通信の切れたモニタから目を離すと、防空棲姫は眉をひそめた。
「しかし、証拠をどう手にいれるかです。証拠が無ければ条約違反で全面戦争になってしまいます」
レ級組組長が肩をすくめた。
「構わないじゃないですか。小さな海境侵犯は日常茶飯事だし、今度も姑息な手をチマチマ使いやがって・・」
「我々が条約を破棄して海底国軍に攻撃を始めれば年単位の大戦争になり、彼等は堂々とウイルスを使うでしょう」
「・・・無駄な犠牲が広がるだけ、ですか」
「決して面白くはありませんが、そうだと思います。あと、先程の話で2つハッキリした事があります」
「なんでしょう?」
「1つは彼らのウイルスが深海棲艦にも感染し、風邪に似た症状を示す事」
「・・・」
「もう1つは彼等は既にその対抗手段も持っている、という事です」
「・・治療薬、あるいはワクチン、か」
「製薬プラントがあるはずです。あれだけの兵員に摂取または携行させるのですから」
「作り終えたから決行に移した、という事ですか」
「あるいは必要分は整った、残りは作戦遂行中に作る、という可能性もありますね」
「確かに。海底国軍の気の短さを考えればそちらの方が正しそうですなぁ」
防空棲姫は少し考えた後、控えていた3課の課長に向き直った。
「3課長さん」
「はっ!」
「情報収集をお願いします。彼らの製薬プラントがどこか見つけてください。手がかりだけでも構いません」
「他所の3課に協力を依頼してもよろしいですか?」
「構いません。迅速な対応を求めます」
「かしこまりました!」
3課長が部屋を出ると同時に、通信機がアラームを鳴らした。
「浮砲台組長殿からの通信要請です」
防空棲姫は元老院の面々と頷きあった。
「すぐに繋いでください。新しい情報が入りました」
3月3日昼、ソロル鎮守府
「・・これで、人間と艦娘を狙った生物化学兵器という事がハッキリしたね」
提督は穏やかに返事をしたが、同じく浮砲台組長の報告を聞いていた面々は怒りに震えていた。
浮砲台組長は頷いた。
「付ケ加エレバ、我々ニモ感染スルヨウデス」
提督の表情が曇った。
「そろそろ大和さんも発症する頃だし、皆の治療薬をどうやって作るかなぁ・・」
長門が提督に声をかけた。
「情報が得られたのだ。専門家の意見を聞いてはどうだ?」
「そうだね。長門、東雲組と、工廠長に医療妖精を連れてきてくれと伝えてくれ」
「任せろ」
「っと、龍田」
「はぁい、山甲町にも伝えておくわね~」
「向こうから何か報告は?」
「体制は整えてくれたそうよ。情報は特に無いわ」
「各国のニュース等にも変化は無いか?」
「特に関係のあるようなニュースは無いわねぇ。世間は普段通りとしか・・」
「そうか・・まぁ軍の外が平和なら何よりだ」
同時刻、大本営郵送室。
大和は呼吸を意図的に深く、ゆっくり、静かに行っていた。
その方が咳が出にくいからだ。
「うっ・・ケフッケフッ・・・ゴホッゴホッゴホッ・・フー、フー、フー・・」
「だいぶ辛そうですね・・横になりますか?」
「だ、大丈夫です。椅子にじっと座っていれば・・マスクもありますし」
「机の上を片付けてくっつければ1組くらい布団が引けます。頼んでおきますよ」
「でも、貴方は床に寝袋で寝てるのに・・」
「私の事は良いですから。それより、お水を飲みませんか?」
同時刻、山甲町山下食堂。
「いらっしゃいませぇ」
「天ぷら蕎麦ちょんだい。大盛りね」
「あいよ、好きな席にどうぞ~」
「そこに居るよ~」
店のおばちゃんに手で軽く合図しながら、男は先に来ていた友人の隣へと腰を下ろした。
「よぅ聞いたか?ツアルコフ海運は取引先全滅だとよ」
「あぁ。北海道はいよいよキナ臭くなってきたな。もう情報すら入ってこねぇ」
「ツアルコフの連中はサハリンルートを捨てて北海道に特化したばかりだったからな、運が無ぇよ」
「俺は東南アジア専門で良かったよ。お前もインド洋方面だから影響ねぇだろ?」
「あぁ。だがツアルコフの連中見てるともう1本くらい持っとくかなって思うぜ」
「まぁ今回の異変は北海道だけらしいからなぁ」
「・・それがそうでもないんだな、これが」
「どういうことだよ」
「津軽湾を警備する艦娘連中の数が減ってるらしい。そいつは通りやすいって喜んでたけどよ」
「・・本州に来てるって事か?」
「他に何が考えられるんだよ」
「なぁ、お前はあの話乗るか?」
「騒動が治まるまでイタリアに逃げようって奴か?いつまでかも解らねぇのにか?」
「でもよぅ、本州に来たって事はここだっていつかは来るだろ?」
「来るかどうかは解らねぇが、俺の懐がお寒いのは間違いないからな」
「こっちだってバカンスしゃれ込むほど余裕はないけどさぁ」
その時、ほかほかと湯気を立てる丼が置かれた。
「あいよ、天ぷら蕎麦大盛りお待ちどうさま!」
「ありがとっ・・・それに、俺はこの天蕎麦が大好物だからよ」
「けどよ、ウッディルーパーの連中は昨日逃げ出したぜ」
「本当かよ・・マジでイタリアくんだりまで行ったのか?」
「それが燃料に余裕がねぇからってカリマンタン島だと。俺の得意先より近いっつーの」
「しょっぼ。情報がなくて逃げるべき時に知らなくて詰んじまうってオチじゃねぇ?」
「だよな」
男は箸入れから箸を取り出すとぺこりと頭を下げた。
「とりあえず俺はテッドに任せるよ。頂きますっと」
3月4日夕方、キッチン「トラファルガー」
「ふえっ!?何それ?」
たまたまファッゾとライネスが話していた事を耳にしたビットは目を見開き、声を上げた。
二人は振り返った。
「ん?なんだ、知らなかったのか?」
「今日ずっと、町が騒がしかっただろ?」
ビットは肩をすくめた。
「昨日からバカみたいに修理依頼入ってたから町なんて行けなかったの。おかげで食事は全部レーションだし」
「修理依頼?こんな時に誰から?」
「あー、まぁ、お得意さんなんだけどね」
ビットは言葉を濁したが、依頼主は夕張会のレイであった。
「詳しくは言えないけど、ちょっとクリティカルな事態なのよ。ごめんね。協力してくれないかな?」
珍しく丁寧な口調だと思ったら、その日の午後届いたのが10tトラック1台分の故障品。
「全部修理して、3月5日中にうちに着くように送ってね。よろしく」
依頼書を要約するとそういう事だった。
「2日弱でこれ全部?!ちょっとレイさん冗談じゃないわよー!」
ビットが絶叫する横でアイウィは目を輝かせていた。
この閑散期に嬉しい大量受注!助かった!
というわけでビットは死に物狂いで修理するハメになったのである。
そして先程荷物を送り出したので、アイウィと共に食事と休憩を兼ねてトラファルガーに来たという訳だった。
仕上げてしまうのはさすがだが、仕上げてしまうから余計オーダーが酷くなる事に気づかないのがビットである。
ファッゾは肩をすくめた。
「まぁ、もしかしたらビットにも何か依頼が行くかもしれないな。何せ町ごとチャーターされてるからな」
「えっちょっと待って。少しくらい休みたいんだけど」
「俺に言うなよ。それに来るかどうかも解らないよ。可能性の話だ」
アイウィは水を飲みつつ思った。
そりゃまぁ、レイさんが事情を言える筈も無いか。
でもそんな状況なら、下手にばりっちを外に出さない方が良い。
人の多い電気街なんて論外だ。
ばりっちにはまずたっぷり寝てもらおう。
その後、今うちで預かっている品の棚卸に付き合ってもらおう。
なにせ膨大で、死ぬほど時間がかかる作業だから後回しにしていたのだ。
軍の報酬は良いし、あれだけの量をこなせば数ヶ月は仕事がなくても生きていける。
店は棚卸につき臨時休業としてしまおう。
これで外との接触を断てる。
アイウィはそっと窓の外に手を合わせた。
レイさん様々だ。ばりっちは私が守ります。