19年後ハリー「えっ」
ホグワーツ到着早々、僕は窮地に立たされていた。
最初は、良かったのだ。
アリーやハーマイオニーとボートに乗って、宵闇に浮かび上がるホグワーツ城の美しい姿を仰いで胸をときめかせたり。
合流したジャスティンたちと一緒に、何千本ものキャンドルを魔法で浮かび上がらせた大広間をきょろきょろ見渡し、満天の星がちりばめられたように見える天井を見上げて感嘆の声を上げたり――それは想像していた通りか、あるいはそれ以上にわくわくする体験だった。
そこまでは、他の皆と変わらない、平和な時間が僕にも同じように流れていたと言えるだろう。
しかし、それもここまでだ。
膝の上で震える両手に、冷や汗がたらりとしたたり落ちる。
緊張して耳まで赤くなっているのが自分でも分かったが、1分経ち、2分経ち、大広間がざわついてくるにつれて血の気が引いていく。
それもこれも、この――
「いったいグリフィンドールの、何が不満だというのかね?」
僕の頭の上で、不機嫌そうに唸る、ぼろぼろの魔法の帽子のせいだった。
組分け帽子が言うには、僕は他の寮への適性はまったくないらしい。
だけど、冗談じゃない。勇猛果敢な騎士道で、他とは違うグリフィンドール?そんなの、まったく僕の柄ではない。落ちこぼれて苛められるに決まってる、と僕は心の中で呟いた。
ハッフルパフがいい。先にあの寮に組分けされたジャスティンやハンナとだって、仲良くなれそうだった。僕は、ハッフルパフに行きたいんだ。
「なるほど、ハッフルパフならば君は心穏やかに過ごせるだろう。しかし、あそこは君にとって良い環境とは言えないな。ハッフルパフでは、君は現状に甘んじてしまう。ゆえに、君に課せられた厳しい運命に立ち向かうに足りるだけの成長は難しくなるだろう」
いいかね、と、組分け帽子の口調が厳しくなった。
「そもそも、君の中には、魔力の発現と成長を阻害している要素がある。それはなにか?」
「だって8歳まで、魔力の発現さえなかったし――」
「それは結果であって原因ではない」
組分け帽子はきっぱりとした口調で言い切った。
「君自身ですら普段は意識していないだろうが、君の根底にあるのは、10年前にその傷とともに刻み込まれた、杖を使った魔法に対する怯えと恐れ。
そして時にそれを上回るほどの、闇の魔術に対する激しい怒りだ。
その恐怖と怒りが、魔法に対する忌避感となり、君に魔力を思いのまま発揮することをためらわせる」
そう続ける組分け帽子の言葉に、僕の頭の中は真っ白になった。
けれど同時に、「ああそうだったのか」と、すとんと胸の中に落ちるものを感じた。僕がこれまでぼんやりと感じていたことを、はじめて明確な言葉で説明されたのだ。
「ゆえに、レイブンクローはまず除外される。あの寮は魔法の探求こそを至上のものとしているからな。
血統と素質だけで言えばスリザリンの可能性もあったが、性格的にこれも除外される。
ハッフルパフが駄目なのは、先程も説明したとおりだ」
「だからって消去法でグリフィンドールだなんて、聞いたこともないよ!」
「いたしかたあるまい」
僕の小声の抗議に、組分け帽子は重々しく言った。
「君に必要なのは、恐怖を乗り越え、怒りを力に変える勇気だ。ゆえに――グルフィンドール!」
声を強めての宣告に、いつの間にか静まり返っていた大広間に、わっと歓声があふれた。
押し切られてしまった腹立ちまぎれに、僕は足音荒くグリフィンドールのテーブルに行きかけて、周りから失笑交じりの制止を受けてすごすごと戻り、次のモラグ・マクドゥガルに組分け帽子を渡した。
「ずいぶん長いことかかったわね?」
先にグリフィンドールのテーブルについていたハーマイオニーが、隣の席からさっそく話しかけてきた。
「私のときも組分け帽子はずいぶん迷っていたけれど――レイブンクローか、グリフィンドールか悩んでたみたい、最後にはもちろん私の意見を聞いてくれて、グリフィンドールになったけど。でも、貴方はもっと長かったわ。よほど寮の選択肢があったのかしら?」
僕はのろのろと首を振った。僕には選択肢はなかったし、選択権もなかった。
「また顔色が悪いようだが、大丈夫か?」
向かいにすわっていた、ホグワーツ特急のなかでトレバーを呼び寄せてくれた上級生が、心配そうに顔を覗き込んできた。改めてよく見ると、襟元にはバッジが光っている。どうやら、グリフィンドールの監督生だったらしい。
「いえ、たいしたことじゃないです」
本当のところ、僕はまだ、ひどく混乱していた。しかし、組分け帽子に言われたことを、誰かにそのまま言って気が楽になるとも思えなかったし、また、そんなことはすべきではないとも思った。
監督生は少し疑わしそうな顔をしていたが、それ以上は追及せず、パーシー・ウィーズリーと名乗った。僕がパーシーと握手をしていると、ちょっと離れた席に並んですわっている、そっくりな顔をした赤毛の二人組がからかうような調子で声をかけてきた。
「おいおいパーシー、ロングボトムとずいぶん気安いみたいじゃないか」
「そういやさっき、ホグワーツ特急で会ったって言ってたっけ。僕らにも紹介してくれよ、ひとりじめはなしだぜ」
「あれが」
鹿爪らしくパーシーは言ったが、気のせいか声がちょっとだけいらついているようにも聞こえた。
「フレッドとジョージ。僕の弟の双子で、3年生だ」
「そして組分けを待ってる中で最後から2番目の、死にそうな顔してるのが」
「僕らの愛すべき弟、ロン・ウィーズリーさ!」
双子は早口で交互に喋ると、まだ組分けされていない新入生の群れを指差した。
その先では、鼻の頭が汚れた赤毛の男の子が、不安そうな顔で立ち尽くしている。
「4人兄弟なの?」
「どうしてどうして、さにあらず」
「男が6人、末に妹の総勢7人さ。おかげで僕ら、新しい教科書なんて持ったことがない」
「杖やローブ、大鍋からクィディッチ用品にいたるまで」
「「使えるものはなんでもおさがり!」」
双子は最後、歌うように声をそろえて言う。話だけ聞くと大変そうだが、双子があまりにも明るい調子で話すので、僕は羨ましく感じてしまった。7人も兄弟がいるのなら、きっと家が寂しいなんてことはないだろうし、学校でも心強いだろう。
そんなことを思っていると、ハーマイオニーが僕を肘でつついてささやいた。
「ほらネビル、そろそろアリーの番よ!」
そう言われて僕が再び組分け帽子の方に目をやると、ちょうどマクゴナガル先生が羊皮紙で彼女の名前を読み上げるところだった。
「ポッター、アリス‐リリーベル!」
僕は息を飲んで、前に進み出たアリーを見つめた。
アリーがそっと組分け帽子を持ち上げ、頭に乗せると、彼女の深く透き通った緑の目がすっぽりと隠れる。
ややあって、組分け帽子は叫んだ。
「スリザリン!」
僕は、そっと息を吐いた――そこに大きな落胆がまぎれこんでいたことは認めなければならないだろう。
アリーは帽子を次の生徒に渡すと、大広間を見渡して来賓席に目を留め、にっこりと微笑んだ。そしてそのまま、こちらを見もせずに軽やかな足取りでスリザリンのテーブルに向かっていく。僕は、なぜかひどく寂しくなった。
「意外ね、あの子がスリザリンだなんて。本人も、たぶんグリフィンドールだろうっていってたのに」
ハーマイオニーがそう呟いて首をひねったが、正確には違う。彼女は、「両親ともグリフィンドールだから、たぶんグリフィンドールになるだろうと言われた」、といったのだ。それに、行きたい寮はあるけどそこに行けるかわからない、とも。きっと、アリーは最初からスリザリンに行きたかったのだ。
そう言うと、ハーマイオニーはますます腑に落ちない顔をした。
「そういえばそうだったわ。でも、両親ともグリフィンドールだったなら、同じ寮になることを周りの人も望むでしょう。それをあえてスリザリンになんて――だいたい、両親と寮が違うってこと、そんなしょっちゅうあるの?」
「それはひとによりけりだな。でも、血筋によって寮が決まる傾向は、確かにある。ウィーズリー家は僕が知る限りみんなグリフィンドールだし、マルフォイ家ならまず間違いなくスリザリンだ。ポッター家なら、グリフィンドールでもスリザリンでもおかしくはない」
パーシーは、組分け帽子が頭に触れるか触れないかのうちに「スリザリン!」と叫ばれているドラコ・マルフォイを見つめながらそう言った。
その後はそんなに時間がかかる生徒もおらず、組分けは順調に進んでいった。ロン・ウィーズリーもすぐにグリフィンドールに決まり、ふらふらしながらやってきてパーシーのとなりに倒れるように座り込み、兄たちから暖かい、あるいは騒々しい祝福を受けていた。
組分けがすむと、校長先生の風変わりな短い挨拶のあと、新入生歓迎パーティーが始まった。大皿は一瞬のうちに目移りするようなごちそうで満たされ、僕はこれをはらぺこのまま待たされていた在校生たちに心の中で謝った――なにしろ、僕にも大いに責任の一端がある。
色とりどりのデザートが出て、僕らの前の皿とゴブレットが空になったのをみはからい、校長先生がふたたび立ち上がった。
「さて、みんなよく食べ、よく飲んだことじゃろう。新学期を迎えるにあたって、いくつかお知らせがある。
まずは、新任の先生を紹介しよう。魔法薬学担当の、セブルス・スネイプ先生じゃ。なお、スネイプ先生はスリザリンの寮監も兼任される」
来賓席から、黒髪に鉤鼻の、厳しい顔つきの先生が立ち上がり、大広場を見渡して(というか、ねめつけて、というべきか)かすかに頷いてみせた。やせぎすで黒いローブを羽織っていて、僕はなんとなく、育ちすぎたコウモリを連想した。
「先生はつい先日まで、聖マンゴ病院の主任癒者として活躍しておられた。臨床で培った知識と経験を、諸君の教育にいかんなく発揮していただけるものと期待しておる」
校長先生の紹介の間、スネイプ先生は視線をゆっくり滑らせ、スリザリンで一瞬止めた後――僕と目があった。
「……ッ」
その瞬間、額の傷に鋭い痛みが走った。
僕が額をおさえて顔をしかめていると、ロン・ウィーズリーが不思議そうな顔で僕を見た。
「なに、君、どうかした?」
「なんでもない」
僕は額から手を放した。痛みは一瞬で消えたが、今までにこんなことは一度もなく、なんだか嫌な予感がした。僕はスネイプ先生の方をもう一度見たが、もう元通り席に座りなおし、隣の紫のターバンを巻いた先生(この人はずっとそわそわしていて、僕は先生なのになんて落ち着きがないんだろうと思った)と、ふたことみこと、何か話していた。
その間も、校長先生の話は続いていた。校内にある森には入らないこと、授業の合間に廊下で魔法を使わないこと、クィディッチチームの選抜について、そして「とても痛い死に方をしたくない者は、4階の右側の廊下に入らないこと」、と。
「とても痛い死に方!」
僕はぞっとして言った。双子の目が好奇心できらめいているのを見て、ロンは半ばあきらめたように首を振っていた。その隣でパーシーが、「へんだな」と呟いている。
「どこか立ち入り禁止の場所があるときは、そこに危険な魔法生物がいるからだとか、いつも理由を説明してくれるのに。せめて僕ら監督生には、わけを言ってくれておいても良かったんじゃないか?」
個人的にはとても痛い死に方だけで充分な気もしなくはないが、いつか見に行ってやろうと顔に書いてある双子のような生徒がいるのを考えれば、特に理由がなければ先に説明して興味をなくさせた方がいいのかもしれない。
最後に校歌斉唱して歓迎会が終わり、僕らはパーシーに率いられてグリフィンドールの寮に向かった。いくつもの階段や隠し扉を通り抜け、慣れるまでしばらく寮に帰るだけで迷子になりそうだ、と僕は思った。
途中でポルターガイストのピーブスに頭の上に杖の束をバラバラ落とされたり(僕だけ)、太った婦人の肖像画の裏から現れた、寮の入口の高い穴に上りきれずに押し上げてもらったり(僕だけ)しながら、やっとのことで割り当てられた部屋にたどり着いた。
僕のルームメイトはロンと、シェーマス・フィネガン、ディーン・トーマスの3人だった。僕らはくたびれはてて、お互い無駄口を叩く元気もなく、パジャマに着替えるとすぐさまベットにもぐりこんだ。
ロンはシーツをかじっている自分のペットの鼠になにやら文句を言っていたが、じきに眠り込んだらしく静かになった。僕はといえば、体は疲れきっていたが、頭の芯が妙に冴えたようになって、なかなか寝付けなかった。
それでも無理やりに目を閉じていると、ようやくうとうとしてきたが、訪れた眠りはあまり安らかではなかった。夢の中で、僕は組分け帽子を両手に持って見つめていた。
「君は、君の運命から逃れることはできない」
組分け帽子は不吉な声で言った。次の瞬間、帽子からきらきらした棒のようなものが落ちてきて、いつのまにか僕はそれを握りしめて立っていた。ほどけた紫のターバンが蛇に変わり、僕を見つめて笑った。水色のエプロンドレスを着たアリーが、くるくる踊りながら不思議な歌を歌っている。
『ぼくの考えではきみこそが
(彼女がこのかんしゃくを起こす前は)
彼とわれわれとそれとの間に
割って入った障害だったのだ。
彼女がかれらを一番気に入っていたと彼に悟られるな
というのもこれは永遠の秘密、
ほかのだれも知らない、
きみとぼくだけの秘密だから』
「
シルクハットをかぶったスネイプ先生が、不機嫌そうに言った。
あたりに緑色の光がいっぱいになって――それから先は、もう何も覚えていない。
文中引用『不思議の国のアリス』第12章より(ルイス・キャロル著/山形浩生 訳)
・実は8歳どころか生まれた直後から魔力の発現があったのに、毎回誰にも気づかれずスルーされてた(公式設定)
・そうそうにグリフィンドールに組分け決まってんのに、組分け困難寸前まで帽子相手にハッフルパフがいいと粘りまくる(公式設定)
ネビルェ……