オーバーロードと大きな蜘蛛さん   作:粘体スライム狂い

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久しぶりのボールペンメインの話。


35話

カチカチと硬質な音が連続して通路に響く。

塵一つない磨き上げられた大理石の如き輝きを宿す床を、クーゲルシュライバーは自分の針のように鋭利な先端を持つ歩脚が傷つけたりしないかと気にしながら歩いていた。

針どころか刃物であり、アダマンタイトなどの金属すら切断しうる前肢にいたっては微かに床から浮かせた状態をキープしている。

 

日頃繰り返されるエントマによる毛づくろいによりクーゲルシュライバーの甲殻は漆器のような艶やかさを得ており、今まさに踏みしめている床と同じく、天井から降り注ぐ暖かな光を受けて星を宿しているかのように輝いている。

 

これはつまり、エントマに毎日行わせている毛づくろいと同じ情熱と丁寧さで一般メイド達も清掃業務に励んでいるということなのだろう。

見ていないところでも誠実に仕事をこなしている彼女らには正直頭が下る気持ちだ。

だから、そんな彼女たちの努力の結晶に傷をつけたくは無かった。

 

(まぁ頭を下げたらその度に一騒動起こるからやらないけど)

 

無数にあるドアの一つから、掃除を済ませたのだろうメイドが出てきたのでクーゲルシュライバーは擬頭を彼女に向けると、感謝と挨拶のつもりで擬腕を小さく掲げた。

一度人間が手を上げる感覚で前肢を掲げてみたところ、無礼討ちされる町娘めいた反応をされた苦い思い出が蘇る。

 

あれは確かに自分が悪かった。

前肢には巨大な首切り鉈がついているのだから、それを振り上げられれば誰だって怖いに決まっている。

 

「……」

 

クーゲルシュライバーは擬頭と擬腕を元の場所へと戻すと何も言わずに歩き続ける。

メイドも何も言わない。ただ深々と礼をするのみだ。

お互い声も発しないやり取りではあるが、どうやら恐縮されてはいないようだった。

 

パンドラズ・アクターと共にモモンガの活躍ぶりを観戦したクーゲルシュライバーは、もうすぐ訪れる夜を思い機嫌がよかった。

夜ともなれば冒険者一行の移動は一旦停止となり、ゆっくりと会話をする時間が生まれるはず。

もしもミュルアニスが言いつけどおりニニャとの関係を深めようとするならば、この機会を逃すことはないだろう。

 

一体どんな話をするのか?

果たして仲良くなれるのか?

そういった事を考えると、クーゲルシュライバーの胸は愉悦に満ちていくのだった。

ニニャとて忌避するに足る存在ではあるのだが、一度関わると決めてからは何処までも貪欲に相手を求め、それを楽しく思えてしまう。

それを情けなく思わない事もないが、方針を変更する気はまったく起こらなかった。

 

(今晩は忙しいぞ。ニニャとのやり取りを監視しなきゃだし、ネムの夢枕にも立たなきゃだし)

 

忙しいと思うも、機嫌は良いままだ。

出会ったシモベ達の苦労を偲び、挨拶を積極的に行おうという程度にはクーゲルシュライバーは上機嫌だった。

 

何度か角を曲がり、クーゲルシュライバーは自室を目指す。

モモンガ達は野営の準備をしているところで、一段落するのはもう少し後になりそうだった。

この隙に自室で休憩を取り、エントマによる毛づくろいを受けようとしているのだ。

 

しかし、自室に至る最後の角を曲がったところで、クーゲルシュライバーはその予定に変更が生じた事を理解した。

自室の前に、印象的な赤いスーツの男が立っているのを見つけたから。

 

「デミウルゴスか」

 

名前を呼ぶより早く、此方に気付き深々と礼をするデミウルゴスの頭を眺めながら思う。

苦手な奴が来てしまったなぁ、と。

 

(頭いいシモベと会話するのは嫌なんだよなぁ。こっちの馬鹿さ加減が露見しそうで)

 

ナザリックには最高峰と呼ばれる頭脳を持つシモベが三体いる。

アルベド、デミウルゴス、パンドラズ・アクターの三体だ。

その内パンドラズ・アクターに関しては、彼の大げさな身振り手振りからか全く抵抗はない。

しかし見るからに知性に優れていそうな外見を持つ残りの二体は、相対するだけでも多大な緊張を強いられるのだ。

かつて人間だった頃の性根が、ブルジョアとインテリに平伏しようとしてしまうのである。

そんな自分を奮い起こし、クーゲルシュライバーは自ら設定した演技(ロール)を何度も反芻しながらデミウルゴスに話しかけた。

 

「私に用事かな?」

「はい。至高の御方々のご命令どおり、これより出立いたしますので、そのご挨拶に伺いました」

 

その言葉を聞いてクーゲルシュライバーは納得がいったとばかりに大きく頷いた。

デミウルゴスにはモモンガと話し合った結果、ナザリックの外に出てもらう事になっている。

セバスに与えたものと同じ種類の任務であり、周辺各国の情報収集とスクロールなどの消耗品が補給できるかどうかの調査が彼の仕事だ。

 

魔王を作るだとか、国を一つ制圧するだとか、そういう指示はしていない。

モモンガもクーゲルシュライバーも、そういったこの世界の住民に大きな被害が出る手段を避けていた。

ナザリックの支配者である二人は、可能な限り穏便に異物である自分達をこの世界に溶け込ませたいと考えているのだ。

 

この世界に来ているかもしれない他のギルドメンバーにアインズ・ウール・ゴウンの名を届けようという試みも、平和的に成されるべきなのだ。

なぜならば、ギルドの名が広がったとしてもそれが悪名としてだった場合、アインズ・ウール・ゴウンとは無関係なプレイヤーから敵対される恐れがある。

プレイヤーだけではない。この世界の住人にもモモンガとクーゲルシュライバーが知らないだけでとんでもない強者がいるかもしれない。

そういった連中から身を守るためには、取るべき手段を可能な限り平穏なものにする必要があった。

対外的にはアインズ・ウール・ゴウンは正義の味方でなければならないのである。

 

「そうか。お前の任務は他の者と似た部分がある。だが賢いお前ならば、他とはまた違った着眼点と手法で異なる成果を出してくれると信じているぞ」

「至高の御方々による信任、重く受け止めております。必ずやお二人がお喜びになる成果を持ち帰ってご覧に入れましょう」

「それは楽しみだ。頼んだぞ、デミウルゴス」

 

ボロは出なかっただろうか?

特に不審な目を向けられてはいないと思うが、何時までもデミウルゴスの前に居たら看破されるかもしれない。

挨拶は終わったのだからさっさと自室に引き込むとしよう。

そしてエントマと育児について話し合いながら毛づくろいをしてもらい、シクススに邪神系面白画像100連発を見せて反応を楽しむのだ。

 

薔薇色の時間を思い浮かべ心躍らせるクーゲルシュライバーは、足取りかるく自室の扉へと向かった。

 

「あと、もう一点。少々よろしいでしょうか?」

 

護衛のシモベ達によって開かれた扉をくぐろうとしていたクーゲルシュライバーは、デミウルゴスのその声にギクリと体をこわばらせた。

一体なんの用事だろう?もう挨拶はすんだじゃないか。もしかしたら浮かれているのを見破られたのか?

別に悪いことはしていない筈だが、妙に緊張するのは相手がデミウルゴスだからだろう。

クーゲルシュライバーはその場で振り返ると、努めて冷静な態度でデミウルゴスを見つめた。

 

「なんだ?まだ用事があるのか?」

「クーゲルシュライバー様を煩わせてしまい申し訳ありません。ですがなにとぞ、お聞きしていただきたいことが」

「そんなに恐縮することはないぞデミウルゴス。私はお前達が思うよりも遥かに寛大だ。言ってみるがいい」

 

ちょ、ちょっと偉ぶりすぎたかな?

内心でビクビクと怯えながらデミウルゴスを見つめれば、彼はほんの少しだけ肩から力を抜き用件を話し出した。

 

「第五階層守護者コキュートスがクーゲルシュライバー様との面会を希望しております。是非とも御身が背負う卵を見てみたい、と……」

「なに?コキュートスが私の卵を?」

 

擬頭を捻り、己の巨大な腹部の上に鎮座する白い包みを眺める。

野生の大蜘蛛「チビスケ」の精子によって受精した自分の卵である。

 

「そういえばコキュートスは我々の世継ぎを熱望しているようだからな。一目みたいというのは当然か?」

「まさに仰るとおりです。アルベドからの知らせを受けてからというもの、気になって仕方ないようでして」

「そうだったのか。しかしこの卵が実験用のものであり、世継ぎとは関係ないという事はわかっているのだろう?」

 

アルベドからの連絡を受けたのならば、そういう事になっていなければ困る。

そのためにモモンガと一緒にあれこれ考えたのだから。

 

「勿論コキュートスも私も完璧に理解しております」

「そうか?なら何故特別でもなんでもないこんな卵を見たいと言うのだ」

「特別な物ではないとはいえ、クーゲルシュライバー様自らお産みになった卵ですから。生まれる御子はクーゲルシュライバー様の子であり、たとえ世継ぎではないとはいえ気に掛かるのでしょう」

「そうか……」

 

まぁ、完璧に理解しているというのであれば問題はない。

此方の流した虚偽の情報を信じている限り、クーゲルシュライバーとしては何も文句はなかった。

 

「生まれるかどうかも定かではないのだぞ。あまり期待しても生まれなかった時に気落ちするだけだが……まぁいい。コキュートスがそれを望むのであれば応じようではないか」

「申し出を受け入れてくださり感謝します」

「気にするな。ではこれから私は第五階層へ向かうとしよう」

 

リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの力があれば第五階層へ向かうのに一秒と掛からない。

ナザリック内にいる時はいつも装備しているこのアイテムを使おうとした時、デミウルゴスが焦ったように口を開いた。

 

「お待ちくださいクーゲルシュライバー様!至高の御身にご足労頂くわけには参りません。コキュートス自らが御身の前に馳せ参じますので、どうかお待ちを」

 

デミウルゴスのその気持ちはわかる。

個人的な願いの為に目上の存在を呼び寄せるのはかなりの抵抗感があるものだ。

しかしリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持たないコキュートスを第九階層まで呼び寄せるとなると、距離に応じた時間が掛かってしまう。

コキュートスに任された仕事の事を考えると、此方から出向くのが得策に思えた。

 

「しかしなデミウルゴス。コキュートスはこのナザリック地下大墳墓の警護任務についている。そのような重要な仕事をしているあいつを、現場から引き抜くのは気が咎めるのだが?」

「問題はありません。ご許可さえ頂ければコキュートスが抜けたとしても即応できる体制へと移行しますので」

 

疑問に答えるデミウルゴスの態度は堂々としている。

その様子に嘘などは感じられない。

どうやらデミウルゴスは事前に此方の言葉を予想していたらしい。

流石はナザリック一の知恵者と感心するが、それ以上にコキュートスの為に力を貸しているデミウルゴスの友情がクーゲルシュライバーには眩しかった。

彼とて自分を恐れている一人のはずなのに、こうして同僚の為に頑張っている。

唯でさえ良かった自らの機嫌が、さらに良くなっていくのをクーゲルシュライバーは苦笑いしながら感じていた。

 

「そうか?まぁ、防衛に穴が空かなければいいんだ。軍事面に関してデミウルゴスの言を疑うことなどしないさ。よし、コキュートスを呼ぶがいい」

「ありがとうございます。では早速コキュートスに連絡を」

 

そういって一礼の後、下ろうとしたデミウルゴスに擬腕の掌を突きつけ待ったをかける。

即座に動きを止めたデミウルゴスではあったが、その表情には疑問が浮かんでいる。

そんなデミウルゴスに対し、クーゲルシュライバーは小さくない緊張を機嫌の良さでごまかしながら、穏やかな口調で話しかけた。

 

「折角コキュートスを呼ぶのだ。デミウルゴスともしばらく会えなくなることだし、場所は副料理長のバーにしよう。壮行会をかねてな」

「なんと……!私如きにそのようなお気遣いは無用でございます!」

「そんなに気にしないでくれデミウルゴス。私が酒を飲みたい気分なんだ。すこし付き合ってくれ」

 

こういわれてはデミウルゴスも断れまい。

そう思って放たれた言葉は、果たしてその通りの結果をもたらした。

 

「わかりました。クーゲルシュライバー様のお心のままに」

 

そう言うデミウルゴスは、上司からの飲みの誘いを断れなかった、という雰囲気ではなかったと思う。

その反応に少しは喜んでもらえたのかなと軽い満足を感じつつ、クーゲルシュライバーは自室から一転、バーへ向かって歩き出した。

 

「それじゃあ待っているからな。余り急がずコキュートスを呼んでくるがいい」

 

背後にデミウルゴスがお辞儀する気配を感じながら、クーゲルシュライバーはその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

「大変オ待タセシテ申シ訳ゴザイマセン」

 

謝罪と共に開け放たれた扉から冷気が室内へと滑り込んでくる。

真夏に冷凍庫を開けたかのような感触を室内照明によって輝く甲殻で受けながら、クーゲルシュライバーは擬腕をヒラヒラと振った。

同時に、甲殻に感じるものとは対照的なえらく熱の篭った視線を自らの腹部に感じる。

 

「気にする事はないぞコキュートス。さぁまずは座るんだ。そして乾杯しよう」

 

そう言うクーゲルシュライバーの隣には既にデミウルゴスが着席している。

三つ揃えのスーツを着こなし、銀の眼鏡を煌かせるこの悪魔は、ただ座っているだけで様になっている。

 

室内の雰囲気を完全に味方につけている伊達男を隣に置いて、自分はカウンターチェア4脚を占有しふんぞり返るという恥辱。

決して表には出さなかったが、精神が抑制されるギリギリのラインの恥ずかしさと敗北感、そして僅かな嫉妬に苛まれる時間がコキュートスの到着によってようやく終わったのである。

クーゲルシュライバーの声は喜びに弾んでいた。

 

「お互い巨体だからな。少し席を離さねばならないが……コキュートス?」

「失礼イタシマス」

 

ボールのように弾んでいたはずの声が途中で萎み、最後には困惑へと変わった。

クーゲルシュライバーの視線が着席したコキュートスと自分が座っている席とを行き来する。

 

「コノ度ハ私ノ我侭ヲオ聞キクダサリ、アリガトウゴザイマス」

「いや、待て。待つのだコキュートス。お前は……なぜそんなに離れているのだ?」

 

1、2、3……遠い。

クーゲルシュライバーはコキュートスと自分の間に存在する椅子を数え軽くショックを受けた。

あからさまに距離を置かれている。

コキュートスはあろうことか、クーゲルシュライバーから最も遠い席へと着席したのだ。

 

なにか嫌われるような事でもしただろうか?

記憶を探るも思い当たるものはない。

しかしシャルティアのような事もある。クーゲルシュライバーは必死に頭を働かせていた。

 

「御卵ガ私ノ冷気デ冷エテ、万ガ一ガアレバ一大事デ御座イマス。コノ席デドウカ御容赦ヲ」

「あ、ああ!そういうことか。露骨に避けられているから何事かと思ったぞ」

 

全く心臓に悪い。

心の中で悪態をつきながらもクーゲルシュライバーは胸を撫で下ろした。

コキュートスが距離をとったのは、妊婦の体を冷やさないようにする、といった類の思いやりから来たものだったらしい。

 

常時発動型特殊技術(パッシブスキル)ハ切ッテイルノデスガ、生来ノ冷気ハドウシテモ消セズ。コノヨウナ身デ身重デアラレル御身ノ前ニ立ツノデアレバ細心ノ注意ヲハラワネバ……」

「あー、いや、大丈夫だコキュートス。そこまで気を使わなくとも私の卵は丈夫だからな」

 

無口なイメージだったコキュートスが次々に言葉を連ねるのを見てクーゲルシュライバーは困惑した。

なにかこう、興奮した人が捲くし立てるような雰囲気だ。

もっと限定的に言えば、新婚家庭において初めての子供が出来たことを聞いた後の夫か、祖父母のような。

そんな過保護な気配がコキュートスから滲み出ている。

 

そこまで気を使うことはないのに、とクーゲルシュライバーは思う。

自らが背負う卵がかなり丈夫なことは事実だ。

魔法系の毒としては最高峰である《ブラッド・オブ・ヨルムンガンド》が満ちている宝物殿を、クーゲルシュライバーと共に通り抜けてもなんの影響も受けなかった卵なのである。

まだ生命としてカウントされておらずトラップオブジェクト扱いで毒が効かなかったのか、それとも周囲を包む卵嚢のおかげで毒から守られたのかは分からないが、コキュートスが平常時に放つ冷気程度はなんの問題にもならないように思えた。

しかし。

 

(でもこういう気遣いって悪くないなぁ。ちょっと鬱陶しいかも知れないけど、大事にされてるって感じでなんか良い)

 

この卵はクーゲルシュライバーにとって情が間欠泉の如く湧き上がる大切なものである。

心底無事誕生することを願う卵を気にかけてくれるコキュートスの態度は好ましいものだった。

熱望する「至高の存在の世継ぎ」ではないと理解しているのにこの対応を出来るコキュートスは中々のナイスガイだ。

もしかして、単純に赤ん坊が好きなのだろうか?

なんだか転移初日に見たときよりもコキュートスの事が男前にさえ見える。

 

自らの美的感覚が節足動物を贔屓しはじめているようで何処か薄ら寒い気持ちもあるが、概ねクーゲルシュライバーはご機嫌だった。

 

「ナリマセン!ドレホド丈夫デアロウトモ、万難ヲ排ス事ガ肝要デス。ムゥ!我ガ身ノ氷柱ヲ削ッテ来タトイウノニ、モウ生エテイル!コレデハ冷気ガ!自然回復ガコレホドマデニ煩ワシイトハ!」

「まてまて!? お前もしかして冷気抑えようと自分の体削ってきたのか!?」

「左様デ御座イマス」

「左様で御座いますじゃないわタワケ!思いやりで自傷行為されたんじゃたまらんわ!」

 

思いもよらない事実に直面して声が大きくなってしまった。

 コキュートスとは顔を合わせる機会が少ない為に気付くのが遅れたが、確かによく見ると彼の身体のあちこちにある氷柱が歪な形をしている。

そして妙に鋭利な断面をしている事から察するに、コキュートス自慢の武器「斬神刀皇」で自ら切り削ったに違いない。

思いやってくれるのはいいのだが、これは流石にやり過ぎであり、やり過ぎな思いやりは単なる迷惑に過ぎない。

そこの辺りをどうかわかって欲しいクーゲルシュライバーだったが、NPC達の性質から中々難しそうな望みなのかもしれないと半ば諦める気持ちもあった。

 

「申シ訳アリマセン。シカシ……」

「わかった、わかった!まったくコキュートスは心配性だな。その気持ちだけは受け取っておくから、さぁ、グラスを持て。乾杯しよう」

 

空気と化していた副料理長が差し出したワイングラスに手を伸ばす。

内部で美しい赤が揺れている事から赤ワインなのだろう。

ワインという高尚な酒の知識は全くないが、ナザリックで出されるものなのだからきっと最高級のものに違いない。

 内心涎を垂らしワインを見つめるクーゲルシュライバーだったが、隣に座るデミウルゴスは疎かコキュートスまでもが極自然にグラスを受け取って持っている。

がっついているのは自分ひとりだと知ってクーゲルシュライバーは酷く恥じ入った。

そしてそれを隠すようにグラスを擬腕で掴んだ。

 

「デミウルゴスの任務成功と無事帰還を願って。乾杯!」

 

三つのグラスが慎ましく掲げられる。

居酒屋の癖でついついグラスを打ち合わせようとしてしまったクーゲルシュライバーだったが、100レベル相当の素早さに由来する動体視力によって他の二人がグラスを掲げる動作を取っている事に気付き自らもそれに倣った。

思わぬところで無教養を晒すところだったと冷や汗を流しながら、グラスに口をつける。

芳醇な、とにかく美味いとしか形容できない液体が口内に流れ込んでくる。

その味はクーゲルシュライバーの心を僅かなりとも落ち着けてくれた。

 

「クーゲルシュライバー様。このような場を設けていただき、身に余る光栄に御座います。必ずやご期待に応え、ナザリックに帰還する事をお約束いたします」

「はははは。大げさだなデミウルゴスは。さっきも言ったが、私が酒を飲みたかっただけだ。そんなに畏まる事は無いのだぞ?」

「それでも、で御座います。至高の御方とこうして酒を飲み交わすなど考えられない事でした。ましてや至高の御方々の為に作られたこのバーで」

「そうか?いや、まぁそうだな。私もこうしてお前達と酒を飲む日が来るなんて思いもよらなかった」

 

考えてみればおかしなものだ。

ゲーム中のNPCとこうして肩を並べて酒を飲むだなんて、夢の出来事のようだ。

シクススと酒を飲んだときにも思ったことではあるがそう思わざるを得ない。

きっとこうした場がある度に自分はそう思うのだろうなと、クーゲルシュライバーは遠くを眺めるような眼で思考に浸っていた。

 

「……」

「……」

「ん?どうした二人とも。そんなに見つめられると照れるぞ?」

 

神妙な顔で――どちらも表情がわかりにくいのだが――こちらを見つめる階層守護者達の視線に気付いたクーゲルシュライバーはおどけながらそう言った。

それに対するデミウルゴスとコキュートスの反応は何かに堪えるような、喉になにかつかえているようなものだった。

 

「イエ、失礼シマシタ。ナンデモ御座イマセン」

「不躾な視線、失礼いたしました」

「んー?……まぁ別に気にしてはいないが」

 

なんでもない訳ではないだろう事はクーゲルシュライバーにも分かっている。

しかしあえて深く聞く必要があるかというとそうではないように思えた。

故に話を変える。

 

「それで、コキュートスはこの卵が見たかったんだな?どうだ、実際に見た感想は」

「ハイ!誠愛ラシク、ソレデイテ途方モナイ可能性ヲ秘メテオラレルカト存ジマス!流石ハ至高ノ御方ノ御子、誕生ガ待チ遠シクテ堪リマセン!」

「愛らしく?可能性?孵化していないのにそんなの分かるのか?デミウルゴスはどう思う?」

「……私は卵に関する審美眼を持たないので実際の愛らしさというのは理解しかねます。しかしクーゲルシュライバー様の御子と見れば、コキュートスの言うとおり大変愛らしく可能性に満ちた卵かと存じます。誕生が待ち遠しいですね」

「そうか」

 

そうか。そうか、そうか。そうか!

口の中で何度も呟くクーゲルシュライバーの心は、完璧に浮かれていた。

即座に精神が抑圧される程度には浮かれていた。

落ち着いた頭で自己分析してみれば、どうやら自分は親馬鹿になっているらしい。

その事実が自分でも驚くほどあっさり飲み込めてしまい、これは処置なしだと確信した。

 

自分の卵が褒められるのがたまらなく嬉しい。

そしてナザリックのシモベの中でも高位に位置するデミウルゴスとコキュートスが、我が愛し子達の誕生を心待ちにしてくれているという現実が嬉しい。

これまで表情の存在しない我が身に感謝した事は数あれど、今日ほど深く感謝した日は無い。

もしも今この時自分に表情があったら、無表情を装うことなどできずデレデレとだらしない笑みを部下に晒す事になっただろう。

 

 いや、もしかすると表情が無くとも仕草に表れているかもしれん。

そう思いあたったクーゲルシュライバーは、冷静を装うためにと口を開いた。

 

「あー、何度も言うがな?この子らが生まれてもだな?後継者がどうとか、そういうんじゃないからな?あくまで検証の一環で、戦力の足しにするとか、そういうのだからな?」

 

ダメだこれ全然冷静装えてない!

 ニヤついたような口調とセリフからは、浮かれ切った心情が露骨に滲み出ていた。

そんなクーゲルシュライバーに対して、階層守護者の二人と副料理長は暖かな視線を向けてくる。

デミウルゴスは眼を閉じており、コキュートスは複眼で、副料理長にいたっては目がないが雰囲気的にきっとそうだとクーゲルシュライバーは確信していた。

 

「無論ワカッテオリマス。サレド至高ノ御方ノ御子ニハ違イハアリマセン。御誕生マデ、ソシテソレカラ先モ、コノコキュートスガ命ニ代エテモ奥方様ト若様姫様方ヲ御守リシマス」

「え、奥方様?」

 

聞き捨てなら無い単語に思わず声が出る。

奥方様、というのはつまり妻とかそういう意味だ。

するとなんだ?コキュートスはこの卵に、父親がいると考えているのだろうか?

蜘蛛のチビスケの存在が露見したのかと、クーゲルシュライバーの浮かれた思考が一気に冷え込んだ。

どういうことだと問いただそうとするクーゲルシュライバー。

だが、その前にデミウルゴスが口を開いた。

 

「おいおい、待ちたまえコキュートス。こちらの卵はクーゲルシュライバー様がスキルで生み出したものじゃないか。にも拘らずクーゲルシュライバー様を奥方様と呼ぶのは正しくないと思うのだがね?」

「ムゥ。ソノ通リダ、デミウルゴス。失礼シマシタクーゲルシュライバー様。御身ガ卵ヲオ産ミニナッタトイウ事ニバカリ気ヲ取ラレ、ツイ」

 

申し訳なさそうに頭を下げるコキュートス。

卵を産むのは雌の仕事であり、その雌が上位者だったから「奥方様」という呼称を使った。

つまりはそういう事なのだろうか?

そう問いかけてみればコキュートスは2.5メートルはある巨体を更に縮めて、コクリと頷いた。

肩の力がドッと抜ける。

そういうことなら、問題は無い。

 

「まったく、何事かと思ったぞ」

「面目次第モアリマセン」

「まぁ気にするな。それでコキュートスよ。守ってもらうのも勿論嬉しいのだが、私としてはこの子達には戦力として期待している部分がある。孵化してからしばらくは守るついでに鍛えてもらいたい感じなんだが」

「ヤリマス!是非、ヤラセテイタダキタイ!」

「うおっ!?」

 

突如店内に響いたコキュートスの大声に体が跳ねた。

しまったと思った時には既に遅く、擬腕に持ったグラスから酒が零れ、カウンターと体の一部を濡らした。

 

「おおっと、気にするなよコキュートス。私は気にしない」

 

口元の大顎を引きつらせて席から立ち床へ膝をつこうとするコキュートスを片手で制止しつつ、クーゲルシュライバーはグラスをカウンターに置こうとする。

その直前に、副料理長が驚くべき素早さとタイミングの良さでカウンターをお絞りで拭き清めた。

続けて新品のお絞りを広げクーゲルシュライバーに差し出してくる。

これで体を拭けという事だろう。

副料理長の早業に賛辞を送りつつ、差し出されたお絞りに手を伸ばす。

 

その時だ。

横合いから、見るからに高級そうなハンカチが差し出された。

 

「どうぞお使いください」

 

差し出しているのは微笑を浮かべたデミウルゴスだった。

彼の左胸にあるポケットチーフの姿がないところから見るに、差し出しているのはどうやらソレらしい。

クーゲルシュライバーの擬腕が左右に彷徨う。

 折角デミウルゴスが厚意で差し出してくれたのだから、副料理長のお絞りよりもそちらを取るべきだとは思う。

しかし、差し出されている布はシルクのような光沢を放っており一目で見て高級品だと分かる一品だ。

そして色は純白。

零した酒がポリフェノールを含む赤ワインだという事を考えると、これを使うのは躊躇われた。

 

「いや、折角だがデミウルゴス。こんな高級なものを使うのはもったいないと思うのだが」

「御気になさらず。至高の御方には常に最高の物をお使い頂きたいのです」

 

クーゲルシュライバー様の玉体を拭うには、副料理長のお絞りは些か以上に力不足でしょう。

デミウルゴスの言葉を、少し嫌味っぽくないか?と思いクーゲルシュライバーは副料理長を見やる。

だが副料理長はデミウルゴスの言葉にその通りだとばかりに頷いて、手に持ったお絞りを引っ込めてしまった。

こうなればもうデミウルゴスのポケットチーフを使わざるを得まい。

 

「では使わせてもらおう。ありがとうデミウルゴス。洗濯して後で返す……って今晩からいないのだったな。ではお前が帰ってきたら返すので構わないかな?」

「勿論でございます。むしろ、そのまま捨ててもらって構いません」

「いや、それは流石にどうかと思うぞ」

 

返却の手間を省略しようというデミウルゴスの気遣いなのだろうが、流石に承服しかねる。

渡されたハンカチは洗濯してアイロン掛けて返すのがフィクション、ノンフィクション問わずのお約束なのだ。

 

「洗濯して返すから、ちゃんと帰ってくるんだぞ。形見のハンカチとかになられると困るんだからな」

「クーゲルシュライバー様を困らせるわけには参りませんね。必ず戻りますとも」

 

堂々と、どこか誇らしげに言い切るデミウルゴス。

その姿を見ていると、羨ましいやら頼もしいやら、様々な気持ちが沸き起こってくる。

 自分もこんな立派な男だったなら、という劣等感すら覚える。

 

「それにしてもデミウルゴスは凄いな。より良いものを差し出そうというその忠誠心、そして完璧を求めようとする姿勢。私も完璧主義者だと言われることもあるが、お前の方がよっぽど完璧主義者なのではないか?」

「ご冗談を。私などクーゲルシュライバー様に比べれば粗ばかり。より完璧なものを目指してはおりますが、御身を越えるなど夢のまた夢でしょう」

「果たして本当にその通りかな?まぁいい。なんにせよお前の姿勢は素晴らしいものだ。その姿勢を忘れずに精進していってくれ」

「承知いたしました」

 

体を拭き終え、クーゲルシュライバーはハンカチをアイテムボックスへと仕舞う。

そしてグラスに残った酒を飲み干すと、左の擬腕に巻いた時計を見た。

 

「そろそろ時間だな。私はこれからやる事があるので部屋に戻るが、二人はゆっくりしていってくれ」

 

歩脚を動かし、椅子から降りるとクーゲルシュライバーは出口へと向かう。

途中、コキュートスがしょんぼりとした雰囲気で此方を見ているのに気付いたクーゲルシュライバーは出口前で立ち止まる。

本当はコキュートスの前まで近づきたいところだが、自身の放つ冷気を気にする彼の事、より一層恐縮させるだけだろう。

 

「コキュートス。そう気にするな。私はなにも怒ってなどいない」

「シカシ……」

「しかしもかかしもあるものか。そんな事気にするなら、ナザリック防衛や我が子が孵化した時の事でも考えるんだな。さっきのは冗談ではないんだぞ?」

「ハッ!ハハァッ!」

 

そう、子供が孵化したらコキュートスに子守をしてもらうというのは冗談ではなく本気だ。

同じ節足動物であるし、恐怖公や餓食狐蟲王と親しいというコキュートスならば子守役には最適だろう。

いや、本当に最適なのは蜘蛛人(アラクノイド)であるエントマなのだが、彼女には彼女の卵がある。

既に共に子育てをする仲間として認識してしまっているエントマには、あまり負担をかけたくなかった。

 

「あぁそうそう、今後はお前たちもこの店に来ていいからな?マスターも問題ないだろう?」

「至高の御方がよろしいのであれば、何の問題もございません」

 

こう言うのはデミウルゴスがこのバーを「至高の御方々の為に作られた」と言っていたからだ。

もしかするとギルドメンバー限定の店であり、NPCは使ってはいけないと思っているのではないかと考えたのだ。

デミウルゴスはなにか勘違いしているようだが、別にこの店はギルドメンバー限定という訳ではない。

かつてのギルドメンバーである「餡ころもっちもち」が創造したNPCである「エクレア・エクレール・エイクレアー」には時々このバーに顔を出すという設定があったはずだ。

それはつまりNPCが入店することは至高の存在によって許されている、という事である。

 

「デミウルゴスは出張だからしばらく利用は出来ないだろうが、コキュートスは気が向いたら来てみると良い」

 

それだけ言うと、クーゲルシュライバーは背後から飛んでくるデミウルゴスとコキュートスの感謝の言葉を最後まで聞く事無く扉を開いた。

早く自室に行って監視体制を整えねば、重要な場面を見過ごしてしまうかもしれないからだ。

 

「ではな」

 

その言葉と共に、クーゲルシュライバーは外にでて静かに扉を締めた。

 

 

 

 

 

 

「さて、と」

 

至高の存在であるクーゲルシュライバーが退室し、光量が減じたように感じる室内をデミウルゴスはエレガントな歩みで移動する。

手に上質なワイングラスを持った彼は、カウンターの端、つまりはコキュートスの座る席まで来ると、その隣に腰を下ろした。

 

「おめでとう、コキュートス」

「デミウルゴスッ!」

 

差し出したグラスにコキュートスが小刻みに震えるグラスを打ち付け、キン!という澄んだ音が鳴る。

 全身を震わせるコキュートスに微笑みを向けながら、デミウルゴスは天上の美酒を呷った。

美味い。

 これほどまでに美味い酒は、たとえ人間の国をこの上ない裏切りと疑心によって滅ぼしたとしても味わえるかどうか。

デミウルゴスは先程の体験を思い出して身を震わせた。

 

「私ハ、オ前ニ対スルコノ感謝ヲ言葉ニスルコトガデキナイ。ナント言エバ全テ伝ワルダロウカ」

「気にしないでくれたまえ、友よ。言葉にせずとも全て分かっているさ」

 

そう、全て分かっている。

誰よりも世継ぎの誕生を望み、それを守護することを望んでいたコキュートス。

その二つの望みが叶った喜びの程を察するのは容易な事だ。

そしてその喜びに比例する感謝の程も。

 

「しかし私は場を作ったに過ぎない。真に感謝すべきは、君の望みを叶えてくれた至高の御方々だ。それを忘れてはいけないよ?」

「無論ダ。無論ダトモ。ダガソレデモ、感謝スルゾデミウルゴス。コレデ私ハモウスグ爺ダ!オオ、若様!姫様!必ズヤ爺ガ御守リシマスゾ!」

 

興奮気味に立ちあがったコキュートスの脳内では様々な未来絵図が展開されていた。

卵から生まれたばかりの透き通った体をした小さな蜘蛛達が母親であるクーゲルシュライバーの背中に乗って眠っているのを見つめる自分。

脱皮を繰り返し大きくなってきた子蜘蛛達の吐く糸によってグルグル巻きにされる自分。

やんちゃを繰り返す子蜘蛛達にある日突然迫る危機。それに敢然と立ち向かい剣を振るう自分。

傷ついた自分に心配そうに駆け寄る姫君達と、自分の剣技に魅せられ稽古をねだる若殿達。

 

「ナンノコレシキ、傷ノ内ニモハイリマセヌ!姫様心配メサレルナ、爺ハコンナニ元気デスゾ!アァ若様、ソンナニ強請ラレテモ困リマス。マズハ奥方様ニオ伺イヲ立テネバ」

「あー、うん。君が幸せそうでなによりだよ」

 

腕を振り上げ妄想にふける友人に呆れながらも、デミウルゴスは心の底から笑っていた。

アルベドから事の真相はすでに聞いている。

 今のところ至高の御方々はあの卵から生まれる御子を世継ぎにとは考えてはいないようだが、態々バレバレの偽装を施しているのが気に掛かる。

至高の御方々の深遠な考えを察することはできないが、もしかすると、という事も十分有り得るだろう。

 

デミウルゴスの望みもまた、コキュートスと同じように叶うかも知れないのだ。

これが嬉しくないはずが無い。

 

「誕生が待ち遠しいですね」

「同感ダ!」

 

本当に誕生が待ち遠しい。

忠誠を尽くす相手がいれば、忠誠を尽くす為に作り出された者達は存在できるのだ。

存在理由をそのままに、いつまでも、いつまでも。

それはとても喜ばしいことなのだから。

 




デミウルゴスが世継ぎを求める理由について考えると、なんだか悲しくなってくる今日この頃。

それはそうとワクテカしているデミウルゴスとコキュートスな回でした。
コキュートスってホント可愛い性格してますよね。
彼を喜ばせるのはとても楽しいです。ウェヒヒヒ。

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