オーバーロードと大きな蜘蛛さん   作:粘体スライム狂い

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29話

クーゲルシュライバーが転移した先は完全な闇に覆われた100メートル四方の空間だった。

朽ち果て、冒涜されかつての輝きを奪われた地下聖堂の中には数十体に及ぶアンデッドの気配が彷徨っている。

クーゲルシュライバーは真昼の平原を行くが如く足取り確かに聖堂内を歩く。

深淵の大蜘蛛(アトラク=ナクア)の種族的特殊能力の一つである暗視のおかげだ。

ンカイの闇に住まう邪神に暗黒による目隠しなど意味を成さないのである。

 

地下聖堂を抜ける。

見えてくるのは巨大な大地の裂け目とボロボロになった吊り橋だ。

直下に見える亡者が伸ばす手の群れの更に下にはクーゲルシュライバーがナザリックで最も忌む存在が今もそこにいるのだろう。

 

(ミュルアニスはともかく、イビルウェブ・ブリッジには一度会っておいた方がいいか。ちゃんと陽光聖典発狂組を保存してるか確かめねば)

 

しかしそれは今でなくとも問題ない。

ミュルアニスがモモンガと共に外部へと出ているときに行えばいい。

クーゲルシュライバーは崖の壁面に巧妙に隠された崖下と崖上を繋ぐ階段をジッと見つめ警戒する。

親切にも下に降ちた侵入者が這い上がれるように用意されたそれは、ミュルアニスが守護領域外へ出かける時に使用されることもある。

クーゲルシュライバーにとってナザリック一会いたくない存在がミュルアニスだ。

偶然かなにかで鉢合わせすることにでもなったらたまったものではない。

 

「……恐怖の本質(エッセンス・オブ・ホラー)

 

回数制限のある不可知化スキルを惜しみもせず小声で発動させると、クーゲルシュライバーは一切の振動を発生させずに吊橋を渡る。

踏み板のトラップの場所など既に記憶から消え去っているが、向こう岸に繋がる吊り橋のロープを歩けばなんの問題も無い。

ロープ上を歩くのは蜘蛛の得意技である。

するすると滑らかに橋を渡っていくクーゲルシュライバーは、地の底で出発の準備をしているだろうミュルアニスを想う。

 

(アイツもなぁ。もう少し顔が似てなければいいのに。参考資料として秘蔵のエログッズを提出したのがこんな悪影響を与えるなんて思ってもみなかった)

 

NPCは設定はもちろんデザインからモデリング、AIに至るまで素人なりに勉強して独力によって作り出すのがクーゲルシュライバーの流儀だ。

しかし最終作であるミュルアニスについてはその当時の精神状態が不安定であり、それでいて製作するNPCに最高の質を求めていた為に例外的に他のギルドメンバーに助力を得て製作されている。

この時デザインとモデリングを担当したギルドメンバーが「イメージが掴みにくい。君のエロコレクションの提出を要求する」と言い出し、それに別件で発生していた罰ゲームが絡んでクーゲルシュライバーは嫌々コレクションの提出に応じる事になったのだ。

 女の好みが率直に表れるエログッズを参考にして作られたミュルアニスのビジュアルは、見事クーゲルシュライバーの好みにストライクしたのだが……それがいけなかった。

クーゲルシュライバーは人生初めての恋人が自分の好みに完璧に合致した女性という、多くの男性が羨む幸運に巡りあえた男だったのである。

 

(ミュルアニスの方が美人だけどやっぱだめだわ。フードで顔隠すんじゃなくて仮面でも被せとけばよかったかなぁ)

 

ゲーム時代は作ってくれた人達に失礼だという理由で顔の変更は行わなかったし、顔を完全に覆うような装備は控える必要があった。

しかし今はそんな事を気にする必要はない。

アイテムボックスに丁度いい装備がないか記憶を探りつつ、吊り橋を渡りきったクーゲルシュライバーはシャルティアの私室である死蝋玄室の前に到着した。

 

 恐怖の本質(エッセンス・オブ・ホラー)を解除し姿を現してから、石に偽装した表面を持つ金属扉を叩く。

10秒ほど経っても返事がない。

もしかして留守?事前に連絡すべきだったか?

クーゲルシュライバーは擬頭の顎を摩り、歩脚の一本でカツカツと床を叩いた。

もう一度扉をノックする。

これで反応がなければメッセージでも使おうと考えているクーゲルシュライバーの前で、ゆっくりと扉が内部から開かれた。

中から顔を出したのはシャルティアの身の回りの世話をしているシモベ、吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)だった。

 

「はい、どなた……デッ!?」

 

頭だけを覗かせていた彼女は、顎をさすり苛立たしそうに床を蹴るクーゲルシュライバーの姿を認めると即座に全身を現し頭を深々と下げた。

血の気の失せた顔が更に青白くなっている。

それも仕方ないことだ。

ナザリックの支配者のうち最も恐ろしい御方だと主人であるシャルティアから聞き及んでいる存在が、見るからに苛立たしそうな仕草をしながら眼前に立っているのだから。

 尚、実際のところクーゲルシュライバーはイラついてなどいない。

 

「た、大変失礼致しました!至高の御方をお待たせするなどとっ……!」

「いや、アポ取っていなかったからな。シャルティアはいるか?少し話がしたいのだが」

「え、あ、う!?シャルティア様はいま……」

「うん?いま、なんだ?」

 

死体にもかかわらず額に汗を浮かべるヴァンパイア・ブライドの視線がクーゲルシュライバーと部屋の内部を激しく行き来する。

一体なんだというのだろうか?

怪訝に思ったその時、はるか遠くを行く騎馬隊の数や位置を正確に把握できる振動感知能力が聴力と連携して部屋の内部の様子をクーゲルシュライバーに伝えた。

 

「這い蹲りなんし――」「あぁシャルティア様――」「可愛くおねだりできたら踏んでやりんしょう――」

 

その後に聞こえてきた興奮したシャルティアの声と嬌声にクーゲルシュライバーは天を仰いだ。

部屋の中で何が行われているのか理解できてしまったからだ。

これでは目の前のヴァンパイア・ブライドも言いにくいだろう。

そっと哀れな吸血鬼を見つめる。

 クーゲルシュライバーとして同情的な視線を向けたつもりなのだが、無機質な単眼が八つ存在するだけの擬頭からは感情など窺い知れないのが当然だ。

ヴァンパイア・ブライドは全身を震わせ涙さえ浮かべながら頭を下げた。

 

「申し訳ありません!申し訳ありませんっ!直ちにシャルティア様にお取次ぎいたしますので、至高の御方に対し大変なご無礼とは存じますがどうか後もう少しだけここでお待ち頂けませんでしょうか!?」

「あー……そういう事をやっているのなら中に入って待つわけにはいかんよなぁ。分かった。もうすこしここで待とう」

「偉大なる至高の御方の慈悲に感謝します!」

 

 ヴァンパイア・ブライドは風のような速度で扉の内側へと滑り込むと速やかに扉を閉めた。

しかし余りにも急ぎすぎていたのだろう。扉が僅かに開いている。

並みではない聴力を持つクーゲルシュライバーにとって、そのかすかな隙間でも内部の音を漏れ聞くには十分だった。

 

「シャルティア様!クーゲルシュライバー様がお越し――」「あっ?イィィィィィ!?クーゲルシュライバー様!?なんで――」「全員服着て器具も片付けて――」「換気!それと香水とお香を――」「これ以上お待たせしたら皆殺しに――」「とにかく急ぎなさい――」などと大騒ぎしているのが聞こえてくる。

 

(待たせただけで皆殺しになんかしないぞ……。どれだけ恐れられてるんだ俺って……)

 

数十秒後、自分のイメージが想像していたよりも悪かった事に衝撃を受けるクーゲルシュライバーは少々髪がほつれているヴァンパイア・ブライドに案内されてシャルティアの自室へと足を踏み入れる事ができた。

 天井からピンク色の薄い絹のヴェールが垂れ下がり、染み込んでくるような甘く扇情的な香りの空間にはどこからか聞こえてくる嬌声があまりにもよく似合っていた。

肉欲に耽溺する王の後宮のような室内をヴァンパイア・ブライドに案内され通された先には、小さな白い丸テーブルがあり二人分の椅子が用意されていた。

片方は巨体のクーゲルシュライバー用なのだろう、背もたれがなく非常に大振りだ。

相向かいには通常サイズの椅子があり、その隣には緊張のためかガチガチに体を硬直させたシャルティアが立っていた。

 

「ようこそおいで下さいましたクーゲルシュライバー様。大変お待たせしてまっこと申し訳ありんせん。ど、どうぞお掛けなんし」

「いや、事前に連絡をしていなかった私が悪いからな。そう畏まらないでくれ」

 

クーゲルシュライバーが用意された椅子に座るとやや硬い動きでシャルティアも着席する。

二人の前には赤い液体の入ったティーカップが湯気を上げている。

クーゲルシュライバーとしては優雅な飲み方だとか作法などには疎いため手をつけないでおきたかったが、全く手をつけないのは用意してくれた側にとって失礼にあたると思い極普通の動作でティーカップを口をつけた。

 

(……悪くないけど、俺はレモンティーがいいなぁ)

 

そんな内心は勿論表には出さない。

出されたものに文句をつけるなどと、そんな失礼行為はできるものではない。

 

「美味いな」

「お口にあったようでよかったでありんす。それでクーゲルシュライバー様、至高の御方自らお越しになられるとは一体どのようなご用件で?」

「いや、大したことではないんだ。お前が今日の朝ナザリックを発つと知ってな。しばらく会えなくなるから一つ聞いておきたい事があるんだ……が、その前にもう一つ聞かせてくれ」

「なんでありんしょう?一つといわずに幾らでもお答えするでありんす」

「じゃあ聞くけど、シャルティアって踏んだりするのが趣味なのか?」

 

シャルティアが素早く入り口でクーゲルシュライバーに応対したヴァンパイア・ブライドを睨んだ。

睨まれた側は瞼を閉じて素知らぬ顔だが手足がガクガクと震えている。

非常に剣呑な一睨みではあったが、それは常人ならば視線がずれたことにも気付かない程の一瞬の出来事だった。

次の瞬間にはシャルティアは淑女らしい涼やかな表情をしていた。

だが素早さに関してステータスがカンストしているクーゲルシュライバーに掛かればそんな一瞬の変化も容易に目撃可能だ。

どうもあのヴァンパイア・ブライドは(ラック)が低いらしいから、少し助けてやらねばとクーゲルシュライバーは思った。

 

「待っている間に扉越しに聞こえてきてな。盗み聞きするつもりは無かったのだが、まぁピッタリと閉まっている扉越しで外にいる私に聞こえるほど盛り上がっていたという事かな」

「お恥ずかしい限りでありんす。……ご質問にお答えするでありんすが、仰るとおり趣味でありんす」

「ふぅん。嗜虐趣味なんだ。ストレス発散になったりするのか?」

「なにも踏みつけに限る話ではありんせんが、這い蹲る女を脚で踏み躙り弄ぶのはとても愉快でありんすえ。ストレス発散にも効果があって美容にも良いでありんす」

「そうかそうか……美容効果もあるのか」

 

シャルティアはストレス発散方法として踏み付けを好む。

クーゲルシュライバーは心のメモにそう書き足すと、これは一体いつ役にたつ情報なんだろうと首を傾げた。

首を傾げる自分をシャルティアが年相応のあどけない表情で不思議そうに見つめている事に気付いたクーゲルシュライバーは、誤魔化すように擬頭を振ると本題に入ることにした。

 

「まぁ嗜虐もほどほどにな。それで本題なんだが、ナザリックに帰還した時にモモンガがお前達に私に対する評価を聞いたよな?覚えているか?」

「当然覚えているでありんすが……あのぉ、なにかご無礼がありましたか?」

 

途中でインチキ廓言葉が消えているシャルティアは不安そうにクーゲルシュライバーを見つめていた。

ロリに分類される美少女であるシャルティアが不安そうに上目遣いで見つめてくるというペロロンチーノであれば狂喜乱舞するだろう状況だったが、クーゲルシュライバーには例外一名とそれに付随したり想起させたりする人物を除いて女性を怖がらせて喜ぶ趣味はない。

 

「そう怖がることはない。あの時私は異論は無いと言ったではないか。ええと、たしか『かの御方はまさしく恐怖の極限。死者すらも恐怖に怯えすくむことでしょう』だったな?」

「はい、恐れ多くも至高の御方をそう評した事は間違いありません」

「だから怖がらなくてもいいと言っているのに。……私が聞きたいのはなシャルティア。お前が何故私を其処まで恐れているかなのだよ」

 

前々からクーゲルシュライバーにはそれが気に掛かっていた。

デミウルゴスの発言からかつての大惨事撮影会の出来事が尾を引いているのは理解できたが、シャルティアの恐れようは他の階層守護者よりも深刻であり何か別の理由で恐怖しているのではないかと思われた。

クーゲルシュライバーとしてはシャルティアにそれほどまでに恐れられるような事をした覚えはない。

純粋に何が原因でそんな事になっているのかが気になって仕方なかったのである。

また、恐怖を煽るロールをするのにも、どの程度の行為がNPCにとっての限界に近いのかを知る必要があった。

 

「責めているわけでもないし何か懲罰を与えることもない。だからお前が私に抱く恐怖について教えてくれないか?私としてはお前に対して特になにかをした覚えは無いのだが」

「え……」

 

シャルティアが思わず漏れてしまったのだろう声を抑えようと口元に手を当てて目を点にしていた。

彼女の目が、何言ってるんだこの人はと語っているように見えてクーゲルシュライバーは焦った。

 

(え!?え、ってなんだ!?なんで俺若干引かれてるんだ!?)

 

よほど恐ろしい事をしておいてそれを完全に忘れているというのだろうか?

改めて記憶を探るが思い当たることがない。

 

「……どうしたシャルティアよ。答えられないのか?」

「い、いいえでありんす。そうでありんすね、至高の御方にとっては記憶に残す価値も無いと言わすこと……」

 

怖れを含む視線を向けながら感心するように言うシャルティアにクーゲルシュライバーの焦りが益々酷くなる。

シャルティアの小さな肩が微かに震えている。

そんなに!?そんなになのか!?単体戦力最強の階層守護者であり、真祖たる吸血鬼でありペロロンチーノによって色々とガン積みされているシャルティアがそこまで怯えてしまうのか!?

だがクーゲルシュライバーには本当に心当たりが無い!

 

「一人で納得していないで教えて欲しいのだが」

「これは失礼したでありんす。えぇと……わらわがクーゲルシュライバー様を恐れ敬うのには恐怖を司る至高の御方であると言わす事の他にもう一つ理由がござりんす」

 

シャルティアは一度テーブルに視線を落としてから周囲のヴァンパイア・ブライド達を見やってからクーゲルシュライバーを見つめた。

ヴァンパイア・ブライド達にも聞かせていいのか?という意味だろう。

一体どんな話が飛び出てくるのか全く不明な為、ここは席を外してもらうのが良い。

クーゲルシュライバーが擬腕を「散れ」という意味で振るとシャルティアが何かを言う前にヴァンパイア・ブライド達はどこぞへと消えていった。

完全に二人きりになったと確認したシャルティアは何度も視線をクーゲルシュライバーとテーブルを行き来させながら語り始めた。

 

「そのぉ、クーゲルシュライバー様はミュルアニスの姉達を覚えているでありんすか?5人居た元サキュバスの者達でありんすえ」

「無論だ。自分の創作物を忘れることはない」

 

シャルティアが言っているのは最終作であるミュルアニスにたどり着く前にクーゲルシュライバーが作成したNPC達の事だ。

ミュルアニスとは違って完全にクーゲルシュライバー一人の力で製作されている。

そして末子であるミュルアニスと同じく、高難易度ダンジョン《深淵》のどこかに存在するサキュバスの姉妹が経営する淫魔の館で女主人兼従業員をやっていたところクーゲルシュライバー(アトラク=ナクア)に捕獲され禁断の呪法で肉体を改造されたという設定を持っている。

淫魔の館云々についてはペロロンチーノとTRPGセッション後の深夜テンションで語り合っていた時に生えてきた設定をそのまま採用していた。

肉体改造ならば触手の出番だろうと、エロに対して非常に厳しいユグドラシルにおいてペロロンチーノと二人で互いの叡智を結集して触手服なるアイテムを作り出した事は未だに鮮明に思い出す事ができる。

あの経験があったからこそ後の五大最悪の一角「エロ最悪」作成時に様々な助力が可能になり、結果として高いクオリティを持たせることができたのだ。

懐かしい記憶が掘り起こされ一瞬視線が遠くなるが、浮かび上がってきた疑問に現実へと引き戻される。

 

「……しかし何故知っている?あれらは……って、シャルティアお前まさか」

「はい。盗み見るつもりはなかったでありんすが、階層巡回中に偶然見てしまったでありんす。その、クーゲルシュライバー様がいとも容易く、いや、きっとわらわ如きが窺い知れない深淵な理由があったと存じんすが、次々とあの子達を抹消していくところを」

「……全員分?5回とも?」

「5回ともでありんす」

「あぁー……」

 

 どんな確率だと言いたくなるが、とりあえずクーゲルシュライバーにはシャルティアが恐怖する理由が分かった。

シャルティアの言うとおり、ミュルアニスの前に作られた5体のNPCは全て抹消されている。

仲間達から貰った50Lvの枠組でより良いものを作ろうと何度も試行錯誤していたのがその理由だ。

NPC作っては動作確認して消去、これで良いかと思っても一週間以内に不都合が見つかり消去、特に不都合は無いけどビジュアルに飽きたから消去……彼女ら深淵の姉妹達の寿命は驚くほど短い。

消去を繰り返すこと5回。

一体目のNPCの設定文では「姉妹」とだけ記述されてるのに、ミュルアニスの設定文では「六姉妹」になっているのはこれが原因だった。

作られては無慈悲に消去される彼女達をシャルティアはどこかの物陰から見ていたのだろう。

 

(そりゃあ怖がられるわ。NPC達にとっては無慈悲ってレベルじゃないぞこの所業)

 

ゲーム時代では別になんて事の無い作り直し作業ではあるが、仮想世界が現実と化しNPC達が命をもって動き出した今となっては自らの行為に恐怖するしかない。

NPC達はゲーム時代の出来事まで覚えている。

どういう理屈かはしらないが、もしもゲーム時代でも自分たちプレイヤーが知らなかっただけでNPC達に意思が宿っていたとしたら、消去されていった彼女達の恐怖と絶望は如何ほどだったろうか?

絶対の忠誠と敬愛を向ける創造主から、わけも分からずに一切の慈悲もなく失敗作として存在を消去される時の気持ちは察するに余りある。

見ていたシャルティアには自分が暴君のように見えていたに違いないだろうとクーゲルシュライバーは思う。

 

「その光景を見てクーゲルシュライバー様はシモベに完璧を求める御方なのだと理解したでありんす。一切のミスを許さない至高の厳しさと冷酷さ……ペロロンチーノ様に創造されたこの身に落ち度などありんせんが、気の緩みがあれば何時あの子達と同じようになってもおかしくない。そう思うと、クーゲルシュライバー様を前にした時はどうしても緊張してしまうのでありんす」

 

無理も無い。

クーゲルシュライバーはシャルティアに同情していた。

そんな暴君のような奴を恐怖しないほうがおかしい。

スーツにアイロンが掛かっていないという理由で即日クビを言い渡してくる上司のようなものだ。

なんたる理不尽。

そんな奴がいたら後先考えずに一発殴り飛ばしてやりたいが、そういう風に思われているのは自分自身なのである。

これはいけないとクーゲルシュライバーはすっかり縮こまってしまったシャルティアに優しく話しかけた。

 

「なるほど理解した。しかしなシャルティアよ。昔ならばいざ知らず、今の私はお前が思うほど冷酷ではない事を知ってほしい。失態はないに越した事はないが、もしも失態を演じたとしてもそれだけで心繋いだお前達を消滅させるような事は決してない」

 

そもそもあの慈悲深いモモンガがそんな事を許すものか。

モモンガの株を上げるべく一言付け加えたクーゲルシュライバーは出された飲み物を飲み干すと、口を空けて此方を見つめるシャルティアへの言葉を続ける。

 

「私は一時期お前達を信じていなかった。しかし知ったのだよ、お前達が信頼するに足る存在であると。いまやお前たちは信頼できる大切な仲間だ。罪があれば相応の罰を科す事はあるが、極刑である存在消去はナザリックを裏切る等の重罪がなければありえない。私は裏切りを許したことは一度も無いが、ナザリックを、我々アインズ・ウール・ゴウンを裏切るなんてお前たちはしない。そうだろう?」

「当然でありんす!至高の御方々を裏切るなんて、そんな愚かな真似は絶対にしないでありんす!」

「わかっているともシャルティア。お前たちは私達を決して裏切らない。だから極刑などありえない。ほら、これで私を必要以上に恐れる理由はなくなったぞ」

 

身を乗り出し吼えるシャルティアの頭へ、クーゲルシュライバーは巨体に相応しい長さを持った擬腕を伸ばし銀色の髪を優しく撫でた。

恐怖の象徴から与えられた思いもかけない優しさにシャルティアは目を丸くする。

 頬は紅潮していないが、シャルティアの趣味を考えれば撫でただけでそんな反応は望めるわけは無いし、そもそもそんなものをクーゲルシュライバーは望んでいない。

 

「だから今度の任務もあまり気張らずにな。勿論お前が任務をしくじるとは思っていないが、心に余裕があることはいい事だ。無事任務を終えて帰ってきたら褒美をやるから、それを励みに頑張ってくれ」

「褒美!?クーゲルシュライバー様、怖れながら申し上げんすが、至高の御方に命じられた任務を遂行することは当然の事!褒美なんて不要でありんす!」

「そうは言っても私が渡したいのだから仕方が無い。まぁどうしても嫌だと言うのなら諦めるが……それはすこし残念だな」

「う、う、ううぅ……」

 

目の前で百面相を演じるシャルティアを見ると、すこし意地悪な言い方だったかと申し訳なくなる。

しかしこうも言わなければシャルティアは決して褒美を受け取りはしないだろう。

 

「お、恩賜を賜れるように、奮励努力するでありんす」

「そうか。そうしてくれ。……さて、出発も間際に迫っているというのに邪魔して悪かったな。私はもう行くとしよう」

 

話を切り上げてクーゲルシュライバーは席を立つ。

ゆっくりと振り返り退室しようとするクーゲルシュライバーの背中に、同じく席を立ったシャルティアが声をかけた。

 

「大したおもてなしも出来ずにまっこと申し訳ありんせん……おやっ?その背中の白いの、それが噂の卵でありんすか?」

「んむ?なんだ、もう話が来ているのか?」

「クーゲルシュライバー様がお越しになる少し前にアルベドの使いが来ていたんでありんす」

「流石に仕事が速いなアルベドは。その通り、コレがその卵だよ」

 

クーゲルシュライバーはシャルティアに見やすいように体を起こす。

おおっ、という軽い感嘆と共にシャルティアは卵を食い入るように見つめている。

 

「まぁ検証だからな。孵るかどうかわからないんだが」

「何時頃孵るかも分からないんでありんすか?」

「それも不明だ。……なんだシャルティア。孵るところが見たいのか?」

「見たいでありんす!」

「おお!?」

 

思いがけないシャルティアの勢いにクーゲルシュライバーが僅かにたじろぐ。

悪い気はしないが、まさかシャルティアが此処まで興味を示すとは思ってもみなかった。

シャルティアの表情を見てみれば、羨ましいような、もしくは物欲しような目をしている。

蜘蛛とか子供が好きなんだろうか?すこし意外だ。

シャルティアがこの卵をモモンガとの間に産まれた子供であると勘違いしており、モモンガの愛とその結晶を一身に持つクーゲルシュライバーを羨ましがっているなんて、羨望の眼差しをうける当人は夢にも思っていなかった。

 

「そうかぁ。じゃあ産まれそうになったら必ずシャルティアを呼ぼうじゃないか」

「本当でありんすか?是非よろしくお願いしんす!」

 

何故かテンションが高いシャルティアに了解の意を返すと、クーゲルシュライバーは死蝋玄室を後すべく歩き出す。

子供が生まれてくるのをああも楽しみにされるとなんだか気恥ずかしいな。

そんな事を考えながらも、クーゲルシュライバーは上機嫌で退室していった。

 

 

 

■■■

 

 

 

ナザリック地下大墳墓への入り口、地上部中央霊廟の墳墓然とした室内でガチャガチャと音を立てながら鎧のチェックを行う者が居た。

金と紫のラインで彩られた豪華な漆黒の鎧と真紅のマントから突き出した二本の長大なグレートソードを背負う大柄な戦士、ナザリック外での活動の為に変装したモモンガである。

 

その隣には黄色の紐で特徴的な美しい黒髪をポニーテールに纏めた戦闘メイドプレアデスの一員、ナーベラル・ガンマの姿がある。

彼女もナザリック外での活動の為に普段のメイド服から、外の世界で目立たないような服装に着替えその上から茶色のマントを羽織っている。

腰から下げた剣は魔法詠唱者であるナーベラルにとって馴染みのないものであり、何かを確認するようにずっと弄繰り回されている。

 

そしてもう一人。

金糸と銀糸による刺繍が施された漆黒のローブを纏い、手には捩れた白い短杖(ワンド)を持つ如何にも魔法詠唱者らしい人物がいる。

その頭部はローブと一体化した大きなフードによって覆われており、口元しか見ることが出来ない。

しかしその滑らかな白い肌と形の良い艶やかな唇、そして近くに寄れば香ってくる花と混ざり合った女性特有の芳香がこの魔法詠唱者が女性であると示していた。

その正体は言うまでも無く、モモンガによって供として選ばれたミュルアニスだ。

 

黒い鎧、黒い髪、黒いローブ。

特徴的であり、ついつい目が行くような部分がすべて黒というこの三人組は、今まさに準備を終えナザリックを後にし外の世界へと旅立とうとしていた。

ナザリックの支配者であるモモンガが出発しようとしているのにもかかわらず見送りは居ない。

既にアルベド達とはモモンガの執務室で別れをすませている。

これからモモンガは情報収集のために何度もナザリックを離れる事になる。

その度に大げさな見送りがあっては面倒だということで、最初から見送りを断っていたのだ。

 

「準備はいいか?」

「はいモモンガ様。装備の確認は終了しました」

 

モモンガの問いかけに対してナーベラルがメイドの如く美しい礼をして答えた。

その様子にモモンガは無いはずの眉をしかめた。

そんな二人を見てミュルアニスは困ったように首を傾げた。

 

「全て終わっていますよモモン」

「ちょっと、ミュルアニス貴女……」

 

鋭い口調でミュルアニスを睨むナーベラルに対して、モモンガは手を上げてそれ以上の発言を抑えた。

 

「良いのだナーベラル。いや、ナーベよ。外の世界ではミュルアニス……ミュールのような言葉遣いこそが必要なのだ」

「しかしモモンガ様に対して呼び捨てなど」

「モモンガ様ではない。私は旅の戦士モモンだ。そしてお前はモモンの仲間である魔法詠唱者ナーベ。敬称もいらないし敬語もやめろ。仲間同士で敬語を使っていては少し、こう、なんだか隔たりがあるように思われそうだ」

「そ、それは……不敬では……」

 

心細そうなナーベの言葉にモモンは肩を竦めた。

そんなモモンを見て助けを求めるように視線を向けてくるナーベに、ミュールは再び首を傾げると一歩前にでてモモンに話しかける。

 

「私もナーベも敬語が素の言葉遣いという事ではダメでしょうか?習慣なので無理に敬語をやめようとすると不自然な言葉遣いになってしまい、より怪しまれることになると思うのですが」

「む……。確かにそれは……」

「可能な限り砕けた言い方になるように努力しますので、どうかご容赦いただけないでしょうか」

 

そこまで言われると断ることは難しい。

モモンの理想とは少し違うが、お互い妥協できる範囲だろう。

そう判断したモモンは首を縦にふった。

 

「わかった、しばらくはそれでいいだろう」

「ありがとうございます」

 

モモンに対して軽く頭を下げるだけの会釈をするミュールをナーベは驚愕の面持ちで見つめる。

見つめられるミュールは視界が確保されているのかも定かではないフードにより表情を読むことが難しいが、じつに涼しげな態度で立っていた。

 

「……ねぇミュール。貴女、すごいのね」

「そうでもないよ。平気に見えるかもしれないけど、私だって心臓が破裂しそうなんだよ?あぁモモンガ様に対してなんて口をー!って」

「本当?いや、そうよね。普通そうなるわよね」

「至高の御方だもの。でもそれに耐えることをお望みなんだから……一緒に頑張りましょうナーベ」

「ええ。一緒に頑張りましょうミュール」

 

仲がいいのはいい事だ。

 そう思いながらもモモンは、お互いの手を繋いだりして会話するナーベとミュールを見て小さくない疎外感を覚えていた。

女子高生だらけのバスに男は自分ひとりだけしか乗っていない。

そんな時に似た心情だった。

端的に言って、華やかな二人の雰囲気は非常に居心地が悪かった。

 

「あー、二人とも。仲が良くて大変よろしいのだが、私に敬語を使う以上は互いにも忘れずにな」

 

自分にだけ敬語でナーベとミュールがため口で話していたら、若い娘二人にハブられているおっさんという悲しい構図になりかねない。

モモンとしてはそれだけはなんとしても阻止せねばならなかった。

 

「畏まっ……わかりました」

「はい、そのようにします」

「うむ。それじゃあ出発するか」

 

モモンは全身鎧の重さを全く感じさせない動きで霊廟の出入り口へと歩き出す。

一度ナザリック地表部へ出て、地上部の様子を視察してから転移する予定だ。

ナザリックから徒歩で移動するとなると、偶然その様子を目撃される恐れがあるからだ。

それを避けるためにアウラにはエ・ランテルから程よく離れた森の一角の安全確保させてある。

其処が転移先だ。

 

まずはタロスでも見て回るか。

そう思いながら出入り口へと差し掛かったモモンの前に、一体の蜘蛛がおずおずと顔を出した。

 

「む?レン・スパイダーだと?」

「モモンーーさーーんの歩みを遮るなんて……下りなさい無礼者!」

「あの、ナーベ?その方はクーゲルシュライバー様が召喚された直属の部下なんですが……」

「いぃっ!?こ、これは失礼しました!至高の御方直属の方とは知らず、大変な無礼を――」

「あー、そのぐらいにしておけナーベ。というかなんだモモンーさーんって。間抜けに聞こえる以前に別の名前に聞こえたぞ」

 

「モモンガ」「様」の禁止ワードを必死に堪えた結果なのだろうが、もう少し練習して慣れてもらわねば困る。

モモンはレン・スパイダーに対して平謝りするナーベを止めると、レン・スパイダーがその口に咥えている皮袋に注目した。

 

「それはなんだ?なんの用事で来たのだ?」

 

問いかけてみるとレン・スパイダーは何かを訴えるように体を動かすのだが、生憎モモンには蜘蛛と意思疎通する手段が無い。

とりあえず受け取ればいいのだろうか?そう思った時、ナーベを慰めていたミュールがモモンの隣へとやってきた。

 

「えぇと、クーゲルシュライバー様からアイテムを預かってきたそうです」

「なに?ミュール、お前は蜘蛛の言葉がわかるのか?」

「はい。蜘蛛使い(アラクノマンサー)職業(クラス)を持っていますので」

 

そういえばそんなネタ職業(クラス)を持っていたっけ。

クーゲルシュライバーから貰ったミュルアニスのステータス表を思い出しながら、モモンは「え、私宛のアイテムなんですか?」と嬉しそうな声を上げるミュールを見た。

ミュールはレン・スパイダーから受け取った皮袋を愛おしげに一撫ですると、ローブを開いて様々な秘術師(アーケイナー)的アイテムが装備されているベルトへ括りつけている。

 

「中身がなんなのか教えてもらっても構わないか?」

「勿論です。予め設定された相手の前に、使用者のもとに繋がる一方通行の転移門を生成する転移系アイテムだそうです」

「あぁ、この間クーゲルシュライバーが言っていた例の小道具か」

 

 設定された相手の名前を呼ぶことで発動するこの転移アイテムは、期間限定イベントで発生する特殊エネミーを討伐することで100%の確率で手に入れる事ができる。

ドロップする特殊エネミーもPOPする確率が低いというわけではなく、狩れば狩るほどアイテムが手に入る一種のボーナスステージのようなイベントだった。

かなり使えるアイテムという事でギルドメンバー総出でイベントに参加し、敵対ギルドと狩場を巡る抗争に発展した記憶がある。

大型掲示板にて「AOG死ね。氏ねじゃなくて死ね」「狩場独占を許すな」「運営仕事しろ」等と大いに叩かれていたような気もするが、アインズ・ウール・ゴウンが叩かれるのは何時もの事なのでモモンはよく覚えていなかった。

 

「設定されているのはクーゲルシュライバーなのだろう?」

「はい。クーゲルシュライバー様のお名前が登録されています」

「……イメージ戦略の一環だと言っていたが、突然クーゲルシュライバーが現れたら使用者は驚くのではないだろうか」

 

風呂場での出来事を思い出しながらも、渡す相手と渡す時の説明をしっかり選べば問題はないだろうとクーゲルシュライバーのやりたいようにやらせる事にする。

一応どういう事をしたいのかは昨晩の内に教えられているし、その場ではモモンガも許可を出しているのだから今さら口を出すわけにはいかないのだ。

 

「驚くくらいが丁度いいのではないでしょうか?」

「……驚きすぎて使用者が発狂したり死んだりしないかだけが心配だがな。さて、受け渡しはすんだし用事はこれで終わりかな?」

 

レン・スパイダーはモモンの問いに頭部を上下させた。

 

「もう終わりだそうです。……そう、終わりなのね」

 

用事はすんだと言わんばかりにそそくさと墳墓内へと消えていくレン・スパイダーをミュールは寂しそうに見送っていた。

そんなミュールにナーベが不思議そうに首をかしげ、モモンは小さく唸りをあげた。

 

「どうしたのっ……どうしたんですかミュール。折角至高の御方からアイテムを賜ったというのに」

「え?あ、いいえ勿論嬉しいですよナーベ。ただ、クーゲルシュライバー様からなにか一言、なにか一言でもお言葉が頂けたら……なんて身分不相応な事を思ってしまっただけで。欲が過ぎますね。猛省しなくては」

 

無理に笑おうとするミュールを見て、不憫だ、とモモンは思った。

健気ともいえるミュールの姿にモモンはついつい自分を重ねてみてしまう。

自分自身の事を健気だと評するつもりは無いが、寂しさを堪えながら何時かギルドメンバーが帰ってくると信じてナザリックの維持の為にログインしていた身としては、同じく寂しさを堪えているミュールを応援したくなるのは当然なのではないかとモモンは思う。

 

(きっとクーゲルシュライバーさんはミュルアニスがどれだけ寂しがっているか分かってないんだろうなぁ。俺が何とかしてあげなくちゃ)

 

既に昨夜の連絡会でクーゲルシュライバーにはミュルアニスが寂しがっているという事を伝えてある。

しかしその時の反応は実に淡白なものだった。

それを思い出すと、クーゲルシュライバーはそもそも寂しさというものの辛さを理解していないように思えた。

それに思うところがないわけではないが、別に責めるつもりはない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(もうちょっと構ってあげるようにお願いしよう)

 

そう決心すると、モモンは緋のマントを翻しながら歩き出す。

風に靡くマントの音が聞こえ、モモンの脳裏に白銀の聖騎士の勇姿が浮かぶ。

自分が大いなる未知に挑む勇者になったような錯覚が、モモンの心を昂ぶらせた。

 

「さぁ、そろそろ行くぞ、ナーベ、ミュール。冒険のはじまりだ」

 

そういうとモモンは薄暗い霊廟から光差す世界へと足を踏み出した。




二巻分本格始動です。
ミュルアニスの種族が分かった人はいるかしら?

ボールペンはミュールを通して冒険の様子を眺めていますが、メインはしばらくモモン様になるはずです。
がんばれモモン様。

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