特にこれといった理由もありませんが。
「行ってきます」
あくびを噛み殺しながら、イッセーはそう言って家を出る。晴れて澄み渡る青空な訳だが、どうもイッセーの体は重く、怠い。最近になって現れた症状で、以前までは朝が辛いときでも、こんなにまでなったことは無かった。降り注ぐ日光が全身に突き刺さるようで、キツい。最近どうも、太陽というものが苦手になっているイッセーだが、その中でも朝の日差しがとにかくダメだった。全然朝に起きることが出来ず、母親に叩き起こされる始末である。その反対の夜になると、今度は色々なものが体の内側から沸き上がるような感覚に襲われ、あり得ないくらいにテンションが高くなった。完全に昼夜逆転の夜型人間である。以前までは夜更かしといっても一時くらいのイッセーであったが、最近では二時、三時、果ては四時までも楽勝なのだ。日が昇り始めたのを確認してから寝付くなどざら。そんな生活が続いている。だが、それ以外でも不思議に思うことがイッセーにはあった。それは、夜間の異常な身体能力の向上。試しに夜に外へと出て試して見れば、凄まじいスピードで走ることが出来て、体力も大幅にアップしている。明らかに、この現象はおかしい。夜にパワーアップするなど、どこのファンタジー世界の吸血鬼やら悪魔だろうか。その力も昼には全然発揮できない事に、イッセーは自分の体がどうなっているのかと疑問を浮かべた。この変化は天野夕麻とのデートの日から。何故だか、そう思わずにはいられなかった。
◇◆◇
私立駒王学園。イッセーが通う高校である。現在では共学となっているのだが、数年前までは女子高だった。そのせいか、男子よりも女子の割合が多い。男子はあまり強く出られないのだが、それでもイッセーがこの高校に入学したのは、それが理由であった。女子が多い。それだけでイッセーとしては十分であり、猛勉強して難関と有名な試験を合格したかいがあるというものだ。女子高生に囲まれながら授業を受けたい。その願望は叶ったと言えば叶ったのだろう。だが、所詮それは囲まれて授業を受けるだけ。男子が少なくウハウハかと思えば、多くの女子はイケメンである男子生徒に群がり、全くもってイッセーが妄想していたような事はなかった。ため息をつきながらイッセーは教室へと入るなり、自分の席へと深く腰を下ろした。
「よー、心の友よ。貸したDVDはどうだった?エロかっただろ?」
そう言いながら、イッセーへと話し掛ける丸刈りの少年松田。別名『エロ坊主』『セクハラパパラッチ』。朝からこのような会話を躊躇なくするところ、学園での人気の程は窺える。スポーツ万能少年なのだが、全くもってその特性を活かそうとしない。活かしたとしても、それはエロ方面である。
「ふっ……今朝は風が強かったな。おかげで朝から女子高生のパンチラが拝めたぜい」
キザ男のように格好をつけているのは眼鏡をかけた少年元浜。別名『エロメガネ』『スリーサイズスカウター』。こちらとしても校内での人気の程は同様である。どのような不思議原理かは知らないが、彼には特殊能力が備わっている。その特殊能力もエロ方面であり、なんとも思春期特有の爆発的にエロい少年たちであった。
「そういや、いいもん手に入ったぜ」
松田はそう言うと、鞄を開けてごそごそと中を探る。そうして取り出されたものはドカドカとイッセーの机の上に置かれ、その見るからに卑猥なタイトルの本やDVDが積み上げられていった。
「ひっ」
遠くで女子生徒が軽く悲鳴をあげる。当然だ。朝からこんな事をしている変態が同じクラス、しかも異性にいれば、そういう反応をしても仕方がない。むしろ叫ばなかっただけ、それだけ慣れてしまったのか、それとも驚いているのか。次いで聞こえてくるのは、「朝から最低~」や、「エロガキ死ね」などの蔑む女子生徒からの罵詈雑言。もしこれで当事者が、女子に蔑まれるなんて我々の業界では御褒美です、というドMならば、それはもう救いようのない酷さであったが、幸か不幸かそこはノーマルな男子生徒であった。
「騒ぐな!これは俺らの楽しみなんだ!ほら、女子供は見るな見るな!お前ら全員脳内で犯すぞ!」
何とも最低な発言をする松田。このような言動をするからモテないのであるが、最早悪循環となっているそれを取り止めることも出来ず、今日もまた非難される変態たちである。だがしかし、それを目の前に置かれたイッセーの顔は浮かない。そんなイッセーの表情を見て、松田は嘆息する。
「オイオイオイオイオイ。これだけのお宝を前にしてなんだよ、その顔はよォ」
「最近、ノリが悪いぞ。おかしい。実におかしい。いままでのイッセーらしくない」
隣にいる元浜も、眼鏡の端をキランと光らせながら、そんな事を言っていた。
「いや、俺だってよ。『すげぇ!なんだよこれ!俺を猿にでもする気かよ!!』と歓喜したいところなんだがな。いかんせん最近精力減退しててさ……」
「病気か?いやまさかな。エロの権化であるお前が風邪になるなど、それこそカミやんが何の対価もなしに五〇〇円玉を拾うぐらいにあり得ない」
元浜はそう言うが、何とも失礼な言動である。同時に二人を貶すという高等技術を駆使したわけだが、本人にその自覚があったのかは不明だ。多分だが、引き合いとして出したのがカミやん──上条当麻だったからこそ起こった事であろう。ふと、思い当たることがあったのか、松田が掌をポンと叩いた。
「あー、アレか?俺には彼女がいましたっていう幻想の影響か?夕麻ちゃんだっけ?」
「……夕麻ちゃんのこと、マジで覚えてないのか?」
イッセーの言葉に、二人は可哀想なものを見るような視線を送る。
「だからさ、俺らそんな子知らないって。マジ、病院とか行った方がいいんじゃないか?なあ、元浜」
「ああ、何度も言うが俺たちは夕麻ちゃんという女の子を紹介なんてされてない。そんな幻想、カミやんにでもぶち殺してもらえ」
このように、イッセーが天野夕麻の話をふっても、二人は決まってこの反応だった。最初はふざけて、からかっているのかと思っていたのだが、一度真剣に語り合った結果、この二人が本当に覚えていないという事は分かった。だが、イッセーとしては二人に天野夕麻を自分の彼女として紹介した記憶がある。この二人はそれを見るなり、「なんでこんな美少女がイッセーの彼女なんかにぃぃぃぃい!!」、「世の中のシステムが反転したとしか思えない……。イッセー、お前どんな魔術を使った?」などと失礼極まりないことを宣ったのである。更には自分の頬を殴り飛ばしてきたはずだ。天野夕麻という存在が完全にこの世から消えている。これが幻想なのだとしたら、本気で上条に一発殴ってもらいたい、とイッセーは思った。といっても、決め台詞のようなものであって、本気で幻想を消せるとは思ってもいないのだが。
「まあ、思春期の俺らにそういうわけの分からないことが起こるのかもしれない。よし、今日は放課後に俺の家へ寄れ。秘蔵のコレクションを皆で見ようじゃあないか!」
「それは素晴らしい。松田、是非ともイッセーを連れていくべきだ」
グフフフ、という笑い声をあげる二人。その姿はどこからどう見ても変態であり、イッセーから見てもそれは変わらなかった。もっとも、イッセーはその枠組みの内側に属するものなのだが。そんな絡みもあって吹っ切れたのか、イッセーが半ばヤケクソ気味に賛同する。
「わーったよ!今日は無礼講だ!炭酸飲料とスナック菓子で祝杯をあげながら、エロDVDでも視聴しようじゃねえか!!」
「おおっ!それだよ、それ。それでこそ我らがイッセーだ!!」
「その意気だ、イッセー。共に青春をエンジョイしようぜい?」
盛り上がる松田と元浜。それを見て、イッセーも気持ちを切り替える。この際、天野夕麻の件は保留だ。たまには息抜きも必要。その為、今日くらいはいつも通り、身体的にも性的にも元気一杯な男子高校生らしい事をしよう。そんな風にして三人の結束を新たにした時であった。ふと、イッセーの視界に紅が映る。
鮮やかな紅──。
教室の窓から見える校庭にいる一人の女子生徒。その登校風景がイッセーの瞳を釘付けにする。真紅の髪をした、人間離れした美貌を持つ駒王学園のアイドル。およそ日本人ではないその体型に、誰もが目を奪われ、時にはその歩みを止める。
リアス・グレモリー。
三年生で、イッセーより年上である。圧倒的存在感を放ちながら歩く彼女に、注目しない生徒は少ないだろう。誰からどう見ても美しいであろう彼女は、威風堂々と、凛とした佇まいで歩く。彼女が歩を進めれば目の前の人ごみは割れ、辺りの衆目を集め、その一挙手一投足まで目で追いかけてしまう。ただ、イッセーはそんな彼女を見て、少し恐怖を感じた。まるで、絶対に敵わない強者と相対したような。それを感じだしたのは──いや、感じだしたの『も』、天野夕麻とのデートの日からではなかったか。そう思っていたとき、不意に彼女の視線が動き、偶然にも目があった。
「(──っ)」
一瞬でその心臓までも鷲掴みにされたような感覚。蛇に睨まれた蛙とか、猫に目をつけられた鼠はこんな感覚なのだろうか。そう本能的に思ってしまうほどの、圧倒的オーラ。彼女はその瞳を細め、口元を微笑ませた。ふと、連鎖的に夢の最後が思い浮かぶ。紅。どこまでも真っ赤な紅。
「(……馬鹿馬鹿しい。俺と彼女に接点なんて無いじゃないか)」
夢の事は極力思い出したくない。そう思って、イッセーはその考えを首をふって拒否した。気付けば彼女は既に校庭から姿を消しており、人通りはもとに戻っていた。イッセーもそれにならって視線を戻そうとしてみると、不意に見知った顔が映る。ツンツン頭の少年が、ポニーテールの女子生徒と一緒に登校していた。
「……なぁ。松田、元浜。あいつ……上条だよな?」
「紛うことなきカミやんだな。何故なら、俺の嫉妬の炎が猛り狂っている」
「ああ。あれはカミやんだ。百パーセントカミやんだ」
その時、三者一致で上条当麻への制裁が決定した。その後しばらくして教室へと入ってきた不幸少年が、トリプルドロップキックを喰らって叫ぶのは、いつも通りの不幸である。
ちなみにですが、上条さんはイッセーに「天野夕麻を知っているか?」と聞かれたときに、「誰だ?それ」と普通に名前を忘れていてすれ違った感じです。