目次にボールペンの絵をおいてみました。
姿がイメージしにくい方は見てみると雰囲気はつかめるかもです。
(改めて見てみればこれはすごいなぁ)
クーゲルシュライバーは二対の後肢で体を支え頭を持ち上げると、前肢二対を万歳するように掲げて空を見上げていた。
青い空。白い雲。そして燦然と輝き暖かさと光を地上に与える太陽。
その全てに手を振る。両方の擬腕と、ククリナイフのような形状をした爪を有する前肢をゆっくり大きく振る。
(おーいみんなー!元気かー?元気なんだろうなー!)
自然が自然のままそこにある。
間違いなく本物であるその光景は、やはりユグドラシルはゲームでしかなかったのだとクーゲルシュライバーに強く実感させていた。
なんて美しいのだろうか。
以前モモンガからこの世界の星空が如何に美しいかを熱心に語られたことがある。
その時は関心を示しつつも検証を優先してしまったが、これほどまでに美しい世界ならば今度モモンガと一緒に夜空のデートとしゃれ込むのも悪くないかもしれない。
いや、デートしよう。
二人で夜空を見上げて適当な星に名前をつけたり、星座を決めたりするのはきっとすごく楽しいに違いない。
モモンガと肩を寄せ合いながら、あの星達の形はダブラさんであっちはぶくぶく茶釜さんに似てるね、なんて言い合うのだ。
NPC達の星座を作るのもいいかもしれない。
デミウルゴス座とか恐怖公座なんていうネタっぽい星座を作ればモモンガもきっと大笑いすることだろう。
精神作用無効化によって抑制されてしまうと勿体無いので、デート決行日にはアンデッドやスライム等の精神作用無効化を打ち消すアイテム《完全なる狂騒》を忘れないようにしよう。
クーゲルシュライバーが産まれた頃には既に実行不可能になっていた「天体観測デート」。
かつての仲間であるブループラネットに散々星空について語られたクーゲルシュライバーとしては、そういう遊びに少なからぬ興味があったのだ。
男同士のデートではあるが、それはそれで趣があっていいではないか。寧ろ気を使わなくていいから思う存分楽しめる。
クーゲルシュライバーは期待感に胸を膨らませていた。
(さて、それは決定としてだ……)
クーゲルシュライバーは肢を全部地面につけると、カルネ村の様子を眺める。
現在モモンガが旅の大魔法使いアインズ・ウール・ゴウンとしてこの村の村長から情報を引き出している。
その間クーゲルシュライバーは情報を集めるため村を散策する事になっていた。
アルベドにもアインズから同じ命令が出たのだが、散策に二人も人員をさくほどこの村は大きくない。
その為クーゲルシュライバーはアルベドには村長の家周辺を散策するよう命じていた。
今頃は何時でもアインズを守れるよう、絶妙な距離をキープして散歩を装い周囲の警戒をしているだろう。
(皆精が出るなぁ。流石は農民。頑丈だ)
ハイド状態のクーゲルシュライバーに気付く村人はおらず、彼らはあんな事があったにもかかわらず熱心に作業に勤しんでいる。
どうやら遺体集めをしているらしい。
騎士に破壊された家の扉などをタンカ代わりにして、その上に殺された村人の亡骸を乗せて村外れへと運んでいる。
既に腐敗が始まっているのだろう、濃密な死臭を間近に感じる。
クーゲルシュライバーでそうなのだから、亡骸を運ぶ村人達は凄まじい臭気を感じているはずだ。
それでも泣き言一つ漏らさずに黙々と死体運びをする彼らにクーゲルシュライバーは人間の逞しさを感じた。
(ほっとけば疫病の元になるしな。……それか、放置するとアンデッドになるとかも在り得ない話じゃないか)
いづれにしても、現実かつ切羽詰った事情があって遺体の回収をしているに違いあるまい。
彼らの汗が滲む苦しそうな表情を見て、クーゲルシュライバーはそう結論付けた。
(まぁ、それはいいんだがな。アレをどうするかが問題だなぁ)
視線を向けた先、つい先ほどまで凄惨な殺戮の場だった村の広場では、デスウェブが自分の張った蜘蛛の巣をいそいそと片付けている最中だった。
粘着性のある糸なので放置しておくと今後村人達の邪魔になるし、事故の原因になるかもしれないと判断したクーゲルシュライバーが片づけを命じていたのだ。
デスウェブが製作者の命令を良く聞き熱心に作業にあたったおかげで、もう殆どの糸の回収されていた。
それは問題ない。
問題なのは――
(デスウェブを拝む人、多すぎ)
仕事の最中だろうと、この広場を通りすぎる村人達は皆例外なく糸集めに夢中になっているデスウェブに向かって一礼している。
なかには一礼するだけではなく小さくデスウェブへの感謝と祈りを呟く者もいた。
そういった者達が度々口にする蜘蛛の神様、蜘蛛神様、といった言葉。
これがクーゲルシュライバーには問題だった。
(神様扱いはまずいってモモンガさんとは意見が一致したけど、コレどう見ても手遅れだよなぁ)
現状この世界における宗教がどのようなものか全く判明していない以上、そこを刺激する行為は慎むべきである。
その判断にクーゲルシュライバーは異論はなかった。
宗教というのは絶大な力を持っている。それは良い面でも悪い面でもだ。
宗教戦争、異端狩り、宗教裁判――
そういった言葉が脳裏に浮かんでは消えていく。どれもこれも実に厄介な代物だ。
当初はカルネ村を実験場としか見ていなかったクーゲルシュライバーだったが、ネムと約束を交わしてからは多少村に対して情が移ってきているのは事実だった。
ナザリックに火の粉がかかるというのならば防火帯としてカルネ村を見捨てる事に迷いはないが、折角救った村でもあるし出来ればこれ以上悲惨な目にあって欲しくはなかった。
(全員の記憶を操作するのは無理だし……今更デスウェブを消したところで効果は薄いだろうな。そうなると村人達の信仰をなるべく地味な感じで着地させるしかないか?)
「神への信仰」ではなく「命の恩人への感謝」ならば面倒事にはなるまい。
つまり強盗に襲われる飼い主を助けたチワワの話みたいな美談にしてしまえばいい。
そう思いついたクーゲルシュライバーは考える。神と命の恩人、その違いはなんだろうか?
(神聖性のなさ、つまり身近で、親しみがあるかどうかかなぁ?)
高尚な存在ではない事をアピールすれば良いのではないだろうか?
出来が悪いと自負している頭脳からいとも簡単に出力された考えに一抹の不安を感じながらも、クーゲルシュライバーはそれを実行する事を決めた。
さしあたり共同作業なんかさせると良いのかも知れない。
よく見てみれば作業する村人のなかには先ほど森の中で助けたエンリとネムの姿もある。
死体運びだろうが、その他の作業だろうがこんな文化レベルの世界の事、どれも重労働であることには変わりない。
エモット姉妹――特にネム――に対してはかなり親しみを感じている事もあり、クーゲルシュライバーとしては彼女達の負担を軽減させてやりたい気持ちがあった。
念のため交渉中のモモンガに伝言でその由を伝える。
反応は良くはなかったが最終的に許可が貰えたのでクーゲルシュライバーは早速デスウェブに命令を下した。
黙々と死体を板切れに乗せて運搬する。
血が抜けていたり、体の部位が欠損していたりして体重が軽くなっている隣人達の亡骸ではあるが、何度も運搬すれば当然疲労が積もっていく。
それに数人分も亡骸を運べば持っている板切れに血や油がこびり付いてくる。
だからだろう、広場に差し掛かったあたりで一人の村人が手を滑らせてしまった。
「あっ!」
何かを言う事も出来ず、支えを失った板切れが傾き上に載っている遺体が地面へ向けて転がり落ちていく。
最早死に絶えているがそれでも今日まで同じ村で暮らしていた仲間の体である。
無残に斬り殺されたその体にさらなる傷をつけてなるものかと手を伸ばすがとても追いつかない。
地面にぶつかる。
そう思った瞬間、地面に落ちる仲間の遺体を優しく受け止めた者がいた。
「うわっ!」
「ひ、ひいい!!」
ペアを組んでいたもう一人の村人と共に彼は慌てて後ずさり、尻餅をついた。
恐怖に歪んだ表情の二人が見つめる先には大きくカーブした巨大な牙で運んでいた遺体を受け止めている大きな蜘蛛の姿があった。
その蜘蛛の事はよく知っている。
村の蜘蛛達をその体に受け入れながら、村を襲った者達を次々と殺していった蜘蛛の神様。
いや、化け物だ。
間近で見れば分かる。こいつは正真正銘の化け物であり、決して神聖な者ではない。
神様などと崇めているのは眼前で騎士達を殺戮していったその桁違いな力が恐ろしいから。
自分はアナタの仲間なので、どうかどうか此方に攻撃しないでください。
そういった恐怖が恭順を強いているに過ぎなかった。
今までは広場で糸を集めていただけなのに一体なぜ?
何の為にこいつは此処にきたんだ?
もしかして、糸集めしてたら腹が減ってきて俺達を食おうっていうんじゃ?
そんな想像が次々と浮かんで、成人男性二人は恥も外聞もなくお互い抱き合ってブルブルと震えていた。
「だいじょうぶ」
「え?」
背後から聞こえてきた少女の声に振り向けば、そこにいたのは彼らもよく知るエモット家の次女ネムだった。
だが、何かが違う。
見慣れているはずのネムの姿。今朝までと変わらないその姿に言い知れぬ違和感があった。
だが、その違和感の正体がなんなのかについて考る余裕は彼らにはなかった。
違和感はそのまま放置され、やがて違和感ではなくなっていく。
「皆を運ぶのを手伝ってくれるみたいだよ」
ネムが軽く息を乱しながらそう言うと、驚くべきことに蜘蛛の化け物が肯定するかのように頭をさげた。
その様子に大人二人は困惑する。
なぜネムはこの化け物のやろうとしていた事がなんなのか理解できたのだろうか?
なぜそんなにも恐ろしい化け物の傍に近寄れるのか?
なぜ化け物も慈しむように肢でネムの頭を撫でているのか?
分からない事だらけだった。
だがそれでも、この化け物がネムの言うとおり仲間達の遺体運びを手伝うつもりなのは理解できた。
「そ、そうか。それじゃあお願いしようかな、いや、お願いします」
「あっ、運ぶ先は村外れの、あっちの方なんですが……」
震える指で行き先を示すと、蜘蛛の化け物はわかったとでも言いたげに頭を上下に振ると、驚くほど滑らかに、かつ人力で運ぶ何十倍の速度で遺体を持って走り去っていった。
「すげぇ……」
「ああ……それに死体を埋葬するのを手伝ってくれるなんて、神様っていうのもあながち間違ってないのかも」
呆然と呟く村人二人の表情には先ほどまであった恐怖の色は無かった。
かわりにそこにあるのは、純粋な驚きと丁寧に仲間の遺体を扱ってくれる得体の知れない存在への敬意だった。
「あはっ」
そんな村人達の後ろでネムが笑っていた。
瞳孔は開ききっており、頬は赤く染まっている。
内股で前かがみになる彼女の視線の先には早くも遺体を置いて戻ってきたデスウェブの姿があった。
ネムの小さな体がブルリと震える。
「撫でられたとき、すご、すごかった……もしも咥えられちゃったら、どうなっちゃうんだろう」
誰にも聞こえないように、恥じ入るように小さな声で呟くネムは想像する。
あの遺体のようにデスウェブに咥えられる自分の姿を。
村人に聞いて知った蜘蛛の大群に纏わりつかれる自分の姿を。
――突如としてネムの視界が白く弾けた。
「え?あっ、なに?あっ!あっあっ!!」
ドサリ、と音を立ててネムは地面に倒れこんだ。
「あ、おいネムちゃん!大丈夫かい?」
「立ちくらみかな?少し休んでいたほうがいいぞ」
地面に座り込み荒い息をしながら体を震わせるネムを心配して村人が近づいてくる。
それをどこか邪魔に思いながらもネムは人生で初めて体験する不思議な体の異常に酔いしれていた。
村外れの共同墓地で葬儀が始まる。
みすぼらしい柵に囲われ、墓石らしき名前の刻まれた丸石が彼方此方におかれた質素な墓地の中で、アインズとの会話を一時中断して出てきた村長が鎮魂の言葉を述べている。
クーゲルシュライバーの知らない、ユグドラシルとは関係なさそうな神の名前を呼び、魂の安息を祈っている。
今回の襲撃で殺された村人の遺体はデスウェブの活躍もあって全て回収されていた。
その中にはエンリとネムの両親も居たのだろう。少し顔を見てみたい気もするが、いまさら見に行くのも野暮な気がする。確かめる機会は失われたのだ。
儀式が進み、いざ墓穴に土をかける段になったところで堪えきれず堰を切ったように泣き出すエモット姉妹をクーゲルシュライバーは胸をときめかせながら見ていた。
(不謹慎だ。不謹慎なんだが、こう、アレだけ泣いていると仲の良い家族だったことがよくわかってしまって……それが失われた悲しみの程もわかって、なんとも、なぁ?)
20にも届かないうら若き乙女が顔を覆って両親の墓前で泣いている。
それは悲しい光景だった。
悲劇の1シーンにありそうだとクーゲルシュライバーは思う。
だがこれは劇ではなく、現実である。
それは先ほど村を散策している途中に気付いた本物の自然を体感した事から身に染みて理解できている。
だがそれでも。いや、それだからこそクーゲルシュライバーは楽しかった。
自他問わず、感情が揺さぶられる事のなんと素晴らしいことか!
感動や感激。クーゲルシュライバーはそういった感情のうねりが大好きだった。
思えばそれが動画製作に手を出した理由だったのかもしれない。
そんな事を考えながらも、クーゲルシュライバーは眼前の「感動的なシーン」を眺める。
(こういう時精神作用無効化は邪魔だ。折角のお楽しみタイムがあっという間に終わってしまう)
人間だった頃ならもらい泣きする程に感動が高まったとき、途端にその感動が薄れ精神に静寂が訪れる。
それを忌々しく思いながらクーゲルシュライバーはエモット姉妹について考える。
こういった悲しい出来事を見るのは好きだが、これらが現実である以上自ら積極的に悲しみを増産しようという気はない。
深い悲しみに沈む彼女達を心配するのは当然の事だ。
(良いものを見せてくれた礼もしたいし、ネムとの約束もある)
以前誰かが言っていた。
女性を助ける時、ピンチから助けるだけでは不十分。その女性の心まで救って初めて助けたことになるのだと。
ネムの願いは「私達を助けてください」だった。
流石に村人全員を助けるほどのサービス精神は持ち合わせていないが、それなりに情を感じるエモット姉妹だけなら多少苦労してもいいとクーゲルシュライバーを思っていた。
(……デスウェブをこの村に残してみるか)
クーゲルシュライバーは先の出来事を思い出す。
村人二人に驚かれるデスウェブに恐れる事無く近づき、その真意を見通したネム。
彼女の瞳孔が開ききった興味津々な瞳がデスウェブにも向けられていることをクーゲルシュライバーは見逃さなかった。
恐らくネムはデスウェブの事も村を助けてくれたヒーローのように思っているのだろう。
であればそのヒーローが傍に居てくれるという事実が、どれだけ彼女の心の支えとなるか想像するのは容易い。
一番感謝されるべき、実際感謝されているだろう自分がカルネ村に残るわけにはいかない以上デスウェブを残すのが一番良いだろう。
クーゲルシュライバーは隣で懐の短杖を弄っているモモンガに伝言を飛ばす。
『モモンガさん、デスウェブを村に置いていこうかと思うんですけどダメですかね?』
『え、突然なんです?』
『実は……』
クーゲルシュライバーは自分の考えをモモンガに説明する。
現在村に広がりつつデスウェブ信仰についても併せて伝えるとモモンガから唸り声があがった。
『まさかそんな事になっていようとは』
『まさかの事態ですよねぇ。……それで、どうでしょう?ダメですかね?』
『ダメです』
『ぐぬぬ……ダメかー』
野良猫に餌をあげようとしたら通りすがりの人からそれを咎められた小学生のようにクーゲルシュライバーは落ち込んだ。
しかし断られるのを予想していなかった訳ではない。
デスウェブは自分達からしてみれば大したことのない雑魚モンスターだが、この世界の住民にとってその存在は大きすぎるらしい。
絶大な武力を誇る存在をこんな農村に、しかも二人の姉妹のメンタルケアの為だけに置いておくなんて厄介ごとの種になる未来しかみえない。
何か別の方法を探そう。クーゲルシュライバーは潔くデスウェブを残すという案を破棄した。
『じゃあいいです。それで、まだ葬式見ます?』
『いや、もういいです。村に戻りましょう』
それだけ言うとモモンガは伝言を切って村へと歩き出した。
村に行く途中、アルベドとエイトエッジ・アサシンが後詰の状態について報告しに来たが、その対応は全てモモンガに任せてクーゲルシュライバーは一人思考に没頭していた。
(デスウェブの戦闘力が問題になるなら……)
クーゲルシュライバーはエモット姉妹メンタルケア計画を未だ捨てきれずにいた。
その後、葬儀から帰ってきた村長とアインズの話し合いは少なくない時間続いた。
ある程度の情報を得たアインズが村長の家から出たのは西の空に夕日が落ちようとする時刻だった。
「はぁ……もういい。ここですべき事は終わった。アルベド、帰るぞ」
「承知いたしました」
村長の家の周囲を巡回していたアルベドがアインズの傍に侍る。
そんなアルベドからはピリピリとして空気が放たれている。
その理由をすぐさま察したアインズがアルベドに人間が嫌いかと問いかけようとしたとき、それを遮るように透明化したクーゲルシュライバーが口を挟んだ。
「アインズ、この村に何者かが接近してきている」
また面倒事か。
アインズは舌打ちを隠そうともせず苛立ちを顕にした。