オーバーロード ~たっち・みーさんがインしたようです~   作:龍龍龍

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酒場の冒険者たち

 

 向けられている視線は粘つくような、二人の価値を計ろうとするものだった。

 新参者に対する警戒をするのは当然のことだとたっち・みーは思っていたので、特に気にすることなく、まずはその宿屋の景色を観察する。

(ふむ……予想以上に汚いが……まあ、リアルならこんなものかな)

 そうたっち・みーが捉えたのは、宿屋の汚さだった。場末の酒場なら当たり前といえる清掃の行き届いてなさ。ひどく淀んだ臭い。そういったものが複合的に重なって、非常に大きな不快感を誘発している。

「……いまからでも、宿を変えますか?」

 その汚さにたっち・みー以上に辟易しているらしいモモンガがそう囁いてくる。

 実際、変えようと思えばそれほど難しいことではない。活動資金はガゼフを助けたことで十分以上にある。ガゼフからの報酬がカルネ村に届けられた時、そのあまりの大金にカルネ村の者が腰を抜かしたほどだ。ガゼフはきちんとたっち・みーとの約束を守り、十分な報酬を送って来ていたのだ。

 そういうわけでやろうと思えばもう少しいい宿に乗り換えることはできる。しかし、たっち・みーはその提案を却下した。こっそりと小声で、モモンガにしか聞こえないレベルで囁く。

「こういうところからのスタートもいいものじゃないですか。初心者に戻ったつもりでいきましょう」

「なるほど……それもそうですね」

 賛同を得られたたっち・みーは、店の奥へと進んでいった。その間にも視線はついて回っていたが、二人は気にしない。

 宿屋の主人と思われる傷だらけの屈強な男性に近づいた。男性はぎょろりとした眼で二人を見据える。

「宿だな。何泊だ」

 たっち・みーは少し考えて答えた。

「一泊でお願いしたい。ああ、できれば二人部屋で」

 宿の主人はぴくり、と眉を動かし、その視線は二人が首から提げているプレートに向いていた。

「……銅のプレートか。悪いことは言わん。相部屋にしておけ」

「なぜだ?」

 たっち・みーは素直に聞いた。客が二人部屋を望んだのに、なぜ相部屋を薦めるのかと純粋に疑問だったからだ。

 その瞬間、宿の店主はカッ、と眼を見開いた。

「少しは考えろ! そのご立派な兜の中はガランドウか!?」

 苛立ち混じりのその恫喝に、たっち・みーは特に強い何かを覚えなかった。子供が癇癪を起こして喚いた程度の感覚しか生じない。

「ふむ……そういえば、世の中には空っぽの鎧が動いているように見えるモンスターもいるらしいですが、ここにもそういうモンスターがいたりするんでしょうかね?」

 宿の店主を無視して、たっち・みーはモモンガの方を振り向いて言う。モモンガは話の水を向けられて、虚を突かれたような顔をした。そして、唸る。

「えーと、どうでしょう……? 天使がいたのだから、同じようにいてもおかしくはないと思いますけど……」

 たっち・みーはうまく機先を制することができたことに安堵する。いま、たっち・みーが声をかける一瞬前まで、モモンガはひどく冷めた眼を宿の店主に向けていた。

 もしたっち・みーが機先を制さなければ、加減はするだろうが〈絶望のオーラ〉あたりを放って店主を盛大にビビらせていたかもしれない。

 さすがにこれから一泊お世話になろうとしている宿の主にそういったことをするのは、たっち・みーの気持ち的に避けておきたかったのだ。

「おっと、失礼。話の途中だったな。相部屋を薦める理由、だったか?」

 宿屋の主人は自分の恫喝にビビらなかったことには感嘆しているが、あからさまに無視されたことに不快感を覚えている、という複雑な様子でたっち・みーの問いに頷く。

 たっち・みーは顎に手を当てて考えた。

「……そうだな。銅のプレートであることを気にしていたところからすると……宿泊料の問題か? 稼ぎが少ないのだから、安く済む大部屋にしておけ、ということかな?」

「冒険者組合で薦められた宿であることも踏まえて考えると、もしかしてコネクション作りが関わっているのでは? タツさん。ほら、冒険者組合で登録するときに訊かれたじゃないですか。お二人なんですか、って。一般的には4人から5人が適正パーティ人数みたいでしたし」

「ああ、なるほど。相部屋で泊まることで他の冒険者と接点ができ、バランスの良いパーティを組むことができるというわけですね。納得しました」

 たっち・みーがモモンガとの会話で答えにたどり着いたことに満足していると、店主がじっと二人のことを観察していた。

「……まあ、だいたいその通りだ。顔を売らなければ仲間なんざできないからな。それで、相部屋と二人部屋、どっちがいい?」

「ああ、わざわざ薦めてくれてありがとう。だが、二人部屋で頼む。食事の必要はない」

「……その全身甲鎧はお飾りじゃねえってか? まあいい。一日七銅貨だ。前払いだ」

 たっち・みーは懐を探って小袋を取り出し、中から銅貨を取り出して支払った。

(カルネ村で金貨を銅貨に代えておいてよかった)

 金貨で支払いをしなくて済んだのは、カルネ村という便利な村があったからだ。なりゆきで救った村だったが、結果的に良かったとたっち・みーは満足する。

 店主から部屋の鍵を受け取り、モモンガを連れて二階にある部屋にあがろうとしたとき――進行を邪魔する形で、足が投げ出された。

 たっち・みーは立ち止まり、足を出してきた男を何気なく観察する。

 薄笑いを浮かべたその男は、軽薄そうな目つきでたっち・みーを見ていた。同じテーブルについて酒を飲んでいる男たちも、だいたい似たような様子で、たっち・みーとモモンガを眺めている。

 店の主人や他の客で止めようとする者はいない。新人に対するいわゆる通過儀礼なのだろうとたっち・みーはあたりを付けた。現に、周りから注がれる視線の中には、一挙一動を見逃さないとする鋭いものも含まれていた。

(ふむ)

 たっち・みーは男の行為の意味をよく理解した上で、その男に向かって声をかける。

「すまないが、その長い足が邪魔で通れないんだが、どけてくれるか?」

 丁寧な物腰で要求する。足を投げ出した男は、不快げに声をあらげる。

「ああん? おい、そりゃ頼みごとをする態度じゃ――」

 たっち・みーは最後まで言わせなかった。

「――どけてくれるな?」

 周囲にいた者でも、感覚の鋭い者なら、そこに込められた若干の威圧を感じたはずだった。ましてやたっち・みーの威圧を真正面から向けられた男はひとたまりもない。

 ぴりっ、とする緊張感が男の全身を駆けめぐり、新人を牽制しようとしていた意思が根こそぎ奪われていく。

「……お、おう。わりぃ」

 おとなしく足を引っ込めた男に対し、たっち・みーは微笑む。

「ありがとう」

 そのあまりにあっけない結果に、黙っていなかったのは男の仲間たちだ。このままでは新人になめられたという風評が流れるかもしれないのだから、黙っていられないのは当然だが。

 そのうちの一人が酒の入ったジョッキを片手に持ったまま立ち上がり、たっち・みーの前に立ちふさがる。

「おいおいおい! なめてんのか? 俺たちは先輩だぞおい。新人ならもうちょっと態度つーもんがあるだろうがよぉ?」

 完全に酔っぱらっているのか、難癖というレベルではないことを言いながらたっち・みーに迫る。その足取りはいまにも倒れそうで、おぼつかない様子だった。

「……さすがに飲み過ぎなんじゃないか? そんなに酔っぱらっていては仕事にも差し支えるだろうに」

 純粋に心配になって、たっち・みーはそう忠告したが、酔っぱらいに道理が通用するわけもない。

「うるせー! すかしたこと言ってんじゃねえぞこら!」

 男は手を伸ばしてたっち・みーのマントを掴んだ。襟首を掴むような感覚だったのだろうが、薄汚れた手でマントを掴まれたということに、軽い不快感をたっち・みーは覚える。しかし酔っぱらいを真面目に相手にすることほどばからしいことはない。

(あー、窓口業務を思い出す……こういう人、頻繁に来るんだよなぁ……公務員だからってむやみやたらと絡んでくる人もいるし)

 そう思ったたっち・みーは、適当にあしらおうとしたが――背後で急速に大きくなる殺意を感じ、慌てた。このままではこの酔っぱらいは死ぬ未来しかない。

 しかも、あろうことか酔っぱらいはその強い殺意を何と勘違いしたのか、たっち・みーの背後……モモンガの方を見て、だらしなく相好を崩した。

「おぉ……いい女連れてんじゃねえか。そっちの姉ちゃんが一晩酌してくれるつーなら、許してやらなくも……」

 何を許される必要があるというのだろうか。冒険者だというのなら、命の危険が目の前に迫っている危機に気づいてほしい。

 たっち・みーは密かにため息をつき、前に出てこようとしたモモンガを片手をあげて制する。

「……仏の顔も三度まで。私は何度も忠告したからな」

「ああ?」

 たっち・みーは静かに特殊技術を発揮する。

(〈剣気I〉)

 瞬間、男が手に持っていたジョッキが跡形もなく爆散した。幸いというべきか、持ち手部分は爆散しなかったし、怪我をするほどの爆発ではなかったが、その衝撃は酔っぱらいの頭をぶん殴るのと同じくらいの破壊力があったようだ。

「……ほへ?」

 男は持ち手だけになったそれを不思議そうな顔で見つめる。たっち・みーは静かに言った。

「次は、お前の頭がそうなるぞ? とりあえず――手を離せ」

 わざとらしく若干の殺意を込めていう。実際は〈剣気〉という特殊技術は敵が手に持つ低位の武器や通常のアイテムを破壊することができるだけのもので、人の体自体に悪影響は与えられないのだが、効果は覿面だった。酔っぱらいの頭から一気に血の気が引いた。

 酔っぱらいの頭でも目の前のたっち・みーが何かをしたことでジョッキが爆散したのはわかったのか、大慌てでマントから手を離す。たっち・みーは掴まれていた部分のマントを軽く叩いて皺を伸ばした。

「酒は美味しいものだが、冷静な判断力を失うまで飲んではいけない。酒は飲んでも飲まれるな、ということだ。わかったか?」

「は、はい……すみませんでした……」

 男はすっかり萎縮した様子で、すごすごと引き下がる。それから、たっち・みーは三枚ほど銅貨を取り出し、店主に渡した。

「店の備品を壊してしまったから、その代金だ。悪かった」

「……おう。律儀だなあんた」

 店主はそう言って銅貨を受け取る。

 さて、今度こそ部屋に行こうとたっち・みーがしたとき――

「おっきゃああああああああ!!!!」

 唐突にそんな奇妙な悲鳴が酒場に響き渡った。

 たっち・みーがそちらを見ると、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった女性の冒険者が、頭を抱えて叫んでいる。その女性の前におかれたテーブルの上には、何かが割れて内容物が散乱しているのが見えた。

「なんで!? なんでいきなりポーションが割れたの!? うそでしょ!?」

(あ。しまった)

 たっち・みーは理解した。どうやら〈剣気〉が影響を及ぼす範囲が思ったよりも広かったようだ。ユグドラシル時代には相対した相手に影響を及ぼすだけの特殊技術だった。

 放っておくこともできたが、きちんと特殊技術の影響範囲を確認しないままに使ったのは自らの失態だ。他に被害がでていないか酒場内を見渡したが、絡んできた酔っぱらいとその女性以外に、手に何かを持っていた者は幸運にもいなかったようだ。

 たっち・みーはその場にモモンガを待たせ、女性に近づいた。女性は短くざっくばらんに切っている鳥の巣のような頭を抱えたまま、ぶつぶつと恨み言を呟いている。

 その様子は少し不気味で、たっち・みーが声をかけるのを思わずためらうほどだった。

「……あー。すまない。どうやらこちらの争いに巻き込んだようだ」

「……っ!」

 ぎろり、とその女の目がたっち・みーの方を睨む。かすかに涙の浮かんだその眼には不思議な迫力があった。もちろんそれでたじろぐようなたっち・みーではないが、女性を泣かせた罪悪感は大きかった。

「ポーションは普通の治癒のポーションか?」

「……そうだけど」

「代わりのポーションを出そう。それで許してくれ」

 そういってたっち・みーはマントの影でこっそりアイテムボックスを開き、ポーションを取り出す。取りだした治癒薬は下級のものだったが、駆け出し冒険者が薦められるような宿にいる冒険者のレベルを踏まえ、あまり上質なものを出すのは逆にまずいかと考えたのだ。

 差し出されたポーションを、女性はぶすっとした顔で受け取る。

「これで問題はないな?」

「……ええ、ひとまずは」

「悪かったな」

 たっち・みーはもう一度そう短くわびると、モモンガを連れて宿屋の二階へとあがっていった。

 たっち・みーとモモンガの姿が二階に消えると、酒場の中は新参の二人組に関する話題でざわめきだした。

「腰が低いというのとは違って、なんつーか、まさに格が違う、って感じだったな……」

「なんでジョッキが爆散したんだ? なにかの武技か?」

「お、女の方の様子を見てた奴いるか? すげえ怖かったぞ……なんつーか、殺気が……」

「剣と盾くらいしか武装がなかったけど、ありゃ相当な腕前だな」

「でも盾にも鎧にも傷一つなかったぜ? さすがにありえなくねーか。貴族のボンボンの道楽って考えた方が納得するんだが……」

 そんな二人組への興味の言葉が飛び交う応酬の中、宿の主人は先ほどたっち・みーからポーションをもらった女性に近づいた。

「おい、ブリタ。なんだそのポーションは?」

 女性――ブリタは手にしていたポーションを不思議そうに見ている。

「……なんだろう? おやっさんもこんな色のポーション見たことない?」

「ああ、ないな」

 そのポーションは赤色をしていた。ブリタが失ったポーションは青色をしていて、それがこの世界の中では一般的なポーションだった。

 赤色のポーションなど、噂にも聞いたことがない。

「明日にでも鑑定してもらいに行ってみる。もしかしたらなかなかの逸品かもしれないしね。そしたらポーションを割られた甲斐もあったってものだけど……」

「おう。それなら俺がその鑑定料持ってやるよ。一流どころも紹介してやる。代わりに俺にもそのポーションの効果なんかを教えてくれや」

 宿の主人はあの新参者の二人のことが気になっていた。強者の雰囲気はあるがどこかつかみ所がなく、強者にありがちな傲慢さもなく、わざわざ破損させた備品の弁償までしていくような存在。甘いというべきか真摯というべきか。どう判断したらいいものかわからない。

 そんな存在が渡したポーションに、宿屋の主人は何かを感じ取っていた。

「どうせだから、最高のポーション職人に持っていけ。かのリイジー・バレアレのところにな」

 ブリタは素直な驚きを表す。

 リイジー・バレアレといえば、この都市最高の薬師の名前だ。そんな薬師を紹介してもらうとなれば、ブリタにそれを断る理由はない。

 

 そんなブリタを、酒場の天井の隅から不可視のエイトエッジ・アサシンが見張っていたのだが――その場にいる誰も、その存在に気づくことはなかった。

 

 

 


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