エンジンの切られた静かな車内には、蛇又と深海棲艦の2人だけが残された。
2分・・3分・・
部下達が戻ってくる様子は無い。
外から小鳥のさえずりが聞こえてくる。
蛇又は何気なく深海棲艦達を見た。
視線に気づいたのか、2体は蛇又をそっと見返した。
・・もしこの深海棲艦が凶暴な存在なら、この隙を突いて俺を攻撃し、逃げる事も出来るだろう。
そうしないという事は、危険性は無いという事じゃないのか。
蛇又は口を開きかけて、閉じた。
言葉を交わす事は、踏み込んではならない領域のような気がしたからだ。
だが、それは長年の疑問でもあり、ついに蛇又は口を開いた。
「お前達は・・地上で何がしたかったんだ?」
2体は互いに顔を見合わせ、そっと答えた。
「・・誰とも戦わず、ひっそりと生きていきたかったんです」
「もう、戦うのも、血の海も、見たくなかったんです」
「・・そうか・・そうだな。気持ちは解る」
聞かなければ良かったと、蛇又は思った。
この二体が口にした事は真実だと、自分の勘は告げていた。
二体は住んでいた町で何一つ犯罪を犯していなかったし、真面目に会社で働いていたのだ。
「お前達を連れて行くのは、心苦しいよ」
思わず口をついて、そんな一言が漏れてしまった。
「えっ・・」
「あの・・」
きょとんとする二人の視線に耐え切れず、蛇又は窓の外へと視線を逸らした。
・・・それにしても、部下が誰一人として帰ってこない。
蛇又はじわりと汗をかいていた。
自分も予想以上に尿意が大きくなっている。
誰か一人でも帰ってきてくれたら、すぐにでも飛び出したい。
足をとんとんと踏み鳴らし、頭をかき、きょろきょろと首を回す。
・・来ない。
そろそろ我慢の限界だという時、2体がそっと声をかけてきた。
「あの・・大丈夫ですか?すごい汗ですよ」
「ん・・いや、その」
「お顔の色が優れませんけど、どこか具合が悪いのですか?」
蛇又はその時、なにかがふっつりと切れた。
これから酷い目に遭う子達から、その場所に連れて行く自分が心配されている。
蛇又は初めて、職場を少しだけ放棄した。
その優しさに触れている事が、あまりにもいたたまれなくなったのである。
護送車から転がり出るように降りると、コンビニの店内に向かって行った。
「!?」
蛇又はそこで、部下が帰ってこない理由を理解した。
まだ列の中ほどで並んでいたのである。
コンビニの1箇所しかないトイレは、先に乗りつけた車のドライバーや同乗者が列を成していた。
「・・・おぉ・・・」
並んでいる部下の顔色は真っ青で、既に虚ろな目をしている。
一般市民の前で醜態を晒すわけにはいかない。
蛇又はとっさに軍の所属証を取り出すと、コンビニの店員に見せた。
「すまない。海軍の者だがどうしても至急、用を足したい。何か策は無いか?」
コンビニの店員は蛇又だけに聞こえるよう、そっとレジ後ろの扉を指差しながら言った。
「あのドアの裏に事務所があって、その奥に従業員用のトイレがあります。どうぞお使いください」
「すまん。恩に着る」
蛇又は目立たぬよう部下を連れてくると、一目散に事務所へと駆け込んだ。
「あ、危なかったです」
「班長のおかげで助かりました」
「全員スッキリしたか?」
「はい!」
蛇又は時計を見た。5分も全員で席を外してしまった。
「俺は先に戻るから買い物を済ませたら戻ってこい・・あー、少し多めに買ってやれ。な?」
「解りました!」
コンビニを出た蛇又が表通りを見ると、道を塞いでいたトレーラーが走り去る所だった。
多少側面が凹んでいるものの、どうやら自力で道路に戻れたらしい。
良かった。このぐらいのタイムロスなら影響はないだろう。
ほっとしつつコンビニの裏に戻ると、隣の幼稚園バスは居なくなっていた。
「・・ふむ」
幼稚園バスの運転手も用を足せたのだろうか。
そう思いながら護送車の扉を開けると、室内はムッとするくらい暑くなっていた。
その奥で二人が相変わらず小さく座っているのが見えた。
「すまなかった。暑かったか?」
蛇又はそうニ体に声をかけたが、ぐったりした様子で返事はなかった。
熱中症になったか?
そう考えかけて、蛇又は苦笑いをした。
深海棲艦が熱中症だとして、どうやって助けてやれば良いんだ?
そもそも助けても拷問で死ぬまで苦しむのだから、いっそ熱中症で死んだ方がマシなのではないか。
その時、部下がどやどやと帰ってきたので思考を中断して部下に言った。
「長居をしてしまった。出発するぞ」
その日の夕方。
「蛇又班長・・どういう事ですか」
「思い当たるタイミングはあるが、手段も相手も解らんな」
ようやく研究所に辿り着いた一行は、施錠エリアに立ち入って初めて気がついた。
連行した2体だと思っていたのは精巧な、しかも小さく身動ぎをする機能があるマネキンだった。
確かに我々は5分ほど護送車を空けてしまった。
しかし、車自体も施錠し、施錠区画の錠は鍵無しで5分やそこらで開けられるような代物ではない。
だからこその油断だったが、一体どうやったのだろう。
「蛇又班長・・何がおかしいんです?」
研究主任が苦々しげにそう言い放った時、蛇又は自分が微笑んでいる事に気がついた。
・・・ああ、そうか。
蛇又は理解した。
自分は深海棲艦が、この研究所に来なくて済んだ事を喜んでいるんだと。
艦娘の為の兵装や艤装開発をし、人類最後の砦になっている881研は自分にとって誇りだ。
だが、無意味に深海棲艦をいたぶるだけの881研は忌むべきものだったのだ、と。
「本件は所長に報告します。良いですね!」
「この間の装填ミスと相殺出来ると良いな、主任」
「・・・くっ!」
主任が怒気を含んだ足取りで去っていった後も、蛇又は微笑んだままだった。
部下達が護送車を捜索する様子を眺めていたが、ふと、空に2つ並んだ星を見つけた。
「・・うまく、逃げろよ」
蛇又はそう呟くと、自らの身を案じてくれた二人の表情を思い浮かべた。
懐からタバコを取り出し、火をつける。
吸い込んだ紫煙は旨かった。
吐き出し、次を吸い込むと、頭の中で護送中の光景が思い起こされた。
そして、吸い終える頃、ハッとした表情になった蛇又は
「・・・あぁ、あぁ、なるほど、そうか」
と、一人くすくす笑い出した。