「世界征服かぁ」
円形劇場の床を黙々と拭き掃除していくドラゴンキンを眺めながら、アウラは熱っぽく呟いた。
周りには階層守護者の5人。セバスは既にモモンガとクーゲルシュライバーを追って第九階層へ向かっておりこの場にいない。
集合していたシモベ達も今はアルベドの指示のもと自分達の持ち場へと戻っていた。
シモベ達を熱狂させた上映会が終わり絶対上位者二人がこの場を離れた後、アルベドはモモンガとクーゲルシュライバーの真意、すなわち世界征服の野望について明らかにした。
「正当なる支配者である至高の御方々の下に、この世界の全てを」そう語られた言葉はあまりにも当然の事として浸透していった。
全世界を支える世界樹ユグドラシルを滅亡の運命から救ったのは他ならぬ至高の41人であり、至高の御方々なくして世界は存在しないと言ってよい。
世界とそこに在る全てのものは至高の御方々によって今も存在することを許されているのだ。
ナザリックが転移したこの世界は至高の御方々にとっても未知の世界ではあるが、世界である以上は世界樹ユグドラシルの一部である事は間違いない。もしかすると新たに芽吹いた葉の一つかもしれない。
そうである以上、本来ならば世界に存在する全てが自ら至高の41人に頭をたれ全てを差し出すのが道理なのだが、真実を知った今では腹立たしいことこの上にない事に多くの愚昧はその道理を知らないのである。
それは身命を賭けて戦い抜いた至高の御方々に対し、許されざる無礼でありあまりにも罪深いことだ。
その無礼の罪を思い知らせ、世界を本来あるべき姿に戻す。
至高の41人に仕えるものとして、真実を知るものとしてそれは絶対に成し遂げなければならない義務だった。
「もうワクワクしちゃうよね!当たり前の事だけどさぁ、あたしもう全身全霊をかけてがんばっちゃうよ!」
「う、うん。ぼ、僕もがんばります。ふんこつさいしん、です」
目を輝かせ鼻息荒く意気込むアウラにマーレも続く。
見るからに活気に溢れる二人にデミウルゴスが微笑みながら口を挟んだ。
「大変結構。しかし二人とも、モモンガ様とクーゲルシュライバー様があの偉大なる記録をご開帳なさった意味を忘れてはいけないよ?」
「わかってるってば。無茶なことはしないし、油断もしないよ。モモンガ様を悲しませるようなことは絶対しない」
「ふーん?しっかり分かってるようでありんすねチビスケ。ま、頭に血が上りすぎてその事を忘れないように気をつけなんし」
「はぁぁぁぁ?それ、あんたが気をつける事じゃないの?」
「まぁ、気をつけるべきはそれだけではないのだがね?」
俄かに灼熱化しそうになるアウラとシャルティアだったが、デミウルゴスが肩をすくめて言った言葉になんのことだと首を傾げて制止する。
「ドウイウコトダデミウルゴス?」
「ふふふ……いや、それにしても先ほどの上映会は素晴らしいものだった。このような機会は滅多にあるわけじゃない。此処は一つ感想でも言い合ってみないかい?」
質問に答えず話題を変えるデミウルゴスに、静かに微笑むアルベドを除く守護者達が首を傾げるが、先ほどの素晴らしい体験について語りたいという気持ちが勝ったようで次々に口を開き熱っぽく語り始めた。
実のところ皆、モモンガ達が退席してからずっと語りたくてウズウズしていたのである。
「なんと言ってもあの強さでありんす!」
「ウム。至高ノ御方々全員ガ稀代ノ戦巧者。当然ノ事ダガ我ガ身ノ届キウル領域デハナイト思イ知ッタ」
「至高の御方々個人の強さもそうだけどさ、あたしは集団戦の上手さが特に優れてると思うな!」
「ぼ、僕もそう思います。きっと、すごく仲良しじゃなければ出来ない事だと、お、思います」
一度話し始めればキリがなく、ありとあらゆる場面について言及しその全てを褒め称えていく。
ペロロンチーノとぶくぶく茶釜の麗しい姉弟愛。
クーゲルシュライバーとヘロヘロの年季を感じさせる連携。
モモンガが見せた圧倒的なまでのカリスマ。
たっち・みーとウルベルトが見せた不器用な信頼。
世界の壁すら越える至高の41人を繋ぐ無上の絆。
そのどれもが思い出すだけで涙腺が熱くなり、鼻の奥がツーンと痛くなるようなものばかりだ。
話は加熱の一途を辿り、語る者の口をますます滑らかにしていく。
そんな中で愛する者達の活躍を思い出し頬を染め淑女らしかぬ表情を浮かべていたアルベドが俄かに正気を取り戻し冷静な口調で言った。
「全くいくら褒め称えても足りないけど、私はまずクーゲルシュライバー様こそを称賛すべきだと思うの」
「そうでありんす!あねえなに激戦の最中、しっかり記録を撮っていなさるとはいっそ驚きんした!」
「ホントどうやって撮影なさったんだろう?クーゲルシュライバー様ご本人も映っていらっしゃったし」
「ナニカ特別ナアイテムヲ御使用ナサッタノデハナイカ?」
「いやいや、皆の言う事ももっともだが、アルベドが言っているのはそういうことじゃないよ」
親愛の情を感じさせるような笑みを含んだ言葉を発したデミウルゴスに視線が集まる。
視線の先のデミウルゴスは微笑みを崩さないまま肩をすくめ首を傾げた。
理知的なデミウルゴスがやるには妙にチャーミングな仕草だったがとてもよく似合っていた。
デミウルゴスが作った一瞬の沈黙にアルベドがするりとその美声を差し込んだ。
「ええデミウルゴスの言うとおり。私が言いたいのはクーゲルシュライバー様の存在の古さよ。皆見たでしょう?あの映像にはユグドラシルが誕生する前の出来事までもが克明に記録されていたのを」
既に気付いていた二人を除く四人があっという声を上げる。
アルベドの言うとおりあの映像にはユグドラシルが生まれる前、つまり世界誕生前の途方もない過去の事象が記録されていた。
クーゲルシュライバーは邪神である。それも旧支配者と呼ばれる存在であり、その身が重ねてきた年月はまさに天文学的な数字になる事を守護者達は知っていた。
しかし、まさか世界誕生よりも古くから存在していたとは思ってもみなかったのだ。
もしかするとクーゲルシュライバーはこの世で最も古い存在なのではないだろうか?
その事に考え及ぶと、言いようのない尊敬の念が心の奥から湧き出でる。
それは人間が1000年の時を生きる巨木や太古から鎮座する巨石を見た時のような感情の動きだった。
「なんていうかさ……ねぇ?」
「うん……なんといわすか」
「至高の御方ってほんと偉大」
「超偉大でありんす」
なかば呆れたように呟くアウラとシャルティアにコキュートスとマーレも首を縦に振って同意する。
昔からずっと偉大だ偉大だと思っていたが、その偉大さは全く底が見えない。
自分達の想像もつかない偉業が、あと幾つあるというのだろうか?
きっと、無数にあるのだろう。
「そう。至高の御方々こそが最も偉大な存在なのは明白であり、万物は至高の御方々を崇拝してしかるべきなのよ」
真顔でさも当然の事のように言うアルベド。
その麗しい唇が突然憎悪に歪む。
「だというのに、過去ナザリックを襲撃した1500人からなる愚か者共は一体なんなのかしら?世界を救った大英雄たる至高の御方々に矛を向けるなんて気が狂っているとしか思えないわ」
煮えたぎる憎悪を隠そうともしないアルベド。
そんな彼女に恐れを抱くものなどこの場にはいない。
誰もがアルベドと同等の怒りと憎悪をその胸の中で煮えたぎらせていた。
思い出すのも忌々しい。
それは攻め込んできた1500人の愚者に対するものであり、守護者としての責務を果たしきれず至高の41人が出陣する状況にまで発展させてしまった自らに対する激情だった。
此度の上映会によって至高の41人の偉大さを再確認した事もあり、その激憤の程は過去に例を見ないほどの荒れようを呈している。
遠く離れて掃除をするドラゴンキン達がその濃密な殺気に当てられ屈強な体躯を小さく丸めて床に倒れ伏した。
「……皆、聞きなさい。デミウルゴスが匂わせた通り、此度の上映会にはモモンガ様が直接おっしゃった事とはまた別の我々に伝えたかった真意が隠されているわ」
守護者統括としてのアルベドの言葉に階層守護者達は荒れ狂う激情をおさめ背筋を伸ばした。
「結論から言えばモモンガ様とクーゲルシュライバー様は味方を欲していらっしゃるのよ。それも、共に戦える強力な味方を」
つい先ほど自らの無能に身を震わせていた階層守護者各員の心にアルベドの言葉が突き刺さった。
味方は居る。自分たちがそうだ。
しかしアルベドの言葉が正しいのならばそれはつまり……。
「御二人は我ら守護者がこのままでは戦力にならないとお考えなのよ」
戦槌で頭を殴りつけられたかのような衝撃が階層守護者達に走った。
あまりのショックにアウラやシャルティアは顔を青くし、コキュートスが大顎をきつく噛み締め、マーレは左手を握り締め今にも泣き出しそうだった。
アルベドと同じ考えに到達していたデミウルゴスではあったが改めて言葉にされると事の重大さに動揺する心を隠しきれなかった。
至高の御方々の役に立つことが出来ない。
それはシモベにとっては存在する意味がないのと同義だ。
「全く滑稽。たかが人間などと侮る資格なんて一度敗れている私達には存在しないのに、心のどこかで下等生物と見下していた。その慢心を御二人は見抜いていたの。このままでは使い物にならない、とね」
自嘲するアルベドの羽は小さく震えている。
血の気の引いた唇の色が、その震えがいかなる感情によってもたらされたものかを雄弁に語っていた。
「……御二人は我々に学べと仰ったわ。あの記録で学ぶべき最たる事。それは……」
言いよどむアルベドの苦悩を察したのはデミウルゴスだけだった。
アルベドの唇がきつく噛み締められる。震える手を握り締め、ついに彼女はその言葉を口にした。
「それは、至高の御方でも勝てない相手が居るという事」
瞬間、場の空気が凍りついた。
比喩ではなく実際に温度が急激に低下したのである。
「アルベド!ソレハ不敬ダ!!」
氷河の支配者の怒気が冷気として噴き出す。
ダメージを伴うほどの低温だった。人間であればひとたまりもないだろう。
しかしアルベドはその冷気を浴びてなおそれすらも凌駕する極低温の声で言葉を続ける。
「皆も見たでしょう? 至高の41人全員で立ち向かって辛勝した、かのワールドエネミーを。……私はなにもアインズ・ウール・ゴウンに勝てない相手が居ると言っているわけではないわ。でも考えてみなさい。あのレベルの敵を相手にモモンガ様とクーゲルシュライバー様のお二人で勝利を得ることはできるのかしら?」
どこまでも冷静なアルベドの口調に誰もが苦しそうな表情で沈黙した。
確かに、アルベドの言う通りだ。
デミウルゴスを除き真っ先に納得したのは最も怒りを顕にしたコキュートスだった。
戦いに生きる武人であるからこそ彼はその考えを否定することは出来なかった。
「恐れ多いけれど、きっと難しいでしょう。お二人もそうお考えのはずよ。だからこそあの記録を見せた。世界を知らず至高の御方は無敵であると信じる私達の蒙を啓くために」
そうは言うものの、アルベド自身凝り固まった至高の御方無敵論を完全に排する事は出来ていなかった。
なぜならばそれはナザリックにおいて常識であり不動不変の真理であったからだ。
それを多大な苦痛を伴いながら理屈で打破した上でアルベドは語っていた。
なぜならばその考えが導く先にこそ真の栄光が存在するのだから。
アルベドは周りを見渡した。多くの者が暗い顔をしている。
デミウルゴスと目が合った。彼だけはアルベドを気遣うような微妙な表情をその顔に貼り付けている。
まったく。
アルベドはため息をついて、そして小さく笑った。
「しゃんとしなさい。これはつまり、お二人からの救難信号なのよ?」
救難信号?
至高の御方々が、我々に助けを求めている?
俯いていた暗い顔がどういうことだと生気を取り戻しアルベドを見つめた。
「御二人はワールドエネミー級の敵を警戒されている。現状遭遇すれば勝ち目の薄い相手を警戒するのは当然のことよね?そして対策をたてるのも」
モモンガ様とクーゲルシュライバー様の二人で勝てないなら、戦力を増やして戦えばいいのよ。
そういうアルベドに合点がいったとばかりに声があがる。
「デハ御二人ハ我ラ守護者ヲ戦イニ連レテ行ッテ下サルオツモリナノカ!」
世界滅亡の危機に際してナザリックでなにも知らずに過ごしていた無念が、一気に浄化されるかのようだった。
あの偉大なる主人達と共に戦える。役に立つことが出来る。
その考えがもたらした幸福感はこの世のものとは思えぬ悦楽であり、如何なる薬物でもっても対抗しえないと確信できるものだった。
「はぁんっ!そんなの行く行く行く行く!行っちゃうでありんす!絶対行くでありんすぅ!」
「ちょ、盛るなバカ!なんか垂れてるし!?」
「ギャン!」
異常に盛り上がった胸部を自らの腕で締め上げ身悶えするシャルティアの頭に鉄拳を落とした。
遠くからドラゴンキンが掃除をする箇所が増えたことをこっそり確認している。
殴られたシャルティアが怒りをあらわにしてアウラに食って掛かる。
このまま何時もの喧嘩が始まるのかと思われたが、それはアルベドによって遮られた。
「でもこのままでは連れて行って頂くことはないでしょうね」
「えっ!?なんででありんすか!?」
「私達が弱いからよ」
弱い。弱い?
強者として作り出された自分たち階層守護者が弱い。
それは認めがたいことだが、比較対象が至高の御方々と思い至れば納得するしかない。
「個人の持つ戦闘力の事ではないわ。所詮脆弱なる身の私達では至高の御方の持つ御力に及ぶことなど叶わない。その事はお二人も重々承知。だから私達に求められているのは群の強さ……つまり連携力よ」
上映会前に行われたクーゲルシュライバーのスピーチが思い出される。
シモベとの関係を深めようとする言葉の真意が今こそ明らかになったような気がした。
あの時クーゲルシュライバーは至高の41人を繋ぐ絆と同じように、シモベ達との絆は至高のものだと言った。
今をもっても恐縮の極みではあるが、その言葉はシモベ達を共に戦うに値すると認めてもらえた証なのではないか?
されど口惜しいことに、未だこの身は主人が求める強さを得ていない。
今すぐに至高の41人が見せた至上の連携を再現できるなどと増長できる者など誰一人としていない。
しかし主から役に立つことを期待されているのだ。
これに応えずして何がシモベか!なにが守護者か!
事ここに及んで階層守護者達の心は一つにまとまり同じ願望を抱く。
それはすなわち。
――強くなりたい!
圧倒的強者として作り出され、その事を誇り、あるいは慢心していたナザリックの最高戦力たる階層守護者達。
脆弱なる人間とは種族としての力が圧倒的に違う存在が、まるで人間のように強さを求め始めた。
仮想的は世界を滅ぼしうる存在、ワールドエネミー。
成長の余地無き強さを持った者が更なる強さを求めたとき、それは弱き人間が創意工夫で紡ぎあげたものに酷似していくのだった。
◆◆◆
エントマが手旗を振る。
右、左、右、右、両方、左、右、左……。
パタパタと両手に持った紅白の旗をどれだけ振った事だろうか。
しばらくしてこの豪華な部屋の主であるクーゲルシュライバーの声がかかった。
「テレパシーはしっかり伝わっているようだな」
自室のリビングルームに張った蜘蛛の巣の上でクーゲルシュライバーは満足げだった。
普段とは違い、八つの眼がある頭部を支える首には恐ろしく醜悪なネックレスが下げられている。
数珠繋ぎにされた頭蓋骨を抜かれた人間の干し首は皆例外なく苦痛の表情を浮かべており、恐ろしいことに苦悶するようにその表情を変化させていた。
そんなおぞましい装飾品をクーゲルシュライバーはいとおしげに撫でる。
これは《エンジェルハイロウ》と命名されたプレイヤー製作のマジックアイテムであり、クーゲルシュライバーの思い出の品だ。
効果としては装備した者に極限まで範囲拡大されたテレパシー能力を与えるというもの。
フレーバーとして付与されたテキストによると、このネックレスはサイオニックと呼ばれる超能力者的職業をマスターした者達の頭部を材料にしているらしい。
見た目的にも設定的にもおぞましい一品ではあるがクーゲルシュライバーにとっては邪神ロールを愛する同志からのプレゼントでありお気に入りの装備だった。
ではなぜそんな物を引っ張り出し、動作実験をしているかといえば。
(よし、これでネムの夢枕に立てるぞ。あんな事があったんだきっと悪夢で魘されるに違いない。ネムと同じように両親を失ったばかりのエンリに負担をかけるのは望ましくないし、俺がフォローしてあげなきゃな)
モモンガが聞いたら即座にやめてあげて!と叫びそうな理由だった。
一応クーゲルシュライバーとしても自身が恐ろしい姿をしているという自覚に風呂場にて目覚めている。
送りつける思念に姿が映りこまないようにするなどの配慮はするつもりだった。
しかし送りつけられる思念が心は人間と言えど邪神のものであり、テレパシーに使用するのがどう贔屓目に見ても禍々しく呪われたアイテムだという事に考えが及んでいなかった。
実験対象であるエントマは異形種であり、カルマがマイナスに傾いている存在だという事を失念していたのが災いしていた。
「ご苦労だったなエントマよ。楽にしていいぞ」
「畏まりました」
エンジェルハイロウをアイテムボックスに戻すとクーゲルシュライバーはエントマを労った。
すっかりクーゲルシュライバーの部屋に居るのが馴染んだエントマである。
彼女はクーゲルシュライバーが何も言わずともしずしずと主人の下へと近づきその肢の一本に口を近づけていく。
「まて、今夜は毛づくろいはいい。風呂に入ったことだしな」
「は、失礼致しました」
「いや、まて。話がある」
今宵の奉仕は要らないという主人に内心寂しさを感じながら待機場所まで下ろうとするエントマにクーゲルシュライバーが待ったをかけた。
話とはなんだろうか?
また何か凄い事を言い渡されるのかもしれない。
部屋の隅で待機しているこれまた部屋に馴染んでいるシクススに一瞬だけ意識をむけると、エントマは胸をときめかせながら主人であるクーゲルシュライバーを仰ぎみた。
「お前の普段の働きに対して褒美を取らす。望むものを言ってみるがいい。可能なことであるならば叶えてやろう」
「そ、そんな!もったいないお言葉です!私ごときに褒美など、あまりにも過分でございます!」
「そう言うな。お前の働き無くして私はあれほど膨大な力を得る事はできない。これは正当な対価だぞ」
突然の出来事に泡を食って跪くエントマにクーゲルシュライバーは苦笑した。
力の源である神話パワーを生産する一工程を担うエントマになにか褒美をあげることが過分であるとはクーゲルシュライバーには思えなかった。
彼女の働きが無くては先の陽光聖典戦に際しレン・スパイダーの大群を召喚することは出来なかっただろう。
「いいから言ってみるがいい。謙虚も過ぎれば傲慢になるともいうぞ?お前は私の判断にケチをつけるのか?」
「そのようなことは決してっ……!」
ひょっとしてこれは脅迫かパワハラに近くはあるまいか?
口にしてみて初めて気付く言葉の威力に焦りだすも、時すでに遅し。
エントマは可哀想なほどに体を硬直させて頭を下げている。
やってしまった、優しくしてあげないと。
クーゲルシュライバーは巣から降りるとエントマの前に立ち触肢でその背中を優しく叩いた。
エントマの背中がピクリと跳ねた。
「なら言ってみよ。言うだけなら、なんでもいいのだぞ?」
トントンと安心させるように背中をさする感覚でクーゲルシュライバーはエントマの背を叩きながら出来うる限りの優しい声でエントマにささやいた。
プルプルと震えるだけで何も言わないエントマの様子に首を傾げつつ、クーゲルシュライバーはシクススがいるから言い出しにくいのかなと見当違いの考えで彼女に退室を命じていた。
エントマはそんな周囲の動きに全く気付かず思考の海に沈む。
(あ、ああ、うぅぅ……!そんな、欲しいものだなんてぇ)
活きのいい人間を何人か頂きたいですぅ。
昔の自分だったら即座にそう答えただろう。事実ついさっきまではその言葉が喉元まで出てきていたのだ。
しかし奉仕する悦びを教えてくれた敬愛すべき主人が唐突に、なんの前触れも無く己の背をタッピングし始めたことによりその言葉はどこかへと消え去ってしまった。
エントマの脳裏にかつての不敬が蘇える。
主人の優しさに触れ、愚かにもメイドとしての身分を弁えずに寵愛を求めてしまった暗澹たる記憶だ。
またあの失態を繰り返すというのか?学習するのだエントマ・ヴァシリッサ・ゼータ!
そもそも至高の御方が自分が如き矮小な者に寵愛を与えることなどありえないのだ。
世界が生まれるはるか昔から生き続け、全世界を滅亡の危機から救った偉大なる存在相手に、ただの蜘蛛人である自分がそんな事を望んではいけない。
玩具として戯れに弄ばれる栄誉を受けておいてそれ以上なにを求めるというのだ?
エントマは決心した。
活きのいい人間を、少し欲張っておねだりしよう。
ダイエット中ではあるが、この胸の中のしこりを飲み下しスッキリ解消させるには多少の暴飲暴食が丁度いいだろう。
そう思い意を決したエントマが口を開いたとき、クーゲルシュライバーが口を近づけて言った。
「自分に素直になれ……。いいのだ、他でもないこの私が許す。エントマよ、お前の欲するものを欲するがよい」
中々答えを返さないエントマの背を押す。
ただそれだけの意図を持って放たれたクーゲルシュライバーの言葉はエントマの決心を容易く打ち砕いた。
内心を見透かされている気がした。
この方は私の浅ましい欲望に気付いていらっしゃる。
そう思ってしまうとエントマはもう抑えが利かなかった。
気付いた上でこのような仕打ち、もしかすると……もしかするかも?
震えながら顔を上げたエントマの声は、これまた酷く震えていた。
「わ、わたしはぁ……」
「うん」
「クーゲルシュライバー様のぉ……」
「うんうん」
「御子を授かりたいですぅ……」
「うん……うんんん!?」
相槌を打って聞いていたクーゲルシュライバーが唸り声のような低い驚愕の悲鳴をあげた。
エントマの小さな体が跳ね上がりまたもや頭を床につくほどに下げた。その頭部から生える擬毛が力なく垂れ下がっている。
まるで瀕死の虫のようだ、などと頭の片隅で考えながらクーゲルシュライバーはエントマの真意を必死で探っていた。
(えぇぇぇぇぇ?御子って、子供だよな?えっ、なに?これってモテ期?エントマは子作りをご希望してるの?)
言葉を鵜呑みにすればそうだろう。
しかし、それではあんまりにも……。
クーゲルシュライバーはエントマをじっと見つめた。
小柄な体である。幼い容貌である。
人間なら中学生ぐらいだろうか?甘ったるい声と口調も相まってさらに年若く思える時もあるのが眼前に額づくメイドである。
クーゲルシュライバーは己の体を見回した。
巨大な肉体だ。紛れもなく化け物のそれである。
人間よりも二回り以上巨大なこの肉体は、ただ立っているだけでもエントマの身長に倍する威容を誇る。
この肉体でエントマと事に及ぼうとすれば、その光景は人間に例えると成人男性が小学生児童を襲うが如き様相を呈するだろう。
犯罪とか以前に性交が成り立つとは到底思えない。
無理に敢行すればエントマがR-18Gな事になりかねない。それだけなら回復ポーションを使えばいいのかもしれないが、下手すれば即死もありえる。
だからたとえ本当にベッドへの誘いだとしても、とても実行する気にはなれなかった。
そしてなによりも、蜘蛛とはいえ女性とそういう行為に及ぶと考えただけで心が引き裂かれるほどの苦痛があった。
いけない。思い出してはいけない。
折角もう二度と手の届かない遠い世界へ来たというのに、これでは苦しみから解放されるなんて夢のまた夢ではないか。
クーゲルシュライバーはかぶりを振った。
(無理無理無理無理かたつむり!どー考えても物理的に無理!あと政治的にも無理!それはエントマも分かってるはず……!じゃあなんだ?さっきの発言はどういう事なんだ?)
事実はどうあれ、クーゲルシュライバーにとってエントマは謙虚で奥ゆかしい乙女である。
そんな彼女がこんな大胆な事を言うとは考えにくいし、そもそもメイドたらんとする者が後継者問題に発展しそうな事を言い出すのもおかしな話だ。
支配者の後継者を産むことで強力な地位と権力を得る……なんていう大河ドラマめいた野望をエントマが抱いているとも考えにくい。
まだ数日の付き合いでしかないが、エントマはそんな事を考えるような女ではない事をクーゲルシュライバーは確信していた。
では、一体どういうことなのか?
クーゲルシュライバーは沈黙が長く続いている事に気付くと、なにか言わねばならんと突然口を突いて出てきた言葉をエントマに投げた。
「ほ、ほほう。お前がそんな願いを口にするとはな。あの動画の影響かな?」
クーゲルシュライバーはとりあえずなんでエントマがそういう願いを言い出したのかを聞きたかった。
エントマは顔を伏したまま応えた。
「……はい。八面六臂の大活躍をなさるクーゲルシュライバー様のお姿を目の当たりにして、愚かにも……」
八面六臂の大活躍。
その言葉を聞いてエントマの求める願いが性交ではないはずと信じたかったクーゲルシュライバーは思いついた都合のいい答えに飛びついた。
(あ!そういうことか!エントマの言ってる御子って、ウルベルトさんに付けたあれか!)
クーゲルシュライバーが思い浮かべるのはあの動画内で唯一使った産卵系のスキルだった。
その名を《ウォール・オブ・ヴァーミン》という。
設置型の防御術であり、設置された対象にダメージを発生させうる攻撃が迫った時に発動し、一度限りではあるが完全にその攻撃を無効化する事ができる優秀なスキルだ。
一度設置すれば発動するまで時間制限などはなくずっと待機状態のまま残るので大変使い勝手がいいのだ。
エントマはそれを欲しがっているのだ。
そう考えれば納得がいく。
(戦闘メイドだもんな。戦闘に役立つものを欲しがるのは当然じゃないか)
それはクーゲルシュライバーにとって突然エントマがベッドに誘ってきたと考えるより圧倒的に自然な考えだった。
実際のところエントマにしてみれば突然の申し出ではないのだが、彼女が自分の心を見透していると信じる主人クーゲルシュライバーにはこれっぽっちも身に覚えがない事だった。
二人の心は一度たりとも通じ合ったことなどないのである。
「……も、もうしわけ……ありません。メ、メイド、メイド如きが、シモベ如きが、なにを大それた事を……この命を以て謝罪を……」
芳しくないクーゲルシュライバーの態度にエントマは死んでしまいたい心持ちだった。
円形劇場で聞いたモモンガの言葉を忘れたわけではない。
しかし心の奥から唸りを上げてこみ上げてくる羞恥と罪悪感は抗いがたく、今すぐこの場から消えて自分を殺してしまいたいという欲望を抑えきれなかった。
エントマが抱いた淡い期待は無残にも打ち砕かれ、後に残るのは絶望だけだ。
(もうやだぁ……。わかってたはずなのに。なのに。なのにぃ!死にたい……死にたい死にたい死んじゃいたいよぉ……)
エントマが激しく死を望んだその時だ。
無気力に飲まれ力なく垂れ下がる彼女の擬毛がなにかを捉えた。
顔を上げたりはしない。今は主人の姿を見ることすら辛いから。
しかし、擬毛が感じるこの空気の振動はなんだろうか?この湿気を帯びた空気は?
「エントマよ。面をあげるがいい」
クーゲルシュライバーのその声にエントマが恐る恐る顔を上げ身を起こすと、その和服で包まれた胸元に小さな白い包みが押し付けられた。
エントマが恐る恐るその包みを手にとってみれば、その肌触りは極上のシルクのように滑らかであり、暖かく、微かな湿り気を帯びていた。
あっけにとられ沈黙するエントマの眼前でクーゲルシュライバーが苦笑した。
「お前が望んだものを授けよう。すこし形は違うが、まぁ許せ」
エントマは悲鳴を上げそうになる喉を制御するのに大変な労力を費やした。
今自分の手の中にあるもの。
それは紛れもなく、自身が望んだクーゲルシュライバーの御子……つまりは卵だった。
確かに自分が望んでいたものとは違う。
クーゲルシュライバーとの交接の果てに自分が産んだ卵ではない。
しかしそれがなんだというのだろうか?
そもそもそれはメイド如きが望んではいけない願いなのだ。
ナザリックの支配者たるクーゲルシュライバーが、みだりにその胤を下賜する事を良しとしないのは当然の事。
本来なら即座に却下される、もしくは無礼打ちにされてしかるべき自身の願いを、敬愛すべきこの主は形を変えて叶えてくれたのだ。
その事になんの不満があろうか!
「ほ、本当に……よろしいのですか?」
「よろしいも何も既に作ってしまったのだから貰ってもらわねば困るぞ?」
「……か、感謝致します偉大なるご主人様!私の全身全霊をかけて御子を守り育てる事を誓います!」
「んん?それじゃ本末転倒……いや、まぁ別にいいか。ものを大事にする事に越したことはあるまい」
本末転倒とはなんの事かと思いもしたが、クーゲルシュライバーが「まぁ別にいいか」と言ったのだから気にする必要もない。
エントマは主人から授かった至宝をいとおしげに撫でるとそっと和服の懐へと仕舞い込んだ。
――私が授かった、クーゲルシュライバー様の御子。……赤ちゃん。赤ちゃんだ!クーゲルシュライバー様から授かった私の可愛い赤ちゃん!
溢れ出す母性はいっそ狂気的ともいえる膨大なものであり、瞬く間にエントマの心を薔薇色に染め上げていった。
◆◆◆
(よかった。満足してくれたみたいだ。動画のものと比べてずいぶんと小さいのが出来ちゃったから不安だったけど、なんとかなったな)
胸元に手をあてるエントマの擬毛がリズミカルに動くのを見ながらクーゲルシュライバーは胸を撫で下ろしていた。
クーゲルシュライバーはエントマの願いを正確に見抜けた事に安堵していた。
当初の考えの通りに動いていたら、今頃羞恥で死にたくなっていた事だろう。
自身の冷静な判断力と深い観察眼にクーゲルシュライバーは喝采を送りたい気分だった。
クーゲルシュライバーは危機を華麗に回避した満足感と共に嬉しそうに体を揺するエントマを眺める。
プレゼントが嬉しすぎたのか、折角の防御手段なのに大事にしまいこもうとしているのが微笑ましい。
これはあれだろうか?
アイドルの握手会にて熱狂的なファンが握られた手を見つめながら「私もうこの手を洗わない!」と宣言するようなものだろうか?
一々大げさなんだよなぁ。
クーゲルシュライバーはそう思いながらも他人の喜びを我が事のように喜んでいた。
身近な人を喜ばせる事ができるのは大きな幸せである。
心底そう思うクーゲルシュライバーはこの後に予定しているサプライズを思い密かにほくそ笑んでいた。
「さてエントマよ。神話パワー抽出の功に対する褒美は終わったが、実は褒美……といっていいのかわからんが、もう一つお前にやる事があるのだ」
「えっ!そ、そのような……ただでさえ身に余るほどの褒美を頂いているというのに……」
「よいよい。私がよいと言っているのだからよいのだ。……エントマよ。私はモモンガと風呂に入って改めてお前の価値に気付いたのだ。常日頃私の体を清潔に保ってくれるお前があれほど在りがたく思えたのはナザリックに帰還してから初めてだった」
「……恐れながらクーゲルシュライバー様。私にはそのお言葉だけで十分でございます」
「お前がよくとも私が納得しない。エントマよ。今宵は私がお前の毛づくろいをしてやろうと思うのだよ」
何時もお疲れ様!肩叩きしてあげる!
その程度の気持ちで放たれたクーゲルシュライバーの言葉に、エントマは残像が残る速度で頭を左右に振ってうろたえた。
クーゲルシュライバーにとって他人、いや他蜘蛛の体の毛づくろいは垢すりやマッサージのようなものであるが、エントマにとってはそうではない。
奉仕という形で自分がクーゲルシュライバーにする事にはすっかり慣れてしまったエントマだったが、自分がされるとなるとこの行為が孕む宇宙的変態性が様々な角度から彼女の羞恥心を刺激するのだ。
「そ、そそそそんな事をクーゲルシュライバー様にしていただくわけには参りません!」
そんなエントマの反応はクーゲルシュライバーにとって既に予想済みである。
こういう部下の謙虚に付き合っていては話がすすまない。
クーゲルシュライバーは必死に辞退するエントマの心など知ったことかとばかりにその細い腰を触肢で掴んだ。
「えぇいジタバタするな!」
「はひぃ!?」
エントマは腰を掴む触肢により床から抱き上げられる。
体格差ゆえにエントマの手足は垂れ下がり宙をブラブラと揺れうごく。
クーゲルシュライバーは小さなエントマの背中を見下ろす。
どう見ても人間の少女の背中だった。
それがクーゲルシュライバーに残る人間の感性を刺激し羞恥と罪悪感を覚えさせる。
しかしその人間的な心の動きをクーゲルシュライバーは「蜘蛛の常識」という彼の中だけに存在する間違った知識で封印した。
(人間の姿をしているからヘンな気分になるだけだ。彼女は蜘蛛なんだ。それにエントマは何時も平気な顔して俺の全身を毛づくろいしてくれるじゃないか。ここで変に恥ずかしがるのは逆にみっともないぞ)
自分の大きな腹部を丹念に舐め清めてくれるエントマの姿を思い出す。
勇気がどんどん湧いてくるようだった。
そうだ。これは完全無欠に健全な行為なのだ。
クーゲルシュライバーは意を決して……。
エントマのスカートの中に口を突っ込んだ。
「や、やあああああ!?」
エントマから絹を裂くような悲鳴が上がる。
この恥ずかしがり屋さんめ。
クーゲルシュライバーは奥ゆかしいエントマの悲鳴を聞きながら口をモゴモゴと動かした。
スカートの内部を窺い知ることは出来ないが、口に当たる感触的に人間とは構造が全く異なることがわかる。
口腔内に感じる滑らかさは、もしかするとこれは蜘蛛における腹部にあたる部分を咥えているのかもしれない。
だとしたら丁度いい。
風呂場で知ったことだが、もっとも自分で洗うのが難しいのは腹部なのだ。
ここを重点的に舐め清めてやればエントマもさぞかしスッキリするだろう。
そう思ったクーゲルシュライバーは身悶え空中を彷徨うエントマの両腕を擬腕で掴んで引き寄せ、更なる密着を強いた。
「ふわあぁぁぁ!?あっ!ああぁぁぁぁ!?」
弓なりにしなるエントマの体。
激しさを増すクーゲルシュライバーの口撃。
巨大なクーゲルシュライバーの口から分泌された唾液が激しい動きによって周囲に撒き散らかされる。
エントマの頭部がその動きに翻弄されガクガクと前後に動き、空中に投げ出された両足がいっそ哀れなほどに揺れ動いた。
エントマは混乱していた。
なぜこんな事になっているのか理解が及ばなかった。
前後不覚に陥るエントマが唯一わかるのは、自身の蜘蛛としての腹部から与えられる刺激のみ。
吸引されるように巨大な口に収まった腹部を、口腔内にゾロリと生えた鋭利な牙が削っている。
時たま節に引っかかる牙の感覚にエントマは背筋を震わせた。
快感はない。あるのは濃密な死の予感だけだ。
蜘蛛の腹部には様々な器官が存在する。
呼吸器である書肺に気管、生殖器に肛門、蜘蛛の命ともいえる出糸突起もある。
そのほか生命維持に必要な各種臓器も内蔵されている。
エントマのそれは通常の蜘蛛のものとは構造が異なるが、それでも重要な部位であることには違いない。
そんな大切な部位が、圧倒的強者の口内に囚われている。
それだけで死を意識するには十分だ。
エントマが喘ぐ。
苦しい。
呼吸することが困難なのである。
蜘蛛の口は特殊な筋肉の動きにより奥へ奥へと吸い込むようにして食物を摂り込む。
その動きがエントマの腹部に存在する穴という穴から内部に存在するありとあらゆる物をバキュームの如く吸い出そうとしていた。
そんなエントマの窮地に気付かないクーゲルシュライバーは、なんかこれ後背立位みたいだよなぁ、などと考え独り軽い羞恥を覚えていた。
「あっ!あ、あ、あっ!ク、クーゲル、シュラィバァッ……様ァっ!」
自分の体が徐々に吸い込まれていくこの感覚は、蛇に丸呑みされる小動物が朦朧とした意識の中感じるものに似ているのかもしれない。
とんでもない事をされているという実感がエントマを焦らせていた。
とにかくこの行為をやめていただかなければ。
そう思って必死の思いで主人の名を呼ぶエントマだったが、激しい動きによってはだけた着物の懐から零れ落ちる白色にそれ以上言葉を紡ぐことができなくなった。
――私の赤ちゃん!
激しい振動に翻弄される中エントマは唯一自由になる頭部で落下していく卵嚢を追った。
顎から伸ばされた牙が辛うじて落下する卵嚢を捉えることに成功するが、それによりエントマは言葉を発することが出来なくなってしまった。
何度も顎を動かしもう落さぬよう卵嚢を咥え込む。
それは我が子を守らんとする母親の尊く美しい母性を感じさせる光景だったが、あいにくクーゲルシュライバーからはそんな様子は窺い知れない。
クーゲルシュライバーはなおも激しくエントマのスカートの中を舐めしゃぶり口内でしごき上げていた。
「んー!んんんー!」
くぐもったエントマの声にクーゲルシュライバーは異常を感じ取った。
一体どうしたのだろうかとエントマの背中を眺めてみれば、なるほど彼女の頭部が激しく振り回されている。
原因はすぐに知れた。自分の動きが激しすぎるのである。
あれでは首が辛かろう。
そう思ったクーゲルシュライバーはほんの一瞬だけエントマの両腕を掴む擬腕の拘束を解除した。
上半身の支えを失ったエントマの体が前へと倒れこんでゆく、その時だ。
広げられた両の擬腕の先から白い液体が迸り出た。
空気に触れた白濁液は瞬く間にその性質を変化させ糸へと変じる。
放たれた12本の糸は不思議な軌道を描いてエントマの首に巻き付いた。
「んんんんん!?」
再びエントマの背が弓なりにしなった。
首を締め上げる糸によって上半身を引き起こされた形だ。
クーゲルシュライバーは両手から伸びる糸を握りこむと、再びエントマの両腕を掴み激しく動き出した。
エントマの首からギシギシと糸が軋む音が発せられる。
(これで首が固定されて楽になっただろう。見た目がちょっと悪いけど、まぁ誰も見てないしいいか)
傍から見れば女子児童絞殺レイプの犯行現場なのだが、エントマは苦痛を感じていなかった。
彼女の喉は非常に硬質であり、糸による締め上げはほとんど効果を成さないのだ。
そもそも呼吸器が別の場所にあるのだから首を絞められたとしても窒息したりはしない。
それはクーゲルシュライバーも知ることであり、だからこそ彼はこのような行為をためらいなく行っているのである。
唯一エントマにとっての悪影響があるとすれば喉に仕込んだ口唇虫が圧迫され声が出なくなることだろう。
(あ、すごい……拘束に対する完全耐性もってるのに、縛られちゃった……)
エントマは朦朧とする意識の中でクーゲルシュライバーを称賛した。
徐々に口の奥へと引きずり込まれていく感覚に、もはや恐怖はない。
いや、そもそも恐怖などエントマは感じていなかった。
死への実感も、窒息の苦痛も、偉大なる至高の御方から与えられたものである以上歓喜しながら受け取るべき宝物に他ならないからだ。
意識がどんどん薄れていく。
殺されてしまう。食べられてしまう。
誰に?
……クーゲルシュライバー様に。
エントマがそう思った瞬間、彼女の体を稲妻のように駆け抜ける一つの感覚があった。
それは性的なものを一切含まない、戦慄とも言える酷く物々しいもの。
だがそれは極限の状況の中で目覚めたエントマの新たなる光であり、生涯忘れえぬ被虐の妙味であった。
エントマの精神が天を目指して高揚していく。
果てなど知らぬとばかりに高まり続ける精神的快楽はやがて太陽の如き苛烈さでもってエントマの全身を焼いた。
「んゆーーーーーー!!」
一際高い声を奏でてエントマは気を失った。
全身が弛緩してゆく中、掛け替えのない命を抱く顎の力だけは不思議な事に抜け落ちる事はなかった。
◆◆◆
扉の向こうからかけられるクーゲルシュライバーの声に従ってシクススはリビングルームへと足を踏み入れた。
シクススは部屋の状況を見て一言も声を上げなかった自分を褒めてやりたい気持ちで一杯だった。
「ではシクスス、私はもう寝る。エントマの世話をまかせるぞ」
「畏まりました」
果たして今の言葉は震えていなかっただろうか?
シクススは主人であるクーゲルシュライバーが寝室へと消えるのを根気よく待ち、扉が閉まる音を聞いてから恐る恐るリビングルームを見渡した。
あちらこちらにとろみのある粘液が飛び散っている室内には、ソファに寝かされたエントマの姿があった。
その姿を捉えたシクススは頬を即座に赤く染めた。
ソファに横たわるエントマの衣服は乱れており、スカートから伸びる足は透明な粘液によってドロドロになっている。
そしてなによりもシクススの興味を引くのはエントマがその胸に抱く白い小包だ。
シクススは入室してすぐにクーゲルシュライバーからその小包についての注意を受けていた。
――エントマが抱いてる白い袋は丁寧に扱うように。やはりあまり衝撃を与えてはよくないだろうからな。
「こ、これってもしかすると……もしかしちゃうの?」
高鳴る鼓動と際限なく熱くなる頬にシクススはたまらず首元のタイを緩めた。
熱に浮かされるシクススの視線の先で、エントマがいとおしげに白い小包を抱きなおした。
「わたしの……あかちゃん……」
やっぱりーーーーー!?
完全防音を施された部屋の中で、人知れずシクススの絶叫が上がった。
やりました(満足
色々と勘違いが暴走した22話でございます。
直接性的なことは何もしてないのでR-18では無いと思うのですが如何なもんでしょうかね?アウトかしら?
とりあえずシクススの勘違いがえらい事になってるし、エントマちゃんは更なる深淵の嗜好に目覚めちゃいましたね。
今回のエントマちゃんが受けた仕打ちってどういう属性になるんだろう?
後背立位、ロリ、メイド、丸呑み、首絞め、窒息、子供の前……うーん?
まぁなんにせよ此度のボールペンの仕打ちがエントマちゃんにとって酷く残酷な事であるのは疑いようもないですね。がんばれエントマちゃん。可愛い赤ちゃんを守ってやれるのは君だけだ。