「ノウマクサンマンダ、バサラ、ダン、カン。センダマカロシャダ、ソハタヤウン、タラタ、カンマン……」
深夜。
旧校舎の教室の一つで袈裟を着た法生が簡単な法壇を構え、真言を唱えていた。
その様子を、どこかつまらなそうに見ている昌浩と、不機嫌そうにむすっとした顔で見ている麻衣がいた。
なお、その隣にはお人よしの童顔エクソシストであるジョンが、やや困り顔で控えていた。
「あ、あの、昌浩はん。なんでそないつまらなそうな顔してはるんどす?」
「こんな程度の儀式、いつも見てますし……何より、柔軟性がないなぁと思いまして」
「はぁ……柔軟性、どすか?」
何を言っているのか、さっぱりわからない、という風に、ジョンは首を傾げた。
「俺が思うに、陰陽師であれ神主であれ坊主であれ悪魔祓いであれ、人外と対立するなら柔軟性を持っていることが大事だと思うんですよ」
「はぁ……」
「一つの糸口だけじゃなくて、複数の方法で解決する策を常に考えて、あらゆる対策を講じる。それが術者のあるべき姿だと思うですけど……大人二人があれじゃなぁ……正直、兄さんたちのほうがよっぽど優秀……」
と言いかけて、昌浩は口をつぐんだ。
どうやら法生が儀式を終わらせたらしい。
終わらせたらしいのだが、相変わらず、この場の空気は何も変化していなかった。
「へへっ、どうよ?」
「どうよって言われましても……」
法生からの言葉に、昌浩とジョンはどう返したらいいのかわからず、曖昧な笑みを浮かべ、麻衣は依然としてむすっとした顔をしていた。
が、その表情もすぐに驚愕にゆがむこととなった。
ドタドタ、ドタタ!!
廊下から誰かが走り回る音が聞こえてきた。
慌てて法生と昌浩が廊下に出たが、誰かがいたというわけでも、何かがいたというわけでもなかった。
まして。
「(もっくん、勾陳)」
「いや、妖の気配はないな」
「力を持った霊の気配もない……だが家鳴りにしては大きかったな」
当然、この世ならざる者の姿も気配もなかった。
だからこそ。
「何もいないな……気のせいじゃないのか?」
法生のその言葉に、麻衣と昌浩の何かが切れた。
「いい加減にしろ!!除霊に失敗したんだろ?!いい加減認めろよ!!ナルは失敗したからって『気のせい』だとか『勘違いだ』って一度でもごまかしたりした?!」
「本物の除霊を見せてやるって大見得切って『気のせい』だ?!ふざけんのもいい加減にしろ!!」
麻衣は散々馬鹿にしてきた一也とは正反対の大人の対応に、昌浩は
麻衣の場合は、単に一也に惚れた弱み、ということもあるのだろうが、昌浩は少しばかり違った。
千年続く陰陽師の大家。
その重みがあるからこそ、拝み屋としての仕事にプライドを持っているし、先達と比べて自分はまだまだだという自覚もある。
だからこそ、一度受けた仕事は最後まで遂行したいし、しなければならないと思っている。
むろん、その仕事の内容には、事前の調査というものも含まれているわけで、それすらも真剣に行わず、頭ごなしに自分の見解を押し付けて押し通そうとする二人に、いい加減、堪忍袋の緒が切れそうになっていたようだ。
このさい、言いたいことをすべて言ってやろう、と思った昌浩だったが、突然、旧校舎全体が大きく揺れたことでその口を閉ざした。
さすがに尋常ではないため、一行は外に向かって走り出した。
だが、昇降口まで到着して、あと少しで外に出れる、と思った時、麻衣にむかって下駄箱が倒れてきた。
「谷山さん!!」
ほぼ無意識に、昌浩は麻衣をかばおうとした。
だが、麻衣を突き飛ばすことが出来ず、昌浩と麻衣は下駄箱の下敷きになってしまった。
その瞬間、昌浩は倒れてきた下駄箱に違和感を感じた。
――あれ?なんで、下駄箱に熱が……
だが、それを考える間もなく、昌浩は気を失った。
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それから少しして、先に目を覚ましたのは昌浩の方だった。
普段から十二神将たちにしごかれているおかげだな、と苦笑を浮かべながら起き上がると、真っ先に心配そうな声を上げたのは相棒の物の怪だった。
「大丈夫か?!」
「……もっくん?あ、れ?俺、なんで……」
「起きたか、昌坊?!」
「大丈夫?私たちがわかる?これ、何本に見える?」
「少し、頭が痛いですけど、大丈夫……えっと、綾子さん、今指立ててるの、一本ですよね?」
心配そうに見てくる二人にそう答え、昌浩は身を起こした。
隣ではまだ麻衣が眠っているようだ。
最悪の事態は免れたことを知ると、昌浩はほっと安堵の表情を浮かべ、旧校舎のほうを見た。
下駄箱が倒れるほどの揺れがあったというのに、旧校舎は倒壊することなく、そこに鎮座していた。
「あれだけの揺れで、まだ耐えてる……なんつう免震性だ」
「いや、感心するところそこかよ?!」
「いや、だって下駄箱倒れたんだよ?!こんなおんぼろ、倒壊してもおかしくないでしょ?!」
いまだ健在の旧校舎に感心してつぶやくと、傍らにいた物の怪がツッコミを入れてきたので、思わず返してしまった。
そこい何もいないはずなのに、まるで何かがいるかのように声を出している昌浩に、法生と綾子は若干、身を引き、ジョンは不思議そうに首をかしげていた。
「あ、あの、昌浩はん、なんや見えとるんのですか?」
「ほ、ほんとに大丈夫?何か幻覚でも見てるんじゃ……」
「お、おいおい、ほんとに大丈夫か?」
「……あ、そうか。もっくん」
「……ったく、しゃあない」
心配そうに見てくる三人が見鬼ではないことを察した昌浩は、傍らの物の怪に声をかけた。
物の怪はため息をつきながら、ざわり、と全身の毛を逆立てた。
昌浩の目には特に何も変わったところが見えなかったが、その瞬間に変化はあった。
「な……」
「な、な……」
「なんどすか?その白い動物」
見鬼ではない三人が、物の怪をはっきりと視認していた。
「んだよ、じろじろ見やがって……俺は見世物じゃねぇぞ」
じろじろと見られて不機嫌になった物の怪はどすの効いた声でそう返したが、驚きのあまり、三人は硬直してしまったらしく、謝罪もすることができなかった。
こうなるだろうな、とは予測していた昌浩は、まさか本当に予想通りになるとは思わず、苦笑を浮かべていた。
なお、そのあと目を覚ました麻衣も物の怪を見てだいぶ困惑しつつも、その見事な毛並みを見て、触りたい、という欲求に負け、撫でまわしたのであった。