比企谷兄妹と共にコンビニで過ごし始めてから三日が経過しようとしていた。初日から美紀を助けにショッピングモールに向かいたかったが、徒歩では常に危険が伴いゾンビを警戒して動くことになるためかなり時間がかかってしまうことと、比企谷兄妹がコンビニから新たに拠点を探すため物資をまとめたり、足となる車両を探したりしていたので時間がかかってしまった。彼らの現在の拠点であるコンビニはバリケードが設置されているおかげでゾンビの侵入を防いでいるし、食料や水も数多く残っていた。とはいえ、腐りやすい生物などは早いうちに食べきってしまったため即席ラーメンや冷凍食品に頼る他ない。幸いにもまだ水道は生きていたため身体を拭くぐらいはできるのが嬉しかった。
そしてこの三日間で、私は比企谷兄妹に合わせることを学んだ。最初はぎこちなかったが、先に彼を見てから行動することで何とかなってきた。最近では小町ちゃんをダシに使って起床させたり色々と会話を繋げたりしていた。
そして私は比企谷八幡について色々と知ることができた。まず、今となってはそれほど重要視できなくなった人間の交友関係について、彼は彼なりに思うところがあるようだった。彼は独りであることを拒まないが、交友関係の構築に長けた所謂《リア充》を敵対視しているらしく、特に上辺だけの関係は酷く拒絶していた。だから自分から彼らに接触しないし、接されても素っ気ない態度を取る。もはや一種の防衛反応だった。とはいえ、昔はそれなりには積極的だったようで好きな女子相手に告白するだけの行動力はあったらしい。その後、フラレた挙句ネタにされてからかわれたせいで不登校になりかけたとか。話を聞けば聞くほど彼が如何に動くトラウマ地雷原かが分かる始末。それに、彼から話を持ちかけないどころか接触すらないこともあるため、こちらから話しかけるには言葉選びに気を使わなければならなかった。とはいえ、卑屈な思考や発想をしてはいるが根は善人のようで特に妹の小町ちゃんに関してはもはやシスコンの域に達していた。彼の好むMAXコーヒーよりも甘いその空間は果たして兄と妹だけで構築できる空間なのだろうか、と疑問に思う。あとは漫画やゲームなどの知識が豊富で、たまにネットスラングで会話しようとしてくることぐらいだ。
次に、彼の妹である比企谷小町。彼女についてわかることは兄に比べれば極僅かなものだった。彼女は中学生であり兄の八幡に兄妹らしからぬ好意を寄せているということ。性格は明るく兄とは正反対に社交的で、ひねくれた兄・八幡に対する良き理解者である。兄同様、時たま単独行動を好むらしい。その際比企谷くんが「次世代型ハイブリットぼっち」だなんだと言っていたのを覚えている。そして、彼女は既に――亡くなっているということ。パンデミックが始まる前なのか、それとも始まってから亡くなったのかはまだ分からない。けれど分かることは比企谷八幡の中では比企谷小町という少女が生きているということだけ。まるで本当にそこにいるかのように振舞う比企谷くんの姿を見て、複雑な気分になる。
小町ちゃんに関しては比企谷くんとの会話から察するしかないのでここまでのことを知るのには相当苦労した。なにせ彼はコミュ障ぼっち、自分からは絶対に接触してこないという徹底ぶりなのだ。ならこちらから歩み寄るしかない。とはいえ小町ちゃんが存在している彼の前で直接「小町ちゃんについて教えて」なんて言えるはずがない。なぜなら彼の傍らにはいつでも小町ちゃんが控えているのだ。下手なことは言えない。唐突に現実を直視されて発狂でもされようものなら一大事だ。当たり障り無い態度で接するしかない。
私は鞄の中に水と食料を詰め込むと、カウンターに立てかけておいた槍を手に取る。支え棒の先に包丁を取り付けただけの簡素な作りだが、なにも無理に戦うつもりは毛頭なかった。これを製作してくれた比企谷くんも「危ない時に使っとけ」と忠告してくれている。可能なら突き刺して戦ってもいいし、それこそ叩いてもいい。リーチだって棒自体を捻れば長くも短くもできる。ほとんど丸腰の私を案じてか素っ気ない態度をとりつつも彼はこれを渡してくれた。ひねくれた性格をしているが、ちゃんと気を回してくれることが私はなんだか嬉しかった。
「比企谷くん、小町ちゃん、準備できたよー」
「おう。じゃ、ぼちぼち行きますかね」
先に支度を終えていた比企谷くんと小町ちゃんに声をかけると、彼は飲みかけの残り少ないMAXコーヒーをぐいっと飲み干してから木刀を手に取りリュックサックを背負った。余談だが、昨日好奇心でMAXコーヒーを飲んでみたところ過度な甘さに味覚を狂わされたのか「美味しい」と感じてしまった。それを横目に見ていた比企谷くんが「お前さんにも分かるか。この至高に満ちた味が」などと大層得意気にしていたのを覚えている。
短い間だったが彼らと共に過ごした店内に名残惜しさを覚えつつ、相変わらずの猫背を維持しながら裏口に向かった彼の後を追う。裏口に通じる扉の前で顔を見合わせると、互いに頷き合う。比企谷くんがどこからか調達してきた軽自動車を裏口のすぐ前に留めてあり、既に中には物資を詰め込んで置いてあるので裏口を出てすぐさま車に乗り込む算段だった。
「……いくぞ」
僅かに扉を開けて外の様子を確認した彼は、周囲にゾンビの姿がないことがわかると小さく私に促した。同時に、裏口から駆け足で車の鍵を開けにかかる。私は彼から木刀を受け取ると車の鍵が開くとほぼ同時に後部座席のドアを開けそれぞれの武器をしまい、一旦ドアを閉めて助手席に乗り込む。シートベルトを締めるとエンジンがかけられた。
「道案内は任せて!」
「あいよ」
ぶっきらぼうに返事をした彼は器用に車をバックさせ大通りではなく住宅街へ向けて車を発進させる。ショッピングモールからの通行可能な道を把握している私が前もって「一度住宅街を通って通りに出て見るのは?」と助言していたからだ。広い通り故にパンデミック直後の凄惨な光景がそのまま残されており、とてもではないが車が通るには他の車両やゾンビが邪魔をしていた。その点住宅街ならその通りに比べればゾンビも車両も少ない。大通りから離れれば車両の数も減るため、その間に住宅街を進行するということで話がついた。
免許取得に向けて前もって勉強していたという比企谷くんの操縦テクニックは多少危なげながらも、時間が経つにつれて運転は安定していく。狭い住宅街の道を進み、何度か通りようのない道は進路を変更する。
「……モールに着いたらどうすんだ? その美紀って奴を探すのか?」
太陽が空高く昇り、広い通りに出て順調に車を走らせていた頃、珍しく彼から話を持ちかけてきた。初日からすれば私に対する警戒心はなくなったようだが、やはり彼はどこかで一線を引いていてそれ以上は踏み込ませようとはしなかった。だからこそ、彼からのコンタクトはとても貴重で彼との親睦を深める重要な要素の一つを占めている。
「うん。食料と水は沢山有ったからそのまま立てこもってくれてるといいんだけど……」
脳裏に美紀の今にも泣き出してしまいそうな顔が浮かんだ。あの日私は引き止める美紀を引き離してまで街に出てきた。もし、美紀が思い立って私の後を追ってしまったとしたらどうしよう。上の階はまだゾンビが少ない方だったが、階を下るにつれて大勢のゾンビが彷徨いている。奴らの動きは鈍いし、照明が落ちていたからペンライトの効果も大きかった。けれど、美紀はペンライトを持っていない。あれは雑貨店に置いてあった物で私が持ち出したから数がほとんどないはずだ。もしもの時のためにペンライトを少し美紀に預けておくべきだったかもしれない。でも、そうすると美紀が後を追う可能性が高くなって――
「――大丈夫だろ。なんとかなる」
「え……?」
そう言って彼は私を一瞥した。小町ちゃんに向けるあの柔らかい笑みを浮かべながら、彼は言葉を続ける。
「お前が待ってろって言ったんだろ? なら、少なくとも不用意に飛び出したりしないはずだ。親友だったら相手はお前の言葉を疑わねぇし、お前も信じてやれ。まっ、俺は速攻疑うしそもそも信用しないけどな」
ぶっきらぼうで、ひねくれているけれど、でも優しくて、気遣いしてくれる。そんな彼の言葉が揺れる私を安心させてくれる。気づけば不安なんてどこかへ吹き飛んでいた。だから、今度は私の番。
「……そうだね、信じてみる。私も、美紀も――比企谷くんだって、疑わない。だから……ありがとう」
心から感謝の意を伝え微笑むと、比企谷くんは顔を真っ赤に紅潮させて黙りこくってしまう。それがなんだかおかしくて、私はしばらくの間じっと彼を見つめていた。彼と接するたびに、私の心は惹かれていく。曖昧なものが形作られていく。きっとそれは――。
※小町ちゃんは八幡視点のみ登場します。