前篇開始です。
一、プロローグ
つめたい手が、僕の首筋に触れる。
とても、きもちいい。
何が起きている
どうしてこうなった
下腹部辺りに、重さを感じる
それにどこからか、声が聞こえる
「つれて行っちゃおうかな」
僕は
首筋にある誰かの手を取った。
そして
何かをつぶやいた
嗚呼、いっそ
いっそ狂えてしまえばいいのに
☆
二、こうして僕は、彼女と出会った。
ぱたん
かけていた音楽が終わるのに合わせて、本を閉じた。
やはりこの本はいい。何度読んでも面白い。
このひと時のスパイスになってくれる。
淹れておいた紅茶を口に含む。
甘い。やはり甘すぎた。
何故だろうか。いつも紅茶を淹れると無意識に砂糖を入れすぎてしまう。もっと苦くて、檸檬が利いている奴が好きなのだが。
クッキーは次からいらないかな。
窓際に座っていた僕はふと、外を見る。
ある日の昼下がり、白いカーテンの隙間から、青い空が見える。
相変わらずの快晴。でも外に出る気分じゃない。
こんなときは読書に限る。
まぁ、年中読書してるけど。
苦笑いを甘い紅茶で流し込んだ後、もう一度本を読もうとしたとき。
ふわり
と、カーテンが浮いた。
ふと、僕はその方向へ目線を動かす。
いつもの白いカーテン。その後に広がる青い空。そしてそれらを遮る薄い青色の何か。
「こんにちは」
・・・・・・は?
これが僕と、彼女の出会い。
☆
どうしてこうなった。
そこに現れた人(以下、不法侵入者)は着物とドレスの中間のような服を着ていて、髪は色が抜けたような赤、瞳は淡い灰色といったとても変わった風貌だった。
その不法侵入者――服の色が水色だったので水色の塊に見えた――が僕の目の前で僕の紅茶を嗜んでいる。
不法侵入者は紅茶を啜って、にこりと笑った。
「あら、あなたじゃないの。わざわざあまーい紅茶を出して歓迎してくれたのは。」
歓迎などこれっぽちもしていないのだが。
「このクッキーも美味しいわね。自家製?」
話を聞けよ。そして僕のクッキーを勝手に食うな。
不法侵入者が優雅に(?)ティータイムに浸っているときに、僕は頭の中を整理してみることにした。
あの後、不法侵入者が窓から入ってきて来て、僕は何が起きたのかさっぱりわからなかった。
名誉のために言うと、誰しもいきなり窓から人が入ってきたら理解の範疇を超えてしまうと思う。もし越えない奴が居たら、そいつは人間じゃない。たぶん。
そして完全に慌てていた僕は何故だろうか、今考えてもおかしな行動に出てしまったのだ。
「『・・・・・・紅茶でもいかがですか?』だったかしら?」
人の思考を読んだのか、それとも僕がそんなにわかりやすいのか、不法侵入者が目に涙を浮かべながら――決して泣いている訳ではない。笑いすぎが原因だろう。――言葉を繋げた。
「流石の私も一瞬何言ってるのと思ったけど・・・・・・肯定してよかったわ。」
不法侵入者に紅茶を振舞う奴もそうだが、人の家に勝手に侵入した挙句、その申し出を快く受ける奴もどうなのだろうか。主に人の常識として。
不法侵入者は相変わらずニヤニヤしている。まるで子供が悪戯をしかけて、引っかかるのを今か今かと待ち続けている子供みたいだ。
そんな愉快な不法侵入者を取り敢えずは放っておいて、ここからどう退治してやろうかと頭をひっくり返してみることにした。
脳内会議の会場の設営をしていると、三つほど案が浮かんできた。
一つ目は警察に通報することだ。
まぁ、この案は無いだろう。
なぜかと言うと、
『いきなり何も無いところからこの人が現れた』
と言ったところで、誰が信じるのか。
僕なら・・・というか全人類の殆どが信じないだろう。
もしくはついさっきの僕みたいに口をぽかんと開けてしまうかのどちらかだ。
仮に僕の言っている事が信用されたにしても、警察の僕への印象は
『いきなり現れた不法侵入者に紅茶を振舞う変な奴』
となってしまうことは想像に難くない。そして僕はそれを否定できる術を持ち合わせていない。
二つ目、僕がこの場を立ち去ること。
これも却下だ。
僕がこの場から居なくなればこの不法侵入者は
『ここは自分の家だ』
とか言いかねない。いきなり現れて紅茶を嗜むほどのぶっ飛びようだ。そうなってもおかしくは無い。
というか、僕がこの場から離れたくないだけなのだが。
三つ目、不法侵入者を強引に外へ放り出すこと。
これはいいセンをいっているのではないだろうか。
僕は男だし、その気になれば人一人くらいなら持ち上げる事が・・・・・・出来るかもしれない。
放り出す先はあの窓で良いだろう。都合よく大きく開いているし。
落ちた先もまぁ、大丈夫。
そうと決まれば早速実行だ。不法侵入者を持ち上げて窓から放り出すだけの簡単なお仕事。窓の鍵を閉めるのを忘れずに。
「考えている事がだんだん滅茶苦茶になってるわよ。どうしたら窓から放り投げるなんて事を思いつくの・・・・・・」
さっきまでニヤニヤしていた不法侵入者が今度は呆れるような目つきで僕を見ている。まったく、忙しい奴だ。
それくらい迷惑をしているんだが、と僕が伝えると、不法侵入者はやはり笑って、
「その迷惑している奴に普通紅茶を出す?」
と答えるのだ。正論である。
僕はどうにかこの不法侵入者を追い出せないものかと頭をめぐらせてみるも、なかなか名案が思い浮かばない。
こうしている間にも紅茶とクッキーは不法侵入者に食い散らかされていく。ああ、許せ!我が友・・・ではないか。僕も食べるつもりだったし。
僕の思考を遮るように紅茶の啜る音が聞こえてきた。やっぱりコイツ、僕の心の内を読んでるのではなかろうか。
そして不法侵入者は満足げに立ち上がった。中身が入っていない寂しいカップと太陽の光がよく反射するお皿を残して。
どうやら自分からお帰りになってくれるらしい。これで面倒ごとは全て片付いた。甘すぎる紅茶と自家製クッキーは犠牲となったけど。
「そろそろ行くわ。いい時間になったし。」
窓に目を向けると、青かった空はいつの間にか赤色が混じり始めていた。なんだか世界が染まっていくように見えた。
僕が二度と来ないでくださいと言っても、返事はしない。肝心なところは聞いてないのか。それとも無視しているだけなのか。多分後者だと思うが。
「じゃ、またいつか。」
そう言って振り返らずにてをひらひらと手を振って歩いていく。なんとも『また来るから用意よろしく』と言いたげな背中だ。絶対用意はしない。と言うかいきなり来ておいて『用意』って何だ。この不法侵入者はいろいろなものが足りていないような気がずる。
「それと」
赤く染まり始めた部屋から再び声が聞こえてきた。僕は忙しいのだ。おもに紅茶淹れなおしとかで。
首を半分だけ、それも顎が上を向くように振り返ったその顔はやはり笑っている。僕をからかうのだろう。
「人を不法侵入者って呼ぶのはどうかと思うわよ。主に人の常識として。」
……人のことをからかうのも、どうかと思う。
僕は苦し紛れに、言葉を紡いだのだった。
☆
三、お茶が運ばれてくる前に
僕には友達が居ない。
胸を張ってそう言える事はそれくらいだった。
いつも遊びは一人でやっていたし、趣味だって一人でやることの方が圧倒的に多い。
だから今でもこうやって独りで紅茶を飲んでいるわけだけど……
でも、そんな僕にも友達が出来た事がある。
いや、僕と彼女は友達だったのだろうか。
とにかく、そのことはよく憶えている。
そう、それは今日みたいに空が青くて綺麗な日だった―――
☆
―――― 「うわぁ!」
心地よい川のせせらぎの中に混じる素っ頓狂な声が一つ。
そんな声を上げて釣れたのは、ただのゴミだった。
今度は呆れたように息を吐く。僕は今、一人で魚釣りをしている。
辺りは自然が豊かで、それに負けじとばかりに青く、透き通った空が広がっている。それが僕の故郷だった。
いや、僕の世界だったと言った方が良いだろう。何故なら、この幻想のような場所を知っているのは、僕一人だけだからだ。
ずっと一人だったからなのか、それとも周りに否定する人が居なかったからなのかは定かではないが、僕は幻想を信じていた。
幻想と言うのは、いつも僕の頭で描いていた世界のことだ。その世界はいろんな生き物が居たり、様々な色を見せてくれた。友達が居ない僕には、恰好の遊びだった。
勿論、そんな場所があるわけが無い。でも僕の頭の中にははっきりと存在している。
僕はそれを幻想と名づけた。
初めてここを見つけたとき、僕は蜃気楼を目の当たりにしているのかとさえ思った。そして、『こんな幻想的な場所は幻想を信じている僕だけの物だ』とも思った。
幻想は頭の中にあるから幻想なのだが、ここは、僕の幻想を完全に再現していた。
誰も知らない、僕だけの『幻想』。
そんな口に出すのも恥ずかしい言葉をはっきりと言えてしまうほど、僕はここが好きだった。
魚釣りを諦めた僕は、本を読むことにした。
少し古ぼけているけど、しっかりした椅子――何故かこれは最初からここにあった――に腰掛けて本を開く。
僕の身近にある幻想は本だった。
少し固めのハードカバーを開くと使い古された紙の独特の匂いが広がって――僕を幻想へと連れて行ってくれた。
そして度々喉が渇くと、魔法瓶に入れておいた紅茶を出して少しずつ飲む。
僕が好きな紅茶は檸檬が効いていて、そこまで甘くない紅茶だった。
そしていつものように、紅茶を魔法瓶から備え付けのカップを取り出して紅茶を酌もうとしたそのとき、
「こんにちは」
僕の幻想が、始まった。
☆
そこに居たのは少女と呼ぶにはわずかに幼い女の子だった。
まっ白なワンピースを着ていて、それを染めてしまおうとしているようにも見える真っ赤な髪に灰色の大きな瞳。
快活そうで、それでいておとなしい雰囲気を醸し出す不思議な女の子だった。
そんな光景を目の当たりにした僕は数秒固まってからこう口走った。
「……紅茶……いる?」
女の子もまた、数秒呆けたような表情をしてから、
「ありがたくいただくよ!」
元気な声だった。
目の前で紅茶が飲み干されていくのを見ながら、僕は冷静な思考を徐々にとり戻していた。
見ず知らずの女の子に紅茶を出すのは失礼を通り越して迷惑なのではなかろうか。
しかし、そんな考えも、太陽の光が眩しいくらいに反射しているカップを見て一気に吹き飛んだ。
「ありがとう。美味しかった。」
「あ、うん……お粗末さまでした?」
「私が飲んだのは紅茶じゃなかったっけ?」
そうだった。まだ動揺は抜けきっていないらしい。
女の子はどこからか紙袋を取り出して、中身を一つ、口に放り込んだ。中身はクッキーのようだ。
いくらか噛み砕いたのち、僕に一つよこした。
「紅茶のお礼。うちの自家製だから美味しいよ!……たぶん」
最後の言葉で少し不安になったがとても美味しかった。ただ、ちょっと甘かった。
そのクッキーを食べながら、僕は女の子に気になっていることを聞いてみることにした。
「あの……」
新しいクッキーを口にひょいっと放り込んだ女の子がこちらを向いた。
「あ~?」
「君は誰?」
「それはこっちが聞きたいくらいだよ!」
眩しいくらいに射す太陽の日差しが、白すぎる彼女の肌を照らした。
「こんな山奥の山奥みたいな場所で魚釣りはわかるけど……何でティータイムと洒落こんでるわけ?」
「ちょっと待って何で魚釣りしてたの知ってるの?」
「さっきの声面白かったなぁ……思い出したらにやけてきそう」
なんてことだ。見ず知らずの女の子に紅茶を振舞った挙句、あの時の間抜けな声も聞かれていたらしい。
顔が思わず赤くなってしまうのをおさえている僕を尻目に、女の子はニヤニヤしている。きっとあの声を思い出したのだろう。
「お願いだから忘れてくれない?」
取り敢えずお願いしてみた。まぁ回答は――
「断固お断りさせていただきます」
舌を出してお断り。ですよね。
顔の赤さを隠すために、顔を覆うようにカップを傾ける。
何だかいつも以上に檸檬が効いているような気がする。恥ずかしいと味覚がおかしくなるのだろうか。
「ところで何が釣れたの?」
まだその話題を続けるのか。勘弁して欲しい。
「……見てたのなら分かるんじゃないの?」
僕が試しに拗ねてみても、女の子はやはり笑って、
「もっちろん!」
そう答えるのだ。この子は案外、容赦が無いのかもしれない。
☆
「それより」
女の子が話を紡ぐ。あの話題でなければ会話に参加してやっても良いが。
「あなたは何故、ここに居るの?ここは立ち入り禁止のはずだよ?」
僕の中でヒビが入ったような音がした。
そう、僕が見つけたこの場所は立ち入り禁止区域なのである。
山で遊んでいたときに見つけた、オレンジ色の看板。
そこには確かに、『立ち入り禁止区域』と書かれてあった。
幻想云々の正体は、ありふれた物だったりする。
まぁ、ここを僕の『幻想』にしたときに『僕以外』と書き加えておいたのだけれど。
まてよ、ここが立ち入り禁止区域だと知っていると言うことは……
「『僕以外』ね。いいんじゃない?確かにあなたと私以外いないし。」
訂正、この女の子はかなり容赦が無い。
「……僕以外入っちゃいけないんだぞ、ここは」
「『僕と私以外』に書き直しておいたから大丈夫だよね?」
何も入っていないカップから日光が反射して、とても綺麗だった。
僕の気持ちはちょっとくすぐったかったけど。
☆
「じゃ、またいつか」
女の子がそう切り出したのは、空が赤く染まり始めた頃の時間だった。
僕も家に帰ろうと思って、随分軽くなった魔法瓶と本を抱える。
「うん、またいつか」
なんとなく、僕はそう返しておいた。
女の子は少し笑ってから、僕とは反対方向に歩き出した。
白いワンピースが赤く染まっていくのを見ながら、僕は歩き出した。
結局、あの女の子は誰だったのか、
聞きそびれてしまった。
また会う事があったら
聞いてみようかな。
☆
四、何故か僕と彼女は、夜を過ごした
…………ピーッ!
耳が裂けるような音で目が覚めた。
どうやら、少し眠っていたらしい。
考え事をしていたら頭に糖分が足らなくなる。
まったく、誰のせいだ。
あの不法侵入者も僕の頭に居座り続けているし、最近何だかあまり調子がよくないような気がする。
あの日から数週間たった。
例の奴は、まだ来ていない。
僕はそれで構わないが、準備云々言っておいてこれは流石にどうかと思う。
そんな思考を切り替えるために、僕は窓に目を向けた。
あの日と対照的に、そこには満天の星がこれでもかとばかりに輝いていた。
人を狂わせ、魅了しようとする輝き。
気を抜けば引き込まれてしまいそうだった。
そしてその輝きを遮る影が、突如目の前に広がった。
「こんばんわ。ひさしぶりね」
……今日来なくても良いじゃないか。
☆
どうしてこうなった。
あの日もこの言葉を呟いていたような気がする。
不法侵入者が来る前、僕は久々に天体観測をしようと思っていたのだ。
星は美しい。太古から我々、人間の遺伝子に刻まれていることのように感じる。
遥か昔、人々は火を持たなかった。
魑魅魍魎の類がはびこる世の中では、暗闇の中は恐怖そのものだったに違いない。
しかし、人には夜にしか見えない宝石があった。
それこそが星だった。
星や月の伝説が多いのは、恐らく、これらの魔力や狂気に当時の人々が染まっていたからではないだろうか?
そういう訳で、昔の人と同じように、星の狂気に染まってみようと思っていたときに、魔力や狂気とはかけ離れたような奴が現れたのである。
そして、その不法侵入者はというと……
「綺麗ね~ここってこんな穴場スポットだったのね!」
別の意味で狂気に取り付かれていた。
「やっぱり貴方が淹れる紅茶は美味しいわね。しかも美味しいアップルパイもついてるし。」
どうやら星についての独白をしている間に、盟友は食べられてしまったようだ。
盟友の骨(?)も拾ってやることも出来なかった僕が、不法侵入者に非難の目を向ける。彼女には伝わっているのだろうか。
しかし、そんな僕の主張も空しく、盟友は不法侵入者の胃の中に消えてしまった。
口にアップルパイの欠片をつけた不法侵入者が満足そうな表情を見せた。そして、ようやく僕の方を見た。
不法侵入者はそんな僕の顔を見ても笑っている。ついに星の狂気にやられてしまったのだろうか。
「『準備』しててくれたじゃないの。そんなに待ちどうしかったのかしら?」
大はずれである。僕の心が読めるのではなかったのか。
「でも、相変わらず紅茶は甘いわね。貴方、甘党なの?女みたいねぇ」
別に甘党ではないのだが。ただ砂糖を入れすぎてしまうだけだ。
かといって苦いものが好きなわけではない。特に、コーヒーだけはどうも駄目だ。人間が飲む代物ではないと思う。それは僕がおかしいのだろうか。
「……あらそう」
不法侵入者は興味がなくなったのか、この話題を切り上げると、窓から飛び出している望遠鏡に目を当て始めた。
僕はこの望遠鏡を出しといてなんだが、星は夜空に沢山輝いているのが、一番、綺麗だと思う。
確かに、一つの星をじっくり見るのも好きなのだが、やっぱり星空は肉眼で見るのがいい。
まぁ、それは『天体観測』では無くて、ただの『星空鑑賞会』になってしまうのだろうけど。
「じゃあ」
不法侵入者がいつの間にか望遠鏡から目を放して、僕の方を向いている。その表情はあの時の子供のような顔に見えた。
「始めましょうか、『星空鑑賞会』」
訂正、今日も不法侵入者の読心能力は絶好調のようだ。
不法侵入者が意地の悪い笑みを浮かべたあと、窓から手を出したかと思えば、そのまま縁に掴まってひょいっと上がってしまった。
そののち、窓からさかさまの状態で顔を出した。
薄い赤色の髪が風でたなびいて、流れ星のように見えた。
「貴方も早く来なさい。部屋で見るより、綺麗に見えるわよ。」
ついでに紅茶もね、と言い残して、引っ込んだ。
僕はため息を吐いて、自分を戒めた後、久しぶりに出した魔法瓶に紅茶をある程度入れた。
それからカップを二つと毛布を持って、窓から身を乗り出した。
☆
風が吹く中、『星空鑑賞会』が始まった。
参加者は命名者の不法侵入者と、巻き込まれた僕だけである。
一人でゆっくり紅茶でも飲みながら、と思っていたのに。
心が読める(らしい)不法侵入者にそんなことをつぶやいてみる。
返事は無い。予想通りだ。
当の本人はというと投影されたような満天の星空を灰色の目で食い入るように見つめている。
離れてみれば綺麗なものだが、僕には獲物を狩る時の目のように感
じた。
その目が少し優しくなって、僕の方を向く。
「そろそろ紅茶を頂いてもいいかしら?」
魔法瓶の温もりが恋しかったが、何もしないのも怖いので、おとなしく従うことにした。
カップに紅茶を注ぐ。立ち上る湯気が夜に吸い込まれていった。
不法侵入者にカップを渡すと、手が冷たかったのか、両手で抱えるように持って少しずつ口をつけていた。
僕も不法侵入者と同じようにカップを持って、紅茶を飲んだ。甘さが心地よかった。
「ねぇ」不法侵入者が口を開いた。
僕が返事をすると、不法侵入者は星を見たまま続ける。
「ほうき星って知ってるかしら?」
彗星のことか。
「そう、その彗星。今日、見えるらしいのよ。」
僕もそのことを知っていた。だから部屋の隅にあった望遠鏡まで持ち出して、天体観測をしようと思っていたのだ。
「その彗星は昔、妖星って呼ばれていて、空に浮かぶと不吉だったらしいわよ。」
それは始めて聞いた。不法侵入者は意外と物知りらしい。
ふと、不法侵入者の顔を見る。その表情に、見覚えがあった。
「流れ星と似ているのに、何だか不憫ね。」
何故こっちを見るのか。別に僕は不憫じゃない。
「そうかしら」
そうかしら、ではない。そうなのだ。
「一人で寂しく、紅茶を飲みながら天体観測をしようとしていたのに?」
少し、うなだれた。
どうやら僕の反論しようとする気持ちは、流れ星のように燃え尽きてしまったらしい。
不法侵入者を無視して、紅茶を飲む。今だけはコーヒーを許せるような気がした。
アップルパイの無念を晴らすことは出来なかった。すまない、盟友。
少し時間が経ったのち、妖星こと彗星が姿を現した。
彗星は一年に三十個ほど地球では見えるらしいが、多くが大型の天体望遠鏡を使わないと姿を捉える事が難しいとのこと。しかし、肉眼で見える彗星もあり、そのときは望遠鏡ではなくよく双眼鏡を使うのだとか。
ゆっくりと、尾を引きながら星空を泳ぐ彗星。
それは確実に動き続ける時のようで、僕に昔のことを思い出させようとしているように思えた―――
☆
五、夜が運ばれてくる前に
「天体観測をしよう!」
僕は呆けた。
女の子と出会ってから、少し時間が経った。
僕がここに来ると女の子は必ず、先に居て、僕に微笑みを向けてくれる。僕はそれが嬉しくて、ほぼ毎日ここに入り浸っていた。
「あなたがここに来てから色々やったじゃない?」
確かに色々なことをやった。山に猪を探しに行ったときには、←こんな顔をした豚が見つかったし、川に電気ウナギを探しに行ったときには、電気ネズミが草むらから飛び出してきた。ここの生物はどんな進化を遂げたのだろうか。
「それでね、やった事が無いのは天体観測くらいかな~と思ってさ。」
「天体観測って……何を見るの?」
僕がそう尋ねると、女の子は待ってましたといわんばかりの顔をして、一枚の紙を差し出した。
「これによるとね、今夜は流星群らしいよ!」
流星群。
僕は流れ星を見た事が無い。
自宅のテラスから星空を見たことはあるけど、流れ星だけどうしても見る事が出来なかったのだ。
天体観測への意欲が格段に上がった。今からでも準備したいくらいだ。
「流星群か……流れ星って願いを叶えてくれるんだよね?何をお願いしようかな!」
「ちょっと違うような気がする……」
案の定、女の子は願い事目当てらしい。正確には流れる間に三回願い事を唱える事が出来たらだけど。
女の子はカップを傾けて紅茶を飲み干した後、
「よし!」
急に立ち上がった。何をするつもりなのだろうか。
「準備、しようか!」
僕も立ち上がった。大賛成だ。
☆
そんなこんなで夜になった。
僕がいつもの場所に行くと、珍しく女の子は居なかった。
多めに淹れてきた紅茶を、少しだけ飲む。
甘い。少し、甘すぎた。
寒いだろうから、と思って砂糖を多く入れたのだが、淹れすぎたみたいだ。しかも、僕の好きな檸檬を入れるのを忘れた。
カップに入れた紅茶がなくなる頃、女の子が現れた。
「遅くなってごめんね。」
「いいよ。それより、寒くないの?」
女の子の恰好は、とても薄着だった。それに、息が乱れている。走ってきたのだろうか。
「ちょっと寒いけど、大丈夫だよ。それより早く行こう!」
何処に?と僕が尋ねる。ここではないのだろうか。
「いい場所を知ってるの。ついてきて!」
と言って、女の子は歩き出した。僕もついていく。
足裏から伝わる土の感覚が、何故だかとても心地よかった。
「ここ!」
女の子の後をついて行くこと数分。
僕は驚愕した。
まず、山の方へと進んでいたはずなのに、ここだけ木々が円状に無くなっていること。もう一つはその中心辺りにとても大きな――人が二人乗ることが出来るくらいの――石がぽつんと置かれていること。
何だか遺跡のような神秘さと、不可思議さを掛け持った場所だった。
「この場所はね、私が来たときからこうだったんだよ。不思議なところだよね。」
女の子はそんなことを言いながら、石の上に座った。
僕もそれに習って、座る。ここから、星がよく見えた。
持ってきていた紅茶を女の子に渡す。両手で抱えるようにカップを持って一口。やはり寒かったらしい。
「この紅茶、いつもより甘いね。」
しまった。そうだった。
「うん。ちょっと失敗しちゃって。ごめんね。」
「いいよ。それに、私はこのくらい甘い方が好きだし。」
「そうなの?じゃあ、今度からそうするよ。」
「ホント?ありがと。」
冷蔵庫の中の檸檬に別れを告げる。さよなら盟友。
紅茶を飲んでいると、急に冷たい風が吹いてきた。
僕は身震いした。そして持ってきたいた毛布を被ろうとしたそのとき、
「……………」
女の子がこちらを見ていた。しかも、ちょっと拗ねた顔で。
「えっと、何?」
「いーや、別に。うらやましいなんて思ってないから。ほんとに。」
僕はようやく女の子の考えている事が分かった。そして、同時に悪戯も思いついた。最初に会ったときの仕返しをしてやろう。
毛布の片方を持ち上げる。そして、勤めて真顔にする。よし。
「……僕と一緒でよければ、どうぞ。」
女の子は一瞬だけ見たことも無いような顔をしてから、そっぽを向いて毛布にもぐりこんだ。何だかかまくらみたいになっていた。
僕は笑いを堪えながら、星空を見上げた。
星が眩しいくらいに、輝いて見えた。
紅茶が残り少なくなってきたころ、星空に一つの筋か通った。
「あっ!」
思わず、声が出てしまう。
女の子もそれに気付いたようで、顔を見合わせる。
お互いに変な顔をしていた。
……願い事……願い事……
女の子がブツブツと何か言っている。やけに熱心に願っている。願い事が多すぎるのでは無いだろうか。
流れていく星を見ながら、僕も願い事を唱えることにした。
僕の、望んでいたこと。
僕が、あの日、星に願ったこと、
それは、もう、忘れてしまった。
―――――思い出せない―――――
「ねぇ、貴方は何を願ったの?」
女の子が尋ねる。僕はその答えを持ち合わせていない。
僕の口が何かを呟く。女の子はにっこりと笑って、
―――私はね……
☆
目が、覚めた。
いつの間にかうとうとしてしまっていたらしい。
徐々に今の状況が飲み込めてきた。
そうだった、不法侵入者のごり押しで天体観測をしていたのだった。
星空を見上げると、彗星は、まだ、上にあった。
その不法侵入者は……
僕にもたれかかるようにして、寝ていた。
言い出したほうが一番に寝てしまうのはどうなのだろうか。僕も寝てしまっていたけど。
取り敢えず、不法侵入者を寝かせておいた。
片方からの重さに解放されたとき、風が通り抜けた。
寒い。
本能的に毛布の存在を思い出した僕は、毛布を羽織ろうとして一つの衝動に駆られた。
そして、ためらった。
落ち着け。コイツは不法侵入者だぞ。何もそこまでしてやる必要はあるのか?僕の分を分けてまで?
そうして、僕は、
毛布を、不法侵入者に―――
目が、合った。
「……貴方も、星の狂気にやられてしまったのかしら?」
くすくすと笑う不法侵入者を見て僕はこう思うことにした。
全部、彗星のせいだ、と。
後篇に続きます。
後篇はもうしばらくお待ちください。