事だったのを思い出したようだ。僅かに痛みを発する頭部を押さえながら、上体を起こした。
「……今は」
園枝は、結局その後の出来事も、霊夢と紫との話し合いも知りはしない。だからこそ、寝て起きておきながら再び朝陽を見ている事に、疑問を覚えた。説明を受けた時から、一切周囲の環境は変わっていない。強いて言えば、霊夢も紫も居ない事だろう。
「あぁ……二日、此処に居たのか」
詰まり、あの気絶した後から今の今まで、只管爆睡していたという事。その疑問の解を得ると同時に、次にはまた新たな疑問が羽虫の如く湧いて出る。
「……これから、どうすれば良いんだ」
そう、これからの生活についてだ。戻れるのならば戻ろうか、そうも考えたが、違う世界からそう簡単の帰還する事など可能なのか。そんな疑念が次には浮かぶ。ではもし仮に、この世界で一生を過ごさねばならないとすれば。
「別に良いか」
そんな心配など、彼には欠片も無いようだった。それが如何なる理由であるかは、その無表情から読み取る事は能わない。少なくとも、それが霊夢や紫のような美しい婦女子と共にいたいなどという、下心から来る思惑でない事は誰が見ても明らかだ。どうやら園枝は、帰れるなら帰る、帰れないならそれで良い、そんなあやふやで曖昧な考えを持っているらしい。傍から見れば、その考えは少し変わっているかもしれない。だが、外の世界に絶望し、現世から逃避しようとする者も少なくない。そう考えると、彼のその思想も、何ら変わったものではないようにも思える事だろう。
「珍しいわね貴方。良からぬ事を考えて、別に良い、って言ってるわけじゃないみたいだし」
すると園枝の後方から、聞き覚えのある高い声が聞こえる。其方へ向き直れば、其処には相変わらず煎餅を貪りながら怠惰をも貪る、腋を出した巫女装束の少女が座っていた。如何やら今までずっと其処にいたようだが、不思議と園枝には、その気配などはまるで感じ取れなかった。
「……あぁ、博麗さん。お早う御座います」
可笑しいとは思いながらも、愛想良い笑みを浮かべて挨拶を述べる。だがその笑みはまるで逆効果だったとでも言うかのように、霊夢は眉を顰めた。途端に嫌気の差したような表情に変わった霊夢に、園枝は何かしてしまったかと慌てて問う。
「え?あの、如何されました?」
「……姓の方で呼ばれるのは慣れてないから、ついね」
「あぁ、そういう事でしたか。ですが僕も、人様を名前でお呼びするのは慣れていないもので……」
お互い、意見の相違が生まれてしまった。霊夢は少し参った風な表情をしていたが、園枝はその愛想笑いを終始崩す事は無かった。暫しの間相違に生まれた沈黙も、結局は霊夢が折れる事で終結を呈する。呼称など細かな事か、と霊夢の方が先に折れる辺り、これでは園枝の方が年下のように思える。
「まぁ、いいか。じゃあ、私は何て呼べばいいのかしら?」
「そうですねぇ、今までは姓で呼ばれる事が大半でしたから……石塚、でお願い出来ますか?」
「なんか、それはどうも違和感を覚えるわ……園枝さん、で良い?」
二度目の相違も、よもや園枝は面倒だと感じて来たようだ。それに最初は相手が認めたのだから、と、次は園枝は折り合いをつける。ではそれで構いません、と、二度目に折れたのは園枝だったようだ。
「じゃあ……これから宜しく頼むわ、園枝さん」
「あ、はい、宜しくお願いしーー」
ーーこれから?
「……あのー、これから、というのは一体?」
これから。その一節に不穏な雰囲気を感じ取った園枝が、その言葉を脳内で幾らか反芻しながら、
おどろおどろしい態度でそれについて尋ねた。それが単なる、これからも付き合いがあれば宜しくお願いする、という旨の話であるならばそれで良い。だが、どうも霊夢の口振りは、それとは違う気がしてならなかった。
「………………」
しかし、霊夢はその問いに答えない。寧ろ心なしか、園枝から目を背けているようにも見える。
その状況は、幻想郷に於いて新参者に類する存在たる園枝だからこそ、別段可笑しいとは思わない。
だが、もしもその場に居合わせたのが、その他幻想郷の古参、或いは霊夢と旧知の間柄の人物ならば、きっとその光景には驚く事だろう。
「……あの、博麗さん?」
何故か、それは簡単な事。いつも人への意見や言葉を躊躇いなく、ずけずけと言ってのける霊夢の姿を、幻想郷の住人は知っている。それが彼女の自然体に準ずるものである、と。
「何て言うか……まぁ、色々と訳があるのよ」
それは、年齢に留まらない。自分より年上の人間にもずばずばと言葉を投げ掛ける。
更に言えば、人間にも留まらない。かつて世の人間を震え上がらせた大妖にも、一つの世界の管理者たる大妖にも、霊夢は容赦無く思った事を言ってのけるのだ。
「そ、それでは、その訳というのをお聞きしても?」
そんな彼女が今、言い淀んでいるのだ。年上の人間にも恐怖の大妖怪にもそんな事は無かった霊夢が、園枝というごく普通の青年一人に言い淀んでいる。そして園枝は、そんな様子などお構い無しに
、その訳を聞き質さんとする。園枝も存外、図太い神経をしているのかもしれない。
「……と……きょ……ろ……のよ……」
「へ?」
その光景は、霊夢をよく知る幻想郷住民にしてみれば酷く可笑しな事だ。もし見られていたなら、宴会の内数回の間は、暫くそれが酒の肴になる程に。彼女が園枝を相手に言い淀むなど、滑稽とも呼べる光景である。
「貴方と同居しろって言われたのよ……」
増してそれが、今まで友人にさえそう見せた事のなかった、恥じらい、という感情に基づいた事であるというのだから。もしこの場に他の者がいたとするならば、きっと霊夢はこの事を口にしたりはしなかっただろう。だが霊夢の未熟なポーカーフェイスでも、園枝をどうにま欺く事は出来た。
「…………はい?」
無論初対面に近い彼に、霊夢のそんな様子に違和感など覚える事はできない。抑、違和感を感じる暇など、今の彼には無かった。
同居。次はその言葉を、頭の中で反芻し始める。
同居。一つの家屋に、二人以上の人間が共に住む事。一つ屋根の下、そんな表現も出来る。
同居。目の前の少女博麗は、貴方と言った。
同居。この場に、自分以外に貴方という言葉に該当する人物は存在しない。
同居。巫女装束からして、彼女の住居こそがこの神社だと推測される。
同居。では、自分はこの少女と生活を共にするという事か。
同居。言い方を変えるとすれば、同棲。どうもこう表現しては拙い気がしてならない。
同居。同居。どうきょ。どう、きょーー
「え……えぇぇぇぇぇぇ!?」
和かな微笑みを張り付けていたその顔が、初めて歪みに歪んだ。なにも園枝は、一人でサバイバル生活により生きて行こうなどと思っていた訳ではない。帰れるならば迷惑であろうから素直に帰り、帰れなければ町にでも行って其処で細々と生きよう、そう考えていた。だがよりにもよって、五つ程も齢の離れているであろう少女と共に生活するなど、考えすらしなかったのだ。
「いえいえいえいえ、あのですね。やはりご迷惑になりますし、元の世界へ帰れるならば帰ろうと思っていたのですよ。帰れないなら町にでも行って働いて一人暮らしという選択肢が無きにしも非ずと言いますか……」
見るからに狼狽えて、園枝は振り子の如く首を左右に振り続ける。手を前面に押し出し振る様は、
見ていて飽きない。尤も、霊夢も本心ではそうしたがっている。そうしたのは山々だ。が、園枝の考えるこの後の行動予定は、悉くが無駄なのである。
「あぁ、説明してなかったわね……丁度いいわ。その二つの考えが無駄だって、簡単に説明するから」
未だそわそわと落ち着かない様子の園枝。とても年上の振る舞いには見えないそれに嘆息しながらも、幾つかの箇条を列挙していった。
「一つ、幻想郷は外の世界みたいに科学?が発達してないから、園枝さんが考えるような町なんて無いわ。人里ならあるけど」
「……となると、もしかして機械なんかは存在しないんですか?」
科学という単語を知らない風な口振り、そこからも凡そ推測出来る事ではあるのだが。
「機械……あの河童が作ってる奴よね。無い訳じゃないけど、こっちじゃ外の世界みたいに汎用性は高くないし、そもそも使えない物が大半だって紫が言ってたわ」
河童という得体の知れない単語がさらりと出るが、聞いてしまっては疑問が増えるだけだと、尋ねる事を放棄する。どうやら幻想郷に存在する機械というのは、日常的に使えるような便利な代物ではないらしい。そも科学が発展していないなら電気も使えないという事であり、電気無くして機械が真面に動こう筈がない。どうやらこの幻想郷では、外の世界程利便な生活は不可能なようだ。
「そうですか。まぁ、機械がなくても生きていけますからね……では外の世界に帰れない、というのは何故でしょう」
「そう、それが二つ目。というか全部これで片付くし、貴方にとっても重要だから、覚えておいて」
急に改まってそう言う霊夢に、こくりと頷く。最初に合った頃ああして気怠げな様子だったというのに、今はこうして簡素ながら説明をしてくれているのだ。内心感謝すると同時に、若しかすればこの少女は、自分が考えているよりも、優しい人柄なのかもしれない。そう心の片隅に思った。
「百合咲之剣って刀、あったでしょ?あれが中々面倒な物で、どうも園枝さんに引っ付いて離れないの」
「はい?」
意味が分からないままに目を開閉する園枝。すると霊夢は、未だ園枝の入っている布団の中を指差した。その瞬間、園枝は一瞬にしてその意味を解する。まさか、まさかとは思えども、言われて気付いたその布団の不自然な歪みに、彼の布団を捲る動きは遅くなる。
「あぁぁぁ……やっぱり有る……」
布団を中程まで捲り上げた時、それははっきりと園枝の目に映った。鮮血に塗り固められたかのような赤い鞘、それに描かれた数多の白い百合で築かれし幾何学的紋様。二尺七寸に及ぶ細長い刀身は、鞘の上からでもよく分かった。勿論、百合咲之剣である。もし鞘の札が無くなっていたら、絶対に園枝は刀を投げ捨てていた事だろう。
「それ、幾ら封印術を施しても持ち主からは離れなくて。持って行く為に持ち上げようとしても、一向に動かないのよ」
それは、実に摩訶不思議な光景だったのを霊夢は覚えている。重くなった訳ではない。その重量は霊夢でも持ち上げる事は出来るし、増して紫ならば軽々と持ち上げられる程度だ。しかし、離れない。
横たわる園枝の傍から、紫が全力で持ち上げようとしても、一切動かないのだ。まるで空間毎固定されているのかと錯覚する程に微動だにせず。そして不思議な感覚と同時に、妙な寒気を覚えた。
封印を施して尚ここまでの力を持つ、その刀に。霊夢が百合咲之剣を脅威であると心の底から感じたのは、それが初めてだった。
「持って行こうとしたんですか?」
「当然じゃない」
本来なら、持ち主と共に呪刀を置いておくなど、愚の骨頂に他ならない。安全を追求するなら、持ち主と呪刀を離れ離れにさせ、強力な封印を施したまま放置しておくのが何よりの方法なのだ。
だが、持ち上げる事は出来なかった。故に紫は、スキマという手段でもってそれを運ぼうとした。
だがーー
「……でも、紫がスキマに入れようとしたら、スキマが急に消えたのよ。一体どうなってんのかしら、その呪い刀は」
「えっと……よく分かりませんが、凄い、ですね」
思わず漫画宜しくずっこけそうになった霊夢だが、他者から見ればとても笑えなかろう。
こうした反応が返ってくるのは、園枝なら当然の事であり仕方ない。だが霊夢を始め、紫の事を知る者がそれを聞けば、今の園枝の数十倍は面白い反応が返ってくる事だろうから。
現に、今はこうして平静を取り戻している霊夢だが、その話を紫の口から聞いた当初は、紫の方が驚く程に取り乱していた。その事実がどれだけの事か説明してやろう、と思い立った霊夢だったが、
そんな思いは不安げの残る顔をした園枝を見て控える事とした。詳らかにしてしまえば、園枝の不安が増すだけだからと、口に出しかけた言葉を飲み込む。
「(異常性が理解出来ないっていうのは、ある意味幸せなのかしら)」
八雲紫のみが持つ、本当の能力に比肩し得る、彼女だけが操る事のできる空間の裂け目、それがスキマ。物理的な空間に留まらず、絵の中や夢の中、物語の中にさえ移動を可能にする、高い汎用性を持つ。戦闘、移動、運搬、それぞれを熟す事の出来る万能性は、本当の能力、智慧と共に幻想郷に於ける八雲紫の地位を不動の物としていた。スキマには本来、八雲紫以外の存在は誰一人干渉出来なかったのだ。それを只の刀一本が為し得るなど、某天狗のブン屋が知れば、一目散にスクープと言って記事のネタにする事間違いない。
「あの、これって……普通に持てるんですが」
思考を巡らしている最中だった霊夢の目に、予測はしていた、それでも驚きを禁じ得ない光景が飛び込んだ。紫がどう足掻いても、持つ事も運ぶ事も出来なかった百合咲之剣を、園枝はその細身の腕で容易く持ち上げていたのだ。
「……やっぱり、そうなのね」
話を聞いても、霊夢はそれを実感する事が出来ていなかった。こんなごく普通の青年が、あんな大層な刀に呪われ、憑かれているなどとは。しかし今、彼女は実感を得る。紫に出来ない事を平然とやってのけた園枝は、やはりもう戻れないのだろう、と。元の世界にも、生活にもーー
ーー只の人間にも。
少し、ほんの少しだけ、霊夢の心に憐憫の情が芽生えた。今まで平穏な人生を歩んで来た只の青年は、その刀に道を狂わされるという未来に。その顔は、彼女にしては珍しく、悲しみの念を孕んだそれに変わっていた。
「っと、それで。帰れない理由、と言うのは」
「え?あ、そうね、ちょっとずれたかしら」
その時、園枝の発した一声によって、霊夢は直ぐに平常を取り戻す。その心を悟られないようにと、
いつもの真顔を作り、空気を戻す為の咳払いを一つした。
「その刀に呪われてるって事は、外の世界に戻ってもそれは憑いて来るって事なの。今の外の世界じゃ呪いだとか、そういう事はもう信じられてないんでしょう?」
「えぇ、非科学的だと一蹴されてしまうかと」
「そうよね。詰まり、外の世界に出してしまえば、対策のしようがないの。だからこそ、幻想郷でなら強力な封印を維持出来るし、こっちにいなきゃなの。と言うより、私と紫が直ぐに手の届く範囲にね。でなきゃ、呪いが暴走したりした場合拙いでしょう?」
スキマの時とは違うその表情から、どうやら理屈は無事理解してもらえたようだ。尤も、科学の世界で生きてきた彼にとって、非科学的なその理論は腑に落ち切らない部分もあったが。
だがそれ以前に、園枝には、ある気に掛かる事が一つある。
「もし、呪われたままの僕が外へ出てしまったら……どうなりますか?」
それは当然の疑問であり、純粋な興味本位も含んだ事であった。園枝はその問いを重く考えず、軽い気持ちで投げ掛けたつもりである。そのつもりなのだが、どうも霊夢は深刻そうに、真面目腐った表情に変わっていた。その答えへの空白は、彼の鼓動を早まらせる。
「……これは、余り冗談とは思わないで欲しいんだけど……」
そう前置いた霊夢は、重々しく口を開いた。
「多分、園枝さんは死んでしまうわ」
外の世界に出られず、人里にも住めません。
一応、霊夢と共に生活せざるを得ない理由としては十分……でしょうかね?(霊夢は自身の実力と主人公の実力を理解し、考慮した上で紫の提案を呑んでいます。これが阿求だったりすれば、園枝に抗う術もないので、断っていたかもしれません)