オーバーロードと大きな蜘蛛さん   作:粘体スライム狂い

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次回から何時ものボールペンに戻る予定。


25話

バーでしこたま酒を飲んだ翌日、巨大な円卓に牙を乗せながらクーゲルシュライバーは憂鬱なため息をついていた。

頬杖をつく感覚でそれを行っているクーゲルシュライバーは生活指導室に呼び出された学生のような心情だった。

触肢は忙しなく床を叩いているし、乗せられた牙は時折円卓の表面を強く引っ掻き不快な音を立てている。

それらは全てこれから行われるモモンガとの面談に対する不安のあらわれだった。

 

「そろそろ時間かぁ」

 

クーゲルシュライバーがこのナザリック地下大墳墓第九階層の円卓の間に居るのは、かつて無いほどに憔悴した声でモモンガからメッセージが送られてきたからだ。

アルベドの件で話があるので円卓の間まで来てくれませんか?

そう言われただけでクーゲルシュライバーは此度の話し合いがこの世界に転移してから最も重要で深刻なものになると理解していた。

 

話し合いにはその内容に相応しい場というのがある。

一般的に考えれば、たわいも無い雑談なら廊下でもロビーでもいいし、組織運営に関わる重要な話し合いなら会議室が丁度いいだろう。

では、ナザリックにおいてこの円卓の間に相応しい内容の話とはなんだろうか?

アルベドについて、と一言に言ってもその深刻さの度合いとは?

 

この円卓の間はギルドメンバーの憩いの場であると同時に、ギルド《アインズ・ウール・ゴウン》が何かを決定するために多数決を行う場だった。

くだらない事でも、重要な事でも、大よその方針はこの場で多数決によって決められ、そして実行されてきた。

その実績があるからこそ、態々話し合いの場にこの部屋を指定してきたモモンガが一体どのような話し合いを求めているか察するのは容易な事だった。

加えてメッセージで聞こえてきたモモンガの憂いに憂いたあの声。

どう考えても非常に深刻な話し合いになるのは間違いなかった。

 

「うぅぅ……俺のせいだ、俺の……」

 

クーゲルシュライバーはある程度までNPC達の忠誠心を信じているが、完全には信用していない。

だからこそナザリックが自分達アインズ・ウール・ゴウンの下に一枚岩であるように出来のよくない頭を捻って策を講じていた。

より忠誠心を引き出そうと耳に心地よい言葉による演説を行い、団結を促すために上映会を行い、功をなした者に対してはささやかではあるが褒美を与えたりもした。

支配者が二人居るという内乱の種を危険視し、最終的な人望がモモンガに集中するように仕向けようともしている。

しかしそうした努力を先日のアルベドの一件で台無しにしてしまったのではないか?

 

アルベド以下NPC達はおそらくは問題ないだろう。

 理不尽に怒られたところでその怒りを従順に受け止め、自責の念によって多少行き過ぎた謝罪を行おうとするだけだとクーゲルシュライバーは予測する。

それはそれで罪悪感が酷い事になるのだが、それよりも問題はモモンガとの関係だ。

アルベドを叱りつけた後、モモンガからは確かにNPCに対し理不尽な扱いをするクーゲルシュライバーを責める気配が発せられていた。

 

ナザリックを一枚岩とするクーゲルシュライバーの目論見は、ギルド長でありギルドマスター権限という絶対的な力を持つモモンガとの信頼関係があってこそ意味があるものだ。

モモンガが絶対に自分を裏切らず、どんな時でも味方で居てくれる。

そう信じていなければモモンガに全ナザリックの人望を集中させるなんて事は出来ないのだ。

なぜならばもしもモモンガが裏切ったとき、クーゲルシュライバーに味方するNPCなど居ないのだから。

 

クーゲルシュライバーにとってナザリック地下大墳墓という楽園で生きていくには、モモンガとの"ネットゲームでの友達"という酷く曖昧な友情をより確かなものにしていくのが何よりも重要なのである。

それが今、危うい。

 

モモンガはNPC達の後ろに今は居ないギルドメンバーの影を見ている。

今になってカルネ村の救出を決定した時の事を思い出してみれば確信できる。

モモンガは一度理性的にカルネ村を見捨てようとしたがその決定を覆した。

自分達の戦闘能力を調べる為と言っていたが、それこそ取ってつけた理由に過ぎない。

あの時モモンガは今ここにいないたっち・みーを偲んでカルネ村を助けたのだ。

自分自身の安全とナザリックの安全、そしてギルドメンバーであるクーゲルシュライバーの安全をも優先して。

 

だがそういったモモンガの重たい、一般的に見れば異常ともいえるギルドメンバーへの執念はクーゲルシュライバーにとって十分以上に理解できる心情であるし、なによりも非常に都合の良いものだった。

特定の人物に対する異常な執着というのは千切れては混ざり合う支離滅裂とした感情の混沌から生じるものであり、理性や理屈で抑えつけられるものではないとクーゲルシュライバーは信じきっている。

一度そういった異常な執着を抱けばそれを手放すことはほぼ不可能だと身をもって知っているからこそ、モモンガの執着の対象である我が身の磐石の地位を思いクーゲルシュライバーは安堵していた。

だがそれは甘い考えだった。

当然の事ながらギルドメンバーであれば何をしても許されるという訳ではない。

執着の対象であるギルドメンバーを思い出させるNPC達もまたモモンガの執着の一部であり、それを不当に傷つける行為はモモンガの逆鱗に触れて当然だろう。

 

執着の対象に何者かが干渉する。それも自分の認めがたい方法で。

もしも自分がそんな事をされたら、制裁を下す以外に選択肢はない。

自分と似た部分のあるモモンガならば、同じように考えても不思議は無い。

勝手な決め付けでモモンガが怒り狂っていると思い込んだクーゲルシュライバーは、過去の自分の所業を思い出してその巨体を震わせた。

 

無限に湧き上がる邪悪なモチベーション。

途切れること無い残酷なアイディア。

我が身を省みない異常な行動力。

 

かつて己が発揮していたそれらおぞましい力の数々が、我が身に降りかかろうとしていると思えばその恐怖は当然であり、後悔の念を抱くのも自然な事だった。

しかしその一方で今感じる不安が、過去自分の手にかかった者達の恐怖と苦しみの程を表しているようでクーゲルシュライバーは胸がすくような思いだった。

コストに見合ったパフォーマンスがあるのはとても素晴らしい事だ。

そこまで考えた時、クーゲルシュライバーは舌もないのに一つ舌打ちすると、擬腕の手を組んで祈りを捧げるように擬頭に当てた。

自分自身が持つ吐き気を催す邪悪かつゲスな一面を再確認するのは今の心情的に負担が大きかった。

 

「ごめんよモモンガさん。でもしょうがなかったんだよ。どうしようもできないんだ」

 

本来自分は心身共にか弱い一般人であり、ありふれた所謂『善人』だと信仰しているクーゲルシュライバーは抗いようが無いのだと虚空へ訴える。

当然それに答える者はなく、クーゲルシュライバーは項垂れた。

 

――でも、絶対にこの気持ちを分かってくれる。だってモモンガさんは間違いなく俺と同類だから。

 

モモンガから発せられる慣れ親しんだ執着と依存の湿った香りを思い出しながら、クーゲルシュライバーは自分を勇気付けるように組まれた擬腕を解いて擬頭を毅然と前へと向けた。

その視線の先でモモンガが音も立てずに転移してきた。

暗く落ち窪んだ彼の眼窩に宿る赤光が怪しく輝いていた。

 

 

■■■

 

 

 

硬質な足音が地に深く刻まれた亀裂に反響する。

風も無いのに揺れる朽ち果てた木の吊り橋が立てるキィキィという不吉な音と相まって非常に不気味な印象の空間だった。

普通の人間にとっては完全な暗黒に支配された場所を危なげない足取りで進むのはナザリックの絶対支配者モモンガその人である。

 

「ここと、そこと、あそこ……ええいもう分からん!飛行(フライ)!」

 

おっかなびっくり足場を指差し確認しながら歩いていたモモンガは自分の記憶力の無さに絶望しながら飛行の魔法を使用した。

ナザリック地下大墳墓第二階層、シャルティアの自室と地下聖堂を繋ぐ吊り橋の踏めば壊れる罠の場所が僅か三歩で分からなくなったのだ。

だがそれも仕方がない事だとモモンガは自己弁護しながら眼下の吊り橋の更に下にひしめく亡者の群れをみる。

この道を通るのは年単位で久しく、吊り橋の中心直下にある目的地に至っては領域を担当するクーゲルシュライバーが各種オブジェクトを配置する前に訪れて以来の事になる。

 

「さて、正式な侵入方法はどうするんだったか……」

 

モモンガは無数の亡者たちが奏でる怨嗟の声を聞きながら異様に尖った顎を撫でた。

 

 

早朝にセッティングしたクーゲルシュライバーとの話し合いはモモンガが思っていたよりもあっさりと片付いた。

開口一番、クーゲルシュライバーは誠意の篭った謝罪と共に自分の非を認めたのだ。

その上でデリケートな部分に影響する事態になった時、あのような対応になってしまうことは不可避である事を懇々と説明された。

クーゲルシュライバーの説明に非常に粘着質な何かを感じ取ったモモンガがもう十分理解したと言った後、結論としてアルベドに対して直接謝罪する事と、慎重に言葉を選んだ上で必要最低限近づかないように説得する事となった。

前者はクーゲルシュライバーの仕事であり、後者はモモンガの仕事である。

過程をぼかされながらもアルベドを慰めることに成功したと聞いたクーゲルシュライバーが土下座してまで頼み込んできたのである。

モモンガの本心としては全部クーゲルシュライバーにして欲しかったのだが、また同じような修羅場が発生してはたまらないと渋々請け負うことにしたのだった。

 

不満な点は多く文句や突っ込みを入れようと思えば幾らでも出来たのだが、モモンガはアンデッドとなって得た忍耐強さと得体の知れない不安からそれら全てを飲み込んでいた。

クーゲルシュライバーから昨晩のアルベドに似た雰囲気を感じたのも理由の一つであるが、モモンガにはなんとしても呑んでもらいたい案件があったのだ。

 

モモンガ自らがナザリックの外に出て情報収集する。

 

NPC達が聞けば大反対確定な申し出に、クーゲルシュライバーも一瞬戸惑ったようだったが数秒後には擬頭を縦に振っていた。

我慢した結果かどうかは不明だが、これにはモモンガも安堵した。

 モモンガにとってナザリックでの支配者としての生活は非常に精神をすり減らすものだ。

そこにアルベドのカウンセリングが加わった事でモモンガの精神は最早限界間近だったのだ。

 

 喜ぶモモンガだったが、流石に一人旅はどうあってもNPC達が許さないだろうというクーゲルシュライバーの言葉から旅に連れていけるシモベの選別が始まった。

人間達の住処であるエ・ランテルに行くつもりのモモンガとしては人間蔑視の思想を持っておらず、それでいて人間と見分けのつかない者が望ましい。

モモンガが最も離れたいと願っているアルベドはその両方を満たしておらず旅の供とはなり得ない。

では誰が適任かと協議を進めていくとプレアデスの一員であるナーベラル・ガンマが最も都合がいいのではとの結論が出た。

出たのだが……。

 

 ――二人旅だと流石に少なすぎます。最低でもあと一人連れていってください。

 

 ミュルアニスが回復役とレンジャー代わりになるから連れていけ。

そうでなければこの件は呑めないと強硬な態度でクーゲルシュライバーは言い放った。

リフレッシュが一番の目的であるモモンガは従者が増えることを快く思わなかったがそれを受け入れた。

一から十までリフレッシュの為の外出ではない事がその理由だった。

未知の世界を知るにはナザリックの指揮官である自分かクーゲルシュライバーが実際に外の世界に触れる必要があるとモモンガは判断していた。

出来ることならば自分だけではなく同等の地位にいるクーゲルシュライバーにも参加して欲しいのだが生憎彼は人間に変装する事は出来ない。

不可視化や不可知化をしていたとしても、陽光聖典から聞き出したこの世界特有の能力であるタレントの存在を考えるとやはりリスクが大きいように思えた。

それはクーゲルシュライバー自身も同じ考えだったようで、だからこそミュルアニスなのだと彼は語尾を強くしていた。

 

ミュルアニスはクーゲルシュライバーを信仰し力の源とするウォーロックでありクレリックでもあるエルドリッチ・ディサイプルだ。

信仰の対象であるクーゲルシュライバーと彼女は職業的にも結びつきが非常に強い。

さらに蜘蛛の女王に仕えるスパイであり召使という設定の種族である事も相まって、ミュルアニスは見たものや感じたものをそのまま主人であるクーゲルシュライバーに送る事が可能だと言う。

そんな便利能力あったっけ?とモモンガは首を捻ったが、設定文と種族のフレーバーテキストが化学反応を起こしたようだとクーゲルシュライバーが苦々しい口調で説明してくれた。

結局のところ原因は不明だが、生きたカメラとして機能するのは本当らしい。

そうであるならば確かにミュルアニスは適任だろうということで、旅のお供はナーベラルとミュルアニスの二人に決定したのだった。

そしてそれが今モモンガが普段来ないこの場所へ足を運んだ原因になっている。

 

「普通に落下すればいいか。どうにかなるだろう」

 

モモンガは顎から手を離すと亡者の海目掛けて高速で飛翔した。

恨めしげな声を上げて手を伸ばしていた亡者達が慌てた様子でモモンガの落下地点から離れる。

スペースを空ける事など不可能にも思えた群れの中に生じた僅かな円状の隙間にモモンガは突入する。

ゴムの膜を破るような感触と共にモモンガは亡者達が立つ足場に穴を開けてその内部へと侵入を果たした。

 

「これはすごいな。まるでニューロンだ」

 

上下逆様だった体勢を立て直し周囲を見回すモモンガの周囲には、無数の包帯でグルグル巻きにされたミイラを思わせる物体が互いに白いロープで繋がれている空間が広がっている。

大きな塊であるミイラ風の物体を細胞体、お互いを繋ぐロープを軸索と見れば確かにここは脳の拡大画像によく似た場所だった。

細胞体の如き糸の塊が仄かに発光しており、それが無数に存在することによってこの空間を淡く照らしあげている。

頭上を見上げてみれば突入した際に生じた穴に小型の蜘蛛が群がっており、その尻から出る銀色の糸で穴を補修している。

ものの数秒で元通りになった穴から視線を外すと、モモンガは周囲に広がるオブジェクトに触れないように下降を開始する。

無数の光源があるとはいえ、底は見えない。

かなりの深さがあるのだろう。

モモンガは黙々と最下層を目指した。

 

「なんて深さだ。次からは絶対転移を使おう……」

 

クーゲルシュライバーが手を加えた後、この場所を訪れていなかったモモンガは観光として指輪による転移を使用していなかったが、障害物の多さと想像以上の深さに次回からは転移を使うと心に決めていた。

無駄に出っ張っていたりヒラヒラしている自分の装備を恨めしく思いながらも、ついにモモンガは最下層へと降り立った。

今までどおりのニューロンめいた物体が並んでいるが、一箇所にこれまで見たことの無いような大きな白いドームがあった。

その半球状のドームにはドアがあり、窓があり、内部からは白い光が漏れていた。

あそこが目的地だ。

モモンガは肩飾りが周りに引っかからないように注意しながらドームに近づいていく。

ニューロンの森を抜けてモモンガがドームの前に立った時、玄関と思わしき扉が開いた。

 

「いらっしゃいませモモンガ様。ここまでの道中さぞかしお疲れでしょう。どうぞ此方へ」

 

扉を開けて現れたのは一人の女だった。

ドームと同じ光沢を放つ白いローブを着ており、同色のフードを目深に被っておりその顔を見ることはできない。

如何にも余所行きといった声で、しかし他のNPCと比べて仰々しくない態度で自分を誘う女に、モモンガは好意的な驚きを覚えながらも言われるがままにドームの中へと入った。

開かれた扉をくぐる時に香った花の香がモモンガの嗅覚を優しく愛撫した。

 

通された室内は一言で言ってしまえば"普通"だった。

モモンガは実際に入った事は無いが、時折CMや雑誌などで見かける一人暮らしの女性の部屋に酷似しているのである。

どうしよう、なんかすこしドキドキする。

部屋全体から香る嗅ぎ慣れない良い匂いがモモンガに異性の部屋にいるという事実を強く認識させていた。

 

「どうぞ。お掛けになってくださいモモンガ様」

「あっ、はい」

 

なにその返事。

間抜けな声を出してしまったことを悔やみながらもモモンガは引かれた椅子に腰掛けた。

静かに出されたティーカップが出される。

カップ内の液体が立てる湯気を見て、まるでお供え物だなと思いながらも今更辞退するのも悪いと思いモモンガは無言を貫いた。

 

「レモンティーでございます。クーゲルシュライバー様はお好きなのですが、モモンガ様のお口に合うかどうか……」

「ん、いや私はアンデッドだからな。飲む事はできないが……この香りを楽しめただけで十分だ。ありがとうミュルアニス」

「そう言って頂けて嬉しいです」

 

口に手をあてて柔らかに笑うミュルアニスに対してモモンガは感動していた。

なんという、なんというほどほど加減!

もしこれがナーベラルであったら、ありがとうという言葉を言った瞬間やれもったいないだの身に余る光栄だのと大げさな反応を見せるだろう。

それ以前にアンデッドだから飲めないといった時点で土下座するに違いない。

だがミュルアニスはそんな事はしない。

此方に対する敬意は感じられるが、それが堅苦しくないのである。

これはこのナザリックにおいて超稀少な精神的癒しであり自分がNPCに求める関係に近いとモモンガは断言できた。

クーゲルシュライバーがミュルアニスを旅のお供とするように強く推していた理由が分かったような気がした。

なるほど、確かにミュルアニスならば貴重な気分転換の時間をより良いものにしてくれるかもしれない。

 

「それでミュルアニスよ。今日お前に会いに来たのは大事な話があるからなのだ」

「クーゲルシュライバー様より伺っております。ナザリックの外へ情報収集の旅に出ると」

「なんだ、聞いているのか。まぁいいその通りだ。お前にはナーベラルと共に私と外の世界へとついて来て欲しい。ナーベラルは分かるな?」

「存じ上げております。プレアデスの一人で優れた魔法詠唱者の……」

「そうそのナーベラルだ。問題なくやっていけそうか?」

「私には問題などありません。ですが……」

「ん?どうした、なにか心配事でもあるのか?」

 

口ごもるミュルアニスにモモンガが首を傾げる。

彼女の口ぶりだとナーベラルがミュルアニスに対して何らかの問題を抱えているように聞こえた。

 

「ご存知の通り私は至高の御方々から特別観察官としての地位を頂いております」

「知っている。このイビルウェブ・ブリッジの状況をクーゲルシュライバーに報告する役目だな?」

「はい。クーゲルシュライバー様が深淵にかけたこの橋にはかの御方が生んだ無数の卵が孵化の時を静かに待っています。私は卵達に異変がないかを観察し、もし異変があれば即座にクーゲルシュライバー様にお伝えする事になっています」

 

その話はモモンガもクーゲルシュライバーから聞いている。

実際にあるのはクーゲルシュライバーが産んだ卵ではなく、衝撃を与えることで無限湧きする各種スパイダースウォームの発生器なのだが設定上はミュルアニスの言うとおりなのだ。

しかし、それが一体どうしたというのだろうか?

訝しげなモモンガにミュルアニスはですが、と言葉を続けた。

 

「特別観察官の業務とはそれに限ったものではないのです。私は言わばクーゲルシュライバー様の目、クーゲルシュライバー様の耳。私が見聞きしたものはクーゲルシュライバー様が望めば即座に伝わりますし、伝えることを拒むことは出来ません。それはつまり……」

「つまり、内部監査人扱いされているということか」

 

首を縦に振るミュルアニスにモモンガは遠い目で虚空を見つめた。

クーゲルシュライバーは例えるならば会社の社長とか会長だ。

そんな人物直通の内部監査人、悪く言ってしまえばスパイや告げ口屋というのが周囲のNPC達のミュルアニスの評価なのだ。

 それは確かに気まずいだろうしギクシャクするだろう。

鈴木悟として働いていた時、お偉いさんが数分視察に来ただけでも相当な緊張を強いられた経験があった。

それがレベルアップしたものだと想像すれば、なるほどミュルアニスに近づこうという者は少ないかもしれない。

 

「私自身はナーベラルさんと仲良くしたいと思っていますが、お役目上ナーベラルさんには負担を掛けてしまうと思うのです。ですので、恐れながら私はこの任務には不適任かと……」

「……いや、やはりお前が適任だミュルアニスよ」

 

暫しの時間の後、かけられた言葉に俯き気味だったミュルアニスが驚いたように顔を上げるのを見ながらモモンガは心底思った。

お前以外の適任など居ない。

クーゲルシュライバーに出された条件の一つであるし、なによりもナザリックでは稀有な畏まり過ぎない態度がモモンガの心を掴んでいた。

 

「実際にナーベラルと会って避けられた事があるのか?」

「いえ、面と向かってお会いしたことも無いので」

「なんだ、会った事も無いのか?ならばお前の先の言葉は早計というものだ。不適任かどうかは実際に会ってみてから判断しようじゃないか」

「……モモンガ様のお心のままに」

 

フードの下から唯一見える唇が微笑んでいるのを見てモモンガは満足げに頷いた。

今日のところはミュルアニスがどんな人物か分かったのでもうこれで良いだろう。

NPCの設定を見直そうとしたとき、クーゲルシュライバーの必死の懇願にあってミュルアニスのテキストデータだけは見ていなかったのだ。

もし設定を見ていたとしても、実際に会わなければどういった人物なのかは判断できない。

やはり実際に自分で体感する事は重要なのだ。

モモンガはナザリックの外へ行こうという自分の考えが正しいことを再確認すると、最後にレモンティーの香りをたっぷりと堪能してからナーベラルの居るであろう第九階層へと転移していった。

 

 

 

■■■

 

 

 

モモンガが去った室内でミュルアニスは静かにティーカップの片づけを行っていた。

慣れているのだろう、よどみの無い動きで全て片付け終えると、ミュルアニスは部屋の端に置かれたベッドへうつぶせに倒れこんだ。

白魚のような指が枕元に置かれた四角いぬいぐるみを掴むと、それを引き寄せギュッと抱きしめた。

 

「……クーゲルシュライバー様、どうしてこんな……なぜ私を遠ざけようとするのですか?」

 

枕に埋もれたその表情を見るものは誰も居ない。

しかし発せられた涙声はミュルアニスが泣いていることを明確に示していた。

 

「一緒に居たいです。お会いしたいです。昔のように叩かれるだけでもいいんです」

 

ミュルアニスは過去を思い出す。

創造された最初の頃は創造主に打ち据えられた。罵詈雑言と共に激しく痛めつけられ、しかし体に痛みは無く、ただ心だけが痛かった。

暫くたって創造主は抱きしめてくれるようになった。髪をとかし、頭を撫で、素敵な家と沢山のプレゼントをくれた。優しい言葉をかけられ愛されていると知ってとても幸せだった。

最後に創造主は姿を見せなくなった。何度か至高の存在が放つ気配を感じることもあったが、姿を見せてくれることは無かった。胸が張り裂けそうだった。

 

「ぐすっ……」

 

もう二度と会えないのだと絶望していた時、様々な奇跡が重なって創造主がこのナザリックへと帰還した。

またお会いできる!

そう喜んだのもつかの間、創造主は会いにきてくれなかったし、唯一同じ空間に居ることができた上映会では目を合わせてくれもしなかった。

精一杯の勇気と我侭を奮い起こして、報告を届けるという名目で創造主の部屋に行っても留守で会えず、第六階層に居ると聞いて向かってみれば姿を見ることも出来ずに階層守護者であるアウラとマーレに追い返された。

 

そして今回のコレである。

創造主から連絡を受けていたと言ってもそれはメッセージによるものであったし、声を聞くのも忌々しいとばかりに一方的に用件を伝えられただけだった。

更にその内容はナザリックの外へ行けというもの。もしかして創造主は同じナザリックに居るのも我慢ならないと仰せなのだろうか?

せめてもの抵抗としてナーベラルをダシに使ってナザリックに残れるように進言したが、それはどうも叶いそうも無い願いらしい。

 

「ひっく……うぅ……そ、それがクーゲルシュライバー様のお望みならば……」

 

鼻を啜り、喉をしゃくり上げながらミュルアニスはベッドの上で蹲った。

クーゲルシュライバー自らの糸で作られ贈られた白い蜘蛛糸のローブに包まれた華奢な背中が激しく震えている。

 

「でっ……でもぉっ……寂しい、寂しいよぉ」

 

私はこんなにもあなたの望むままで此処に在るというのに。一体何故?

ナザリック地下大墳墓第二階層、奈落にかけられた悪魔の橋イビルウェブ・ブリッジ最下層に今日もミュルアニスの啜り泣く声が静かに染みこんでゆく。

 




モモン一行に色々と可哀想なミュルアニスが参加です。

最近ボールペンが真っ黒黒ですね。
次回からはライトな感じになります。
予告しよう。オネショタ!オネショタですぞー!

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