オーバーロードと大きな蜘蛛さん   作:粘体スライム狂い

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13話

「オオオァァァアアアアー!!」

 

聞くものに肌があわ立つような恐怖を感じさせる咆哮と共にデスナイトが駆け出す。

生ある者を憎む邪悪極まりないアンデッドの騎士は、これから起こるであろう殺戮の予感に歓喜しながら黒い疾風となって小さく見える村へと向かう。

その凶悪かつ力強い背中を見つめ、モモンガは前方に差し出されていた手を力なく降ろした。

 

「いなくなっちゃったよ……。盾が守るべき者を置いて行ってどうするよ。いや命令したの俺だけどさ」

 

今までの人生で一度も向けられた経験の無い異様な瞳で生態系から逸脱した二匹の化け物蜘蛛を見つめるネムを極力無視して、モモンガは召喚したデスナイトに血がべったりと付着した人骨を包む鎧を見せた。

そして同じ鎧を着用している者達を殺せという命令をしたのだが、その結果が先ほどの光景である。

この命令はモモンガとしてはデスナイトが自身の護衛中に誤って救助対象である村民を攻撃しないようにと攻撃対象を指定したに過ぎない。

ユグドラシルでは作成されたデスナイトは護衛対象である召喚者の傍から離れることは無かった。

だからモモンガの出した命令はデスナイトに期待される盾としての役割を損なわずに受諾される筈だったのだ。本来であれば。

 

「解釈の自由というか……護衛に関する命令が無ければかつての壁モンスターもその役割を果たさないのか」

 

信じられないものを見たというようなクーゲルシュライバーの声に、モモンガはユグドラシルにはなかったこの”自由度”のメリットとデメリットについて考えながら頭を上下に動かし同意を示す。

メリットはシンプルにその自由度自体だ。ゲームではできなかった護衛以外の行動を命令次第で行わせることができるはずだ。

デメリットはその自由度ゆえに、命令を的確に行わなければ先ほどのように此方の意に副わない行動を取ってしまう事である。

受け取り手の性格や知性によっては勘違いなどが発生してしまう恐れがあるのだ。

このデメリットは未知の要素が多い今の状況では致命的な危険を招きかねない。

サポートモンスターを召喚、作成した時はこの事に注意して命令する際には内容を曖昧にせず、はっきりと此方の望む行動を言葉にして命令しなくてはならないだろう。

流石に契約書ほどに内容を緻密にする必要は無いだろうが、それでも咄嗟に行うには難しい。

少なくとも年下からさえも命令される側だったクーゲルシュライバーと、ただの営業職だったモモンガには難易度が高かった。

だが、苦手と言って克服する努力を怠っていては自分と仲間の身を危険に晒すことになる。

 

少しずつ練習して慣れていかなければならない。

クーゲルシュライバーは自らが作り出したデスウェブを見つめる。

 生きた蜘蛛をまるで出血するかのように零れ落す巨大な蜘蛛…………の抜け殻。

脆弱な生物が強固な外殻を住処にする様子は一般的な命を持つ生物であるヤドカリに似ているが、当然そのような可愛げのある存在ではない。

両者を運命共同体とするのに死霊術が関与しているせいか、デスウェブはアンデッドである。

そしてアンデッドである以上、アンデッドの種族特徴を持っている。

 

クリティカルヒット無効、精神作用無効、飲食不要、毒・病気・睡眠・麻痺・即死無効、死霊魔法に耐性 、肉体ペナルティ耐性、酸素不要、能力値ダメージ無効、エナジードレイン無効、ネガティブエナジーでの回復、ダークヴィジョン/闇視

そしてアンデッド共通の弱点である炎と光、正、神聖攻撃への脆弱性。

 

この中でデスウェブにとって問題なのが炎への脆弱性だ。

光、正、神聖攻撃とは違って炎による攻撃は比較的容易に行える。それこそあの騎士達だって出来る。

油をかけて火を点けたり、剣に燃料を塗って燃やすだけで弱点属性を突けるのだ。

さらにデスウェブの攻撃方法は糸を多用するし、中身であるスパイダー・スウォーム達は範囲攻撃に弱い。

火を猛烈な弱点に持つモンスターが可燃物をばら撒きながら戦うのである。

一発でも炎属性の攻撃を喰らったら焼死しかねない危険性があった。

 

(単体で戦わせたらあっさりやられちゃいそうだぞコイツ。さすが雑魚モンスター。盾役がいなけりゃどうにもならん)

 

特に深い考えがあったわけではなく、名前にデスナイトと同じ「デス」がついて捕獲が得意そうなモンスターが良いだろうという適当な理由で選ばれたデスウェブだったが、その自爆必至な戦闘スタイルを思い出したクーゲルシュライバーはどう運用すればいいのか分からなくなってしまった。

無理をしてまで使う必要はないし、クーゲルシュライバーにとっては幾らでも代えのある召喚モンスターなので倒されてしまっても別に構わない。

使い潰すこと前提で無造作に敵集団に突入させ、どれぐらいの戦果を上げるか観察するという運用でも全く問題ないだろう。

 

しかし、以前モモンガに聞かされていた召喚したモンスターとの精神的な繋がりからはデスウェブの深い敬愛の感情と猛烈なヤル気が伝わって来ている。

あくまで感覚的なものに過ぎないが、クーゲルシュライバーにとってはそれが、ヒーローショーで憧れのヒーローから「怪人を倒すのに君の力が必要だ!」と言われた時の幼稚園児の決意溢れる表情に似ているように思えた。

 それを端的に表すのならば、すなわち「ぼくがんばる!」である。

 

 そんな自身が生み出した存在の無垢な気持ちをクーゲルシュライバーは無下には出来なかった。

それなりの活躍をさせてやろうと頭を回転させ、ひねり出した考えをモモンガに提案する。

 

「我が友よ。お前のシモベは村を襲う者共を狩りに行ったようだが、村人の守護を担う者も居たほうが都合がよいだろう?我が眷属をその任に当たらせようと思うのだが、どうだろうか?」

 

デスウェブは盾モンスターではないので自分達の周りに置く意味は薄い。これから盾役としてはナザリック最高峰であるアルベドが来るのだからなおさらだ。

エンリとネムの護衛役にするのも無駄が多すぎる。二人の守りは万全とは言えないが騎士達相手ならば十分すぎる防御力がある。

ならば、とクーゲルシュタイナーが提案したのはデスナイトの補佐とも言える村人の護衛任務だった。

彼我の戦力差を見るに補佐の必要すらないかもしれないが、名目上は村を救いに来たのだから万が一デスナイト襲来の混乱で村人が1人でも死亡するような事があればネムの願いを聞き届けた身として情けない結果となるだろう。

なにせデスナイトは生者を憎むアンデッド。

騎士達の殺害だけで村人の守護を命じられていない以上、騎士の誰かが村人を殺そうとしていてもあえてそれを見逃したりするかも知れない。

それを防ぐための守護役の存在はあった方がよいだろう。それにデスナイトと共闘すれば弱点である炎属性の攻撃に晒された時に庇ってもらえるかもしれない。

クーゲルシュライバーはそう考えた。

 

「……デスウェブを?」

「デスウェブをだ」

 

盾モンスターではないデスウェブにその仕事は不適切では?

そう言いたげなモモンガにクーゲルシュライバーは堂々と答える。

その姿になにか思うことがあったのかモモンガは暫し考える素振りを見せた後クーゲルシュライバーに許可をだした。

 

「じゃあ頼もうか」

「任せてくれ。……デスウェブよ。この先に、そこに転がっている鎧を着た者達に襲われている村がある。その村の住民を守れ。そして先行しているデスナイトと協力し村人の脅威を排除するのだ」

 

出来るだけ気をつけて命令したけど、これで大丈夫だろうか?

緊張するクーゲルシュライバーに対し、命令を受けたデスウェブはその体内から大量のスウォームを迸らせながら甲高い鳴き声を上げる。

 

「キィィィィィィィ!!」

 

昔見たアニメ映画に登場した神様のゾンビみたいだ、とクーゲルシュライバーが思っている背後で、エンリが悲鳴を上げ、モモンガが静かにその身を引き、ネムが薄ら寒い恍惚の笑みを浮かべる。

各々別の反応をみせる彼らに背を向けると、デスウェブは重力に従って落ちてきたスウォームを空洞の体に納めるとデスナイト以上の速度で村を目指して走り出した。

 

「……がんばれよ」

 

遠ざかる背中に小さな声でクーゲルシュライバーがエールを贈った時、開いていたゲートから人影が現れる。

 

「む、来たか」

 

現れた人影、悪魔のような全身甲冑を身に纏ったアルベドの姿を見たモモンガが効果を持続させていたゲートをもう用はないとばかりに消失させる。

 

「準備に時間がかかり、申し訳ありませんでした」

 

角の生えた面頬付き兜の下から聞こえてきたアルベドの声にモモンガとクーゲルシュライバーが喜色の滲んだ声で出迎える。

未知への不安があり、たった今盾役を失った二人が完全武装したアルベドというナザリック最高の盾の到着を喜ばない理由などなかった。

 

「いや、そうでもない。実にいいタイミングだ」

「まさにな。これからお前が必要となるところだったのだよ」

「ありがとうございます。……それで」

 

途中で言葉を切ったアルベドに一体どうしたのだろうかとクーゲルシュライバーは彼女の面頬付き兜に覆われた顔を見つめる。

――そして戦慄する。

視界を確保する為に開けられたスリットの闇の向うで金色の光が煌々と輝いていたのだ。

底冷えするような敵意が感じられるその光は真っ直ぐにエンリに抱かれた未だ全裸なネムへと注がれていた。

先ほどまで笑みを浮かべていたその顔は恐怖に引きつり今にも泣き出しそうだ。

そしてそれはネムを抱きかかえているエンリも同じだった。

 

「その生きているかぁ、下等生物の処分は、どうなさいますか?己の犯した罪も知らずのうのうと生きているだけでなく、身の程も弁えず、く、クーゲルシュライバー様に淫らな視線を向ける、そのかぁとぉう生物の処分は」

 

今にも手にしたバルディッシュでエンリごとネムを両断しかねない雰囲気を発散するアルベドの姿に、怒りの原因がなんであるかに思い当たったモモンガが手にした杖を地面に突き立てる。

 

「やめよアルベド。セバスになにを聞いてきたのだ」

 

アルベドからは返事がない。

 

「ちゃんと聞いていないのか……。ともかく、私達はこの村を助ける。とりあえずの敵はそこに転がっている鎧と同じものを着た連中だ」

「はっ。しかし……」

 

尚も引かないアルベドに、こいつどれだけ怒ってるんだよと内心冷や汗を流しながらモモンガは説得をつづける。

援護射撃を期待して横目でクーゲルシュライバーを見てみれば、考え込むようなポーズを取って「淫らな視線ってなんだ?」などと呟いている。

その疑問はもっともだが、頼むからアルベドを落ち着かせるのを手伝ってくれないか。

そんなモモンガの願いは邪神には届かなかった。

 

「……やめよと言っている。私の部屋を汚した人間に対するお前の怒りはわかるが、私はそうなる事を予想した上でその少女の前にゲートを開いたのだ」

 

部屋が汚れてしまう事を予想した上で助けた。

そこまで言われたアルベドはモモンガに謝罪すると静かに身を引いた。

モモンガの肩から力が抜ける。

引き際にアルベドが呟いた「そこまでして保護する価値がアレに……?」という言葉にどこか不安を感じるが、とりあえず折角手間をかけて保護した少女二人を敵ではなく仲間の手によって殺害されるという事態は回避できたようだった。

 

「なあアルベドよ。お前の言う淫らな視線、というのは一体なんなんだ?」

 

唐突に、モモンガが必死でアルベドを説得する隣で一人黙々と考え込んでいたクーゲルシュライバーが口を開いた。

 

「はい。そこの下等生ぶ……人間が不敬にも至高の御身に向けるあの視線は紛れもなく発情した雌のそれです。この私が言うのです、間違いありません」

 

アルベドの確信を持った言葉に、そういえばアルベドはサキュバスだったかと心中で呟きながらクーゲルシュライバーは高性能になった視力でネムの両目を覗き見る。

恐怖に震えていたネムだったが、クーゲルシュライバーに見つめられている事に気付いたのか途端にアルベドが来る前の瞳孔が開ききった異様な目で見つめ返してくる。

そんなネムの目を見て、クーゲルシュライバーは昔なにかの雑誌で見た知識を思い出した。

 

――好きな人を見ると目の瞳孔が開く!?人は興味関心のあるものや好きなものを見ると、瞳孔が大きく開く性質を持っています。なので相手の瞳孔の大きさを見れば相手の好感度をチェックできちゃう!あなたも明日からこの秘密テクニックで恋愛の達人だ!

 

(たしかそんな感じだったな。ということはネムのあの目は欲情とかじゃなくて好意を向ける目って事だ。そりゃそうだ。蜘蛛に欲情する幼女が居てたまるか。アレは多分ピンチを救ってくれたヒーローに対する好意とか敬意とか、そんなところだろう。アルベドの勘違いだな)

 

自信満々で断言しているアルベドだったが、残念ながらそれは外れだとクーゲルシュライバーは口から空気を漏らす程度に笑う。

その微かな笑いに気付いたのかアルベドが怪訝そうに首をかしげる。

そんな彼女の姿を見てますますクーゲルシュライバーは愉快になってきた。

 

(すごい強くて賢い美女で、ギルメン皆愛してる設定の超積極的ビッチなアルベドが実際は恋愛についてはズブの初心者とか……流石はタブラさん。処女ビッチとは良いものだな!)

 

そう考えると、途端にアルベドのあの態度が好きな相手に好意を向けるライバルを牽制する女子高生のように思えてくる。

果たしてそんな女子高生が現実に存在するのかどうかは不明だが、クーゲルシュライバーのアルベドに対する印象は今やそれで固定されていた。

 

「あの、如何なさいましたか?私がなにか……?」

 

自分がなにかおかしい事でも言ったのだろうかと不安そうに聞いてくるアルベドにクーゲルシュライバーはキザっぽい声で答えた。

 

「なに、人間の少女に嫉妬するとは大人びているアルベドにも存外カワイイところがあるものだ、とな?ハハハハハ」

「カワイイ!クフー!ク、クーゲ……ンンッ!カワイイなどと、ああっ!至高の御方にそんな事を言われたら私、私ぃっ!」

 

高らかに笑う蜘蛛とクネクネと喜び悶える全身鎧の戦士という珍奇な光景。

 村が襲われているという緊急事態にも拘らず、放っておくといつまでも続きそうな予感を覚えたモモンガは再び杖を地面に突き立てる。

 

――気付け。気付けよ。気付けってば。ねぇ気付いてよ。

土を抉ること四回。

ようやく意識を向けたクーゲルシュライバーとアルベドにモモンガは顎で村を指し示すとゆっくりと歩き出す。

デスナイトとデスウェブを先行させているとはいえ、此処でいつまでも時間を潰しているわけにはいかないのだ。

必死に謝罪するアルベドと、一言二言軽い謝罪を投げかけてくるクーゲルシュライバーを伴ってモモンガは進む。

しかし、数歩も行かない内に背後から声がかかった。

 

「あ、あの――!助けてくださってありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

 

その声にモモンガ達は立ち止まり助けた少女二人を振り返る。

一人は血塗れで、一人は全裸の少女二人組は胸の前で手を組んで仰ぎ見るかのような姿勢で感謝の言葉を紡いでいた。

血塗れの少女エンリはどす黒く変色しスライム状になった血液を貼り付けた顔でモモンガを見つめ、全裸の少女ネムは時折その幼い体をブルリと震わせながら紅潮した顔でクーゲルシュライバーを見つめている。

 

「……気にするな」

「ああ、気にする事はない。だがその感謝の心は尊いものだ。ゆめ、その心を忘れないようにな」

「はい!これから毎日お二人に祈りを捧げます!」

「捧げます!」

 

しっかりと感謝できる人間というものは見ていて気分がいいものだ。

手間をかけて救ったこの純朴な村娘二人にはその気持ちを忘れないで生きていって欲しい。

ぼんやりとそう思って発した言葉だったのだが、祈りを捧げるとはこれはまた大仰な。

神だと思い込まれると一々大げさになって困ったものだとクーゲルシュライバーとモモンガは苦笑いする。

そんな二人の様子に気付くこともなく、エンリが緊張に震えた声で問いかける。

 

「そ、それで、お二人の、お、お名前……お名前はなんとおっしゃるんでしゅか!」

 

――来たか。

モモンガは二日前に行われたクーゲルシュライバーとの会議を思い出す。

多岐に渡って話し合われた議題の一つに、外で活動するさい名前をどうするかというものがあった。

それはモモンガの拘りなどの影響で紆余曲折あったものの、結論としては「偽名を使う」でまとまっていた。

プレイヤーキャラの名前は、名前で対象を指定するタイプの呪いや魔法に使用される危険性があるというクーゲルシュライバーの主張が通った結果だ。

この世界にそのような魔法や呪いがあるかは不明だが、そういったものの存在は元の世界でも――迷信ではあるが――確認されるほどポピュラーなものだ。

当面はそういったものに対する警戒はしておいて損はないだろうとの判断だった。

 

それを踏まえたうえで、また別の思惑が重なった結果モモンガが名乗る名前が決定された。

モモンガはその名前を使うことを当初は拒否したのだが――

 

決定され、使うと決めた以上はその名に恥じぬよう堂々と名乗ってみせる。

 

「我が名を知るが良い。我こそが――アインズ・ウール・ゴウン」

 

絶対的な自信と誇りと共に明かされたその名前にエンリとネムが息を飲む。

その様子にモモンガ……いや、ナザリック地下大墳墓の支配者アインズ・ウール・ゴウンは、この世界で初めて行われた名乗りが満足いく結果を出した事を確信し内心喜びのポーズを取っていた。

 

 

(モモンガさんビシっと決めたなぁ。これは無様な名乗りはできないぞ)

 

アインズの堂々たる名乗りを目の当たりにしたクーゲルシュライバーは、負けてはいられないと静かに気合を入れる。

アインズとは違い、クーゲルシュライバーの使う偽名は完全にオリジナルだ。

例の会議でいくつか案は出たものの納得が行く名前が無かった為、決定を先延ばしにしていたのだ。

それを今この場で披露する。

クーゲルシュライバーはアインズに負けないくらいの自信と誇りを込めて名乗りを上げた。

 

 

 

 

 

 

「我が無数にある名の一つを教えよう。我が名はアルト・シュヴァルツ・ゲシュテルン!!」

 

 

 

 

 

 

クーゲルシュライバー……もとい、アルト・シュヴァルツ・ゲシュテルンが謡うようにその名を名乗った瞬間、悲鳴が上がった。

 

「ぐわあああああああああああああ!!」

「アインズ・ウール・ゴウン様!?」

 

突如として胸を押さえて悲鳴を上げるアインズの姿に、アルベドが即座に駆け寄ってくる。

 

「はぁ、はぁ、な、なんでもない。大丈夫だアルベド」

「し、しかしアインズ・ウール・ゴウン様……」

「い、良いのだ。本当に大丈夫なんだ。本当に」

 

すぐ傍で心配そうに見つめてくるアルベドを優しく突き放すと、アインズは一体何事だと此方を見るアルト・シュヴァルツ・ゲシュテルンをそれ以上は止めてくれという意思を込めて見つめ返した。

 

「……」

「……」

「……?」

「……」

「……!」

 

 

 

 

 

 

 

「アルト・シュヴァルツ・ゲシュテルン……その名の意味は古き言葉で、古の黒き星と……」

「やめろおおおおおおっ!!」

 

アインズはむき出しの肋骨を掻き毟り懇願の叫びをあげた。

それはまるで魂を抉られたかのような、悲痛な叫びだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静寂を取り戻したトブの大森林。

その入り口に薄い光のドームに包まれたエンリとネムが涎を垂らし呆然と地面に座り込んでいた。

どれだけそうしていただろうか。

突然二人の目に意思の光が戻ってくる。

しかしそれでも二人は動こうとしない。

先ほど体験した信じられないような出来事を思い出し、そのあまりの凄まじさに改めて圧倒されていたからだ。

 

「すごかったね。アインズ・ウール・ゴウン様と、名も無き神様」

「うん……」

 

エンリは思い出す。

あの仮面をつけた偉大なる神と、黒い体を持つ恐るべき蜘蛛の神を。

あれこそ正に神と呼ばれる存在に違いなかった。

 

きっと村は救われるだろう。

そうしたら、あの偉大な神様達の事を村の皆に伝えたい。

あの慈悲深い神様がどんなに素晴らしいのかを教えて回りたい。

それがエンリの嘘偽りのない気持ちだったが、それが実現することは絶対にありえない。

なぜならば去り際にアインズ・ウール・ゴウンが言ったのだ。

 

――私達はただの通りすがり。決して神だなどと吹聴してはいけない。

 

何故、という問いは出てこなかった。

命の恩人である神自らがそれを望むというのであれば、黙って従うべきだと思ったからだ。

 

「ネム。口止めされたこと、絶対に言っては駄目よ。わかった?」

「うん。分かってるよお姉ちゃん」

「絶対に絶対だからね?」

 

エンリは念を押してそう言うとネムに服を差し出した。

名も無き神と名乗った蜘蛛の姿をした神が持ってきてくれたネムの服だ。

湿っており異臭もするがこのまま裸のままで居るわけにはいかない。

気持ち悪いだろうが、それは全身血塗れの自分も同じなので妹にも我慢して欲しかった。

 

「ほら、そんな震えて……寒いでしょう?早く着ないと風邪を引くわよ」

 

エンリの言うとおり、ネムは少し離れた地面を見つめて震えていた。

緑豊かな季節とはいえ野外で裸は流石に冷えるのだろう。

 

「ねぇお姉ちゃん」

「うん?どうしたの?」

 

差し出された服を膝の上に抱えながらネムが戸惑うように話しはじめる。

 

「あのね、なんだか胸がドキドキして顔が熱くて、体がゾクゾクするの。風邪じゃないみたいなんだけど……なんなんだろ?」

「それ、風邪よ。もう、早く服を着なさい」

 

エンリは妹の申告を聞いて呆れた様子でそういうとネムに服を着せていった。

 

 

 

 

 

エンリは知らない。

体の異変を訴えるネムの視線の先には、地面の上を這い回る蜘蛛がいた事を。

そしてその異変はネムが名も無き神とその眷属を見ていた時にも起こっていた事を。

 

ネムは知らない。

その身に感じる異変が、幼い身には早すぎる情欲の悦びだという事を。

 そしてそれが二度と消える事はない、取り返しのつかない性的嗜好である事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネム・エモット――わずか10歳にして昆虫性愛(フォミコフィリア)に覚醒す。




ピンチを乗り越え新たな力に目覚める少女というのはやはり王道。
避けては通れませんね。

きっと将来ネムの恋人になる人は、愛する人を性的に興奮させる事において虫の後塵を拝するという屈辱に耐えられる人じゃないと駄目なんだろうなぁ。

すごくチラ裏な話なんですが、今年は妙にカブトムシに求愛される年でして、5分以上にわたって手に乗せたオスのカブトムシに生殖器を押し付けられたりしました。
カブトムシの生殖器って意外と鋭くて痛いんですよね。そのうえ小刻みに振動するので痛くすぐったくて耐えるのに大きな努力が必要でした。
また一つ物知りになった気がする、そんな夏でございました。

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