ネビル・ロングボトムと四葉のお茶会   作:鈴貴

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8.「君がまともに魔法を使うところ、はじめて見たよ」

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」

 

 呪文を唱えて、杖を振る。

 僕の目の前に置かれた鳥の羽根は、そよりとも動かない。

 

 こんなに動かないということは、机の上に糊で貼り付けられてるんじゃないか、と思ってふっと羽根を吹いてみると、思いのほか勢いよく飛んで行った。どこへ行くかなと眺めていると、ペアを組んでいるディーンが浮かべるのに成功しかけた羽根の上に重なって、2枚とも机の上にぺしりと落ちる。

 

 半眼で見られた。

 

「ごめん」

 

 ディーンに謝って羽根を机の上に置き直し、僕はもう一度杖を振った。

 

 

 

 

 

 早いもので、ホグワーツに来てから2か月たつ。授業は――あいかわらず上手くいっているとは言いがたかったが――それなりにペースはつかめてきたように思う。厳しいと評判の変身術もまじめに取り組んでさえいれば、マクゴナガル先生は根気強く指導してくれる。

 

 魔法史の授業では、みんなたいてい寝ているか好きなことをやっているので、僕も図書館で借りてきた図鑑を眺めることにした。これなら少なくとも授業中眠らずに、それなりに有意義な時間を過ごすことができる。

 

 薬草学ではこのあいだ、温室の多肉植物を授業のあとで個人的に見せてもらった。はっとするような鮮やかな赤い花を咲かせていて、僕はこれが実際のジャングルで咲いているところをしばらくぼうっと夢想し、いつか行ってみようと思った。

 

 天文学は、季節ごとの星の動きをおぼえられるかはさておき、望遠鏡を覗いて、さまざまな色に燃える星を眺めること自体は面白い。

 

 魔法薬学、これはもうどうしようもない。授業のたびに毎回、「今度こそはなにもおきませんように」と祈りながら、終わりの時間を待ちわびるしかない。

 

 そして今日は、フリットウィック先生の妖精の呪文の授業だ。決闘事件からしばらく、妖精の授業の教室に来るときはなんとなくびくびくしてあの扉の方を見てしまう。なにしろあの時、鍵をあけっぱなしにしたまま逃げてきたのだ。もちろん、あの犬だって餌を食べるだろうし、餌のあとは鍵を閉めるだろうから大丈夫だとは思う。でも、ロンの言っていたように仕掛け扉を調べるどころか、鍵が閉まっているのを確かめに行こうという気すら、さっぱり起きなかった。

 

 それを除けば、妖精の呪文の授業そのものは結構楽しい。この間、フリットウィック先生が僕のトレバーを部屋中飛びまわらせるのをみんなに見せてくれた時は、早く試してみたいとわくわくした。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」

 

 問題はただひとつ。

 いっこうに呪文が成功しないのだ。

 

「なにがいけないんだろう……」

 

 僕は深い溜息をついて、情けない気持ちで杖を見つめた。トウヒの木にドラゴンの琴線を使ったこの杖は、元々パパの持ち物だった。初めて魔力が発現したとき、ばあちゃんが僕にくれたのだ。でも、僕はこの杖を使って魔法をかけるとき――なんだかうまくいえないのだが、イメージとして――伏せたコップに水を注いでいるような、あるいは荷物を積み過ぎたカートをうんうん言いながら押しているような――そんな気分になることがある。

 まあ、気のせいだろう。きっと単純に、僕の魔力が足りないだけだ。

 

 まわりを見渡すと、シェーマスは羽根が燃え出してあわてて叩き消しているし、ラベンダー・ブラウンの羽根はじりじりと机を這って横切っていて、まるで毛虫のようだ。ロンは杖を構えたまま、ハーマイオニーと睨みあっている。このふたりは、相も変わらず喧嘩中だった。

 

「発音がいけないのよ。『ウィンガーディアム』って、途中で長くのばさなくちゃ」

「なら、きみがやってみろよ!」

 

 ロンはふくれっつらで、杖を机の上に放り出して腕組みする。ハーマイオニーは自分の杖を取り出すと、はきはきと呪文を唱えた。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」

 

 ふわり、と羽根が浮き上がった。そのまま頭の上までゆるやかに舞い上がり、手が届かない高さでゆらゆら揺れながらとどまっている。

 フリットウィック先生はそれに目をとめると、嬉しそうに拍手して、クラスを見渡した。

 

「みなさん、ごらんなさい!ミス・グレンジャーがやりました!」

 

 ロンはひどいしかめっ面になって自分の杖を握り直し、やけ気味に呪文を唱えながら腕をぶんぶんと振り回した。これが上手くいかない理由は、僕が見てもわかる。フリットウィク先生は杖の振り方を「ビューン、ヒョイ」だと言っていたのに、ロンの杖ときたら、ヒュンヒュンと音を立てて空を切っているんだから。

 

 

 

 

 

 授業のあと、廊下のひとごみをかき分けながら、ロンはひどく憤慨して大声でハーマイオニーの悪口を言っていた。

 

「だからあいつには誰だって我慢ができないんだ。まったく悪夢みたいなやつさ!だからいまだに、誰も友達がいないんだぜ……」

「でも、アリー・ポッターとは結構話してるの見かけるけど?」

 

 シェーマスが言うと、ロンはフンと鼻を鳴らした。

 

「きみ、本気で言ってる?スリザリン生がまともにあいつを相手にするはずないだろ。百歩譲って今はそうでも、ポッターだってじきにスリザリンに染まって離れていくさ!」

 

 ロンが勢い込んで言い切ったとき、誰かが僕の肩にぶつかって、足早に追い越して行った。ちらりと見えたハーマイオニーの横顔は、泣いているように見えた。

 

「今の、聞こえたんじゃないか?」

「泣いてたよな、あいつ……」

 

 シェーマスとディーンが立ち止まって呟き、ロンをちょっと非難するように見た。ロンはややたじろいで、僕を振り返った。

 

「え、いや、だって本当のことだろ。きみらだって、あいつが威張り散らすのにうんざりしてたじゃないか、なあ?」

「僕はそれほどでもなかったし、あの言い方はひどいと思うよ」

 

 僕は目をそらしてようやくそれだけを言うと、逃げるようにその場を後にした。

 

 僕だって、時には腹を立てることくらいあるのだ。

 

 

 

 

 

 ハーマイオニーはその後の授業にも出てこなかったし、夕食の時間になっても大広間に姿をあらわさなかった。今日はハロウィーンで、魔法のコウモリ飾りがあたり一面ではばたき、かぼちゃのランタンのゆらめく明かりが、宴会用の金の皿に盛られたごちそうを暖かく照らしている。僕は自分の皿にのせられたパンプキンパイを見つめた。いかにもおいしそうな黄金色に輝いている――ハーマイオニーは最後までこないつもりだろうか?

 

 そこへアリーが、きょろきょろと誰かを探すようにやってきた。最初、近くにいたロンに声をかけようとしていたが、ロンがまぶたをひっくり返して変な顔をして見せたので諦めたように肩をすくめ、ラベンダーに話しかけた。

 

「ねえ、ハーマイオニー知らない? 図書室で一緒に調べものする約束だったのに、ずっと来なかったの」

「ハーマイオニーなら、トイレで泣いてるの見たわよ。何があったかは知らないけど、ひとりにしておいてくれって言われたわ」

 

 横から、パーバティー・パチルが口をはさむ。アリーは原因を求めるようにあたりを見回し、ロンが気まずげに顔をそらしたのに気付いて、すっと目を細めた。

 

 だが、アリーがロンに皮肉を浴びせかけるより早く、それどころではない事態が起きた。クィレル先生が、ゆがんだターバンにも構わず、恐怖にひきつった顔で駆け込んできて、ダンブルドア校長先生に訴えたのだ。

 

「トロールが地下室に……お知らせしなくてはと思って」

 

 クィレル先生は言い終わるなりばったり倒れて気絶した。一瞬の沈黙のあと、大広間は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。みんなを静かにさせるために、校長先生は何発も紫色の爆竹を打ち上げなければならなかった。

 

「監督生は、ただちに自分の寮生を引率して寮へもどるように!」

 

 そう言い置いて、校長先生は何人かの教員を引き連れて出て行った。たぶん、地下室へむかったのだろう。アリーは急いで、スリザリンの監督生のところへ戻って行った。クィレル先生は気を失ったまま、慌てふためいて大広間から出て行こうとする生徒に何度も踏まれている。

 

 張り切るパーシーに連れられ、グリフィンドールに戻る階段をのぼろうとしたところで、僕ははっと気づいた。急いでロンを探しだし、腕をつかむ。

 

「なんだよネビル、こんな時に」

「ハーマイオニーだよ。彼女、トロールのこと知らないでしょ!」

 

 迷惑そうにしていたロンが、顔色を変えて唇をかんだ。

 

「そうだった……いいか、絶対にパーシーには気づかれるなよ。ひとまず、向こうのでっかいグリフィンの石像の後ろに隠れるんだ」

 

 逆方向に移動するハッフルパフ生にまぎれて、僕らはこっそりとグリフィン像へと向かった。僕は何人かのハッフルパフ生に「なんでこいつこんなところにいるんだ?」という顔で見られたが、口に人差し指をあてて目で訴えると、にやりと心得顔で頷かれた。

 彼らがどういう想像をしたのかはわからないが、とりあえず助かる。

 

 グリフィン像の後ろに隠れて、僕らは人通りがなくなるのを待った。誰かが急ぎ足でやってくる足音がするので石像の陰から盗み見ると、ちょうどスネイプ先生が素早く横切っていくところだった。

 

「あれって、4階へ行く通路だろ。なんで地下室へ行かないんだ?」

 

 ロンの疑問はもっともだったが、それより差し迫った問題があった。石造りの床を振動させるドシン、ドシンという足音と、ひどい悪臭、豚が鼻を鳴らすような鳴き声。

 

 それが、後ろから近づいてくる。

 

「隠れろ!」

 

 ロンが低く囁いて、僕らは物陰に身を潜めた。

 

 曲がり角から現れたのは、身長4メートルほどもありそうな巨体だった。鼠色のごつごつした肌にぼろきれをまとい、大きな木の棍棒をひきずっている。僕は、自分の激しく打つ心臓の音がきこえやしないかと危ぶみながら、姿をあらわしたトロールを見つめた。

 

 トロールは、少し先にある扉の前で立ち止まった。鍵穴に、鍵がささったままになっていたのが注意をひいたらしく、何か考え込んでいる。だが、結局満足する答えを思いつかなかったらしく(トロールの頭の出来では無理もない)、自分で確かめるべくドアノブを指の先でつまんでガチャリと回し、のっそりとドアをくぐって入って行った。

 

 ロンが、緊張気味のかすれた声でささやいてくる。

 

「チャンスだぜ。これで鍵をかけてやれば、あいつを閉じ込められると思わないか?」

「ちょっと待って」

 

 僕は、自分の声がのどにひりつくかと思いながら、その扉の案内板をじっと見つめて言った。

 

「あそこって、女子トイレじゃない……?」

 

 言い終わると同時に、扉の奥から悲鳴が聞こえる。僕らは顔を見合わせた後、扉を目指して物陰から飛び出した。

 

 たどり着いた僕らが見たのは、恐怖に震えながらトイレの奥の壁にへばりついたハーマイオニーと、彼女をつかまえようと迫るトロールの巨大な背中だった。トロールは、棍棒で洗面台を次々に薙ぎ払いながら、着実にハーマイオニーを追い詰めている。

 

「こっちを……向けっ!」

 

 ロンが目を燃やして、足元に転がってきた金属パイプをトロールに投げつけた。

 パイプはトロールの肩にぶつかり、ハーマイオニーまであと1メートルのところで、トロールが足を止める。

 

「おまえの相手はこっちだ、このウスノロ!」

 

 なにがおきたのかわからない、という顔でゆっくりと振り返ったトロールをロンが挑発し、素早く拾い上げた洗面台の破片をふりかぶって、トロールの鼻面に叩きつける。

 その隙に、僕は足をもつれさせながら、トロールの後ろをすりぬけてハーマイオニーに駆け寄った。

 

「ハーマイオニー、こっちだ……早く、走るんだよ!」

 

 僕はハーマイオニーの手を引っ張ったが、ハーマイオニーは動こうとしない。足ががくがくと震え、走るどころか、立っているのがやっとのありさまだった。

 

「なんだよ、自分の敵もわからないのか、この低能――うおっ」

 

 挑発を続けるロンにトロールが向き直り、足元に棍棒を叩きつけると、床のタイルが砕けて飛び散った。とびすさってあやうくそれをかわしたロンがひるんだところへ、矢のように飛び込んできた小さい影があった。

 

切り裂け‐眼球(ディフェンド・オキュラス)!」

 

 アリーが凛とした声で唱えて、鋭く杖を突きだす。トロールの両眼から勢いよく血がほとばしって、動きが止まった。

 

 しかし、それは一瞬のことだった。

 

 怒りと苦悶の唸り声をあげて、トロールが滅茶苦茶に棍棒を振り回し始めた。これまでの威嚇するような、ある程度規則性のある動きとは違う。個室に頭から突っ込んでいって壁をなぎ倒し、便器を棍棒で根こそぎ打ち壊す。見えない目から血をしたたらせながら敵を求め、吠えるトロールは向かう先のすべてをかたっぱしから粉々にしていった。

 

 アリーがロンを押し倒し、ロンの頭があったところを棍棒が通り過ぎる。だが、その音を聞きつけたのか、トロールは二人が倒れこんだあたりへ向けて、ゆっくりと棍棒を振りかぶった。僕は、思わず目を固く瞑る。

 

 

――思い出せ。

 

――習ったはずだ。あの棍棒に、ふたりを傷つけさせないような魔法を。

 

――闇の魔術に対する防衛術、ノー。変身術、ノー。妖精の呪文、イエス。

 

――水路を勢いよく流れていく水のイメージ。杖が自ら動くように、空中に模様を描く。

 

曲がれ。禍れ(・・)。木を構成する物質よ、在るべきではない姿となれ。

 

 

衰えよ(スポンジファイ)

 

 

 目を開けた僕が杖を振り下ろすのと、トロールが棍棒を振り下ろすのとは、ほとんど同時だった。

 

 だが、棍棒はアリーの体に沿ってぐにゃりと曲がり、トロールがたたらを踏む。その隙に、自分の杖を取り出したロンが、無我夢中に杖を振った。

 

浮遊せよ(ウィンガーディアム・レヴィオーサ)!」

 

 さっき壊された便器が浮き上がり、トロールの小さな頭の上に勢いよく落ちかかった。打ち所が悪かったのか、膝からくずおれたトロールは地響きをたてて倒れ伏し、動かなくなった。

 

 しばらく、壊れた蛇口から吹きだす水の音だけが、トイレの室内に響く。

 ロンが、息を切らせながら僕を見て、にやりとして言った。

 

「君がまともに魔法を使うところ、はじめて見たよ」

「僕もだ」

 

 僕は冗談めかして言おうとしたが、声がちょっと震えていた。今までに感じたことのないような高揚感がさめてくると、いまさらのように恐怖がどっと押し寄せてくる。

 

「死んだ……の?」

 

 ハーマイオニーがかすれた声で訊く。

 ロンがぐにゃぐにゃになった棍棒を押しのけてアリーを立たせてやり、おそるおそるトロールに近付いた。

 

「いや、ノックアウトされただけみたいだ。早くここを出ようぜ、こいつがまた起きだす前に……」

 

 言い終わる前に、複数の足音が慌ただしく近づいてきた。

 

 最初に飛び込んできたのはマクゴナガル先生だった。続いてスネイプ先生。そしてクィレル先生と――なぜか、マルフォイもいる。

 

「一体全体、あなたがたはどういうつもりなのですか」

 

マクゴナガル先生の声は冷静だったが、隠しきれない怒りに満ちていて、僕らは全員震えあがった。

 

これを切り抜けるのはもしかして、トロールをやっつけるよりも大変かもしれない。




 ネビルの最初の杖については父親のおさがりということ以外詳細が分からなかったので、公式サイトのオリバンダーさんの解説を眺めて、初期型ネビルだと扱いきれないような素材をチョイスしてみました。
 不器用な者がおそるおそる使うと事故につながりやすく、とても危険。でも覚悟を決めて振るえば上達が早く、華やかな効果を生み出す。そんな杖をイメージしています。



呪文について:
「ディフェンド・オキュラス」
1年生で習う切断呪文をアレンジした呪文。殺傷力よりも、対人戦における相手の無力化を重視している。誰ですかね、こんなえげつない呪文考えたの(すっとぼけ)

「スポンジファイ」
1年生の妖精の呪文で習う柔軟化呪文(ゲーム版で登場)。

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