オーバーロードと大きな蜘蛛さん   作:粘体スライム狂い

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イチャイチャしているだけの話デスヨ。


24話

「……シクスス。酒とか無いか? あるなら一番強い奴を適当にロックで持ってきてくれ」

 

クーゲルシュライバーの私室にモモンガの姿は無い。

 彼は捕虜となった陽光聖典の隊員達にかけられた魔法について説明した後、アルベドの様子を見てくると言って出ていってしまった。

クーゲルシュライバーはそんなモモンガにいくらかの頼みごとをして送り出していた。

 

……気が滅入っていた。

どうして自分はこんな風になってしまったのだろうかと自問自答する。

昔から続けられていたその問いの答えは日によって変化する。

あまりにも支離滅裂で考えるだけ馬鹿馬鹿しいのだが、考えずにいられない。

これ以上不毛で陰鬱な気分はゴメンだと、クーゲルシュライバーはいつかのように酒に逃げることにした。

まだ正午にもなっていないという事実など知ったことではない。

いまの自分は酔わない体で、そして此処は自分の部屋なのだ。文句など言わせないぞとクーゲルシュライバーは内心で猛った。

 

「一番強いお酒を、ということでしたのでお持ちいたしました。どうぞ、スピリタスウォッカでございます」

「えぇ……?」

 

シクススが真顔で持ってきたクリスタルガラスで出来た底の分厚いオールドファッショングラスには透明な液体とこれまた透明な丸く整形された氷が一個入っていた。

グラスと氷はいい。寧ろ最高の組み合わせだといっていい。

手にしたずっしりとした重みは如何にも高級グラスのそれであり、硬くしまった球状の氷は酒によって濡れ、まるで水晶のような輝きを放っている。

グラスの中で転がせば甲高い澄んだ音を立てて耳を大いに楽しませてくれた。

しかし中身の酒が問題だ。

度数96%を誇る言わずと知れた超高度数の酒である。

恐らくは自室の一角に存在するバーでカクテル用にキープされていたものだろうが、まさかロックを頼んでこんなものが出てくるとは思っていなかった。

それもダブルで。

 

「う、うむ」

 

どれほど酒に溺れていた時期でも流石にこのような飲酒の経験は無い。

一度原液で飲んだことがあるからこそクーゲルシュライバーは出された酒を飲むことに躊躇した。

しかしシクススは自分のオーダーを馬鹿正直に、いや、忠実に守ってこれを出してきたのである。

此処で別のものに変えさせるのは可哀想な気がした。

 

そのうち酒の味について教えてやろうかな。

そう思いながらクーゲルシュライバーは擬腕に掴むグラスを口へと運んだ。

 

底は分厚く、側面と飲み口が薄いグラスの口当たりは上々。

だが次の瞬間、そんな繊細な感覚を破壊しつくす冷却された劇物が口内に流れ込んでくる。

 

(毒に対する完全耐性を持っていても感じる酒の味は変わらずか。酔うことはないだろうが、嗜好品としては十分やっていけるな)

 

焼き尽くされるかのような刺激を伴う液体を一息に飲み下すとクーゲルシュライバーは深い溜息をついた。

味についてはなんてことはない。相変わらずのスピリタス、つまり雑味のないクリアなアルコールの味だ。

 現実の世界で幅を利かせていた合成酒の原料と大した差はない。

酔えないのであればこんなものを好んで飲む必要は無かった。刺激を楽しむにしても些かこれは無粋に過ぎるのだ。

クーゲルシュライバーはグラスをシクススに差し出した。

すかさず差し出された銀の盆にグラスを置くとクーゲルシュライバーはシクススに話しかけた。

 

「そういえばエントマはどうした?今日はまだ見ていないが」

「エントマ・ヴァシリッサ・ゼータは……その、クーゲルシュライバー様の御子を授かった関係で職務内容の再検討が行われていまして……」

「んん、なんだそれは?私の卵を持っているからと言って特別扱いする必要などない。普段どおりの扱いをせよとペストーニャに、いやセバスか?ともかくエントマの上司に伝えておけ」

「は、はい。畏まりました」

 

なんで防御用アイテムを渡してやっただけで仕事の内容を変更する事になるのか?

疑問に思うクーゲルシュライバーだったが、よくよく考えればエントマを特別扱いしすぎたのかもしれないと思い当たった。

自分とエントマの接点は非常に濃い。

午前0時の儀式を任せているのもエントマ、専用メイド的に毎日殆どの時間傍に侍らせているのもエントマ、そして今回の褒美。

これではエントマを贔屓していると思われても仕方が無いとクーゲルシュライバーは思った。

実際、贔屓もしている。

なにせ自分の体を満足いくレベルで毛づくろい可能なのは現状エントマだけなのである。自然と特別扱いにもなる。

 

(だけどそれじゃあダメか。これが過ぎればメイド達の中で不和が起きるかも知れない)

 

クーゲルシュライバーはメイド達がモモンガや自分、所謂至高の御方に侍ることを何よりの喜びとしている事を知っている。

いまいち理解しがたい部分もあるのだが、その無上の喜びをごく一部のメイドに独占させるのはいかにも不健康だ。

そう考えれば、初日に担当だったというだけの理由で毎日来て貰っているシクススも密かに周囲から妬まれている可能性がある。

シクススの場合は一日中ではなく時々別の一般メイドと交替しているからそれほど深刻ではないと思われるが、一応気をつけておいたほうがよいだろう。

 

しかし、まぁ、それはそれとしてだ。

 クーゲルシュライバーはグラスを片付けようとしているシクススに独り言のように話しかける。

 

「一人酒とはつまらん。そういえばこの階層に本職がやっているバーがあったと記憶しているが……」

「はい。副料理長がバーテンダーを務めているショットバーがございます」

「素晴らしい。いつ頃開店なのかな?」

「本日の夜には。ただ、至高の御方がお望みとあれば今からでも店を開けるでしょう」

 

夜か。正直今から飲みたい気分なんだが……。

そう思うクーゲルシュライバーだったが、幾ら酔わないとはいえ昼間からバーで酒を飲むのは組織の上位者として躊躇われた。

それにクーゲルシュライバーはバーとは暗くなってから行くものと考えているし、無理やり開店させるなんて無粋はしたくなかった。

そんなに飲みたければバーじゃなくて自室で酒を飲んでいればいいのである。

他人に迷惑をかける酒の飲み方はしてはいけないのだ。

 

「わかった。では夜にすこし覗いてみよう。副料理長にも伝えておいてくれ」

「畏まりました」

「あとお前も一緒にくるように。折角バーに行くのだからメイド服は場違いだろう。私服を着てくるがいい」

「畏まり……えっ!?」

 

シクススの目が可愛らしく見開かれた。

半開きになっている口がすこし間抜けであり、なんとも微笑ましい。

クーゲルシュライバーの予想通りの反応だった。

 

「特に深い意味は無いからな?ただ一人で飲みに行くのが嫌だったんだ。シクスス、お前は酒を飲んだことは?」

「あっ……はい。飲んだことはありません。ありませんけど……」

「なら丁度いい。酒がどんなものか教えてやろう。そのついでに私の好みでも覚えてくれたら言う事はないな」

 

何も言わずとも好みの酒をだしてくれるメイドなんて最高じゃないか。なぁ?

クーゲルシュライバーがそういうと、なにやら慌てていたシクススが動きを止め暫し考えこんだ後に頬を朱に染めた。

どうやらやる気が出てきたらしい。

 

「そういうわけで今晩は予定を空けておけ。私はこれから第六階層に向かう。夜までそこで過ごすつもりだが、火急の知らせ以外は人を寄越さないでくれ」

「あっ!でも私……クーゲルシュライバー様!?」

 

クーゲルシュライバーはそれだけ伝えるともう離すことは無いとばかりにその場から転移して姿を消した。

後に残されたシクススは伸ばしかけた手を胸元へ引き寄せると途方にくれた旅人のように項垂れた。

 

「どうしよう……私服なんてもってないよぉ……」

 

これは自分の手にあまる状況だ。

メイド長か執事長に相談しなければ。

シクススはペストーニャとセバスに助力を求める事を決めると、一先ずクーゲルシュライバーの自室の出入り口へと向かった。

エントマの件と今夜の件についてしかるべき人物に連絡しなければならないからだ。

誰も見るものがいないとしても上品な歩法は崩れることなく、シクススは素早く目的の扉の前までたどり着いた。

 

メイドの数が足りない。

リビングルームからこの場所まで来るまでにメイドの姿は一人として見かけられなかった。

部屋の広さと主人の格を考えると明らかに不自然であるメイドの数を再確認する事になったシクススは胸中にわだかまりを感じつつ扉に手を伸ばした。

 

その美しい指先が扉に触れるか否かというタイミングで反対側から扉が3回ノックされた。

 

奇妙なタイミングの一致に軽い驚きを感じるもシクススは扉をゆっくりと開けた。

扉の向こうには一人の女が立っていた

シルクのような光沢を放つ白いローブを着ており体の輪郭を掴ませないうえに、フードを目深に被っており顔を見ることもできない。

しかしフードの中から伸びる細くしなやかな茶色の長い髪と、そこから発せられる混然と交じり合った花のような香気、そして僅かに見える瑞々しい桃色の唇がこの人物が女性である事を強く認識させていた。

 

「ミュルアニスでございます。クーゲルシュライバー様にお目通りがしたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

低く落ち着いた声でそう言うとミュルアニスはシクススに頭を下げた。

 

 

◆◆◆

 

 

どうしてこうなってしまったんだろう。

モモンガは眼前で跳ね回る二つの白い物体へまるで月でも眺めるかのような遠い眼差しを向けていた。

驚くほど静かな心境ではあったが、静けさの中に骨の芯まで染み渡るような冷たさがあった。

その冷たさに名前をつけるのであれば、それは自己嫌悪の四文字になるだろう。

 

モモンガの頬を生暖かい風が撫でる。

骨の体が純白のシーツにさらに沈み込んだ。

 

どうすればよかったんだろう?

徐々にその濃さを増していく甘く熟した果実のような匂い。

あまりにも非現実的なその匂いに理性を解かされる事も無くモモンガはひたすらに考える。

 

仕込まれているスプリングがよほど高品質なのだろう。

一切音を立てずにモモンガの体がまるでトランポリンに寝そべっているかのように上下を繰り返す。

 

俺はただ、放っておけなかっただけなのだ。ただ、それだけだったのに。

モモンガはクーゲルシュライバーの部屋から出た時の事を思い出す。

扉をあけて真っ先に眼に飛び込んできたもの。

それは廊下に立ち尽くし無表情で声一つ上げずに涙を流すアルベドの姿だった。

大粒の涙で頬を濡らしながらアルベドはジッと此方を見つめていた。

 その姿にいてもたってもいられなくなり、アルベドの手を引いて自室へと連れてきた……もうこの時点で失敗だったのだろうか? 

最初からやり方を間違えていたのではないかと考えるモモンガだったが、ではそれ以外にどうすればよかったんだと叫びたい気持ちで一杯だった。

 

アルベドは守護者統括という地位にあるNPCであり、傾国の美女という設定に恥じない美しい女性だ。

そんな彼女がいたく傷心しており、人目憚らず涙を流し立ち尽くしていたのだ。

 声をかければ感情が爆発してしまいそうな彼女を、メイドや護衛のシモベ達の眼の無いところへ連れていくのは当然の事ではないだろうか? 

連れて行った先が自室なのも、二人きりの環境を作りやすいからであって他意など微塵も存在していなかったのに。

 

やはり、下手な同情は禁物ということなのだろうか。

モモンガは暗澹たる気持ちで倒れこんできた柔らかいものを両手で抱きとめた。

 

エントマへの嫉妬を吐露し、捧げる愛の深さを語り、拒絶された絶望と混乱を訴えるアルベドの姿は普段の彼女を知るものならば誰もが唖然とするだろう。

まるで14歳かそこらの少女のように泣きじゃくるアルベドの姿はナザリックの支配者としてNPC達を守ろうとするモモンガの父性、もしくは庇護欲を酷く掻き立てた。

感情とは違い心中から湧き上がる欲は抑圧されたりはしない。

三大欲求を失って間もないモモンガは思いがけず手にした欲にあっさりと呑まれてしまった。

涙を流し、髪を振り回し、尚も言葉を続けようとするアルベドの体を、モモンガは無言で抱きしめた。

それはモモンガが昔見たマンガやドラマの知識を元にした行動だった。

大抵はこうすることで上手く行くのだとモモンガは本気で思っていた。

しかし――

 

「あっはぁ!ジュル……んはっ!モモンガ様っ!モモンガ様ぁっ!愛しています!アルベドはっ、アルベドは貴方様を愛しております!」

 

自らの腰の上に跨り、流れ出た涎を啜り、ドロリと濁った瞳で病的に愛を口にするアルベドの姿に、モモンガは自分が取り返しのつかない事をしてしまったような気がしてならなかった。

 

(……これって失恋した女性の傷心に付け込んで関係を持とうとするクズ男の手口なんじゃないか?)

 

そう思えばアルベドの濁った目が依存に満ち満ちているような気もしてくる。

吐露された心情を聞く限り、アルベドは重い女だ。それもかなり。いや、危険なレベルで。

本人は愛の深さを知ってもらおうとしているのだろうが、聞いてるモモンガとしてはアルベドの言葉は背筋が寒くなるようなものばかりなのだ。

 

――私だけが至高の御方々の真の下僕、忠実なる奴隷。

 

その言葉から始まった、何もかもを犠牲にする事をいとわない狂愛を嫌という程に思い知らされる言葉の奔流は未だ途切れることは無い。

正直な話モモンガはそんなアルベドの事が不安だったし、恐ろしかった。

しかしその一方で冷静な思考がアルベドを御し易い相手だと判断していた。

要は此方がアルベドの愛にある程度応えてやれば、彼女は決して裏切らないのである。

それどころかどんな事を命じても全力で実行し、命令を達成するだろう。

 

一枚岩であると信じていたナザリックの中にあったアルベドという特大の危険分子。

その危険分子は、自分がこういう関係を続けていれば爆発する事はないのである。

 

モモンガはナザリックを愛している。

ナザリック地下大墳墓とそこに生きるNPC達は仲間達から預かった宝物であり、どんな理由があったとしても失われてはいけないものなのだ。

それにアルベドの設定が歪んだのは自分にこそ原因があるとモモンガは思っていた。

自分が原因ならば、その責任を取るのは自分だ。

罪の意識に後押しされながら、モモンガはいっそ悲壮感すら漂わせるような決意を持ってアルベドを抱きしめた。

嬌声が上がり、魔法の薄明かりに肢体がくねる。

 

「私も愛しているぞ、アルベド」

 

内心の恐怖を完璧に封じ込めた優しげなモモンガの声。

その嘘でしかない言葉に依存心をさらに深めながら、アルベドは息を止めてつまさきを伸ばしながら激しく痙攣した。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「お待たせしましたクーゲルシュライバー様」

「……」

 

ナザリック地下大墳墓第九階層の一角にあるバーの扉前でクーゲルシュライバーは絶句していた。

その理由は単純明快。

いま、彼の眼前で恥ずかしそうに服装を気にしているシクススの姿にあった。

 

「あの、クーゲルシュライバー様?」

「あっ、うむ。うー……いや、なんだ、思いがけない服装だったから、ついな」

 

シクススはこのナザリック地下大墳墓において非常に珍しい服を着ていた。

それがクーゲルシュライバーを激しく動揺させていた。

 

シクススが着ているのは白のストライプ生地のフリルシャツ。下はメイビー色のハイウエストスカート。ミディー丈だ。

それはいわゆる『現実』での普通の服である。

だからこそユグドラシルというファンタジー世界の産物であるナザリック地下大墳墓では周囲から浮いた存在に映るのだった。

 

だからといって似合っていないという訳ではない。

元々の素材がいいのだから似合わないわけが無い。

しかも着ているものがシクススの外見年齢にジャストフィットであり、清楚なお嬢様といった風情を醸し出している。

 

(ちょ~好みだ)

 

スカートの下から伸びる黒いタイツに覆われたスラリと長いふくらはぎが、クーゲルシュライバーの食欲と好みのストライクゾーンを見事にぶち抜いていた。

 

「なんとも新鮮だな。何時もはメイド服ばかりだが、そういった服装も似合うではないか」

「あ、ありがとうございます」

「お前の私服のセンスはバッチリだな。何時もその格好で居て欲しいぐらいだ」

「……」

「ん?どうした?」

「あ、いいえ。この格好ではお仕事ができませんので、やはり私はホワイト・ブリム様に頂いたメイド服が……」

 

私服のセンスを褒めたと途端に黙ってしまったシクススを怪訝に思うが、取り繕うように続いた言葉にクーゲルシュライバーは納得させられた。

やはりメイドはメイド服を着てこそなのか、と。

 心の隅ではメイドがメイド服以外の服を着ているところに猛烈な萌えポイントがあると主張していたが、そんな事は今言う事ではあるまい。

ペロロンチーノやホワイト・ブリムを相手に言うべき話題だ。

 

「そういうものか。まぁいい、行くぞ」

「はい。お供させていただきます」

 

クーゲルシュライバーが扉に手を伸ばそうとするとシクススが一歩先に扉を開けてしまった。

主人が通りやすくしようというシクススからすれば当然の行動だったが、初めて入る店の扉を開けるワクワク感に拘りを持つクーゲルシュライバーとしては少々不満な対応だった。

シクススは浪漫というものを分かっていない。

その辺りも徐々に教え込んでいくか、そう思いながらクーゲルシュライバーは副料理長自慢のショットバーへと肢を踏み入れた。

 

「いらっしゃいませクーゲルシュライバー様。お好きな席にどうぞ」

「うむ。……4席分ほど専有する事になるが大丈夫かな?」

「問題ありません。本日は貸切になっておりますので」

「そうか……貸切か」

 

ならば構うまいとクーゲルシュライバーは自身の巨大な腹部を四つの席に乗せた。

4対の肢にかかる負荷が一瞬で軽減される。中々の座り心地だった。

 

「シクススも座るがいい」

「はい。……し、失礼します」

 

声をかけられたシクススが緊張しながら席に座った。

 意外なことに、シクススは戸惑いながらもクーゲルシュライバーの隣の席に座ってみせた。

遠慮して一つ席を飛ばして座るのではないかと思っていたクーゲルシュライバーにとって、これは嬉しい誤算だった。

緊張して膝に手を置きながらカウンターチェアーに座るシクススの姿はとても可愛らしく、大人なムードがたっぷりと漂うこの空間に居てはいけないような気すらする。

しかしそれがいいのだとクーゲルシュライバーは声を高らかにして主張したかった。

 現実世界では未成年者を夜遊びに連れていったとして警察の世話になりかねない状況だ。

夢想しても実現することは不可能だったはずの光景に感動しないほどクーゲルシュライバーは人間を止めていなかった。

 

「何になさいますか?」

 

副料理長の声にカウンターへ視線を移せば既にお絞りとコースターが用意されていた。

クーゲルシュライバーは副料理長の背後に並ぶ酒を眺めながらお絞りで手を拭く。

ライトアップされた多種多様な酒と器具の放つ輝きが落ち着いた照明の店内においてなんとも華やかだ。

幾つか知らないモルトウィスキーや焼酎があったが、大体の酒は揃っているらしい。

クーゲルシュライバーはシクススが隣に居るという事もあって多少気取りながらオーダーを出した。

カクテルを頼んでいるカッコイイ大人、というイメージを与えたいが為の子供っぽいチョイスだった。

 

「ドライマティーニを。タンカレーとノイリーで」

「畏まりました」

 

副料理長がカウンター裏にあったらしい冷蔵庫から霜だらけになったキンキンに冷えた酒瓶を取り出した。

消火栓の形をした瓶……とは知識として知っているが、大昔の消火栓とは変な形をしているものだと思う。

カクテルグラスに氷を入れバースプーンで素早くステアする副料理長の見事な手際に感心しつつ、クーゲルシュライバーは隣で眼をきょろきょろ動かしているシクススに話しかけた。

 

「シクススはどんな酒が飲みたい?」

「あ、えっと、私お酒は飲んだことが無いので……クーゲルシュライバー様と同じものでお願いします」

「いや、私の頼んだのはそこそこ度数が強くて辛口だ。初めて飲むには辛かろう……そうだな、ヨーグルトとか好きか?」

「ヨーグルトですか?はい、大好きです」

「そうか。……副料理長、パッシモはあるかな?」

 

 突然話しかけられても作業を淀ませること無く副料理長が答える。

 

「ございますよ」

「ならマリブ……じゃなかった、ココモだっけか?ココナッツリキュールで、ほら、あれだよ」

「コパ・ミルクの変形でございますね?畏まりました」

 

そうそれ!と手を叩くと、クーゲルシュライバーはシクススが自分を見ている事に気付いた。

一瞬で自尊心が満たされテンションが急上昇し、そして抑圧された。

それを不愉快に思う一方で、あのままでは無様を晒す羽目になっていたかもしれないと精神作用無効化に感謝もしていた。

どうもこの状況はよくない。

いや、非常に良いのだが、それが良くない。

とても可愛らしい女の子が、何故か的確に自分の好み直撃な服を着て、大人のお店で隣り合って座っている。

もしもこれでシクススの髪の毛が茶色だったら即死だった……。

クーゲルシュライバーは心の中で喜びと不満を同時に感じていたが、それを一切外に出すことは無かった。

 

程なくして頼んだ酒が出来上がり二人の前に出された。

クーゲルシュライバーはよく冷えているカクテルグラスを持つとシクススへそれを向けた。

シクススも出されたオールドファッショングラスを手にとり、おっかなびっくりではあるがクーゲルシュライバーへと向けた。

 

「シクススのアルコールデビューに乾杯」

「乾杯、です」

 

ガラスがぶつかり合う澄んだ音が店内に響くと、二人はそれぞれのグラスに口をつけた。

 

「ん。美味しい。ココナッツと、甘酸っぱいのはヨーグルト?柑橘?よくわからないけど、甘くて美味しいです」

「そうか、それは良かった」

 

隣でコクリコクリと酒を飲むシクススをみてクーゲルシュライバーは少しだけ悲しくなった。

感じる酒の味は変わらない。匂いですら人間の頃と比べて変化は無い。だからこの蜘蛛の体になっても酒に関しては文句はなかった。

しかしたった一つ、この自分の股間にカクテルグラスを持っていくような情け無い格好だけはどうにも受け入れがたい。

自室ならともかく、こういったムード溢れるオシャレな店でこの飲み方は自分が酷い無作法者に思えて仕方が無いのだ。

副料理長もシクススも気にした様子は無いが、酒を飲む自分の姿も自己満足の内である以上やはり不満は残る。

 

(酒を飲むときぐらい人間の姿になれないものだろうか?)

 

そんな事を思いながらクーゲルシュライバーは最初の一杯を飲み干すと、次の酒を選び出す。

シクススもまだまだいけるようだし、今日はゆっくりたっぷり酒を飲むことにしよう。まずはスタンダートカクテルからだ。

クーゲルシュライバーはランタン型のボトルに目をとめると、エメラルドクーラーを注文した。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「あのぉ、お聞きしてもいいれしょうかぁ?」

「ん?なんだ?」

 

 二人はスタンダード、オリジナル双方で結構な数の酒を飲んでいた。

飲み始めてもう3時間だろうか?

ゆっくりと味わって飲んでいたものの、流石に毒耐性を持っていないシクススは素面ではいられなかったらしい。

舌ったらずな口調がいつもよりシクススを幼く見せている。

姿勢を保つのが難しくなってきたのだろう。猫背になったせいで自然とカウンターの先に置かれることになった胸がいけない魅力を発していた。

美味しそう……。

二つの意味でそう思う自分をクーゲルシュライバーは心の中で叱咤していた。

 

「ヘロヘロ様は今何をなさっているのしょうかぁ?わた、わたひ、ヘロヘロ様にお会いしたいです」

 

シクススの問いにクーゲルシュライバーは低く唸った。

唐突な話題である。そして中々答え難い性質のものだった。

なんだかんだで最後までギルドに在籍していたヘロヘロの今について、クーゲルシュライバーはある程度は知っている。

しかしある程度というのはその程度なのだ。

それにNPCであるシクススにどう伝えるかも問題である。

素直に中年サラリーマンの悲哀について話しては至高の41人に対してNPC達が持っている神秘性を消してしまいかねない。

それは今後ナザリックで生きていく自分達にとって有利にはなるまい。

だが、ここで暈してしまうのもなにか可哀想な気がするのも事実だった。

なのでクーゲルシュライバーはすこしばかり誤解を助長するような形でシクススにヘロヘロについて教えてやることにした。

 

「……我が友ヘロヘロは、原初の世界にいる」

「げんしょのせかい?」

「うむ。ありとあらゆる世界の根源だな。あの広大なユグドラシルの世界とて原初の世界から発生した無数の宇宙の一つにすぎん」

「はぇぇ……」

 

シクススの返事が生返事にも程がある。

こんな状態で言って聞かせる意味があるのだろうかとも思うが、クーゲルシュライバーは話を続けることにした。

 

「まぁそういう世界があったんだ。元々は私達が暮らしてた世界なんだがな」

「えっ!?」

「そこで私達41人は……そうだな、世界を動かす歯車みたいな事をしてたんだ」

 

サラリーマンは社会の歯車、という古くから伝わる言葉を利用した例えだった。

実際にサラリーマンだったギルドメンバーは多くは無いが、社会人をサラリーマンに置き換えてもさして差はないだろう。

想像以上に驚愕するシクススと副料理長を横目に、クーゲルシュライバーは酒を一口含むと話を続ける。

 

「ヘロヘロは今その世界で、システム……なんというか、そう、法則だな。法則を作っているようだ。昼夜問わず、己の精神と肉体をすり減らしながら」

「……なぜヘロヘロ様はそこまでして法則をお作りになられているんですか?」

 

ここで金のためと答えるのは良くないだろう。

NPC達に対する説明としても不適切だし、ヘロヘロ本人にとっても失礼にあたる。

たとえ本当に金のためだとしても、ここで自分が言ってはいけない事だろう。

しかし、AI製作を得意としたあの友人が何を思ってシステムエンジニアという茨の道に進んだのか、クーゲルシュライバーは知らなかった。

あのご時勢である。

殆どの企業がいわゆるブラック企業であり、その中でもシステム土方と呼ばれる過酷な職業に自ら進んでいったヘロヘロの気持ちなど本人に聞かねばわからないだろう。

 

「……成さねばならない事だから」

 

主に生活の為に。

いい言い方が思いつかず、苦々しい思いで呟いた言葉はクーゲルシュライバー自身が思いがけない重みを持っていた。

聞いていた二人が黙りこくる程度には。

クーゲルシュライバーにとっては気まずい雰囲気だった。

 

「でも、それじゃあヘロヘロ様がお可哀想です……」

 

沈黙を破りシクススがポツリと呟いた。

カウンターの上でグラスを持つ手が震えている。

 

「全ての世界を司る原初の世界……ヘロヘロ様がその世界を構成する偉大なる存在の一柱だとしても、いやだからこそ、そんな苦役は酷すぎます」

 

現実の世界で社会人がブラック企業で社畜やってます。

ただそれだけの内容だったはずなのだが、クーゲルシュライバーの思惑以上に聞き手の想像は膨らんでしまったようだ。

 

「もしや、他の至高の御方々も……?」

 

今まで聞きに徹していた副料理長が口を挟む。

 

「いや、全員がそうという訳ではない。それぞれ苦労しているのは間違いないだろうがな……っと」

 

これ以上は話が広がりすぎて制御不能になる恐れがある。

クーゲルシュライバーはそう判断して立ち上がった。

今夜はこれまでだ。

 

「そろそろ行くぞ。シクスス、立てるか?」

「大丈夫で……きゃあっ!」

 

椅子から立ち上がろうとしたシクススが足首が捻って体勢を崩す。

すかさず擬腕を伸ばして転倒を防いだクーゲルシュライバーだったが、その時ふとシクススの服から香ってきた匂いに牙を軋ませた。

 

「すみません!クーゲルシュライバー様にこんな……ひとりでたてます!」

 

そういって自分の腕を掴む主の手から離れるシクススだったが、そんな彼女の事はクーゲルシュライバーの頭に入っていなかった。

赤い顔で一通り足のコンディションを確認していたシクススも、グラスを片付けている副料理長も、無言のクーゲルシュライバーに気付いて小首を傾げていた。

 

「……ん。そうか。だがしばらくは足元に気をつけろよ。それではな、副料理長。大変いい酒だった。また来るよ」

「ありがとうございます。またのお越しをおまちしております」

 

副料理長の声を背中で受けながらクーゲルシュライバーは自室に戻る為に扉を開き、シクススを気遣うこともなくさっさと出て行ってしまった。

シクススは制御の難しい自分の体に四苦八苦しながらも、ゆっくりと出入り口へと向かう。

まだ3歩も歩かないうちにクーゲルシュライバーが開けた扉は閉まってしまった。

その扉をぼんやりとした目で見つめた後、シクススは主人と別の空間にいる事に安堵して床にへたり込んでしまった。

 

「はぁ……はぁ……」

「大丈夫ですか?今チェイサーを持って行きますので」

 

副料理長の言葉にシクススはカウンターチェアーの金属で出来た脚部分に頬を当てながら頷いた。

頷き下を向いた先にはメイビーのスカート。

 

「ありがとうございます、ミュルアニス様……」

 

間違いなくクーゲルシュライバー様はこの服をお好みになるわ。

その言葉と共にこの服を貸してくれた人物に対しシクススは小さく礼を言った。

 




もしもこれでシクススの髪の毛が茶色だったら即死だった……。(誰がとは言っていない)

ただ酒を飲んでいる描写が書きたかった。それだけなんです。バー好きなんです仕方ないじゃない。
あ、あと不健全な恋とか。

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