オーバーロードと大きな蜘蛛さん   作:粘体スライム狂い

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26話

天高く伸びる大樹が無数に存在する大森林。

手付かずの自然がそれぞれの生命力の限り生きている生存競争の場にクーゲルシュライバーは訪れていた。

真紅の瞳に映る何もかもが美しく愛おしい。

自分達の世界では失われた光景ではあるが、亡くなってしまったそれを悲しいと思ったことは余り無い。

無い事が当たり前だったからだ。

しかしこうして本物の自然を目の当たりにすると、自分達が失ったものがどれ程尊いものだったのか身に染みるようだった。

 

「では調査に行ってきますねクーゲルシュライバー様」

「ああ。圧勝できないと感じる存在と遭遇したら即座に連絡をするようにな。全力で救援に向かう……まぁ一通り見て回った感じ、この辺りにはいないと思うが」

 

周辺一帯の大雑把な偵察を終えたアウラとクーゲルシュライバーの二人は、マーレ率いる工兵部隊が確保したベース前で別行動を取ることにした。

既に脅威となる存在の索敵は二人で森を駆け回った結果終了しており、これからはレンジャー技能を持つ者による地形の調査や有用なアイテムが無いかの探索になる。

そういった作業の力になれないクーゲルシュライバーはアウラについていって作業の邪魔になるよりは、マーレ達本隊の護衛を行う方が有意義だと判断したのだ。

 

現在クーゲルシュライバーは、ナザリックの頂点であるモモンガからアウラとマーレに対し正式に下された「大森林内を探索し、把握せよ。ナザリックに従属する可能性を持つ存在の確認や、物資蓄積場所の設営も重ねて行え」という命令を遂行中である。

当然ながらアウラとマーレに下された命令なのだから、命じられた二人と与えられた施設設営のためのシモベだけが参加する予定だったのだがそこに本人の強い要望もあってクーゲルシュライバーも加わっている。

 

クーゲルシュライバーがアウラとマーレの任務を手伝うと言い出した時、当然のように大反対の声が上がった。

アウラは与えられたシモベと自分達二人と使役する魔獣達だけで十分に任務を遂行できると主張しており、それを論拠としてアルベドを筆頭としてクーゲルシュライバーの外出に反対するNPCは大勢居た。

しかしそれをクーゲルシュライバーは真剣な眼差しで拒否した。

ナザリックの為に何か力にならなければならない。

先の失態を悔い、熟考した末の申し出であるからは容易には引けなかったのである。

 

デミウルゴスやセバスと違いアウラが向かう先は人の手が入っていない秘境、そういった場所には比較的強力な脅威が潜んでいるものであり、未知の驚異に対する対抗策として自分以上の適任はいない。

そんなクーゲルシュライバーの言葉にナザリックの知恵者二人も一定の理解を示した。

クーゲルシュライバーが持つ速度はナザリック最高峰に位置しており、取得している種族の転移蜘蛛(フェイズ・スパイダー)悪魔食いの大蜘蛛(ベビリス)には回数無制限の転移能力も存在している。

そこに職業からくる隠密能力の高さと森という領域での優位性を考えると、レンジャーとして高い水準にあるアウラと組むには非常に適しているといえる。

高い隠密性を維持したままアウラと併走可能で、戦闘において格上が現れても対処でき、いざという時の緊急避難能力も備えている人材などナザリック広しといえどそうは居ないのである。

しかしクーゲルシュライバーが懇切丁寧に説明してもナザリックの忠臣にとっては容易に呑める事ではなかった。

最終的には渋るモモンガに対して「危険を感じた時点でナザリックに必ず帰還すること」を条件に鶴の一声を発してもらい無理やりに押し通す事になったのだった。

 

「お、お疲れ様でしたクーゲルシュライバー様。その、す、すみません……」

「……マーレ、謝らないでいいって何度も言っているだろう?こうも恐縮されると私がお前達を虐めているみたいじゃないか」

 

アウラと分かれるとすぐにマーレが既に5回以上繰り返されている言葉でクーゲルシュライバーを出迎えた。

至高の41人の一人であるクーゲルシュライバーに自分たちが与えられた任務を手伝ってもらっているという事実がマーレに謝罪の言葉を言わせているのである。

それに対してクーゲルシュライバーは少々呆れながらも努めて優しい声で不要だと告げた。

恐怖されるようにロールプレイするつもりではあるが、この気弱なマーレ相手にナザリック外で怯えさせるような事を言っても良い事はないだろう。

すでに周囲に脅威になるものが居ないとは分かっているが、なにが起るかわからない未知の世界の事である。

突然の敵襲があった場合、素のステータスにおいてクーゲルシュライバーを凌駕するマーレが萎縮していてはもしかすると不覚をとるかもしれないのだ。

反射的にまた謝ろうとするマーレを手で制するとクーゲルシュライバーは本隊の中心へと歩き始めた。

全軍撤退する事態になった時、集団の中心部に居たほうが転移するのに都合がいいのだ。

 

「よいよい、わかっている。何時ものように全周囲警戒状態でアウラの帰りを待とう」

 

すみません。あっ、また謝って……あの、すみませんさっきのは違うんです。

これまた5回以上繰り返されているマーレの言葉を事前に封殺し、向かった集団の中心部には丁度よい間隔で生える三本の木があった。

緋色のローブを着た死者の大魔法使い(エルダーリッチ)や重機扱いの重鉄動像(ヘビーアイアンマシーン)の群れを割るように進むクーゲルシュライバーはその三本の木に向けて擬腕を向ける。

右腕の手首に存在する一つの糸疣から糸の塊が発射され音も無く炸裂すれば、三本の木の間には巨大な蜘蛛の巣が架かっていた。

跳躍し、音も無くその上に着地したクーゲルシュライバーは蜘蛛的な安堵感を覚えながらも最低限の緊張感を胸に空を見上げる。

見上げた先に空は無く、あるのは天から漏れた太陽の光とかすかに透ける新緑の葉だけだ。

森の上空を撫でる風の影響で常に形を変える木漏れ日を見ながらクーゲルシュライバーは己が願望について思いを巡らせた。

 

(もう二度とアイツに手が出せないほどに遠く行きたい。アイツを想わせる全てから遠ざかりたい。異世界に来た事でついに念願が叶ったわけだけど、この期に及んでまだ捨てきれないとか我ながら度し難いな)

 

距離と時間は想いを風化させるなによりの良薬、あるいは毒だ。遅効性だがその効果は確かである。

良薬か毒かは人によるがクーゲルシュライバーにとっては良薬に他ならない。他人を、なにより自分自身を苦しめる執着から逃れることのできる唯一の薬なのだから。

モモンガであれば毒と評するだろうか?よく似ているとはいえ自分とは違う友人を思いクーゲルシュライバーは無表情で笑った。

 

(この世界で暮らしてただひたすらに時間を重ねて怒りも憎しみも、悲しみも愛情も恋心も何もかも全部風化して無くなればいいと思ってた。でもこの世界にもアイツを思い起こさせるものは沢山あるんだよな)

 

クーゲルシュライバーの脳裏にアルベドとミュルアニス、そしてこの世界の人間の存在が浮かぶ。

それと同時に胸の奥にチリチリと燻るような感覚を覚える。

大嫌いで、それでいて捨てることの出来ない自分がそこに居る事を再確認してクーゲルシュライバーはため息をついた。

 

(ちょっと、油断しすぎた。その結果アルベドを傷つけモモンガさんに迷惑をかけている。俺個人の事情で仲間を苦しめるなんて許されることじゃない)

 

そういう事が許されるのはアイツだけだ。

心の奥から聞こえてきた声。

二重人格なんて慈悲が存在しない、無慈悲なまでに自分自身から発せられる声を極力無視する。

 

(一度暴れ出したら制御不能。なら暴れないようにそのスイッチとなるものを周囲から徹底的に除外する。……それが出来たら楽なんだけどなぁ)

 

ナザリックという組織に属している以上それは難しいのが現状だった。

まさかモモンガ一人を置いてどこかに出奔するわけにはいかない。そんな事が出来るほどモモンガに対して感じる友情は薄くは無いのだ。

ならば次善策として出来るのは「感情を狂わすものに"できるだけ"近づかない」事。

そうしているうちに想いの風化を待つ。完璧とはいえないがそうするほかない。

今回アウラとマーレの任務に追加要員として志願したのには、ナザリックにいるとアルベドやミュルアニスに会う可能性が高いからというのも理由の一つだった。

 

「我ながら情けない。精神作用無効化が無かったら今頃どうなってたんだか……ん?」

 

小声で自嘲したクーゲルシュライバーが訝しげに首を捻った。

見上げている先。つまり三本の木の枝葉の中に、何かが居る。

それにLv100であるクーゲルシュライバーが今の今まで気付かなかったのは潜んでいる何かがゴミクズのようにありふれた弱い存在だったから。

気付いたのは風の悪戯によりカモフラージュとなっていた葉が一瞬その身から離れてしまったからだ。

 

「蜘蛛だ」

 

その言葉通りに、枝葉の下に潜んでいたのは一匹の蜘蛛だった。

正式な名前は知らないが既に何度か目撃した事のある種だ。

 1メートルを超える体を持つのでモンスターの一種だと予想されている。

樹上性らしく大抵は木に張り付いた状態で発見される蜘蛛で、性質は極めて臆病。

此方の戦力が強大故に萎縮しているだけであって本来は獰猛な性質なのかもしれないが、とりあえず彼らは一度も襲い掛かってきたりはしなかった。

 ナザリックにとって無害な生物であり、特に気に留める必要の無い道行く蟻の如き存在だったが、いま枝葉の下から此方を窺う個体はクーゲルシュライバーの興味を酷くそそっていた。

 

彼は大変な美少年なのである。

 

クーゲルシュライバーの蜘蛛的美的センスがこの性成熟したばかりだろう若蜘蛛を褒めちぎっていた。

人間の感覚で言えば美少女と見間違うような美少年。つまりは男の娘に近い魅力があった。

 

「あ、あのぉ……ソレ、やっちゃいましょうか……?」

「え?あ、いや、まて。待つんだマーレ」

 

考え込んでいた隙に近くまで来ていたのだろうマーレから飛び出てきた物騒な言葉に待ったをかける。

大方至高の御方を煩わす害虫だとか、上から見下ろすとは何事かとかそういった考えなのだろう。

ヤる気満々なマーレだったが、折角の美しいものを殺してしまうのは如何にも勿体無かった。

 

「……野生動物との触れ合いも野外活動の楽しみのうちだ。アウラが戻るまでの無聊の慰めになる。放っておけ」

 

クーゲルシュライバーは一礼して集団の外周部へと下っていくマーレを見送ると視線を美少年蜘蛛へと向ける。

見れば見るほど美しく可愛げのある個体だ。

数日前のクーゲルシュライバーならば蜘蛛に対して何てことだと嗜好の変化を再確認して嘆いていただろうが、アルベドとのひと悶着を経て人間の形に似た女性と距離を置きたい今となってはむしろこの出会いは幸運だった。

クーゲルシュライバーは思う。

いっそ人間ではなく、体の嗜好に従って蜘蛛に傾倒すれば良いのではないかと。

 

(いやまて。それは失恋の悲しみをペットで埋めるとかそういう行為じゃなかろうか?)

 

別にそれが悪いわけではないが、代替品で精神の安定を図ろうとして大失敗したのがミュルアニスだ。

感情の赴くまま相反する心をぶつけるだけぶつけて放棄した過去を思い出すと、この方法は自分にはあっていないと判断せざるを得ない。

ただでさえ黒歴史なのに、仮想世界が現実となりNPCがゲーム時代の事を覚えている現状その破壊力は倍増している。

これ以上の黒歴史増産は許容できなかった。

 

内心であれこれ思いを巡らせているクーゲルシュライバーだったがその肉体は微動だにせず樹上の蜘蛛を見つめ続けている。

そんなクーゲルシュライバーに何を思ったのか、蜘蛛は僅かな音を立てながら枝葉の中へと潜っていった。

怖がらせてしまったかな?

クーゲルシュライバーがそう思った時、青々とした枝葉の中から小さな、人間と猿を掛け合わせたような人型の生物が上下逆さまの状態で飛び出してきた。

 

「ぬ……!」

 

ぬわーっ!

突如現れた不気味な物体に不意を打たれたクーゲルシュライバーは、口元まで出掛かった悲鳴を精神作用無効化の恩恵によって押しとどめることに成功した。

一体なんだというのか?

強制的に落ち着かされた精神で冷静に観察してみれば、それはやや小柄でやせ細っているがユグドラシルでもよく見かけたモンスターである小鬼(ゴブリン)もしくはその類縁種であると知れた。

あまりにもフレキシブルに揺れる頭部と細い首にくっきりと残る索状痕から既に絶命していることがわかる。

すわアンデッドの類かとも思ったが、先ほどの蜘蛛がゴブリン(仮)の左足を咥えているのが見えた。

どうやらこの死体はこの蜘蛛が狩ったものらしい。

 

「……それ、どうするつもりなんだ?」

 

いやな予感がして声に出して問いかけるクーゲルシュライバーの眼前で、美少年蜘蛛はおずおずと自らの獲物であるゴブリンの死体をクーゲルシュライバーの張った蜘蛛の巣の傍らに置いた。

そして脱兎の如く元居た枝葉の茂みに逃げ込み、その影から愛らしい頭を出してクーゲルシュライバーの動向に注目しだした。

 

「なん……だと?」

 

クーゲルシュライバーは自らの擬頭をやまいこの女教師怒りの鉄拳によって殴打されたかのような衝撃を感じた。

様々な考えが錯綜する。

狩りの労力、ゴブリンの獲物としての価値、野生動物に対する常識、此方を見つめる熱心な瞳、恵まれた?それともプレゼント?等々……。

クーゲルシュライバーは巣に置かれたゴブリンの死体に何かをする前にすかさず真意看破を使用した。

暫しの沈黙。交差する八つの瞳と瞳。

やがてクーゲルシュライバーは深いため息をついた。

 

「……なんという事だ」

 

真意看破により読み取れた情報はいたってシンプルであり純粋だった。

なにせ相手は大きいとは言っても蜘蛛である。複雑な思考ができるほど知能は高くない。

見方によっては恥ずかしそうに此方を見つめる蜘蛛の一連の行動。

その真意は端的に言えば「お姉さん、僕と子作りしてください」というものだった。

 

クーゲルシュライバーの30年に届かない人生の中で最も衝撃的な求愛であった。

 

 

 

■■■

 

 

 

クーゲルシュライバーが紅顔の美少年に真摯な求愛を受けている頃、モモンガはイビルウェブ・ブリッジ最下層にあるミュルアニスの部屋でレモンティーの香りを堪能していた。

ナザリックの支配者である自分の裁可が必要な案件を全て片付けたモモンガは、内政を自分より優秀なアルベドに押し付けると逃げるようにこの部屋へとやって来ていた。

いまやモモンガにとってミュルアニスの守護するこの領域は隠れ家的癒しスポットと化していた。

夜な夜な訪れるアルベドとの逢瀬にアンデッドらしくもなく精神を磨耗させたモモンガには、ミュルアニスのそっと寄り添うような人柄がたまらなく心地よいのだった。

もしかしたら友達になれるんじゃないだろうか?

心の片隅でそう思ってしまう程度にはモモンガはミュルアニスを気に入っていた。

 

「それでモモンガ様、本日はどのようなご用件でしょうか?」

「うむ、例の情報収集の旅に関する事でな。ナーベラルの意識調査をした結果特に問題がなさそうだったので、旅の供はお前とナーベラルの二人に決定したという事を伝えにきたのだ」

 

アルベドやデミウルゴスが反対しようとも絶対に押し通すつもりのモモンガは既に供になるナーベラルにもその由を伝えていた。

それと同時に最終確認として人間に対する評価を聞いたのだが、ギリギリ許容範囲と言えるものだった。

上映会の効果なのか本人の努力次第でなんとでもなりそうな感覚があり、当初の予定通りナーベラルが供としてついていくことが決定したのだった。

 

「そうでしたか……」

 

覇気の無いミュルアニスの声にモモンガは一体どうしたのだろうかと無い眉をしかめた。

 

「どうした?なにやら元気がないようだが」

「いえ、そのようなことは……」

 

すこし俯きながら語るミュルアニスの姿にモモンガは自身の使命感を激しく燃え上がらせた。

デスナイトを用いて階層守護者の困ったことを聞いて回る……相談を行った事は記憶に新しい。

慣れない事ゆえ効率的とは言えず、むしろ自分の愚かさを思い知らされる事の方が多かったが、それでもいくらかの人物については有意義な結果を出せたと自負している。

自分の目が節穴でなければ眼前のミュルアニスは悩みや不安を感じているのだろう。

ここで応えてやらねばなにが上司か。

モモンガは優しい口調でミュルアニスに語りかけた。

 

「なにか悩み事のようだな。私でよければ話してみないか?力になれるかもしれない」

「えっ?い、いいえ、モモンガ様を煩わせるわけにはまいりません」

「という事は悩みがあるんだな?」

「うっ」

 

肩をすくめて俯くミュルアニスにモモンガはあくまで優しく話しかける。

 

「ミュルアニスよ。お前も先の上映会には居たのだろう?あの時我が友でありお前の創造主であるクーゲルシュライバーが言った言葉を思い出してみよ。お前達との絆は我々アインズ・ウール・ゴウンを繋ぐ絆になんら劣ることの無いものなのだ。大切なお前達が何か苦しんでいるのであれば私がそれを助けるのは当たり前ではないか」

「モモンガ様……」

 

自分を呼ぶミュルアニスの声に確かな手ごたえをモモンガは感じていた。

暫し躊躇するかのように口を開いては閉じるを繰り返していたミュルアニスだったが、ついに話を始めた。

 

「……寂しいのです」

「寂しい?」

「はい。ただそれだけなのです」

 

口元だけで儚げに微笑むミュルアニスにモモンガの父性が激しく掻き立てられるが、それを抑えて寂しいとは一体どういう事かを考える。

このイビルウェブ・ブリッジには滅多に人は訪れない。それもそのはずここは一つの罠であり、ミュルアニスに用事がある者以外では吊り橋から落下した侵入者ぐらいしか入ってこない。

侵入者が来ないのであればここを訪れる人物はほぼ皆無だろう。

そして以前聞いた内部監査扱いで避けられているという話。

 ナーベラルに聞いてみたところ確かに多少の緊張はするが、避けるほどのものではないという答えが返ってきたがナザリックのシモベ全員が同じ意見という訳ではないのだろうか? 

それともミュルアニス自身が勝手にそう思いこんで壁を作っているのだろうか?

もう少し話を聞いてみないと分からないが、モモンガはこの時点でミュルアニスに対してかなり同情的になっていた。

 

こんな地の底でたった一人、孤独を感じながらひたすら孵ることの無い卵が孵るのを待つ日々。

それのなんと空虚なことだろう。

心を繋ぐ誰かを求める気持ちがモモンガには痛いほど理解できた。

この子を自分のようにしてはいけない。

いや、自分程度ならまだマシかもしれない。

下手をすればあのアルベドのように寂しさから精神を病んでしまう可能性すらある。

貴重な癒し要因であるミュルアニスをあのようにするわけにいかない。

 

「よく話してくれたな。しかしただそれだけなどと言うものではないぞ。寂しさは放置すると病に転じるものだ。決して放置してはならないものなのだよ」

「はい、しかしモモンガ様……」

「いいや、しかしは無いぞミュルアニス。心とは容易く病むものだ。お前のその寂しさ、どうにか解決してみせようじゃないか。私に任せておきなさい」

 

 具体的な方法はまだ浮かばないがモモンガがミュルアニスに対して言い切ってみせたのは、自身の退路を塞いで解決するほかなくする為だった。

言い切った直後に本当に大丈夫かと弱気が頭をもたげるが覚悟を言葉にしたのだからもう遅い。

それに目の前でミュルアニスの白い顎に涙が伝っている。

これでやらねば男が廃るというものだった。

 

「モモンガ様の慈悲にこのミュルアニス、なんとお礼を申し上げたらいいか……」

「あぁ、泣くな泣くな。この程度の事何ほどのものではない」

 

椅子から立ち上がりフードを取って深々と頭を下げるミュルアニス。

一瞬だけ見えた彼女の顔は多くのNPCがそうであるように整っていたが、どこか親しみを覚えるような素朴さがあった。

ナーベラルやアルベドのように絶世の美女とはいかなくとも品があり愛嬌のある顔だ。

そんな顔を美しい涙で濡らすミュルアニスを宥めながらモモンガは思う。

カウンセリングとは大変な責任があり実際多大な労力を要するものだが、大切に思う誰かの力になれるのはとても気分がいいものだと。

 

ふとアルベドの事が思い出される。

余りの重症ぶりに自分では手に負えないと徐々に心を遠ざけていたが、アルベドとて苦しんでいるのだ。

クーゲルシュライバーがビッチ嫌いという事は、自分が設定を弄っていなかったとしてもアルベドは拒絶されていた可能性が高いだろう。

しかしただのビッチではなく愛する事を強制したのは自らの所業に端を発する。

アルベドを狂わせたのは自分なのだ。

確かにアルベドは難物だ。自分の手には余る。

しかしだからと言って見捨ててしまえば誰が彼女を救えるというのだろうか?

アルベドに関してクーゲルシュライバーは全く役に立たないのだから、それは自分自身、モモンガをおいて他に居ないだろう。

 

(もう少し、アルベドとも向き合ってやらないとだな)

 

底なし沼の如き渇愛に狂った女を思い、モモンガはもう少し頑張ってみようとかなと思った。

ミュルアニスを元気付けられた自分になら、もしかすると同じようにアルベドを助けられるかもしれないと思ったから。

 

 

 

■■■

 

 

 

恋愛において一途な思いに対して一途に応えられないならば、希望が残る余地も無くはっきり拒絶するべきだ。

そう思い差し出された貢物をクーゲルシュライバーが払いのけたのはもう2時間前の出来事である。

にもかかわらず眼前にまだ体温の残るゴブリンの死体があるのは、クーゲルシュライバーが非情に徹し切れないがためだった。

 

「おまえ、また持ってきたのか……」

 

巨大な岩と木の間に張られた蜘蛛の巣の上からクーゲルシュライバーは呆れた声で話しかけた。

 声の先には重鉄動像に隠れるように此方を窺う美少年蜘蛛がいた。

 

「や、やっぱり、やっちゃいましょうか……?」

「…………いや、いい。放っておいてやれ」

 

主人を思いやるマーレの提案を却下するとクーゲルシュライバーはゴブリンの死体に糸を飛ばし、そのまま腕を振り上げ遠くへ投げ飛ばした。

例の蜘蛛は放物線を描いて飛んでいく死体を見送ると元気なく草むらへと消えていった。

 

初めてあの蜘蛛と出会ってから既に2度はベースの場所を変えているが、その都度彼は何処からか現れてはクーゲルシュライバーの前にゴブリン等の死体を置いていく。

見た目が大変愛らしく殺すのは忍びない為に部下達には手を出さないように命令したのだが、それがいけなかったのだとクーゲルシュライバーは後悔していた。

まさかこれほどまでにしつこい、もといガッツがあるとは思ってもみなかったのだ。

 

「次にアウラが帰って来たらガツンと言ってもらうか。ビーストテイマーの言葉なら従うだろ」

 

アウラと組んで周辺の偵察を行い、その後の精密調査を終了させたアウラと合流してから本隊を移動させ新たな場所をまた偵察する。

それを繰り返して未踏破地域を徐々に埋めているが、一回の偵察範囲が広大なため既にかなりの距離を移動している。

あの蜘蛛が元々住んでいた場所はもう遥か後方だ。

クーゲルシュライバーにはよく分からないが野生動物には縄張りなどがあるだろうし、これ以上あの本来の住居から離れるようなことがあってはあの蜘蛛の為にならないように思えた。

 

「あ、あのぅ……貢物を受け取れば、もう来なくなるんじゃないかなって、お、思います」

「えぇ……ゴブリンの死体を受け取るのか?」

「すっ、すみません!馬鹿な事をいいました!」

 

頭を下げて必死に謝るマーレだが、彼の言には一理ある。

あの貢物に求婚が絡んでいなければ、たとえゴブリンの死体であろうとも受け取ってもいい。

そう、求婚が絡んでいなければ。

 

「頭を上げろマーレ。そうだな……受け取ってやっても構わないのだ。野生動物とはいえ私を純粋に慕う者が差し出してきた貢物。物品自体は不要なものとは言えそこに込められた思いを私は尊重したいし嬉しく思うのだ」

 

あの蜘蛛は受け取り拒否したゴブリンの死体に手をつけない。

折角苦労して得たであろう生きるための糧を、一度捧げたものだからなのか食べて自分の活力に変えようとしないのだ。

最初の一回以降真意看破を使用していないため、その行為にどのような意図があるのかは不明だ。

しかし不明だからこそついついその行動を擬人化して捉えて、いじらしいと感じてしまう。

ただの性欲ではこうはいかないのではないかとすら考えるほどに。

 

「では何故受け取らないんですか?」

「それはなマーレ。奴が、あのチビスケが私に恋しているからだ」

「こっ、恋!至高の御方に対して!?」

 

褐色の頬に差す朱色は羞恥かそれとも怒りなのか。

素っ頓狂な声をあげたマーレに周囲のエルダーリッチ達が何事かと視線を向けてくる。

 

「そう、恋だ。それもかなり本気のな。しかし私にはその恋に応じるつもりは無いから、ああして分かりやすく拒絶しているわけだ。こういった場合、相手が本気であればあるほど下手に優しくするのは残酷な事なんだよ」

 

自分の何もかもを捧げて愛した結果が求めるものと違った時の絶望感は筆舌に尽くしがたい。

それは愛する者を生き返らせようと死霊術に身を堕とし何もかもを犠牲にして外道を邁進した結果、得られたのは知性の無いゾンビだった……そんな救いの無い物語の主人公が感じる絶望感と同等だとクーゲルシュライバーは断ずる。

そんな思いは、するのもさせるのも嫌だった。

 

「そ、そういうもの、なんですね。……えへへ」

「うん?どうしたマーレ。なぜ笑う?」

「いえ、そ、そのぉ……やっぱりクーゲルシュライバー様は真面目な方なんだなって」

「……そうか?自分ではとてもそうは思えないのだが。というかそれでなんで笑うんだ?嬉しいことかそれは」

「は、はい!嬉しいです。だってそんな真面目な方に忠誠を受け止めてもらえて、き、き、絆まで結んでいただけてると思うと」

 

すごく嬉しいです。

そう言って顔を赤らめて笑うマーレにクーゲルシュライバーは愕然とした。

マーレが言っているのは上映会前にクーゲルシュライバーが騙った「主従の絆」の事だろう。

シモベは忠誠を捧げ、主はその忠誠に応える。

公の場で結ばれたその絆は実のところクーゲルシュライバーの不信により成り立ってはいないのだ。

その事を知るのはナザリックの中でクーゲルシュライバーただ一人。

マーレはまんまと騙されて自分たちが捧げる忠誠が絶対であるように、クーゲルシュライバーが自分たちに寄せる信頼も絶対であると思っているのである。

それがクーゲルシュライバーには堪らなかった。

 

「マ、マーレ……」

「はい?……えっ?えっえっええっ!?」

 

突如クーゲルシュライバーの擬腕に抱かれたマーレが耳まで赤くして困惑の声を上げる。

黒檀色の胸板に包まれるマーレの姿に、先ほどから視線を向けていたエルダーリッチ達が速やかに視線を外し背を向けた。

 

「わた……俺も、お前達のそんな気持ちがとても嬉しいぞ」

 

心の暗雲が晴れていくようだった。

純粋無垢な子供のような姿のマーレだからこそ気付かされた。

自分自身の理論でいけば、この胸に燻る不信は許されるものではない。

恋か忠誠かの違いはあるが、どちらも相手を必要とする強い感情に変わりはないのだから。

 

「許せマーレ。私はお前達を信頼すると言っておきながら心の奥底では疑っていたのだ。忠義を捧げるのが当然だと言うお前達が信じられなかった。この不義をどうか許して欲しい」

「そ、そんな、許せだなんて、そんな事、仰らないで下さい。僕達をお疑いになるのは、その、仕方ないことだと、思いますし」

 

かつての1500人によるナザリック侵攻を防ぎきることのできなかった自分達が忠義を語ろうとも、そこに疑いが生じるのは仕方がないとマーレは言う。

なぜならば真の忠義者であれば主人に仇なす叛徒共を皆殺しにすべきであり、それに失敗したのだから口で言う絶対の忠義には至らない、むしろ主人を危険に晒すことをよしとする叛意を持っていると判断されてもおかしくないのだから。

それを聞いてクーゲルシュライバーはなにその頭逝ってる論理はと若干以上に引いていたが、自分の告白に対しマーレが怒っていない事を喜んだ。

 

「ごめんな。ありがとう」

 

胸に抱いたマーレの額に自分の擬頭を当ててクーゲルシュライバーは決心した。

もうNPC達の忠誠心を疑うのはやめよう。

裏切りを警戒し無実の者を疑う心こそが裏切りを誘うのだ。きっとそうに違いない。

 

「お前たちの事を心の底から信頼する。だから、これからもよろしくな」

「……はい!」

 

マーレは赤くなった夢心地のような表情でクーゲルシュライバーと額を合わせながら答えた。

そんな二人を見る者はエルダーリッチ達が背を向けている以上誰一人としていない。

筈だったのだが、重鉄動像の影に隠密スキルを使用して覗き見るものが一人いた。

 

「はわわわ……マーレなにしてるのよ……」

 

精密調査から戻ってきていたアウラが目にあてた両手の隙間からその光景を凝視していた。

クーゲルシュライバーの左腕によって肩を、そして右腕によって腰と尻を抱かれ持ち上げられているマーレのスカートは女物の下着に覆われた臀部がむき出しになるほどに捲り上がっている。

その状態で頭部を合わせる二人は見ようによっては口付けしているようにも見えてしまいアウラの頬を熱くさせていた。

結局アウラがたった今帰還した風を装いながら二人の前に姿を現したのは、クーゲルシュライバーによってあちらこちらを撫でられたマーレがのぼせたように意識を飛ばしてからだった。

 

 

この日この時よりクーゲルシュライバーはナザリックのシモベに対して全幅の信頼と愛情を向けるようになる。

自身の心を掻き乱す可能性のあるアルベドやミュルアニスという例外を除いて。

そして多くの者に暖かく接する中、例外である彼女達を遠ざけるようになるのだった。

 

その一方でモモンガはアルベドとミュルアニスの抱える寂しさを解消せんと動き始める。

一見平和な日常の水面下で、何かが始まってしまった。

 




不穏な終わり方にしてみた。
アルベドとミュルアニスを助けてあげたいモモンガ様と、ナザリックの皆の為にもアルベドとミュルアニスを遠ざけたいボールペンです。
とりあえずボールペンが悪いのだけれど、一応両者とも善意で動いているのがまた面倒なところ。


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