朝の薄暗く濁ったような光がカーテンの隙間から差し込む部屋の中で一人、
目を血走らせ何かに急かされるようにコンソールを猛打する男が居た。
部屋の床には空のペットボトルや口を縛られたコンビニの袋が散乱している。
「ああ畜生め。なんでこう丁度いい素材がないんだ。誰か一人ぐらいフリーで公開しててもいいじゃないか」
悪態をつきつつ新たな検索ワードを入力し、表示された情報を夜勤明けの鈍った頭で吟味する。
やはり、ない。
素材を手に入れたとしても、その編集にかかる時間を考えるともはやこれ以上のタイムロスは許容しがたかった。
彼は迷う事無くマジックテープ式の財布からカードを抜き放つ。
「ここで間に合わなかったらもったいなさ過ぎる」
頻繁に使用する機会があり、既に暗記しているクレジットカードの番号を念のため確認すると慣れた手つきで入力していく。
モニターに大きく、購入が完了しました、という文字が躍った。
「よっしこれでいける。って、うっわなにこのエフェクトかっこいい。やっぱりこっちにしようかな?」
購入した素材集の中には当初の目的だったエフェクトよりも興味を引かれる物が複数あった。
時間短縮の為のエフェクト素材集の購入だったが、より良い物を作りたいという気持ちと生来の優柔不断さが合わさりかえって時間を浪費するはめになっている。
「よし、これにしよう」
やや金を無駄遣いをしてしまった感覚に奇妙な高揚感を感じつつ、彼は高価な編集機材を弄る。
エフェクトを合成し、特殊効果をつけ、時間設定を調整し、効果音のタイムライン上の位置を調整する。
そして、再生ボタンを押した。
「んふふふふ・・・・・・やっべこれいいじゃないか」
高価な編集機材に囲まれたモニターの上では、骸骨の姿をした魔法使いが邪悪なオーラを放ちながら杖を掲げていた。
「どこかでお会いしましょう……か」
だれも居ない円卓の間でモモンガは一人呟く。
座る者の居なくなった40席の椅子を眺めつつモモンガは心中で荒れる感情を堪えていた。
ふざけるな!そう叫んでしまいたかった。
しかしその言葉も、その後に続くキルドメンバーに対する複雑な気持ちも音声として口からは出てこない。
「……ふぅ」
溜息を一つ。
落ち着かなければならない、とモモンガは思った。
ユグドラシルというゲームが終わる今日と言う日の為に1週間以上の余裕を持って
かつてのギルドメンバー達に誘いのメールを送ったのはモモンガ自身だ。
もしかすると、まだ来ていないギルドメンバーが次の瞬間にもログインしてくるかも知れない。
その事を考えると仲間たちへの文句を感情に任せて叫ぶことなど出来なかった。
そう――
最後に残ったモモンガを除く3人のギルドメンバーの内、あと1人がまだ来ていないのだ。
「遅いなぁ。見せたいものがあるって言っていたのに」
メールへの返事はあった。
見せたいものと、皆にプレゼントがあるから必ず行くという内容だった。
何かと気まぐれで飽きっぽく、それでいて拘るところにはトコトン拘る彼の事だからきっと来る。
モモンガは当時趣味が合った友人のログインを確信していたが、それでもサーバーダウンまでの時間が残り僅かになれば不安が頭をもたげてくる。
「……」
モモンガは無言で円卓の席から立ちあがると、ギルド武器の傍に歩み寄った。
スタッフ・オブ・アインズウールゴウン。これを作るためにギルドメンバーは相当な無茶をしたものだ。
だからこそ、このギルド武器はかつての輝かしい日々を思い出させてくれた。
苦行とも言える狩りを続ける日々が脳裏に蘇えっていく。
その時だった。
【クーゲルシュライバーさんがloginしました。】
モモンガの視界中央にシステムメッセージが表示された。
「お久しぶりですクーゲルシュライバーさん」
ちょっと遅くはないか?
そんな気持ちも無くはないが、モモンガは心から彼のログインを歓迎しつつ振り向いた。
そこにいたのは巨大な蜘蛛だった。
人間よりも二周りも大きな蜘蛛。その蜘蛛の、本来目があるべき場所には余すところ無く黒檀色の甲殻に覆われた、逞しい人間状の上半身が生えている。
そののっぺらぼうのようにツルリとした頭部には、設定上目の役割を果たす真紅の光を放つ8個の円形の窪みがあった。
それは、種族派生の多いスパイダー系最上位種族の一つである
エルダーブラックウーズなどと同じダンジョンに配置されるモンスターで、糸を使った高度な行動阻害能力が面倒くさいと評判だった。
モモンガは
その後ガチ泣きする前衛を慰めつつ、魔法による支援が遅れてしまった事に対する罪悪感から、溶かされた装備分を何とか取り戻そうと奮闘したのもやはり良い思い出である。
ただ、眼前のアトラク=ナクアはそういったダンジョンに配置される通常モンスターの形状から少し逸脱している。
それはプレイヤーキャラとして外装を弄っている上に、様々な種族を経てスキルを習得している為、本来存在しない器官が生成されているせいだ。
「お久しぶりですモモンガさん。いやぁ遅くなってすみません!」
ややハイテンションなクーゲルシュライバーの声に、モモンガは徹夜明けの空気を感じた。
この人もまた、忙しい中無理をしつつ自分のわがままのような誘いに答えてくれたのだと申し訳なく思う。
その一方で大きな喜びが胸にこみ上げてくる。
未だアインズ・ウール・ゴウンのメンバーとして名前が残っているプレイヤーはこれで全員来てくれたのだ。
その事がギルド拠点を維持する為に今まで一人で狩りをしてきたモモンガには嬉しかった。
あの孤独の日々が報われたような気がしたのだ。
「ちょっとエンコードに時間が掛かっちゃいまして。あ、私の他にどなたか来ました?もしかして私が最初です?」
その言葉にモモンガはヘロヘロをもう少しだけ引き止めるべきだったかと後悔する。
クーゲルシュライバーとヘロヘロは嘗てのギルド全盛期に行われたPKやギルドウォーではコンビを組むことが多かった。
二人のキャラが持つ性能の相性が非常に良かった為にそうなったのだが、それを抜きにしてもあの二人はとても仲がよかったのだ。
「いえ、クーゲルシュライバーさんで最後ですよ。ほんの数分前までヘロヘロさんが居たんですけど、お疲れのようだったので……」
「うっわヘロヘロさん来てたんですか!くそぅ惜しい事したなぁ。もうちょっと早くエンコード終われば……」
クーゲルシュライバーは擬腕を振り回して悔しがるリアクションを取ると、慌てた様子でモモンガに詰め寄ってくる。
ユグドラシルのスパイダー系モンスターらしく非常にリアルな脚の動きで此方に向かってくる大蜘蛛にモモンガが僅かに身を引く。
とうに見慣れていた筈の光景に対する自らの反応に、耐性がなくなるだけの空白の時間があった事に気づきながら。
「ど、どうしました?」
「モモンガさんヤバイです時間が無いです!玉座の間に行きましょう!」
「え、あ、はい。最後の瞬間は玉座の間にしようと思ってたので丁度いいですね。行きましょう」
焦りを感じさせるエモーションを連続表示させるクーゲルシュライバーに対しモモンガは静かに頷くとギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に取った。
あふれ出す邪悪なエフェクトの作りこみに感動する間もなくモモンガはクーゲルシュライバーと共に円卓の間を飛び出した。
なんとも慌しい最後になったものだ。
クーゲルシュライバーに急かされるままモモンガは玉座の間にたどり着いていた。
途中見かけた執事とメイドのNPCを無視し、悪戯好きなギルドメンバー作の巨大な扉をなんの警戒もなく開け放ち得た僅かな時間を使って
クーゲルシュライバーは一人コンソールを弄っている。
モモンガの事は完全にほったらかしだ。
その姿を玉座から眺めつつモモンガは考える。
しんみりした最後というのを予想していたが、こういう慌しくバタバタした最後というのもアインズ・ウール・ゴウンらしくて良いのではないか?
モモンガは過ぎ去った日々に思いを馳せる。
毎日がバカ騒ぎの連続だった。色んな苦労をした覚えもある。
だが仕事帰りのその騒がしいおバカな時間が何よりも楽しかった。
これが友達なんだ、と。
これが友達と本気で遊ぶという事なのか、と心底感動し、そしてそれにのめりこんでいった。
――今はこんなにも少なくなってしまったけど。
過去のバカ騒ぎを思い出しつつモモンガはふと、悪戯をしてみたくなった。
クーゲルシュライバーが準備をしている間、玉座に座って何もしていなかったわけではない。
傍らに仕える高レベルNPCであるアルベドの設定に目を通し、最後の一文にドン引きしていたのだ。
「変更するか」
ギルドメンバーが独自のこだわりで作り上げたNPCを個人の感情で弄っていいものかという葛藤はあった。
しかし昔の仲間達の自由奔放さを思い出していたモモンガは、サービス終了間際という事もあり悩むことをやめ自分勝手に振舞うことを良しとした。
人間、たまには悪いことをしてみたい時もあるのだ。
ギルド武器を使用して設定テキストにアクセスする。
即座に問題の「ちなみにビッチである。」という一文は消去された。
「なにしてるんです?」
「うぉっほん!?」
突如頭上から声をかけられモモンガが狼狽する。
立ち上がり玉座のやたらと高い背もたれを見上げれば、そこには徐々に不透明度を増していくクーゲルシュライバーの姿があった。
壁や天井を移動可能になる種族特性と職業から来る隠密スキルを利用した見事な不意打ちだった。
モモンガの種族的なスキル、魔法的視力強化/透明看破が効果を発揮していない事を顧みるに、どうやら魔法であれば超位階相当の一日に4回しか使えないスキルを使用したらしい。
「あぁいやその、これはですね」
まさに悪戯が見つかった子供のようにうろたえるモモンガにクーゲルシュライバーは気にすることはない、という意味で使用されるエモーションを表示する。
「どっきり成功!」
「……どっきりって、もう勘弁してください。結構本気で驚きましたよ」
「あはははすみません。でもそんなに慌てること無いのに」
「いやいや、アルベドの設定を勝手に弄っていたわけですし……元に戻しますね」
やはり滅多な事はやるものではないと後悔しつつ、コンソールへと手を伸ばすモモンガをクーゲルシュライバーが止める。
「いや良いじゃないですか。タブラさんはもう抜けちゃったんだし、ギルドマスターでもたまにはこういう事をしてもいいと思いますよ」
それに、とアルベドを一瞥する。
「最後ぐらいはビッチ設定変えちゃいましょうよ。こう、今まではビッチだったけど最後は改心してNPC統括に相応しいキャラになった・・・・・・みたいな感じで!」
その言葉にモモンガは思い出した。
クーゲルシュライバーという男は古の遊戯であるTRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)を嗜む今時珍しい趣味の持ち主であり、
設定を作ったり弄ったり生やしたりするのが大好きだったという事を。
「……それじゃあ、空いた文字数分何か書き足しますか?」
「えっ、いいんです?モモンガさんが何か考えていたんじゃ」
「いえ、特に考えていたわけではないので構いませんよ」
「そうですか。それじゃあ……」
考える時間を10秒も持たずに、クーゲルシュライバーは自分の考えを口にした。
「ギルメンを愛してる、ってどうです?」
「ギルメン・・・・・・略語ですか。文字制限に苦しんだ感じが出てますね」
「正直苦渋の選択ですよ……。でも内容的にはいいんじゃないですかね?
ただのビッチがギルドメンバーだけを愛するようになる。なんかそこまでの過程でショートシナリオが一つ書けそうですし!」
「でも結局ビッチじゃありませんか?」
ギルドメンバーは名前が残っている者だけで4人いるのだ。
結局は表現が変わっただけでビッチには違いないのではないだろうか?
「まぁ結局範囲が狭まっただけでビッチですけど。でもそこがいいんですよ、そこが!」
そういうものなのだろうか。
そういうものなんだろうな。モモンガは納得することにした。
勝手に設定を弄ろうとしていた事を目撃されたのが、未だに尾を引いている。
正直、恥ずかしいのでさっさとこの話題から離れたかったのだ。
素早くコンソールを操作し設定の空欄を埋める。
「それで、準備完了ですか?」
「そうでした!上映準備が出来たんで開始しますよ!時間もありませんし」
今思い出したかのように慌てつつクーゲルシュライバーは特殊なスクロールを取り出す。
これはスクロールの形状をしているが全くの別物だ。
その名を「ムービースクロール」という。
その中でも課金を必要とする最大のデータ容量を持つものだ。
ユグドラシルには所謂ビデオカメラに相当するアイテムが存在し、それらで撮影した動画データをゲーム外に持ち出す事が可能だ。
別売りのゲーム撮影用の機材を使っても同じことは出来るが一式を揃えるのにかなりのリアルマネーを消費する上に、プライバシー保護機能がついていない為にネット上で公開する時はわざわざ動画編集ソフトを使ってプレイヤー名などを隠さないとならないので、より手軽なこのアイテムが使用されることが多い。
かつて行われた1500人からなるナザリック攻略戦において、第8階層での戦いを記録したのもこの系統のアイテムだった。
そして動画データの持ち出しが可能なアイテムがあれば、外部から取り込んだ動画データを持ち込む事が出来るアイテムも存在する。
それがムービースクロールである。
クーゲルシュライバーはこの手のアイテムを最も愛用していたギルドメンバーだった。
「これは本当に自信作なんですよ!皆に撮影手伝ってもらったからムービー素材は沢山ありましたからね!」
「ずいぶんと長い時間を使って作っていたようですしね」
「うぐっ、そ、それはなんか・・・・・・すみません」
痛いところを突かれた。
夜勤明けのまま睡眠を取る事なく再び夜を迎え、不自然にテンションが高かったクーゲルシュライバーはモモンガの言葉を受けて目に見えて落ち込んだ。
「あっ、いやすみません。全然そういうつもりではなくてですね!」
「いや、いいんです。実際ちょっと時間掛かりすぎですもんね」
たとえば動画サイトに置ける人気動画シリーズがあったとしよう。
その次回更新は一週間後と告知しておいて、実際に更新したのは5年後だった時のアップロード主の気持ち。
それが現在のクーゲルシュライバーの心境に一番近いだろう。
胃が痛ぇ。
リアルに胃への痛みを感じつつクーゲルシュライバーはうろ覚えだったコマンドを使用しアルベドを部屋の隅へと移動させそこで跪かせる。
上映会の邪魔にならないようにする配慮からだ。
「時間は掛かりましたが本当に自信作です。モモンガさんのアドレスにデータ送っておいたんで、あとで皆にも配ってあげて欲しいです。卒業記念品みたいな感じで」
「分かりました。しっかりやっておきます」
「ありがとうございます。それじゃ、始めますね」
クーゲルシュライバーはムービースクロールを起動させると、スキルを複数使用して姿を消した。
これは上映会を行う際、デカイ外装が視聴の邪魔にならないようにと彼が昔からやっていた行為であるため、モモンガは何も言わずに玉座の間の中空に展開される映像に注目した。
「おぉ・・・・・・」
重厚な音楽と共にギルドメンバー各員の紋章が漆黒の闇に浮かんでいく。
「俺、たっち・みー、死獣天朱雀、餡ころもっちもち、ヘロヘロ、ペロロンチーノ、ぶくぶく茶釜、
タブラ・スマラグディナ、武人建御雷、ばりあぶる・たりすまん、源次郎・・・・・・」
モモンガは現れては円を描くように配置されていく紋章を指差し、それが表すギルドメンバーの名をよどみなく読み上げていく。
全メンバーの名を読み上げるのに、大した時間は掛からなかった。
いまや勢ぞろいしたギルドメンバー達の紋章は巨大な円を形作っていた。
その配置は円卓の間でのそれぞれの席順と同じである事にモモンガは容易く気づくことが出来た。
「そうだ、楽しかったんだ……」
こみ上げてくる熱い感情を堪えながら見つめる先では、円を描く紋章の中心に巨大なギルドサインが浮かびあがっている。
そして次の瞬間闇と紋章は掻き消え、円卓の間を天井から見下ろすアングルとなる。
モモンガは、いや、鈴木悟は自身の肉体が涙を流している事を自覚することもなくそれに魅入った。
――あぁ、みんなだ。みんなが、いる。
円卓の周りには空席はなく。
鈴木悟という人間の遅すぎる青春時代を共に駆け抜けた、掛け替えのない大切な40人の仲間が居た。
視点が円を描くように移動し、円卓に座る41人のギルドメンバーを一人残らず映していく。
最後にモモンガの前で視点が止まると、モモンガはローブをはためかせつつ立ち上がり杖を高く掲げた。
骸骨の体から邪悪なオーラが立ち上り、杖の先からは様々な色の光のエフェクトが迸しる。
「おおぉ……!」
あまりにもカッコイイ自分のキャラクターの姿にモモンガのテンションは頂点を極めようとしていた。
滾る光がその強さを増していく。
そして――!
唐突に映像は途切れた。
「・・・・・・え?」
気の抜けた声が玉座の間の静寂に溶ける。
先ほどまで一大スペクタクルが浮かんでいた空間にはもう何も無い。
「どういう……ことだ?」
折角いいところだったのに、なぜ?
モモンガは微かに苛立ちつつ、玉座から立ち上がった。
その時だ。
「どうかなさいましたか?モモンガ様?」
初めて聞く女性の綺麗な声。
モモンガは呆気に取られながら声の発生源を探り……唖然とした。
声のした方角から、心配そうな表情を浮かべたアルベドが此方へと小走りで近づいてきていたのだ。
クーゲルシュライバーは種族レベル50、職業レベル50のカンストプレイヤーです。