オーバーロードと大きな蜘蛛さん   作:粘体スライム狂い

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2016/4/01 モモンのメッセージに関するセリフを変更。メッセージを使用できる理由についての記述を追加。


30話

バハルス帝国とスレイン法国との国境に近いリ・エスティーゼ王国の軍事的要所であるエ・ランテルは、その軍事的な重要性から三重の城壁によって防御を固めている城塞都市である。

外周部の軍事エリア、内周部の市民エリア、最内周部の行政エリアに分かれたエ・ランテル内部のうち、内周部の市民エリア、町と聞いて一番に思い浮かべるような光景が広がる場所にモモンは居た。

冒険者登録を終え当面の宿の確保を済ませた後、この世界の人間の営みや文化レベルを知る為に散策に出ているのである。

 

その隣にはかすかにローブの裾を上げて歩くミュールが居るが、ナーベの姿は何処にも見当たらない。

彼女は冒険者組合にて冒険者として登録を終えた後にとった宿にて留守番をしている。

ナザリックから離れここまで来る間に知ったナーベの頭の硬さ、あるいはポンコツぶりに愛想を尽かした……という訳ではない。

モモンが離れている間に何者かが襲撃をかけてくる可能性を考慮しての事だ。

襲撃されたところで部屋にはなにも置いていないので盗難されて困ることはないのだが、これから偽装身分(アンダーカバー)として有名な冒険者になろうとしているモモンとしては汚名に繋がりかねない事はなるべく排除したかった。

また、可能性は低いがユグドラシルプレイヤーが接触してくる場合も想定される。

相手の出方によるが、敵対的ならば第八位階魔法を使用可能でミュールよりもレベルの高いナーベを残すべきだ。

友好的な相手だった場合ナーベのあの刺々しい態度は明らかにマイナスだが、そんな相手ならばある程度の礼儀をもって接してくる事が予想されるのでギリギリ問題にならないとモモンは判断した。

 

(今頃ナーベはアルベドに定期連絡をしている頃か。もしも襲撃があるとしたらさっきの三下共かな。前衛の居ない美人魔法詠唱者が狭い密室にいる……脳味噌が下半身についている奴ならやりかねないが、あれでも冒険者のはしくれ。可能性は低いか)

 

モモンは宿屋での出来事を思い起こす。

冒険者が利用する宿の内、最低ランクに位置する店をモモンは最初の宿として選んだ。

冒険者組合で教えられた店だったが、やはり低いランクの宿にはそれに相応しいだけの程度の低い冒険者がたむろしていたのである。

お手本のような新人いびりを圧倒的な実力の片鱗、具体的にはちょっかいを掛けてきた男の胸倉を掴み軽々と放り投げる事で理解させたのだが、その騒動に無関係な冒険者が巻き込まれてしまった。

モモンの放った男の直撃により倹約の末に手に入れたポーションを台無しにされたその冒険者に対し、モモンは自前のポーションを譲渡することで賠償とした。

 

(後、あるとすればポーションを渡したあの女が此方の財力に目がくらんで盗みに入るぐらいか。この世界のポーションは結構な高級品だ。それを気軽に渡したからにはそれなりの財を持っていると思われても仕方ないからな。しかし所詮は(アイアン)のプレート、特に力があるようには見えなかったし、どの道なんの問題も無い)

 

自身の胸元で揺れる(カッパー)のプレートを見下ろす。

冒険者達の冒険者としての身分、そしてそのランクを示す証として冒険者組合はこのプレートを発行している。

下から順に(カッパー)(アイアン)(シルバー)(ゴールド)白銀(プラチナ)、ミスリル、オリハルコン、アダマンタイトの全8ランク存在している。

最低ランクに毛が生えた程度の(アイアン)級冒険者にナーベが後れを取るなどまず考えられない。

彼らからは実力面、装備面からもカルネ村で遭遇したスレイン法国の偽装帝国兵ほどの強さも感じられないのだから。

 

(なんだか思っていたよりリラックス出来ないなぁ。金ないし。色々考えなきゃいけないし。あと金ないし)

 

三人部屋が無かったので四人部屋を三人で使うことにして、代金は銅貨11枚だ。

二泊ぶん支払ったため銀貨1枚と銅貨2枚が宿屋の主人のポケットへと消えることとなった。

さらに宿屋の主人に冒険に必要な道具一式を用意してもらっているので余分に使えるだけの金銭は皆無に等しい。

これでは興味を引かれるアイテムを見つけたとしても購入することは出来ない。

今日はもうしかたないとして、金を稼ぐのはモモンにとって急務といえた。

 

「さて、エ・ランテルは円状の城郭を持つ都市だ。円に沿って歩けばいつかは元の場所にたどり着くが、どっち廻りでいこうか?」

 

モモンが話しかけるのは後方に居るミュールだ。

しかしモモンはミュールに意見を求めているわけではない。ミュールを通して此方を観察している者に対して問いかけたのだ。

 

『ちょっと待って、今スプーンで占う……右に倒れた!右回りが吉だよモモンガさん!』

『分かりましたよクーゲルシュライバーさん。しかしそんないい加減なのを占いと言っていいんですかね?』

『由緒正しい占いだよ!それにぶっちゃけ右でも左でも大して変わらないんだから構うことないですって』

『また身も蓋もないことを……』

 

モモンの脳裏に呵呵とした声が響く。

広域テレパシーを可能とするマジックアイテム《エンジェルハイロウ》を使用したクーゲルシュライバーからのテレパシーだ。

周囲に誰も居らず、そしてテレパシーを送った相手は自分一人なのだろう。

ミュールに聞かせるはずも無い砕けた口調で話すクーゲルシュライバーに、モモンも右手の薬指に嵌めたMPを消費する事でメッセージの魔法を発動させる指輪の力を使い返事をしていた。

 

『……どうしてもメッセージ使うんですね。此方がテレパシーで干渉している時は其方の思念も強く念じてくれれば読めるんで、わざわざMPを消費してメッセージを使わなくとも良いんじゃないですか?』

『変なことまで伝わっちゃいそうで嫌なんです。MP消費すると言っても微々たるものなんで、これからも基本的に会話はメッセージでさせて貰いますよ』

『折角のテレパシーの利点が……。まぁいっぺんに複数に対して思念を飛ばせるだけでも十分か』

 

遠く離れたナザリックに居るクーゲルシュライバーに声を届かせるには、言葉を声に出してミュールに伝えるか、メッセージで直接通話するかのどちらかになる。

ミュールという電話機に対して語りかけ、返事をテレパシーで貰うという方法は周囲から見て間違いなく不審がられる為に滅多に使用できるものではない。

そしてクーゲルシュライバーが言う伝えたいことを強く念じるという方法も、受信に関してはクーゲルシュライバーの思念が無害なものだと強く信じることでなんとかなっているが、送信はモモンが言った理由以外にも、アンデッドが持つ精神作用無効化の影響を消し去ることが出来ず情報が不鮮明になりがちという欠点があり通信方法としては採用しがたかった。

 

結果としてクーゲルシュライバーはテレパシーを使い、モモンとミュールはメッセージを使うという方法に落ち着いたのである。

 

「私はモモンさんにお任せします」

「そうか。では中央から見て右回りに進もう」

「はい!わかりました」

 

ナーベがモモンの事を敬称で呼ぶのなら自分も合わせねば、という事でモモンに「さん」をつけるミュールは何処か弾むような声でそう答えた。

どうやら上手くいっているらしい。

嬉しそうにしているミュールを見ていると、モモンまで嬉しくなってくる。

 

(なぜか物凄く渋ってたから不安だったけど、クーゲルシュライバーさん、ちゃんとミュールにもテレパシーを使ってくれてるみたいだな)

 

ミュールが目に見えて嬉しそうなのはテレパシーによりクーゲルシュライバーの声を聞けたからだろう。

これはモモンの成果だと言える。

クーゲルシュライバーはスキルや魔法を使わずに、ミュールことミュルアニスの視覚と聴覚を通して情報を得ることが出来る。

しかし意思疎通は不可能であり、やろうとするならばメッセージの魔法やテレパシーなどを使わねばならない。

当初クーゲルシュライバーはミュールに対してテレパシーを使用しなかった。

なにか用事がある時は必ずモモンに対してテレパシーを使うのだ。

もちろん部下である二人に聞かせられない話ならばそれで構わないのだが、ミュールに対する「あれが見たい」「その場で耳を澄ませてくれ」等という指示までもモモンに送ってくるのである。

そんな指示を出すのに一々間に人を挟む意味は無く、酷く非効率的だ。直接ミュールにメッセージなりテレパシーを送ればいいだけなのだから。

 

(避けるにしても露骨過ぎるよクーゲルシュライバーさん。俺にとってのミュルアニスはあなたにとってのパンドラズ・アクターなんだって言われても、いくら俺だってそこまでしない)

 

そもそもミュルアニスの何処が黒歴史なのかモモンには分からなかった。

優しくて気が利いて美人でいい子じゃないか。

中二的な要素も無く、見ていて胸がかきむしられるような事もないし、アルベドのように精神を病んでいる様子もない。

モモンは決して口に出さないが、ずっと傍に置いておきたくなるようなNPCだと常々思っている。

 

そんなNPCに対して距離を置こうとするクーゲルシュライバーがどうにも理解できない。

遠ざけられていると言えばアルベドだが、ミュルアニスにはビッチという言葉は全く似合わない。

何故なんだと理由を聞いても、クーゲルシュライバーはそれだけは言えない、勘弁してくれと回答を拒否するばかり。

クーゲルシュライバーが何を考えているのかがわからないモモンは、この仕打ちが理不尽なものであり、正すべき悪しき行いだと感じた。

 

だからと言って事情もわからないのに強い言葉で責めるわけにもいかないので、モモンはメッセージで差し障りのない言葉を用いてクーゲルシュライバーにこのやり方の非効率さを説いた。

最初は渋っていたクーゲルシュライバーも、モモンの言う事が紛れも無い正論であるため最終的には折れることとなった。

折れたとは言え、その通りに実行してくれるかは別なので多少心配していたが、この分ならば問題なさそうだ。

出発前にミュールが言っていた「せめて一言だけでもお言葉を頂けたら」という願いを叶えることができたと言えよう。

ミュールの寂しさを埋める力になれた事がモモンにはとても嬉しかった。

 

(あの二人ってどんな会話してるんだろうなぁ。この会話方式だと3人揃って通話できないのが難点だ)

 

自分の知らない裏で友人とその娘がどんな話をしているのか気になるが、モモンはその欲求をグッと飲み下した。

 

「よし。それでは行こうか。初日だから基本的に大通りを歩こう」

「わかりました」

 

既に太陽は頂点を極めておりこれからは暗くなる一方だ。

完全に日が落ちたとしても暗視能力のあるモモンと、魔法的視覚を持つミュールの行動の妨げにはならない。

 だが冒険者等という荒くれ者が集う都市の事、夜間に出歩くのはいらぬトラブルに巻き込まれかねない。

それを避ける為に夜が降りてくる前に宿屋に到着できるように適度なペースを保たなければいけない。

時間配分に気をつけながらも二人はエ・ランテルの町を歩き始めた。

 

 

 

■■■

 

 

 

歩く二人を追うように、エ・ランテルの人々の視線が動く。

誰もが一度は二人を見つめ、頭から爪先までを観察する。

目撃者達の瞳はまず最初に二人が身にまとう見事な装備に注目する。

絢爛豪華な装飾の施された全身鎧、燃え盛る業火のような緋のマント、長大な二本のグレートソード、金糸と銀糸で刺繍を施された漆黒のローブ。

装備の価値に疎い者が見ても一級品の代物だと即座に理解できる見事な装いだ。

そして視線は首元へと伸び、そこで驚愕に見開かれるか猜疑に細められる事となる。

一級品の装備に身を固める二人が首元にかける冒険者の証は最低ランクを示す(カッパー)

あまりにもちぐはぐな組み合わせだと言えた。

 

二人が去った後目撃者達は口々に噂する。

一体どういった人なのだろうか?

そういった内容は全体からしてみればごく一部であり、殆どは身に纏う装備の素晴らしさについて語られている。

 

『ここにナーベが居なくて良かったな。あの美貌だ、つれてきていたら注目されすぎて散策もまともに出来なかったかもしれん』

 

ミュールにも聞こえるように放たれているのだろう、支配者としての言葉遣いになっているクーゲルシュライバーの思念がモモンに届く。

 

『確かにな。冒険者組合に登録しにいった時みたいな状態では、とてもじゃないが落ち着いて見て回る事はできなかっただろう』

『二人とも顔を隠す装備だったのが功を奏したな。多少怪しがられているみたいだが、まぁ許容範囲だろう。……で、この街をどう思う』

『……中世と言われて真っ先に思い浮かぶ光景に近い、今のところはそう思うが』

『なるほどな。モモンの意見に賛同するが、ミュールの意見で私も気付いた。確かにこの街は清潔すぎる』

 

ミュールからのメッセージが届いたのだろう。

モモンがその内容を知ることは出来ないが、意見を受け入れられた、もしくは名前を呼ばれたせいだろうか?

背後に付き従うように歩くミュールの口元が微笑みを形作っており、足取りも軽くなっている。

 唐突にご機嫌になった彼女に奇異の目で見るものは居ないかモモンは周囲を窺った。

 

(どうやら大丈夫のようだが……あまりにも露骨になった場合は心苦しいが注意しなくてはな)

 

『清潔すぎるとは?』

『一時期タブラ・スマラグディナに感化されて中世ヨーロッパについて調べ物をした事がある。それによると都市の人間は糞便を道端に捨てていたらしく、道路は汚物塗れになっていたそうだ。だがこの街にはそんな様子は無い』

『……なんだそれ。今も昔も人間は環境を汚染するのが大好きなんだな』

『モモンの言うとおり人間とはそういう生き物なのかもな。しかし汚れた環境で生活したい人間など殆どいない。環境汚染への対処法があるならばそれを行うのは当然だ。この世界の場合、魔法がなんらかの対処法として機能しているんだと思うが』

 

魔法の存在しない世界と、存在する世界。

当然ながら技術の発展の仕方も違うだろうし、世を覆う常識も違うだろう。

もしかすると魔法式水洗トイレや、魔法式湯沸かし器なんかもあるかもしれない。

今後ナザリックの者達がこの世界で活動していくには、常識も大切だが現実世界には存在しなかった道具の使い方についての情報が必要になってくるだろう。

もし潜入任務中の者が、使えて当たり前のものが使えないなんて事になったら不審がられるのは必至だからだ。

モモンは自分がナザリックに持ち帰らねばならない情報の量を思い、暗澹たる気分になった。

 

『見てくれモモン。街灯なんかあるぞ!えぇいミュール止まれ。街灯を見るのだ。そう、そうそう。いいぞそこだ。一体燃料はなんだ?油か?いやガス?まさか電気というわけは無いだろうが、やはり魔法か?』

『夜でもある程度の明かりを取れるのはいい事だな』

 

……様々な考察を交えながら散策している内に数時間は経ち、日が傾き周囲が薄暗くなってきた頃

ふと、背後を歩くミュールが足を止める気配を感じ、モモンは立ち止まって彼女を振り返った。

ミュールが見つめている先には大通りから伸びる脇道があった。

裏通りという程狭くなく、かといって主要な道とも言えない絶妙な大きさの道だ。

 

『む、目を離していた。なんだミュール?立ち止まれとは言ってないぞ』

 

クーゲルシュライバーも突然停止したミュールの行動に疑問の声を上げている。

どうやらミュール個人が興味を引かれるなにかを発見したらしい。

 

「どうした?なにか気になるものでもあったか?」

「モモンさんがお気になさる程の物ではありませんが……。すこし懐かしいものを見かけたので」

 

ミュールにつられるようにモモンも脇道を覗き込む。

よく掃き清められているのだろう、石畳にはゴミは無く、敷き詰められている石すらも均一に並べられている。

道端の壁も拭き掃除がされているのか、他の場所では見られないほど清潔な印象を感じる道だった。

しかし言ってしまえばそこは綺麗なだけの道である。

ミュールはこの道になんの懐かしさがあるというのだろうか?

 

「今は見えなくなってしまいましたが客引きがいました。ここは多分、花街なんですね」

「かがい?」

「あら?……あぁ、モモンさんには当然縁のない場所ですからご存じなくても仕方ないことですね。遊郭、つまり女が春を売る場所です」

 

うげっ!

そう声に出さなかったことをモモンは褒めてやりたかった。

目は見えないがミュールの優しげな声がモモンの羞恥を余計に煽った。

そのぐらい知ってるやい!と言いたかったが、あまりにも空しい抵抗な為途中で断念する。

いや、そんな事はどうでもいい。

真に気に掛けるべきは……!

 

『モモンガさん、俺ちょっとここ嫌だ。早く別の所にいこう?』

 

モモン個人に送られてくるクーゲルシュライバーの思念に、なにかささくれ立ったものが混じっている。

このビッチ嫌いで娼婦に対しても並々ならぬ嫌悪感を抱いている人物をこれ以上刺激してはいけない。

早々に立ち去るべきだ。

 

「そうか。だが遊郭など私にはなんの関係もないな」

 

肉体的に意味が無い。

そういう場所に対するちょっとした憧れや好奇心はあるが、本性が骸骨であるモモンには全く縁の無い場所と言えた。

モモンはマントを翻す。

クーゲルシュライバーの件が無くとも遊郭への入り口だと分かったからには、何時までもそんな場所で突っ立っていたくはない。

入るかは入るまいか考えてる童貞のようで、周囲の人間に見られていないか恥ずかしかった。

ここに長居する必要など皆無だ。

 

歩き出すモモンにミュールが気付く。

そしてミュールが歩き出そうとした時、彼女の目にかすかに人影が映りこんだ。

 

『馬鹿な!?』

「うおっ!」

「きゃっ」

 

突如叩き付けられた大音量の思念にモモンとミュールが驚愕の声を漏らす。

精神作用無効化のおかげでモモンの動揺は口から漏れた声ほど大きくは無い。

冷静さを乱さず一体何があったのかと聞くモモンに対し、クーゲルシュライバーは興奮しきった思念で返答する。

 

『ありえない!ありえるわけがあるかクソが!ミュール!もう一度だ!もう一度確認しろ!あぁいやでも……クソッ!我慢なんて無理だ!お願いだ確認してくれ!』

「は、はいっ」

 

異常な熱を孕んだクーゲルシュライバーの思念に従いミュールが花街への入り口を覗き込む。

モモンもただ事ではないと身を翻して覗き込む。

 

「……あの杖、魔法詠唱者か?」

 

 覗き込んだ先には客引きと思われる男性と別れ、俯き加減でこちらへと歩いてくる魔法詠唱者風の人物が居た。

サイズが合っていないのだろうダボダボの皮の服を着た上にマントを羽織っただけの軽装だ。

それだけならば一般人かと思うだろう。

しかし手に持った先端がO字状になっている杖と、腰のベルトに備えられたポーチや奇妙な形状の瓶や木工細工、そして胸元に輝く銀の輝きがこの人物が冒険者であり魔法詠唱者である事を示していた。

黄昏の光に照らされ判別がつきにくいが、濃い茶色の髪の毛を無造作に短く切ったような髪形をしており、その顔は……。

 

「んん……?」

「あら……?」

 

モモンとミュールが同時に戸惑いの声を上げた。

二人は互いの顔を見つめる。

そして同時に何事か喋ろうとしてクーゲルシュライバーの思念に遮られた。

 

『……もう、十分だ。ここを離れよう。あんまり見つめていたら不審がられるだろうしな。二人とも驚かせてすまなかった、許してくれ』

『許しますし、了解しました。でも一体どうしたんですかクーゲルシュライバーさん』

『……ごめんいまちょっと混乱してて。落ち着いたら話しますから、今は……』

 

打ちひしがれているような覇気のない思念を返すクーゲルシュライバーに、モモンはこれ以上声をかけるのが辛くなった。

この過激な反応からして、例のトラウマに関係していることが想像できる。

そして遠目ながら垣間見たあの顔。

モモンの中で情報が組み立てられ、とある可能性にたどり着こうとしていた。

 

しかしモモンは即座に意識を切り替えるとその場を後にすべく歩き出した。

一瞬遅れてミュールも歩き出す。

まだ距離は離れているが、魔法詠唱者らしき人物がこちらを不審そうに見つめていたのだ。

 

(別に怪しいものではない……なんて実際怪しいよなぁ。でもこのくらい問題にはならないだろ)

 

既に視線を魔法詠唱者風の人物から逸らしていたのがせめてもの慰めだ。

きっと、花街に入ろうかどうか迷った末にやっぱりやめた……そんな風に思われただけだろう。

 

(それはそれで恥ずかしいぞ……まるで初めてアダルトコーナーに入ろうとする中学生のような……)

 

頭を抱えたくなるが、モモンは全身鎧によって表情を読まれないこと、そもそも骸骨なので表情がない事を頼りに内心の羞恥を動作に出す事無く歩き続ける。

つい先程まではテレパシーとメッセージを多用してたとはいえ会話が途切れなかったはずなのに、今ではずっと無言である。

その空気に耐え切れなくなったのか、珍しくミュールがモモンに話しかけてきた。

 

「あの冒険者の方は情報収集でもしていたのかもしれませんね。花街には情報が集まるもの。女と肌を合わせている時の殿方は口を滑らせやすいものですから」

「そうなのか?」

「そうなんです。モモンさんは情報を集める事こそ重視していますし、覚えておいて損はないかと思います」

「……まぁ覚えておこう」

 

 覚えておいたところでどう活用すればいいのかモモンにはさっぱり分からなかった。

 

「しかし情報収集か。普通に女を買いに来てたんじゃないか?なんだか元気が無かったのは目当ての女が居なかったとか」

「それはないでしょう。あの方はいたって普通そうでしたので」

 

自信満々に切って捨てられたモモンは、どういうことかいまいち理解できないものの、きっとそういう事なんだろうと納得する事にした。

普通そうだとかは自分には分からないが、それはないと判断するのが当然のような即答ぶりだったからだ。

先程の「花街」の件もある。

あまり連続して無知を晒したくなかった。

 

「必要とあれば花街で情報を仕入れてくることも出来ますので、その時にはどうぞお気軽に言ってくださいね」

「うん?情報を仕入れるって一体どうやって」

「それは……きゃっ!?」

 

話の途中でミュールが突然耳を押さえて蹲った。

モモンは背中のグレートソードの一本に手を伸ばすと周囲を油断無く警戒する。

 

「あ、モモンさん、ちが、違います。攻撃されたわけじゃなくて……」

「違うのか?」

「はい、ちょっと叱られてしまって……今もお叱りを受けています」

 

モモンはグレートソードから手を離し、ミュールへと手を差し出した。

その手を取る事は無く自分の力で立ち上がると、ミュールはモモンに軽く頭を下げた。

 

「申し訳ありませんでした。不意な大声で……」

「いや、別に構わないが、彼は何をそんなに怒っているんだ?」

「……私の身を案じてくれているんです」

「それはどういう……」

 

どういうことだと問おうとしたモモンだが、最後まで言う事が出来なかった。

なぜならば少しずれたフードの下から、滅多に見ることの出来ないミュールの素顔が見えたから。

そしてその顔が、とても幸せそうに微笑んでいたから。

 

「まぁいい。会話が終わったら教えてくれ。急に大声を出すなと彼に言ってやらねばならん」

 

これが安全な場所だったからいいものの、戦闘中だったり大事な交渉中だったとしたら一大事だ。

大声での不意打ちテレパシーは今後行わないようにクーゲルシュライバーにしっかりと言い渡さなければならない。

 

「はい。終わりましたらお伝えします」

 

そして二人はまた歩き出す。

フードの位置を戻したミュールがモモンに会話の終了を伝えたのは、二人が宿屋の前に到着した頃だった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

翌朝、冒険者組合の受付カウンター前でモモンは勝利の雄たけびを上げていた。

もちろん心の中での話である。

 

モモン、ナーベ、ミュールの三人が揃ったことで増した人々の視線の中で、モモンはこの世界の字が読めないというナザリックの支配者、そして有能な冒険者としての沽券に関わる絶体絶命のピンチを迎えた。

この危機を勇気と知恵と演技力を駆使し見事乗り切ったモモンの心中では、木霊す雄たけびだけではなく彼を喝采する今は居ない仲間達の姿さえあった。

モモンは勝利者であり、英雄であり、偉大なるギルド長だった。

後もう少しすれば受付嬢が丁度良い仕事を見つけてくるだろう。そして文字ではなく、口頭で仕事内容を説明してくれるはずだ。

あまりにも完全な精神的勝利にモモンは感涙しそうになる。

しかし、元より出るはずも無い涙が出るよりも早く、男の声が掛かった。

 

「それなら私達の仕事を手伝いませんか?」

「あん?」

 

ドスの利いた声が口から漏らしつつモモンは声のした方向へと頭を向ける。

その先には銀のプレートを首から提げた4人組の男達が居た。

 

「あ」

「あら、あの方は」

 

モモンとミュールが見つめる先には昨日花街へと続く通路で見かけた魔法詠唱者がいた。

視線を向ける二人に対して会釈している事から、どうやら向うも昨日の事を覚えているらしい。

 

「モモンさーーん、あの者をご存知なのですか?」

「ああ。昨日の散策中に少しな」

 

興味が薄そうな視線を男達に向けながら聞いてくるナーベに答えると、モモンは即座にクーゲルシュライバーにメッセージを飛ばす。

 

『どうしましょうか? 俺としてはコネクションを得る為に彼らの仕事を手伝うのもアリだと思うのですが』

『俺もそれでいいと思います』

 

すんなりと返ってきた了承の言葉にモモンは眉を顰めた。

昨日あれほど取り乱す原因となった人物とこれから行動を共にする事になるかもしれないのに、クーゲルシュライバーの声は冷静だったからだ。

 

『あの、本当にいいんですか?無理してません?』

『本当に大丈夫です。昨日の事は……不意打ちだったんで取り乱しましたけど、もう整理はつけました。むしろ今ではあの子に積極的に関わりたいぐらいなんです』

『……なら受けちゃいますよ?』

『お願いします』

 

一体どういう心変わりなのか聞きたかったが、相手が此方の答えを目の前で待っている以上クーゲルシュライバーと長話している場合ではなかった。

 

「まずは仕事の内容について伺いましょう。やりがいのある仕事ならば、お手伝いしますよ」

 

その返事を聞くと男達は受付嬢に依頼して部屋を一つ用意させた。

冒険者組合の二階にある部屋で、会議室のような場所だ。

木のテーブルがあり、その周りには椅子が用意されている。

テーブルを挟んで銀プレートの冒険者達4人とモモン達3人は向かい合って椅子に座った。

 

『流石は銀級冒険者。初心者卒業間際ってところか』

『皆若い割に落ち着いた雰囲気ですし、なんだか隙が無いような立ち居振る舞いですよね。椅子の間隔を空けているのは武器を抜きやすくする為、ですかね』

『それか逃げやすくするためか。どちらにしろ結構なやり手ですよ。TRPGでの強キャラムーブにこんなのありましたし』

 

強キャラムーブというのがどういうものなのかモモンには分からなかったが、少なくとも昨日宿で出会った三下達よりは強そうな気配を感じる。

 今のところ、自分達を脅かすほどの力は感じられないが、それなりの態度で接するべき相手だった。

 

「それじゃあ仕事の話をする前に、簡単な自己紹介をしておきましょう」

 

先程声をかけてきた戦士風の男が代表として話だす。

 

「私が『漆黒の剣』のリーダーのペテル・モークです。あちらがチームの目や耳である野伏(レンジャー)、ルクルット・ボルブ」

 

ペテルと名乗った男はこの辺りの人間としては一般的な金髪碧眼の青年だ。如何にも好青年らしい整った精悍な顔立ちをしており、帯鎧と片手剣、盾で武装している。

 装備の質はスレイン法国の偽装帝国兵と比べて多少劣るといったところか。

どちらかと言えばガゼフ率いる戦士団に近い印象があるのは、装備品の各所に使い込まれた、それでいてよく手入れされた跡が多く見受けられるからだろう。

 

そんな歴戦、とは言えずとも場慣れした戦士の雰囲気を纏ったペテルが紹介したのは彼の隣に座る軽薄そうな笑みを浮かべる男だった。

此方も金髪、瞳は茶色だ。

ペテルが着ているものと比べると軽量で防御力に劣る皮鎧と、小剣、そして弓を装備している。

全体的にやせ気味で手足が長く蜘蛛のような印象を与える男だが、そこに非力さは全く感じられない。

 

「そして魔法詠唱者であり、チームの頭脳。ニニャ――『スペルキャスター』」

「よろしく。またお会いしましたね」

 

やや甲高い声で挨拶するのは昨日モモン達が出あった魔法詠唱者、ニニャ。

この中では一番の年下だろう。そして一番の美形だ。

遠目では分かりづらかったが、濃い茶色の髪と青い瞳の中性的な美しさを持った人物だった。

 

「ええ。不躾な視線を送ってしまって申し訳ありません。銀のプレートが珍しかったもので」

「いえ、僕こそ恥ずかしいところをお見せしてしまいました。出来れば忘れていただけると助かります」

「ではそのように。ミュールもいいな?」

「もちろんですモモンさん」

 

ガタッ!

大きな音を立て、突然ニニャが椅子から立ち上がった。

ニニャの青色の瞳は大きく見開かれており、その視線はミュールに注がれている。

 

「うそ……でも、まさかそんな……」

「おいおい、いきなりどうしたんだよニニャ?」

「何に驚いているのかは知らないであるが、落ち着くのである!」

 

様子のおかしい仲間を落ち着かせようとルクレットと、あともう一人、紹介されていない大柄な男がニニャの肩に手をかけ椅子に座らせようとする。

よほどに珍しい事態なのか、リーダーであるペテルも一瞬あっけにとられていたが、直に我を取り戻しモモンに対して謝罪する。

 

「仲間がすみません。どうかお気を悪くしないで下さい。……一体どうしたっていうんだニニャ?」

「ミッ、ミュールさん、と言うんですか?お願いします、どうか、フードを!フードをとって素顔を見せてくれませんか!?」

 

叱りつけるよりも心配する色の方が強いペテルの言葉が聞こえていないのか、ニニャは抑えられている小柄な体を精一杯起き上がらせてミュールに向かって嘆願した。

 

「モモンさん、どうしましょうか?」

 

首をかしげながら問いかけてくるミュールにモモンが答えようとするその前に、三人にクーゲルシュライバーからの思念が届いた。

 

『見せてやれ。モモンもそれで構わないだろう?』

 

確かに構いやしない。

モモンは一応ナーベの意見を聞くべく視線を向けてみるが、判断は全てお任せしますと言わんばかりに頷かれてしまった。

なんという主体性のなさ。

主人が傍にいるメイドなどこんなものかと思いつつも、モモンはミュールに許可を出す。

 

「ミュールがいいならば好きにするといい」

「わかりました。では……」

 

ニニャを筆頭に視線を向けてくる『漆黒の剣』の前で、ミュールが頭部を覆うフードに手を掛けた。

そしてゆっくりとフードを上げていく。

 

「うおっ!こりゃまたすっげぇ美人さんじゃないか!」

 

パサッ。

軽い音を立ててフードが取り払われた時、真っ先に声を上げたのはルクルットだった。

 彼はナーベとミュールを交互に見ると、最後にモモンを見た。

 

「色男だね旦那。こんな美人二人も連れちゃってさ」

「やめないかルクルット!すみません、仲間が失礼なことを」

「いや、お気になさらずに」

 

モモンは手を掲げ謝罪は不要だとペテルに伝えると、ニニャの様子を観察した。

 

「あ、あぁ……」

 

モモンの視線の先ではニニャが目元に大粒の涙を浮かべながら、クシャクシャに歪んだ今にも泣き出しそうな顔でミュールを見つめていた。

 

「やっと会えた……ツアレ姉さん!!」

 

え、誰それ?

驚愕の声を上げた後此方に鋭い視線を向けてくる『漆黒の剣』の面々を見て、モモンは心の中でそうこぼした。

 




鬱々としたボールペンの設定の一部はニニャに絡むためのもの。
はい。ニニャが邪神にティンダロスの猟犬なみにターゲッティングされました。
あと自動的にツアレ姉さんも。

普通にニニャがミュールをツアレだと勘違いしてますけど、ツアレ姉さん金髪なのよね。
でもそこは髪の色が違くても気にならないぐらいに似てるって事なのかも。

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