次に目が覚めたとき、辺りはすっかり夜の帳が降りて暗くなっていた。ぼんやりする頭で寝ぼけ眼を擦りながら周囲を見渡す。そこは前に来た場所とは別のガソリンスタンドだった。その一角に車は停めてあり、運転席に比企谷くんの姿はなく後部座席を覗いても小町ちゃんの姿も見当たらない。相変わらずこの時間帯になると生前の記憶を覚えているのかゾンビ達は皆何処かへ移動する。多分それは家で有ったり会社であったり様々だろう。まぁ、稀に居残りしている個体も居るけれど。
あくびをしつつ大きく伸びをする。疲れこそ取れないがひとまず食事でも取りながら彼らの帰りを待つことにした。前にも一度「周囲の見回り」と言って何処かで夜風に当たってくることは有った。彼にも一人になりたい時があるのだろうから、そっとしておくことにした。最も、彼は今までの人生何でも独りでこなして来たような話をしていたが。
パサつくカンパンを頬張りつつまたもやついつい開けてしまったMAXコーヒーをひと口呷る。すっかり気に入ってしまったその味をくぴくぴと飲みながら堪能する。パサついたカンパンで喉に渇きを与え、MAXコーヒーでそれに潤いを与える。それを何度か繰り返していると運転席側のサイドミラーから比企谷くんが戻ってきているのが映る。手ぶらではなかったようで木刀を携えているのが見えたのでひとまず安堵した。
「何してたの?」
彼が車に戻ってきてから一応聞いておく。
「……ちょっと、考え事してた」
少しだけまごついてから彼は素っ気なく言った。いつも通りの仏頂面だけど、なんとなくその表情がスッキリしているように見えたから私も「そっか」とだけ返した。それから暫く沈黙が続いた。でもそれは居心地の悪いものじゃなくて、互いに何も言わなくてもその静寂さえ心地良く感じられたから、きっとそれが私達特有のコミュニケーションなのだろう。
「――なぁ、祠堂」
「ん……なに?」
最初に沈黙を破ったのは彼の方からだった。彼は先ほどとは打って変わって真剣な表情をして私を見つめていた。ふと気恥ずかしさを覚えながら私は彼と視線を合わせると、彼の紡ぎ出す言葉を待つ。
「もし……こんな地獄みてーな非日常から、今まで通りの何ひとつ不自由ない日常に戻れたら祠堂は……どうするんだ?」
難しいこと聞くね、と私は苦笑した。今までは生にしがみつく事に必死でそんなことあんまり考えないようにしていたのだから。それに心の奥底ではうっすらともう元の日常へは戻れないんじゃないかと思っていたのもあって、私は少し彼の問いに頭を悩ませる。
「…………またみんなで学校に通いたい、かなぁ」
なんとか捻り出したそれは叶うことのない願望。ずっと続くとばかり信じて疑わなかった誰も彼もが日常を過ごす平穏な世界に、私は憧憬を抱いた。それから私は嬉々としてもしもの話を語る。今まで出来なかったことをしたい、あの頃の日常を噛み締めたい、願わくばもう一度美紀と共に寄り道をしたい。これまで考えることを拒否し、押さえ込んできた分とめどなく溢れるようにして願いが湧き出てくる。それを隣に座る彼は羨ましそうにして話を聞いてくれていた。
「比企谷くんはどう? なにかやりたいこととかあるの?」
そんな彼の様子が気になって、私は話を振る。すると彼は少し考え込む仕草をした後言葉を紡いだ。その言葉はほんの少しだけ、寂しそうな声色をしていた。
「俺は――学校生活をやり直したい」
意外だった。誰からも認識されない灰色の学校生活を送ってきたと彼は時折昔話をしていたから、尚更に。いや――だからこそ、なのかもしれない。比企谷八幡は《本物》を求めていた、故に周囲の生ぬるい欺瞞にさえ満ちた関係を嫌い接触することをせず、必然的に彼が学校に対する思い入れは無いに等しい。そして、あの日を境に世界は一変し彼が学校に対して何かを手に入れることは出来なくなった。だからこそ彼は願う。叶うのならばもう一度失ってしまったあの生活に戻りたい、と。
「後悔が無いわけじゃない。あの時ああしておけばよかった、こうしておけばよかったっていうのはいくらでもある。それでもそうしなかったのはきっと自分が下手に傷つかないようにするため――保身だ。だから俺は彼らに接触しないし拒んできた。自分が傷つくのが嫌だから、嘘っぱちの関係を築くのが耐えられないから。そんな理由で俺は学校生活を自分から壊した。俺はそれを――後悔し始めてる」
今更だよな、と彼は自嘲気味に苦笑した。確かに、事をやり直すにはもう取り返しがつかない事態になってしまったかもしれない。けれど、私は――
「――まだ間に合うよ。私達の学校生活」
強い口調で私は告げると、彼の瞳が驚きに見開かれた。そう、まだ間に合うかも知れない。それを示してくれたのはあの《学園生活部》。彼女らが学校で生活しているのなら、あの場所でもう一度失ってしまった仮のひと時を過ごすことができるかも知れない。
「……出来るのか?」
困惑する彼は右往左往と視線を泳がせる。私は一瞬だけふっと柔和に微笑んで見せると、声色を和らげて彼に言ってみせた。
「大丈夫だよ。だからもう一回……あの場所で生活してみようよ。今度は――私が、君にとっての《本物》になるから」
その言葉は決して彼に同情して言った欺瞞ではなかった。私が彼にとってそうで在りたいから告げたのだ。きっと彼はこの好意を素直には、直ぐには受け取れないだろう。ひねくれた思考をしているのは知っているし、人からの好意を素直に受け取れない人間だってことも。だから、私は彼の心が決まるまでその返答を待つ。どれほど時間がかかったって気にしない。彼がそれを認め、受け入れることが重要なんだ。
フロントガラスに映る満天の星空を見上げながら、手元のMAXコーヒーをひと口呷ると濃厚な甘さが口の中に広がる。その間も彼は押し黙ったままだった。もはや彼との間に存在する沈黙さえも心地良かった。美紀との間には無かった感覚に不安を覚えることはない、というよりもむしろ比企谷くんだからこそ不安よりも先に安堵する。いつの間にか、私は彼にそれほどまでに心惹かれていたのだ。
「――わかった」
ふと、彼は呟いた。短い言葉だけれどそれは了承の意を示していた。葛藤の末決断したのだろう、彼の表情は先程よりも幾分かスッキリとしたものになっている。
「お前が俺を信じてくれるんだ。俺も、お前を信じてみる」
「私も、君の《本物》足り得るように頑張ってみるよ」
そう言って屈託ない笑顔で朗らかに微笑んで見せると、彼もまたちょっとぎこちないけれど笑んでみせる。そのまま自然と彼に向かって右手を差し出すと、伸ばされた彼の左手にぎゅっと握られる。それが所謂恋人繋ぎだったものだから私も彼も赤面してしまう。なんだか胸の辺りがこそばゆくてそわそわと落ち着かない気分だった。でも、無性にそれが嬉しいのだから人間とは不思議なものだと改めて思った。
「――なぁ、圭」
「なぁに、八幡」
「俺さ、学校ってやつがこんなに楽しみなの久しぶりっつーか下手すると初めてだ」
「そっか……私も楽しみだよ、学校」
二人揃ってフロントガラスに繰り広げられる爛々と光り輝く空を見上げながら、他愛のない会話をする。手を繋いだままの天体観測は、こそばゆくて、嬉しくて、まるで世界が二人だけのものになったみたいに錯覚するくらい――甘い、夢みたいな出来事だった。
アニメ版がっこうぐらし第7話が心を折りに来ている中執筆しました。精神が擦り切れるかと思った回でしたね。まさに心折設計。
めぐねえ……(´;ω;`)ウッ…