後篇になります。
これでこの作品は完結です。
では、ごゆっくりどうぞ
六、僕と読書と紅茶の時間
本。
それは僕らの生活に、スパイスを与えてくれる物だ。
作者の頭の中にある世界の境界が、ページをめくるたびに説かれていく。
それはとても気持ちが良い時間で、同時に人間の本能を刺激する。
そんな時間に何故―――
「この本、面白いわね。続きは無いの?」
―――何故コイツがいるのだろうか。
相変わらず甘い紅茶は、僕の気分を入れ替えてくれなかった。
不法侵入者が現れてから、しばらく経った。
不法侵入者の肩書きよろしく、気づいたらそこに居て、気付いたら居なくなっている。
何だか幽霊のようなやつだ。
そして、いつものように現れた不法侵入者はいつものように僕の邪魔をするのだ。
まったく、本ぐらい静かに読ませてくれ。
僕が心の中で不法侵入者を糾弾していると、不法侵入者はやはり笑う。その笑顔を保ったまま、こう言い放った。
「そうね……この甘い紅茶に合う、お供をくれたら黙っててあげようかしら。」
あまつさえ、脅してきた。
しかし、僕も不法侵入者が静かにしていてくれるのなら、茶菓子くらいの犠牲は払うことにした。それでも黙らなかったら、今度こそ窓から放り出してやろう。
何だか『走れメロス』みたいだなと思った。この場合、メロスは不法侵入者で、セリヌンティウスは茶菓子だろうか。これだと僕が邪知暴虐の王みたいじゃないか。それはどう考えても不法侵入者だろう。
そんなくだらないことを考えながら、僕は戸棚からビターチョコレートを取りだした。不法侵入者に苦い思いをさせたいのに、これじゃあまるで逆効果だ。苦いチョコレートも、甘く感じることだろう。
やっぱり、紅茶は檸檬が利いていないと駄目だと改めて思った。
不法侵入者に本の続きを差し出して、僕は本のページを再びめくりだした。
不法侵入者も静かに本を読んでいる。コイツも静かに出来るのだな。
本の内容はとてもシンプルだった。
主人公がいて、ヒロインがいて、悪役がいて……全てが魅力的なキャラクターとなって生きている様が堂々と映されていた。
分かりやすく描写されている日常風景。そんな中、水面下で進む悪役の陰謀。それを阻止する主人公。
僕には程遠い世界だなと思った。
ふと、不法侵入者の方を見る。
不法侵入者は開いたページのどこかを目で追いながら、紅茶を一口口に含む。ビターチョコレートもおいしそうに食べていた。
そんな不法侵入者と目が合った。
灰色の瞳が、心を透かす。
「どうしたの?そんなに私のことを見て。……本より私の方が気になるのかしら?」
確かに、眼は奪われた。
だが、気になっていたわけではない。断じて。
「必死になってるのも結構いけるわね。貴方はどんな味がするのかしら。」
不法侵入者の正体は喰人鬼だったらしい。舌なめずりをするのは止めてくれないか。身震いがする。
「冗談よ。」
そんなからかいも、心地よく感じた。
僕が本を閉じるとき、不法侵入者もちょうど読み終わったらしい。
二人で同時に、紅茶を飲んだ。
「ふぅ……面白かったわ、この作品。少しラストが気に入らないけど。」
その本の最後は確か、主人公をヒロインが離れ離れになってしまうはずだ。僕はその描写が結構好きで、気に入っていた。
不法侵入者はそのラストがお気に召さなかったようで、紅茶を煽っている。
「分かれてしまうなら、会いにいけばいい、終わってしまうのなら、また、始めてしまえばいいのよ。何故それが分からないのかしら。」
僕はそれでいいと思っていた。悲劇的な別れも、感動的な再会も、人々は面白いと感じるからだ。
時間とは、無慈悲だ。
楽しい時は終わってほしくない。でも、分かれなければならないときの方が、人生では圧倒的に多い。
僕達は、別れながら生きるしかない。
それが自分にとって、不幸なことでも、どんなに嫌でも、しょうがないことなのだ。
「……貴方には、分からないわ」
不法侵入者が何かを言おうとしていた、思わず顔を上げる。
不法侵入者の灰色の眼が、顔の影で暗く見えた。
そのときの不法侵入者の顔は、
何かを堪えるような、触れるならば壊れてしまいそうな、そんな表情をしていた。
――――永遠を望んだ人の気持ちは
その短い言葉を放った時間は、とても、ゆっくりと流れたような気がした。
不法侵入者が居なくなった後、僕はその時のことを考えていた。
不法侵入者はどのような思いであの言葉を放ったのだろうか。
永遠を望むということはどういうことなのか。
そんな思考が頭の中をぐるぐると回っていたとき。
僕は頭の片隅から、一つの記憶を掘り起こした。
☆
七、彼女と僕の読書な時間
時間の楽しみ方は、人それぞれだと思う。
ひたすらに知識を溜め込むのもよし、心に決めた誰かと一緒に過ごすのもよし、何もしないでただ休むのもよし。
自由な時間の中では、人は自由であるべきなのだ、
ぺらっ ぺらっ ぺらっ
白いカーテンの付いた大きな窓から覗く暗い雲。それから降っている恵みの雨が、地面を叩く音の間に、紙をめくる音が聞こえて来る。
僕は本を読んでいた。向かいに、女の子を添えて。
昨日、二人で魚釣りをしたからか、全身が疲労で包まれていた。
女の子もそうだったのか、珍しく「今日はおとなしく本でも読んで過ごそう」と言う話になったのだ。
それから、お互いにオススメの本を持ち寄って、それらを読み始めようとしたとき、頭の先に冷たいものを感じた。
僕と女の子は顔を見合わせたあと、広げていたいろいろなものを全て鞄に詰め込んだ。
今日は残念だけどこれで終わりかな。
僕がそう考えていたとき、片手に暖かいものが触れた。
「ついてきて!私のお家で雨宿りしよう!」
僕は彼女のなすがままに、手を引かれて行った。
数分後。
僕達が目的地につく頃には、冷たいものは徐々に間隔を短くしていって、最終的に大雨となってしまった。
女の子の家は、山の上――ちょうど天体観測をしたときの場所の近く――にあった。
さしずめ、富豪の別荘といった佇まいの立派な洋館だった。
「ついてきて」
女の子に先導され、玄関の扉を引く。
ずっしりと重い扉が、ぎしぎしと音を立てた。
その先には、一人の若い男の人が立っていた。女の子の父親だろうか。それにしても、随分若く見える。気のせいだろうか。
男の人は、こっちを向くと、驚いたような顔を見せた。
「おとーさん!紹介するね。これが例の『不法侵入者』だよ!」
『不法侵入者』とはなんだ。僕からすれば、女の子の方が『不法侵入者』なのだが。
「これは……この子がいつもお世話になっています」
「あ、えっと……こちらこそ、お世話になってます」
つい、緊張して変な物言いになってしまった。失礼ではなかったか。
「とにかく、この雨だ。やむまでゆっくりしていきなさい。後で部屋にお菓子を持って行ってあげよう。」
「ありがとうございます」
「ほら行こ!」
女の子がまた手をとってきた。すこし、はずかしい。
男の人は優しそうな、それでいてからかいを含んだような顔をして見送ってくれた。
やっぱり、血は絶えないものだな、と思った。
☆
ぱたん
雨の音と共に、本を閉じた。
頭に霧がかかったような心地よい疲労感を味わったあと、紅茶を流し込んだ。
こういうときには、甘いほうがいいな。
女の子の好みが、少しだけ分かる気がする。
女の子の進めてくれた本は、とても面白かった。
いつもの日常の中で、悪役の陰謀が水面下で進行する。それに気付いた主人公は、ヒロインと共にそれを阻止する。
女の子らしいな、と思った。
感想はなんと言おうか頭のなかで文字をかき回していると、女の子が本を閉じた。
僕が進めた本は『別れ』がテーマの話だった。
ひょんなことから仲良くなった二人が、様々なことを経験して、成長していく。その中で、二人の別れが近づいて行く。
最後の方は少し暗いかもしれないが、僕は結構、この話が好きだった。
「ねぇ」
女の子が口を開いた。本の感想を言おうとしているのだろう。
「『別れ』って、どんなことだと思う?」
僕はこの質問は、真剣に答えねばならないと、何処かで思った。
「……悲しいことだと思う。出来れば、来て欲しくない。」
女の子は少しうつむいたあと、こう続けた。
「私もそう思うよ。出来れば来て欲しくない。でも、必要なことなんだと思う。人と人とが出会って、『こんにちわ』って言い合うみたいに。」
ちょうどこの本みたいにね。彼女は目の前に、本をかざして言った。
「いくら楽しいときでも、悲しいときでも、『別れ』は必要なんだよ。誰かが『こんにちわ』と言ってくれた時に、『さようなら』と返さなければならないときだって、あるんだよ。」
僕の頭の中が糸が絡まったような状態になった。
『こんにちわ』に『さようなら』と返すときがある?
そんなときが、来るのだろうか。
少なくとも、僕には、まだ無い。
そうしないと 女の子は紅茶で唇を湿らせた後、続けた。
「そうしないと、物語が進まないから。」
僕は何とか、こんがらがった頭から、言葉をひねり出そうとした。
ようやく、口からこぼれたのは、
「……ピリオドを打ったのなら、また、始めればいいと思う。こう、番外編みたいな感じで」
何とも、情けない言葉だった。まったく、自分が恥ずかしくなる。
赤くなっているであろう顔を隠したくて、カップを手に取った。
女の子はきょとんとした顔をしたのち、急に笑い出した。
予想外の反応だったけど、僕もつられて、笑ってしまう。
雨の音が聞こえなくなるくらいに、笑いあった。
僕と女の子は、違う。
容姿や性格は勿論、流れ星を見ようとしたときの動機や本の好みだって違う。
だけど、確かに、僕はこのとき初めて、女の子の触れる事が出来たような気がした。
女の子がお手洗いで席を立ったとき、狙ったようにさっきの男の人が部屋に入ってきた。
持っているトレイからは、砂糖のこげたいい匂いがした。
「さっき言っていたお茶菓子を持って来たよ。悪いね、遅くなって」
「ありがとうございます」
「おや、紅茶は既にあったのか。被ってしまったな。」
「ちょうど、おかわりが欲しかったところなので、むしろありがたいです。」
「そう言ってくれると嬉しいよ。」
男の人がトレイから机の上にお菓子を下ろした。
そのお菓子は、上に砂糖を焦がしたような跡がある果物、――これは、リンゴだろうか。――が乗っていて、下に何かの生地が見える。
ばっさりと言ってしまえば、普通のフルーツタルトを二回、ひっくり返したような感じのお菓子だった。
「これは、タルト・タタンと言うお菓子だよ。君達にぴったりだと思ってね」
これが、ぴったり?どういうことだろうか。
男の人が片目をつぶって続ける。
「だめだよ、女の子に手を引かれてちゃ。君は男なんだから、女の子をエスコートしてあげなきゃ。」
とたんに、顔に熱が入る。タルト・タタンのリンゴに親近感を覚えた。
いつも手を引かれているわけではない、と言い返そうとしたが、身に覚えがあったので諦めた。
「でも、そんな君達はちょうどいいのかも、ひっくり返す事でいい味が出る、このタルト・タタンみたいにね。」
ひっくり返すことが、ちょうどいい。
僕と女の子の関係は、確かにいろいろひっくり返っていた。
主導権を握るのはいつも女の子の方だし、僕はエスコートなんてしたことが無い。
気恥ずかしくなって、紅茶を飲んだ。
男の人が淹れてくれた紅茶は、お菓子に合わせてか、甘すぎず、すっきりとしている。
それは僕の甘すぎる思考を切り替えるのに、十分な働きをしてくれた。
☆
いつしか雨は止み、オレンジ色の日が、窓から射していた。
僕は女の子と男の人にお礼を言って、お暇させていただくことにした。
「じゃあ、さよなら」
「うん、またね」
わざわざ出迎えに来てくれた二人を背にして、扉を押した。
なんだか、来たときよりも軽く感じた。
僕は扉を開けた後、立ち止まった。何故なら、
「うわぁ……」
空に大きな虹がかかっていたからだ。
「なにあれ!すごい!もっと近くで見たい!」
女の子が駆け出そうとする。
僕はここで先程食べたタルト・タタンの味を思い出した。
そして、僕は女の子の手を取ろうとして―――
―――こけた。盛大に。
おそらく雨のせいで地面が滑りやすくなっていたのだろう。
ひっくり返ることでちょうどいい。
お腹の中のタルト・タタンが笑っているような気がした。
☆
僕と不法侵入者の関係は、確かにひっくり返っている。
タルト・タタンなら僕が生地で、不法侵入者が果物だろう。
でも、僕だって、何か仕返しが出来るはずだ。
僕は立ち上がって、最初の仕返しをすることにした。
勿論、ひっくり返っていない普通のタルトを作るために。
☆
八、彼女は突然、別れを告げる
「今日で、お別れよ。」
僕が淹れた紅茶を飲みながら、不法侵入者が言った。
僕は目の前にいる人が何を言っているのか分からなかった。
お別れ?なにが?なにと?
わからない
僕の中にある何かが、考えることを拒んでいるような感覚がした。
不法侵入者が立ち上がった。
僕が瞬きをしたら、
僕の視界は、
天井を向いていた
つめたい手が、僕の首筋に触れる。
とても、きもちいい。
何が起きている
どうしてこうなった
下腹部辺りに、重さを感じる
それにどこからか、声が聞こえる
「つれて行っちゃおうかな」
そのことばが僕の頭を貫いたとき
僕はようやく
忘れていた一つのことを思い出した
☆
九、答えが運ばれてくる前に
女の子が来ない。
今日で連続して三日目だ。
少し前、女の子が珍しく来なかった。
僕は心配になって、家まで行こうとしたけど、失礼だと思って、止めておいた。
その次の日、女の子は何事も無かったかのように、ここに来た。
僕は昨日、来なかった理由を女の子に聞いてみた。
「う~ん………なんでもないよ!ほら、それより……」
ごまかされてしまった。
このときの僕は、『知られたくないことの一つや二つ、女の子にもあるのだろう』と思っていた。
しかし、その日を境に、女の子が来ない日が徐々に増え始めた。
どうしたんだろう。嫌われたのかな?僕が何かしたかな?
そんなことばかり、考えていた。
考えても仕方ない。女の子の家に行こう。
僕はそう決心して、女の子の家までの道を辿り始めた。
少し迷ったが、無事に着いた。
玄関の扉に触れる。
木で出来た重い扉が、いつもより冷たく感じた。
ノックをしてみる。
少し経ってから、この前の男の人が出てきた。
どこか、やつれているように見える。目の下にも隈がはっきりと浮かんでいた。
「ああ、君か……」
「あの、女の子は、どうしたんですか。ここ最近、来て無いので心配になったんです。」
男の人は、目を閉じて、息を大きく吐いた。
それは何かを伝えようとしている覚悟のようなものにも見えた。
その反応で僕は
「あの子は……」
女の子の身に
「先日……」
なにが起こっていたかを察した。
―――この世を去りました。
☆
僕は応接間に通されて、男の人が持って来てくれた紅茶を飲んだ。
酷く、苦い味がした。
「さて、何処から話したものか……」
男の人が紅茶で喉を潤すようにして、話し始めた。
「まず、俺のことからだね。実は俺はあの子の父親じゃない。」
それは大体分かっていた。父親にしては若すぎる。いとこか叔父と言ったところだろうか。
「彼女は生まれつき体が弱くてね。小さい頃は入退院を繰り返していたよ。最近は落ち着いてきたけど、いつ発作が起こるかわからないような状態だった。」
僕は驚愕した。そんな風には見えなかったからだ。
いや、女の子が努めてその姿を見せようとしなかったのだろうか。
そうだとしたら、少し、寂しい。
「彼女が小さい頃、酷い雨の日だったかな。突然、発作が起きて、両親が車で病院に連れて行こうとしたんだ。」
当時の状況が目に浮かんできた。
「そんな時……彼女を乗せた車が、曲がり角でスリップして事故を起こしたんだ。雨で滑りやすくなっていたのもあるだろうけど、スピードの出しすぎとして処理された。両親はその事故で二人とも死んでしまった。」
幼い女の子に起きた悲劇。僕だったら耐えられるだろうか。
「その事故で唯一、生き残った彼女は、その後、たらい回しにされた。うちの家計は代々、金持ちで経済的には問題なかったと思うけど……ここで邪魔をしたのが、あの子の容姿なんだ。」
確かに、あの赤い髪と灰色の眼は目立つかもしれない。でも、それだけで拒否されてしまうものなのだろうか。僕は、あの赤い髪は綺麗だと思ったのに。
「まぁ、彼女のお父さんが頭一つ飛びぬけて成功した人でね。その嫉妬も少なからずあったと思う。……その結果、僕が引き取ることになった。最初は、口も聞いてくれなかったよ。あの子には、苦労させられた。」
男の人は自嘲気味に笑みをこぼした。彼もまた、大変だったのだろう。
「まぁ、そんなこんなで時間は過ぎた。医療の技術も年々進歩していったけど、彼女の様態は、悪くなる一方だった。それで、いよいよ彼女の命日まで宣言されるくらいまでに来た。」
命日。
自分の命の残り日数。
後どれぐらい自分が生きる事が出来るかなんて、僕は考えたことも無かった。命は、僕が思っていたよりも近くにあるものだったのだ。
「彼女は落ち着いていたよ。こっちがみっともなくなるくらいに。そこで僕が何かしたい事はないかと尋ねたんだ。すると彼女はこう答えた。」
『別荘に、行ってみたい』
「彼女の父親と母親が出会った場所らしい。彼女はその場所のことをいつも聞かされていたみたいでね。その別荘がここなんだよ。」
二人にしては大きすぎる広さの家、何故か最初から置いてあった椅子。立ち入り禁止の看板。若かりし頃の女の子の父親と母親も、ここで時を過ごしたのだろうか。
「そこに君が居たんだ。」
男の人の指先が、僕のほうを指す。
「君がいると聞いたときはびっくりしたよ。『不法侵入者に紅茶をご馳走になってきた!』って言ったときは、心配になった。」
餌付けでもされたんじゃないかなってね。男の人は、笑った。
「そのときの彼女の顔は、とても嬉しそうだった。なにせ、同世代の友達が一人もいなかっただろうからね。彼女にとってはどれも新鮮な時間だったんだと思うよ。改めて御礼を言うよ。ありがとう。」
僕はそんなつもりでなかったので、少しだけ、申し訳なくなった。
ただ、女の子が少しでも楽しんでくれたのならそれでいい。
今は、そう思う。
「でも、彼女の様態がよくなったわけではなかった。彼女は発作と戦い続けた。一回、家に来た事があっただろう。あの時、お菓子を持っていくときに彼女から口止めをされたんだ。『余計なことは言わないで』って」
それが彼女なりの優しさだったのだろうか。今ではもう、わからない。
「そして、先日、彼女は発作を起こした。でもそれはいつもの発作と違って、静かなものだった。彼女が息を引き取る直前、何かを呟いていたよ。聞き取ることは出来なかったけど。」
彼女の命が燃え尽きる瞬間、彼女はなにを思ったのだろうか。
僕には、わからない。
「彼女の死は静かだった。まるで深い眠りに入ってしまったかのようだった。綺麗な最後だったよ。」
眠るように、死んでしまった女の子。それは僕に『白雪姫』を想像させた。でも、もう彼女はこの世にいない。それが強く、頭を揺らした。
「それで、ここからが本題。」
男の人はポケットから一つの便箋を取り出した。シンプルなようで、どこか気品を感じるデザインだった。
「これは彼女が君にあてて書いた手紙だ。僕は勿論のこと、内容を知っているのは彼女だけだ。読んで欲しい。」
僕はその便箋を受け取った。表面には何も書かれていなかった。
僕は栓代わりに貼ってあったシールを丁寧にはがして、中身を見た。
『 こんにちわ 不法侵入者くん。
この手紙を読んでいる頃には、私はもう、この世にはいないでしょう。
私が死んだら、【おとうさん】に渡して欲しいと頼んでいるので。
私はあなたに謝らなければならない事があります。
まず、このことを秘密にしていごめんなさい。
私の都合であなたに負担をかけるのが嫌だったの。
ううん、本当は違う。
私はあなたに出来るだけ鮮やかなまま覚えていてほしかったのかも。
これも自分のためだね。ごめんなさい。
あなたと過ごした日々は、とても楽しかった。
一人でやっていたことも、二人だと倍楽しくなることを教えてくれたね。
特に、天体観測をしたときのこと。
あの日、家を黙って飛び出してきたの。
それだけ楽しみだったの!
一緒に流れ星にお願いもしたね。
ねぇ、憶えてる?あの日、私が流れ星にお願いしたこと。
あなたと一緒でとても驚いたよ。
そのほかにもいろんなことをしたね。
全部、楽しかった。本当にありがとう。
私、死ぬのがあんまり怖くないんだ。どうしてだろうね。
何だかね、あの日の流れ星が助けてくれるような気がしてるの。
直接には叶えてくれなかったけどね。
あなたはこの前、言ってたよね?
【ピリオドを打ったなら、また始めればいい】って。
あの時は少し、馬鹿らしいな、と思ったけど、今はそうじゃない。
だから、この【別れ】も必要だったのかもね。
今は、そう思うよ。
さて、書く事がなくなっちゃった。
これで終わりにするよ。
最後に
紅茶をすすめてくれて本当にありがとう。
』
男の人が、口を開いた。
「最後に、お願いだ。彼女のことを、どうか忘れないでくれ。頼む。」
そういい残して、出て行ってしまった。
僕は気付いていた。
最後に何か書いて、消したような後があることを。
最後の方の紙は、よれよれになっていたことを。
僕は覚えている。
彼女と最初に会ったとき、『こんにちわ』と言ってくれたことを。
なのに
なのに彼女は
『さよなら』とは言ってくれなかった。
僕は不思議と、そのことを受け入れる事が出来た。
☆
十、そうして僕は、彼女を知った
「貴方が、言ったんじゃないの」
不法侵入者が言った。
「ピリオドを打ったなら、また始めればいいって。なのに……」
不法侵入者の目が若干輝いて見えた。そののち、水滴が頬に落ちてきた。
「……なぜ、貴方は、私のことを、忘れているの?」
彼女の髪が、僕の顔の横に、被さるようにかかる。
そのおかげで、彼女の顔が、よく見えた。
「貴方は憶えてる?あの日の流星群に、なにを願ったか。」
僕は、思い出した。
あの日、願ったことを、
それは紛れも無く、彼女と同じこと。
『この時間が、ずっと続けばいい』
やっと、思い出した。
「……思い出した。」
「……そう。」
「あの日の流星群は、僕たちの願いを叶えてくれたんだ。それも、すごく後に。」
「やっと、気付いてくれた。じゃあ、もう一つ。何故私は貴方の心が読めるのでしょうか?」
「……それは、分からない。」
「時間切れ!もう。私は心なんて読んでなかったのよ。」
ぎょっとした。どういうことなんだ。
「憶えているのよ、私は何回も、何十回も、何百回も、同じことを繰り返してる。」
同じことを、繰り返している。
流星に確かに願いは届いた。
ただしそれは、完全ではなかったのだ。
僕は、『この時間』の部分だけが叶った。結果的に彼女が住んでいた家に住むことになったし、そこで彼女のことを忘れないように努めた。
彼女は『ずっと続く』の部分だけが叶った。僕との一定の時間を繰り返して、文字通りそれが『ずっと続いた』
ピリオドが打たれたと思っていた物語が、『別れ』によって動きだしたのだ。
「あのね……」
彼女が震えている。額には、血管が浮かんでいるように見えた。
「何で私のこと忘れるのよ!何度もアピールしてたのに!」
「そっちだって!何で黙っていなくなろうとするんだよ!」
「それは貴方に負担をかけたくなかったからで……あなただって!わざわざあの日々と同じことを選んでやっていたのに!早く気付きなさいよ!」
「そ、それは……だんだん思い出していったというか……というか、貴方に負担をって、それもおかしいだろ!」
「なによ!私の手を取ろうとしてこけてたくせに!」
「お前だって!手紙に最後何を書こうとしてたか知ってるんだぞこっちは!」
「うるさいこの鈍感!唐変木!」
「なんだとこの変態服装野郎!」
「ぐぬぬ」
「ぐぬぬ」
不毛ないい合いをしたのち、僕たちはあの日のように、笑いあった。
目の前で笑っている彼女を見て、僕は自分の幻想がやっと終わったことを悟った。
これから彼女とどんな事が起こるのだろう?
彼女とどんなことをするのだろう?
空を泳ぐ彗星だけが、その答えを知っていた。
了
ここまでご覧になってくださった皆様、本当にありがとうございます。
もしよろしければ、感想、評価などつけてくれるとうれしいです。
新作はまだ未定ですが、また会うことがあったら、よろしくお願いします。
ではでは