翌朝。
「ほっ本当だ!本当にこの磯風が焼いたのだ!」
そう磯風が答えると、全員の視線が鹿島に集まった。
鹿島は力強く頷いた。
「検査済です!大丈夫です!」
ぶるぶる震える手でフォークをつまんだ風雲が言った。
「い、いい、頂きます!」
「やー、なんでしょうねぇ」
「こんなにスリリングな気持ちで目玉焼きを頂く日が来るとは思いませんでしたねぇ」
「でもすっごい達成感あるー」
「普通においしかったですよねー」
そう。
磯風が鹿島監修の元で初めて作ったのは「目玉焼き」であった。
しかし、である。
「まさか目玉焼きがこんなに奥深いとは思わなかったな」
という感想の通り、磯風は皆に供せる目玉焼きとなる前に4回ほど失敗していた。
「テフロンのフライパンは赤熱するまで炙ってはいけなかったのだな」
磯風のこの一言に1ミリ秒で風雲が突っ込んだ。
「待って磯風。鉄のフライパンでも中華鍋でもダメだよ!」
「そうなのか?阿賀野がチャーハンは強火力で手早く行うのが命と言っていたのだ」
「だからと言って赤熱するまで炙っちゃダメ!」
「鹿島にもそう言われた。そうか、違ったのか・・」
リットリオは鹿島に囁いた。
「朝から・・大変お疲れ様でした」
鹿島は力なく頷いた。
「まさか卵の殻ごと真っ赤になってるフライパンに放り込むとは思わなかったよ」
「そこから今朝の食卓に出てきた綺麗な目玉焼きになるまで導いた鹿島さんは凄いと思います」
「・・そう?」
「ええ。尊敬しました」
「・・そっかぁ・・えへへへ」
「鎮守府の平和の為、今後ともよろしくお願いいたします」
「うん、鹿島さん頑張るよ~」
リットリオは頷いた。
磯風は導く者が居れば大丈夫だ・・アレンジしなければ。きっと。多分。恐らく。
そして。
「お世話になりました」
リットリオが研修を終え、帰る日がやってきた。
迎えに来たのは日向だった。
そして、この日の光景は普段とは少し違っていた。
「やっぱり嫌ですぅ、ちょおっと!あとちょっとだけ一緒に居て~」
と、リットリオの右手を引っ張るのが風雲で、
「ねぇねぇ、あ、明日予定が入ってる訳じゃないでしょ?も、もう1日!は、半日でも一緒に居ない?」
と、リットリオの左手を引っ張るのは鹿島だったのである。
「あー・・ええっと・・」
リットリオが困っていると、鹿島の手に手刀が落とされた。
「あうっ・・うぅ、香取姉ぇ痛いよぉ」
「痛いじゃありません。講師がそんな事でどうするのですか」
「うぅ・・」
ぐいぐいと二人を下がらせた香取は、そっとリットリオに微笑んだ。
「リットリオさん、あなたは充分に研修で必要な単位を修められました。そして・・」
「?」
「妹が大変お世話になりましたこと、改めて御礼申し上げます」
そう言うと、香取は深々と頭を下げたのである。
「ええっ!?い、いえ、私は別に何もしてませんよ」
「リットリオさん、自信を持ってお戻りください。今の貴方の振る舞いは周りを救います」
「・・・」
「それは普段であろうと、海戦の最中であろうと、とても大きな力となるでしょう」
「・・」
「鹿島を、風雲さんを、そして磯風さんを導いたことを、忘れないでくださいね」
リットリオは香取をじっと見つめていたが、ぺこりと頭を下げた。
「最初からご迷惑をおかけした私に、最後まで手ほどき頂いた事、このリットリオ、生涯忘れません」
リットリオは鹿島に目を向けた。
「鹿島さん、ごめんなさい。風雲さんは既に解っていたようです」
「・・あちゃー」
「紅白饅頭、間宮さんも作れないか聞いておきますね」
「あ!それ嬉しい!お願い!」
「はい。それから朝潮さん、いつも的確なアドバイス、ありがとうございました」
「リットリオさんは察しが良かったので楽でした。道中お気をつけて」
「ええ。それから風雲さん」
「・・うん」
「1ヵ月後、私がお迎えに来ます」
「ふえ?」
「一緒に鎮守府に帰れる日を、楽しみにしてますね」
「・・うん、うん!私頑張る!」
「最後に、磯風さん」
「うむ」
「・・・調味料はちょっとずつ、味を見てから入れていきましょうね?」
「あ、あぁ、そうだな・・・それかぁ・・・」
磯風が苦笑しつつ、恥ずかしそうに頭をかいたので、皆の間でくすくすと笑いが起きた。
リットリオはそっと一歩後退すると、岸壁から町を眺めた。
利根も、朧もやった事。
今ならどうしてやりたかったのか、痛いほど解る。
ハチャメチャな2ヶ月だったが、自分は確かに2ヶ月、この町で過ごしたのだ。
肉屋のおじさんの顔も、
洋服屋のお姉さんの顔も、
クレープ屋のおばさんの顔も、
和菓子屋のおばあちゃんの顔も、
牛乳屋のおじさんの顔とリヤカーも、
出会うと必ず敬礼をしてくる山賊の人達も、
キッチン「トラファルガー」のライネス達の顔も、
ブラウン・ダイヤモンド・リミテッドのファッゾの顔も、
瞼の裏に描けるくらい、覚えている。
愛すべき町、山甲町。
そこから今、私は居なくなる。
もう二度と、こんなに長居する事は叶わないだろう。
リットリオは目を瞑った。
ぎゅっと、ぎゅっと目を瞑った。
1つ、2つ。
大きく呼吸をした後、目を開け、町に向かって深々と頭を下げた。
「ありがとう、ございました」
横に並んだ日向が囁いた。
「後1時間くらいなら、出発を遅らせても構わないぞ?」
リットリオは首を振った。
「離れられなくなりますから」
「そうか」
リットリオは最後に香取達に向かってひらひらと手を振った。
鹿島が声をかけてきた。
「リッちゃん!ダメだよ!泣いてお別れはダメだよ!」
そう言われて初めて、リットリオは自分の頬を伝う涙に気がついた。
ぐいと右腕で涙を拭うと、リットリオはニコッと笑った。
鹿島達が頷いた。
「その調子だよ!じゃあねリッちゃん!」
「はい!では皆さん!また今度!」
「またねー!」
外洋に出た後、日向は少し速度を落とし、後に続くリットリオに寄り添った。
リットリオは少し俯き加減に進んでいた。
「・・よく頑張った、リットリオ」
「・・・」
「もう町からは見えない距離だ。大丈夫だ」
「うっ、う・・うー」
「泣いておけ、誰にも言わぬ」
「うわぁああああん!寂しいよぉぉおおお!うわあああん!」
棒立ちでわんわん泣くリットリオを、日向はそっと抱きしめ、背中をぽんぽんと叩いた。
その夜、リポートを読み終えた龍田は微笑んで頷いた。
「練習巡洋艦のお二人が本領発揮、か。当初の案よりよほど良い状況になったわぁ」
そう。
龍田は当初、山甲町の家を龍田会常設軍の隠れ拠点にしようと考えていた。
だが、二人の導きは本物だと妙高が太鼓判を押したので、龍田は方針を切り替えた。
元々ソロル鎮守府は軍事拠点であり、艦娘が居る事はおかしくない。
ならば一人一人の能力を大本営の想定を遥かに超えた所まで上げ、皆に余裕を持たせる。
そうする事で自由に動ける余地を作り、仮想的な常設軍を内包してしまおう、と。
この事は既に香取達にも伝えている。
名目ではなく、きちんと予算をつけるので存分に教育を施して欲しい、力を注いで欲しいと。
嬉しそうに返された香取の声をまだ覚えている。
とはいえ、こうした事は提督には一部しか伝えていない。
それはタダでさえ提督が考えねばならない事が山積しているからだ。
龍田はそっと、左手薬指の指輪をくるくると回した。
「ちょっとは理想に近づくお手伝いが出来てるかなぁ・・ねぇ、あ・な・た」
ひとしきり指輪を眺めていた龍田は、やがて次の書類を手に取ったのである。
おしまい、です。
長編は80話以上だってどこかのばっちゃが言ってたから79話は短編。
セーフセーフ。
さて。
本章は日常をテーマにした為、起伏があり過ぎないように出来事を調整するのが大変でした。
リアルでもそうですが、大きな事件があってエキサイティングに動く展開の方が、あまりディティールに凝らなくてもそこそこ読める物になるのです。
なので地味に大変でした。
本章の伏線は「龍田の日常」です。
前作にて鎮守府創世記の龍田には触れましたが、近代の龍田は完全に裏方というか、描写を避けてきました。
それはこういう人達との外交に忙しかった為ですが、では実際どんな事をやってるのか、という点を補おうと思ったのです。
龍田会は他の鎮守府とも連携しており、山甲町以外とも付き合いがあります。
毎日多忙を極める龍田がどんな思いで動いているのか。
龍田の原動力は、実は文月と非常に近かったりします。
その辺りが描ければと思ったのですが、これからという時に私の環境が突然変化してしまい、それゆえに後半のシナリオがかなり突貫工事になってしまいました。
そのせいで騒ぎが起きてしまった事は残念でなりません。
とはいえ。
なんとか完結まで運ぶ事が出来ました。
4月初めに尽きる筈だったのにここまで伸びたのは鹿島さんとリットリオさんのせいです。
意外と書きやすかったのと、もうちょっとこんな事もさせておきたいな的に話が広がってしまいました。
まぁ私の話が長いのは仕様ですから諦めてください。
では、この辺で。
温かいコメントをくださった皆様に、
高い評価を投じてくださった皆様に、
お気に入りに入れてくださった皆様に、
厚く御礼申し上げます。
ちなみにリアルの私ですが、毎日忙殺の一言です。
当分何かを書く余裕なんて無さそうです。
でも皆様から、面白かったよとコメントが入っていたら、
もしかしたらこの先、手が空いた時に、次章なり、次作なり、
何らかの形でご恩返しをしようという気になるかもしれません。
(なっても時間が取れなかったらごめんなさいですけどね)
色々思う事はありますが、本当に際限が無くなってしまうので。
それでは、皆様。
今まで2年以上もの長い間お付き合い頂き、
本当に、本当にありがとうございました。