ンフィーレアとその護衛の一行はまだ日の高い内に平原で野営の準備に取り掛かっていた。
新たに一行に加わった森の賢王も含め、各自が分担して野営地の設営に取り組んでいる。
モモンが黙々と構築しつつある鳴子による警戒網の内側では杖を持ったニニャが≪アラーム/警報≫という警戒用の魔法を行使しながら歩き回っている。
広範囲をカバーする事は出来ず、いつもなら念のため程度に行使する魔法だが、森の賢王の精神に干渉できる何者かに狙われている可能性が非常に高い現状では気休め程度の警戒とて怠れない。
真剣な表情で杖を掲げながら歩くニニャ。
その後ろには掲げた短杖を不気味に輝かせるミュールが続く。
より強固な警戒網を形成するためにとミュール自らが協力をかってでたのだ。
なお、二人と同じ魔法詠唱者であるナーベは警戒に使えそうな魔法を習得していないという事で別の仕事を任されている。
「ミュールさんはどんな魔法を?」
顔色を窺うようにチラリと振り向いたニニャがミュールに問う。
相手の出方を窺うようなどことなく気弱な声に対し、ミュールはいつも通りの柔和な声で返答した。
「ニニャさんのとそう変わりませんよ。非実体のモンスターみたいに発見が困難な相手を感知する事のできる魔法です」
ミュールはにっこりと笑いながら嘘をついた。
ミュールにはそのような効果を持つ魔法は使えない。
杖が光っているのは、ただ単に怪光線魔法を発射直前の待機状態にしているだけだ。
なぜ嘘をつき演技までしているのかというと、ニニャと同じ役割の仕事を受け持つ事で二人きりの状況を作りたかったからだ。
ミュールはクーゲルシュライバーからニニャと良好な関係を築くようにと命令されている。
絶対の主人である至高の41人の役に立つことはナザリックに属する者に共通する存在理由であり、至上の喜びだ。
たとえそれが下等生物である人間相手にみじめなやきもちを妬いてしまうような命令であっても、ミュールは主人に忠実だった。
(モモンガ様のお力添えのおかげで随分とクーゲルシュライバー様と会話出来るようになったし、お役に立つことができれば、いつかまたあの時のように可愛がって頂けるように……)
クーゲルシュライバーから様々な服や装飾品を与えられ、髪を梳かされ、優しい言葉をかけられ愛でられていたかつての黄金時代を思い描きミュールの心は蕩けそうになる。
今は、違うけれど。
だからこそ、またいつか。
渇望に焦がれるミュールはニニャにそれを悟らせることなく、命令遂行の意欲を燃え上がらせていた。
「なるほど。実体を持たないアンデッドなどのモンスターは脅威ですからね。わたしの魔法では接近を察知できても居場所の特定はできないので……そういった手合いが来た場合、ミュールさんにお任せしてもいいでしょうか?」
「勿論です。私はクレリックでもありますから、そういう敵の相手には適任でしょう」
対処可能であることは確かだが、適任ではない。ミュールはまた嘘をついた。
ウォーロックとクレリックの複合職であるエルドリッチ・ディサイプルを取得しているミュールは確かにクレリックの使うような信仰系魔法を使うことができるが、アンデッド退散に利用できるような神聖な善の魔法は使えない。
NPCの設定としての信仰対象はクーゲルシュライバーだが、ゲームシステム的にミュールが信仰の対象としているのはシャルティアなどと同じ邪神系の神格だ。
悪に偏った神を信仰する者は邪悪を助長する魔法に習熟しているが、逆の属性を持つ善の魔法は使用できないのである。
そしてそれが常識だから、ニニャはミュールの嘘を見抜くことが出来なかった。
「第二位階魔法《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》が使える優秀な神官がいてくれるのは本当に心強いです」
ニニャは貼り付けたような笑みで、しかし本心からの言葉を口にする。
特殊監察官という役職に就くミュールからしてみれば仮面として不完全な笑みだったが、全く気にした様子は見せず笑顔で会釈する。
目論見通りに事が進んでいることを内心でほくそ笑んでいるのを一切悟らせない完璧な笑顔の仮面で。
ニニャはミュールがアンデッドに有利な善のクレリックであるとすっかり勘違いしていた。
これは善の魔法に代表される回復魔法を実際に使用しているのだから常識的に考えてそう思うしかなかったのだ。
ミュールは生者を癒すキュア系魔法よりも、生者を脅かしアンデッドを癒すインフリクト系魔法を得意とする悪のクレリックだ。
通常ならばキュア系魔法を使用できないのだが、そこは廃人犇めくアインズ・ウール・ゴウンのNPC。
悪のクレリックでありながら善の魔法を使用可能にする抜け道を創造主たるクーゲルシュライバーが把握していないわけがなかった。
「いえ、そんな。私のクレリックとしての技量なんて中途半端なものですから」
「謙遜することないですよ。ミュールさんは第二位階魔法まで使えるんですから間違いなく一流です」
それに、と羨望と微かな嫉妬が混ざった目でミュールを見ながらニニャは続ける。
「神官として一流なうえに、魔力系魔法詠唱者としてもミュールさんは一流なんですから。もっとモモンさんのように自信を持っていいと思いますよ」
自らの力に絶対の自信を持つ漆黒の戦士モモン。
モモンの戦闘力を目の当たりすると、確かにミュールが謙遜するのもわからないわけではない。
しかしそれは比較対象が凄まじすぎるだけで、別系統の魔法を高い次元で使いこなすミュールの実力は誇ったとしても許されるものだ。
そう思ったから出てきた言葉に対し、ミュールは微かに苦笑するといつも通りの笑みを浮かべてニニャに近づいた。
「ねぇ、ニニャさん」
「は、はい!なんでしょうか?」
突然距離を詰めてきたミュールにニニャが慌てる。
背の低いニニャの耳元に囁くように身をかがめたミュールからは、ルクルットが絶賛したかぐわしい花の香りがした。
花の香りに混じったミュール自身の髪の香りが嗅覚を官能的に撫でさすり、ニニャは驚き以外の理由で心臓の鼓動を速めた。
「本当は何か別に言いたいことがあるんでしょう?」
「あっ……」
油に濡れたような艶やかに潤う唇が動き、ゾクゾクするような吐息が耳にかかってニニャは頬を赤く染めた。
官能を感じたから、だけではない。
ミュールに自分の心を見透かされていた事に気づいてニニャは羞恥を感じていた。
「な、なんで?いつわかったんです?」
「結構最初の頃に。二人きりになってから何度かニニャさんの視線を感じたものですから。言いたい事があるのかなと思えば何も言わず……何か言いにくい事があるんだなと思ったんです」
意外とわかりやすいですよね、と笑うミュールをニニャは頬を染めながら恨めしげに睨んだ。
実のところニニャはミュールに本題を伝えるために色々と苦悩していた。
ミュールに魔法の事を尋ねたのも話し出す切っ掛けを得るための策だったのだ。
それなのにミュールは早々にニニャの葛藤に気づいていたという。
もっと早くに言いだしてくれればよかったのに、という言葉を飲み込んでニニャは観念したように肩の力を抜いた。
「漆黒の剣の皆さんには隠しておきたいことなんですよね?」
「……はい」
優れた聴力の持ち主であるルクルットを警戒してニニャは慎重に言葉を選ぶ。
そして俯きながら、そよ風でかき消されてしまいそうな小声で話し始めた。
「森の賢王と戦った時、ミュールさんに抱き起こして貰いましたよね。だからお気づきだと思うんですが」
精神を攪乱された森の賢王の致命の一撃を受けそうになって倒れたニニャはミュールによって抱き起され戦闘に復帰した。
その時、ニニャはミュールの両手が自分の脇を通して前へと回され胸部を掴んだ事をあの急場での出来事であるにも拘らず覚えていた。
そしてその時の事はミュールもしっかりと覚えていた。
両手に残る確かな膨らみの柔らかさと共に。
「わたしの体の事は内緒にしていて欲しいんです。冒険者として、漆黒の剣の一員として姉さんを探すために、どうかお願いします」
ミュールから距離をとり頭を下げるニニャからは必死さと真摯さがあふれ出ていた。
その姿をみるだけで、どれほど女である事を知られたくないかが窺い知れる。
男だらけのチームの中に一人だけ女がいると揉め事に発展しやすいというのは冒険者の間では有名な話だが、考えてみれば誰にだってわかる事でもある。
ミュールは冒険者達のジンクスに詳しくはないが、ニニャが性別を偽る理由についてはあたりがついていた。
だからふと疑問に思う事がミュールにはある。
「それは構いませんが……わざわざ隠す事もないのでは?」
「いえ、そうはいきません。ミュールさん達のチームは問題ないようですが、私達のチームは揉め事を恐れて女性は参加させないようにしているんです」
「あら、そうなんですか?」
意外そうなミュールの口調にニニャは考える。
日頃の会話の中で異性のチーム参加を快く思っていないような発言がちらほらと散見されるのは確かだ。
しかしチームの決まり事として女性の参加を拒むといったものは無いのも事実だった。
「でも漆黒の剣の皆さんなら、ニニャさんの事を知っても追い出したりはしないと思うのですが」
もしかしたらそうなのかもしれない、とニニャも思う。
冒険者として長い間チームを組み育んできた仲間との友情と信頼がそう思わせる。
だがそれでもニニャは自分が女だと明かすつもりはなかった。
この世界は女だからという理由だけで不幸になる機会が満ち溢れている。
自分の姉がそうであるし、その手の不幸の犠牲者は冒険者として活動する中で実際に目にしたり話に聞いたりしていた。
だからニニャはそういったものを嫌悪し、そして恐怖していた。
「そうだとしても、お願いします。どうかこの事は内密に」
「そうですか。わかりました。決してこの事は口外しません」
ミュールの返事にニニャは安堵のため息をついた。
森の賢王との戦闘からずっと気を揉んでいた案件が片付いたのだからそれも当然だろう。
「ありがとうございます。このお礼はいつか必ず」
「お礼だなんてそんな。気にしないでください」
「そう言わず。ミュールさんは命の恩人でもあるのでお礼はさせてください」
譲らないニニャにミュールは苦笑する。
ミュールはニニャの表情に頑固なものがあるのを確認すると、内心で舌なめずりしながら口を開いた。
「……でしたら、私とお友達になっていただけませんか?」
「え、友達、ですか?」
意外だったのだろう。
目をパチクリと瞬かせるニニャにミュールは説明する。
「もうお気づきかもしれませんが私たちはこの国の人間ではありません。そのうえ冒険者としてもまだ駆け出し。ですからこの国の冒険者であり銀のプレートを持つ漆黒の剣の皆さんとは仲良くしたいんです」
ニニャはミュールの言いたい事を理解した。
つまりミュールはニニャを漆黒の剣との繋ぎとしたいのだ。
そうして王国での活動をするに当たって必要な情報や協力を得ようしている。
向こうに実利がある以上お礼としては十分に成り立つだろう。
(それにこれはわたし達にとっても素晴らしい申し出だ)
ミュールの所属するチームは今は無名だが、間違いなくアダマンタイト級の実力を持っている。
そう遠くない内に胸の銅のプレートがアダマンタイトのプレートへと変ずるのは間違いない。
そして彼女らがアダマンタイト級冒険者となった時、その友人であるというのはとてつもないアドバンテージになる。
もしかすれば銀級冒険者にも拘らず友人関係によってアダマンタイト級冒険者の助力を得られる事もあるかもしれないのだ。
ミュールの提案はまさに両チームにとってwin-winであり承諾しない理由が無かった。
「願ってもない事です。わたし程度でいいのでしたら是非友達になってください」
ニニャがそう言えばミュールはフードを脱いで素顔を露わにした後に微笑んだ。
花がほころぶような笑顔にニニャもついつられて素の笑顔を見せる。
ニニャはミュールと友達になる事をチームや自分の利益だけに注目して承諾したわけではない。
ミュールと接しその人柄に触れ純粋に友達になりたいと思ったのだ。
姉によく似たミュールに面影を重ねていないとは言えないが、それでもニニャは純粋な気持ちで頷いたのである。
「よかった!断られたらどうしようかと……それじゃあニニャさん。改めて、これからもよろしくお願いしますね?」
「はい。よろしくお願いしますミュールさん」
互いに手を取って二人は笑いあう。
両者とも裏表のない素直な笑顔で。
(これでクーゲルシュライバー様に与えられた任務は大幅に前進した。あぁ、ご覧になっているのかしら?いまミュルアニスはあなた様のお役に立っています!)
素直に笑うミュールは心の中で主人に語り掛ける。
しかし彼女は知らない。
主人であるクーゲルシュライバーは今、ナザリック地下大墳墓第九階層のバーでデミウルゴスとコキュートスと一緒に酒を飲んでおり、忠実に仕事をこなすミュールをまったく見ていないという事を。
そんな事を知らないミュールはいつ主人からお褒めのテレパシーが飛んできても歓喜に取り乱さないよう気を張りながら、ニニャからモモンガの為になりそうな情報を雑談という体をとって取集しつつマーキーテントへと向かっていった。
「そんじゃ森の賢王に名前を付けるのはモモンの旦那の仕事って事で決まりとして、飯の準備が出来たから外の五人を呼んできてくれない?っと、三人になったな。お疲れミュールちゃん。ニニャもな」
「一体なんの話をしていたんです?」
マーキーテントに作られた竈で料理をしているルクルットにニニャが問いかける。
ルクルットの隣にいるモモンは腕を組みながら森の賢王を眺めなにやら難し気に唸り声を上げていた。
「いやさ、いつまでも森の賢王森の賢王って呼ぶのもなんだかなって話がでてさ。本人も改名に乗り気だったしここは一つ倒した張本人に名づけ親になってもらう事になったわけよ」
「出来る事なら遠慮したいのですが……」
心底嫌そうな声で喋るモモン。
そんなモモンに森の賢王が嘆願するような声を上げながら縋り付いた。
「そんなぁー。それがし、名づけられるのであれば絶対に殿がいいでござる!どうかそんなつれない事いわないで欲しいでござるよぉ」
「むぅ……」
縋り付く森の賢王を見て唸るモモン。
そんな様子を見るナーベの顔はなぜか誇らしげだ。
(必死に嘆願する姿を見て誇らしげにしてるんだろうけど、ここはモモンガ様を煩わせる獣を叱りつけるのがメイドとして正しいのではないかしら?)
ミュールはそう思うものの何かする事は無かった。
どちらもナザリックの存在にとっては正しい事のように思えたからだ。
どちらを選ぶかは個人によって違うだろうし、なによりこの場で突っつくべき事ではない。
「まぁ、考えておきましょう。しかしあまり期待しないでいただきたい。では、ンフィーレアさん達を呼んできます」
「私が参ります、モモンさん」
「うえー、ナーベちゃん行っちゃうの?ミュールちゃんと三人で愛の共同作業として料理しない?」
「死ね、
「そんなに呪われたいんですか?」
「よさないか二人とも。一緒に行くぞ」
本気の嫌悪を露わにするナーベと冗談めいて脅すミュールを引き連れてモモンはその場を離れる。
テントから少し離れた場所では、ダインとペテルが大地に座り込みながら装備の点検を行っている。
二人とも冒険者らしく自らの命を預ける装備品の整備点検に余念がない。
が、ダインはともかくペテルは手の施しようのない装備品を前に頭を抱えていた。
「剣はもうルクルットのを借りるしかないか。鎧も盾も簡易修理じゃどうにもならない……くそっ完全に赤字だ」
「そうは言っても森の賢王を相手に赤字で済んだのであるから儲けものである」
「わかってる。でも明日からの護衛は一体どうすればいいんだ?また襲撃があるかもしれないのに」
ペテルの前には完全に折れた剣と大きく拉げ内部の緩衝材がめくれ上がった盾が横たわっている。
着こんでいる鎧は簡易修理によりなんとか鎧としての形を保っているが、装甲となるべき革帯のほとんどが千切れ飛んでおりまともな防御力は望めそうになかった。
(ユグドラシルでも装備溶かされた人ってあんな雰囲気だったなぁ)
モモンは装備品を破壊された者を襲う悲しみは世界を超えて共通する事を知った。
その悲しみは強者でありより高級な装備を身にまとっている者ほど大きくなる。
そういった点ではペテルはまだかすり傷だと言えるだろう。
モモンの脳裏に神器級装備を無残にもロスしたプレイヤーが発する悲しみと怒りの絶叫が蘇る。
そして改めてかつての仲間ヘロヘロのえげつなさを思い知るのだった。
(カルネ村に騎士達の遺品が残ってないかな?いや、アルベドが全部回収したって報告出してたっけ。じゃあ仕方ないか)
赤字を嘆くペテルのためにと思いを巡らせたモモンだがすぐに無理だと思い当たり思考を打ち切った。
ペテルは哀れであるがモモンには自分が所有する装備を与えようという考えは一切ない。
だからもうモモンに出来ることはなかった。
モモンは二人に声をかけると食事の準備が出来たことを伝えた。
馬の世話をするンフィーレアにも同じ事を伝えるとマーキーテントへと戻っていった。
■■■
太陽が地平線に沈む夕暮れ時。
草原が燃えるような赤に染まる中、森の賢王を除くメンバーで食事が始まっていた。
森の賢王は頬袋に貯蔵した食べ物を食べながら周囲の警戒にあたっている。
これで食事中を襲撃される恐れは少なくなるだろう。
ルクルットが用意した夕餉は保存食が主体ではあるが、塩漬けの燻製肉を使ったシチューといったしっかりとした料理もあった。
質素な食事と言えば確かにそうなのだろうが、野外でこれだけの食事を作ったルクルットの手腕をモモンは評価していた。
(ナーベは不満そうだったがこのアウトドア感あふれる食事、かなりいいと思うんだけどな。……まぁそれはともかく)
この出された食事をどうするかとモモンは悩んだ。
なにせモモンの正体は骨だけのアンデッドであり、物を食べようとすればそのまま顎を突き抜け落下してしまう。
そうなれば幻影を纏っているとはいえ正体が露見するのは必至だ。
モモンは解決策を急いで考える必要があった。
ナーベとミュールはモモンより先に食事に手を付けるつもりがないらしく、食事が始まってから三人そろって手をつけないという異様な状態になっているのだ。
(とりあえず、俺に構わず食べるようメッセージで伝えようか?)
そう思った瞬間、恐れていた問いがルクルットから飛び出した。
「あー、なにか苦手なものでも入ってた?」
「いえ、そういうわけではなくてですね。すこし理由がありまして」
「そうなん?ならいいけどさ、無理に食べなくてもいいんだけど?つーか飯どきなんだしヘルムぐらいは外したらどうよ?」
「……宗教的な理由でしてね。命を奪った日の食事は四人以上で食べてはいけないというものがありまして」
宗教がらみの問題ならば深くは突っ込まれまいという打算の元、半ば出任せ気味にモモンから放たれた言葉に皆の不審げな視線が和らいだ。
どうにかなったか、とモモンはホッと息をつく。
「変わった教えを信じられているのだなモモン氏は。ミュール氏とナーベ氏も手を付けないという事は三人は同じ教えを信じておられるのかな?」
「皆さんのようにお強い方々が信仰する教えですか……差支えが無ければなんという神の教えか教えていただけませんか?」
(な、なにぃ!?)
ダインに続いて口を開けたニニャがミュールを見ながら放った言葉に、ピンチを乗り越えたと思っていたモモンは無言不動で狼狽えた。
まさか突っ込まれるとは思ってもみなかったのである。
そしてそれはニニャを除く漆黒の剣の面々も同じだった。
「おいおいニニャ、そういう事は聞くもんじゃないだろ?」
「そうだぞニニャ。一体どうしたって言うんだ」
「二人の言う通りである。ぶしつけに聞いて良いものではないのである」
次々に仲間たちに諫めらるニニャは身を縮めながらもミュールを見つめている。
モモンはミュールからニニャと友達になったという報告を密かに受けていた。
故に先ほどの発言が友人に対して僅かばかり遠慮がなくなったが為のものだったのだと思い当たった。
(だけど出任せの理由だから神の名前なんて言えないぞ。どうしたものか……ん?)
考えこむモモンの視界にこちらを見るミュールがうつる。
フードの落とす闇の向こうにある彼女の瞳が「私に任せてください」と言っているようで、モモンは藁にも縋る思いで頷いた。
「あー、皆さんそのぐらいで。……そしてニニャさんには申し訳ないんですけど、私達の神の名は濫りに唱えてはいけないのです」
モモンと同じように宗教上の問題を理由にしたミュールの言葉に、ニニャを窘めていた漆黒の剣達は目に見えた安堵していた。
そしてそれはモモンも同じだった。
漆黒の剣達の安堵は結局ミュール達の信仰する宗教がなんであるか知ることが出来なかったからから。
モモンの安堵は言わずもがなだ。
「名前を呼んではいけない神?珍しい教えなんですね」
「そうでしょうね。でも世界は広いのですから、そういう教えもあるという事です」
場の空気が緩んだことで素直な感想を言うンフィーレアにミュールは微笑みながら嘯いた。
これを好機と見たモモンは話題を変えるためにペテルに漆黒の剣というチーム名の由来について質問する。
そこからは食事中の和やかな会話の一時が流れた。
チーム名の由来から始まり、十三英雄とその中の一人が持っていたとされる四本の剣についての話。
そしてその内の一本を所有するという冒険者の話と続き、食事中らしい雑多な会話が乱れ咲く。
「それにしてもモモンさんの剣の素晴らしさといったら!私の剣を折った森の賢王の一撃を何度も受けて刃こぼれ一つないなんて!」
「確かにすっげぇよなその剣。どこぞの名工の作なんだろ?」
己の武器を称賛するペテルとルクルットにモモンの機嫌がよくなる。
なぜならモモンの持つ剣は友人達が作ったものだからだ。
友人の作品を褒められたモモンは自分でもちょろいなと思いながらも上機嫌で答える。
「ええ。友人達が力を合わせて作ってくれたものでしてね。中々の一品でしょう?」
「それはもう!いつかはそんな素晴らしい武器を手にしてみたいものです。……まぁ武器にふさわしい実力をつけるのが先ですけどね」
「はははは。ペテルさんならばすぐに扱えるようになりますよ」
モモンは装備に必要な筋力とそれを得られるレベルを思い浮かべながら当然のように言い放つ。
そんなモモンに対し、ペテルは力ない苦笑を浮かべるだけだった。
「ん?どうかしましたか?」
不思議そう首を傾げるモモン。
漆黒の剣達の間に微妙な空気が発生するが、それを振り払うようにルクルットが明るくモモンに問いかける。
「それよかモモンの旦那!その剣はなんて名前なんだ?それだけの一品なんだから銘ぐらいあるんだろ?」
「ンン゛ッ!」
モモンの喉から奇妙な声が発せられ、この場にいる全員が首を傾げてモモンに注目した。
意図せず注目を集めてしまったモモンは失われた肌から汗が噴き出すような感覚に襲わていた。
(ど、どうする?銘など無いと嘘をいうか?しかしそれではあの二人、いや三人が作ってくれた武器が無銘の凡武器と思われるのでは?それは作ってくれた人達に対する失礼にあたるんじゃないか?)
モモンの脳内で激しいせめぎ合いが発生する。
数秒に満たない時間で多くを考えたモモンは震えそうになる声を腹に力を入れることで堪え、ボソリとつぶやいた。
「………リッター」
「え?なんですって?」
うまく聞き取れなかったペテルが聞き返すと、モモンはもはや自棄になったような大声で愛剣の銘を叫んだ。
「斬影剣ゲシュペンストシュバルツリッターですぅっ!」
血を吐くような絶叫の後、モモンは地獄のような沈黙に包まれた。
いたたまれなくなって地面を見つめるモモンは沈静化しては吹き上がる羞恥に身を焦がしていた。
斬影剣ゲシュペンストシュバルツリッター。
それはクーゲルシュライバーが産出した『アトラク=ナクアの抜け殻』を素材にウルベルト・アレイン・オードルが協力し鍛冶師であるあまのまひとつが作り上げた香しい名前を持つ武器である。
外装と名前はクーゲルシュライバーとウルベルトが凝りに凝って作ったものの、武器としての性能が今一だったため共同制作作品として宝物殿の武器庫に仕舞われていたのだが、モモンガの外出に当たりクーゲルシュライバーが探して持ち出してきたのだ。
仲間達の思い出が詰まった武器にケチなどつけられないが、ドイツ語の響きの良い単語をとりあえず繋げてみたような名前は思春期特有の病を克服したと自負するモモンガの心を容赦なくえぐっていた。
そういった意味では凄まじいまでの切れ味を誇る一品だった。
(やめてくれ……誰かなにかしゃべってくれ。無言が一番つらいんだよぉ)
モモンは地面を見つめながら肩を震わせた。
沈黙がたっぷり十秒以上続き、モモンがあまりの苦痛から自ら喋りだそうとした時、ペテルが声を上げた。
「す、すごい。なんて神秘的で強そうな名前なんだ!」
「剣のくせに王族みたいな長さの名前だな。剣の中の王とかそんな感じ?」
「斬影剣という事は影すら斬れるってことなんでしょうか?なにか秘められた力があったり?」
「ううむ。剣の持つ格に相応しい銘であるな!」
「ふわぁ……まるで伝説の武器みたいな素敵な名前ですね!」
「は?……はぁ!?」
予想外の好感触にモモンは安堵するどころか狼狽える。
モモンはもう一度剣の名前を心で唱える。
斬影剣ゲシュペンストシュバルツリッター。
(……だめだ!どう考えてもダサいわこれ!なのになんでこいつらこんな褒めちぎってるの?森の賢王といい、こいつらおかしいんじゃないか?)
漆黒の剣とンフィーレアに珍獣に向けるような視線を送るモモン。
異世界人のセンスに理解しがたいものを感じて衝撃に身を震わせるモモンに隣から声がかかる。
ナーベとミュールだ。
「まさにモモンさーーんが持つ剣に相応しい名前だと思います。カッコイイです」
「ナーベさんの言う通り!とてもとてもかっこいいです!提案なんですが、これからは斬影剣のモモンと名乗ってみてはいかがでしょうか?」
(ナーベはともかくミュール!お前もかっ!!)
美しい瞳をキラキラと輝かせる二人の美女に渾身のチョップを打ち込みたい衝動に駆られるもモモンはそれを押しとどめた。
今のモモンのステータスはレベル100の戦士職相当になっているのだから、渾身のチョップなど打ち込もうものならば二人の美しい頭部が爆発四散し団欒の一時は一瞬で惨劇の舞台と化すだろう。
そんな事はあらゆる理由から許容できない。
「そ、そうでしょうか?いや、そうでしょうね。しかしミュール、その呼び方はどうも頂けないな。却下する」
「そうですか……かっこいいのに」
モモンに断られたミュールは心底残念そうに肩を落とすが、どうやら納得してくれたようだ。
たった数分のやり取りだというのに徹夜明けのような疲労感がモモンを襲う。
早急に何か別の話題に移らねば。
そんなモモンの願いが叶ったのか、ンフィーレアが話題を変える。
「それにしてもモモンさんのご友人はすごいですね。こんな素晴らしい武器をくれるだなんて」
仲間を直接褒められたモモンは鼻が高かった。
先ほどまで感じていた疲労が嘘のように吹き飛ぶ。
「ええ。最高の仲間達でしたよ」
モモンの脳裏に仲間達との思い出が駆け巡る。
そのどれもが人間鈴木悟の青春であり、輝かしいものだった。
仲間達への思いは実際には複雑なものもある。
しかし思い出を振り返るそのたびにモモンの空虚な胸は暖かさを感じるのだ。
そしてその暖かさがもう二度と帰ってこない過去にしかない事を思い出し現在とのギャップに凍えるのである。
「最高の……仲間達でした……」
もう一度つぶやいたモモンの言葉に、誰もが何かを察知し口を閉ざす。
世界にたった一人しかいないような静寂の中でモモンは語る。
己と仲間達との最初の出会い。
増えていく仲間達と共に世界を旅した喜び。
旅の中で育んだ友情と絆の深さ。
今も仲間と共にいて青春をひた走る漆黒の剣に負けない、いや、それ以上の輝きがかつて自分にもあったのだと。
言外にそう言いたいかのように、張り合うように、見せつけるように、モモンは今は無き過去を誇って語った。
「今でも彼らと過ごした日々は忘れられません」
そう締めくくる漆黒の鎧を纏う英雄には、昼間戦場で見せた覇気はなく、ただ老人のような寂寥があった。
「いつの日か、またその方がたに匹敵する仲間ができますよ」
「そんな日は来ませんよ」
慰めようとしたニニャの言葉に対し、モモンは驚くほど敵意に満ちた声を上げた。
そして一瞬後我に返り、ショックを受け硬直したニニャの顔を見て己の行いを恥じた。
ニニャの顔が、クーゲルシュライバーに怒りを向けられたアルベドと同じ表情を浮かべていたのだ。
(ニニャは何だ?クーゲルシュライバーさんが大切に思う人間だ。つまり俺にとってのアルベドと同じ。なのに俺はクーゲルシュライバーさんがアルベドにしたようにニニャを傷つけている)
かつて批難した行いを自分が再現している事に気づいてモモンは激しく後悔した。
早急に謝罪するべきだ。
そう思うものの、かつての仲間に対する膨大過ぎる思いが身動きの邪魔をする。
(あぁ、クーゲルシュライバーさんもこんな気持ちだったのかな)
そう思うモモンの目の前ではニニャが悲しそうな表情を浮かべて俯いていく。
モモンが鎧をガチャリと鳴らし立ち上がった。
「すみません。仲間達の事は本当に特別で、つい声が大きくなってしまって。どうか気にしないでください。私も気にしていませんから」
それだけ言うのでモモンは精一杯だった。
言葉では気にしていないとは言うものの、誰の目からも気にしているのは明確だ。
もっと上手くいう事は出来なかったのかと考えるモモン。
しかし、そんなモモンの言葉でも暗かったニニャの顔は生気を僅かばかりに取り戻していた。
「すみませんモモンさん。モモンさんのお話を聞いていたのにあまりにも軽はずみな言葉でした。どうか許してください」
「……許しますとも。ですからどうか気にしないでください」
怒ったモモンに対して怒らせたニニャが謝罪し、それをモモンが許すと言った以上この件はこれで終了だ。
硬直していた場の空気が軟化していく。
「では……。ナーベ、ミュール、私達は向こうで食べよう」
モモンの誘いに二人が立ち上がる。
モモンとナーベが料理を持って早々に立ち去る中、ミュールは一人遅れてニニャに近寄った。
「大丈夫。モモンさんが許すと言ったんですから、気にしないのが一番あの方のためになります」
だから元気を出してね、とニニャに耳打ちするとミュールもまたモモン達の向かった方へと去っていった。
■■■
元気を出せ、と言われてもそう簡単に出てくるわけがない。
ニニャは尊敬する戦士にとんでもない無礼を働いたことに打ちのめされていた。
そんな彼女をチームのメンバーがそれぞれ慰める。
仲間のフォローはお家芸の冒険者である。
ニニャ自身の心根の良さとモモン直々に許しの言葉をもらっている事、そしてモモンと長い付き合いのはずのミュールの励ましもあってか、気持ちを切り替えるのにそう時間はかからなかった。
そうして再び雑談が開始される。
ンフィーレアがモモンの強さについて問えば、待ってましたとばかりにペテルが話題に食いつき話に花が咲く。
最初は純粋にモモンの持つ強さについての評価がなされ、次にモモンの出自について話題は移っていく。
出自の話に最も食いついたのは漆黒の剣にとって意外な事にンフィーレアだった。
「それでモモンさん、どこの国の人とか言ってませんでしたか?」
「いえ、特には……でもミュールさんがこの国の人間ではないと言ってましたよ」
「なにっ!?そりゃ初耳だぞニニャ。いつの間にそんな事を聞いたんだ?」
「警戒用魔法をかける時にミュールさんと一緒になったので、そこで」
なんともない事のように答えるニニャにルクルットは頭を抱えて仰け反った。
「おいまじかよぉ!俺には教えてくれなかったのにぃ!」
「そりゃあ、まぁ」
「ルクルットとニニャの信頼の差であるな。一度己の行いを省みるべきである」
ダインの発言にルクルットがむくれ、それを見た全員が笑い声をあげる。
「あはははは。でもわたしが知っているのはそれぐらいです。多分三人とも南方の国の出身だとは思うんですけどね」
「そうですか……最悪、名前を言ってはいけない神を信仰する場所を調べればモモンさん達の国がわかるかな」
小声でつぶやくンフィーレアの発言に漆黒の剣達は顔を見合わせる。
正直なところ、ただの好奇心にしては行き過ぎている感があった。
「あ、いえ……遠くの国の方ならこの辺りで使われているポーションとは違う物を持っているかなと。薬師としては興味を惹かれる部分です」
訝し気に自分を見つめる漆黒の剣達に気づいたンフィーレアはやや早口で説明する。
その甲斐あって漆黒の剣達の疑いは晴れたようだった。
と、その時だった。
「ん?あれ?ミュールちゃん?」
急に振り向いたルクルットの発言に誰かが「えっ」と声を漏らした。
ルクルットの向いている方向を見れば、焚火の明かりが届かない闇の中から黒いローブを着たミュールが近づいてくるのが見えた。
「随分はやいじゃん。あ、もしかして俺に会いたくて……」
「そんなわけないだろこの馬鹿。どうしたんですかミュールさん。モモンさんやナーベさんは?」
お約束のごとくミュールにちょっかいを出そうとするルクルットの言葉を遮ってペテルが問う。
ミュールは焚火の光の範囲へと入ると当然のようにニニャの隣の大地に腰を下ろした。
「モモンさんやナーベさんはまだ食事中です。私は……ちょっとニニャさんにお話があって」
「わたしにですか?」
ミュールがニニャを指名するという事態に当事者以外の四人が目を丸くする。
「はい。新しいお友達のニニャさんにこれを差し上げます」
そういってミュールが渡したのは磨かれた銅製の円盤だった。
「これは?」
ニニャは手に持った円盤を焚火の光にかざす。
よく磨かれた平面にニニャの顔が写った。
裏返してみれば精密な文様が刻まれており中央部の半球状の箇所にはニニャが見たことのない未知の言語10文字が刻まれている。
「その銅鏡はある種の祭具で、まぁ私の宗教に伝わるお守りのようなものです。持ち主が絶体絶命の危機に瀕したとき、神の名を唱える事で救済が得られると言い伝えられています」
説明を聞いていたルクルットが胡散臭そうな表情を顔に浮かべた。
「……お守りつったってさぁ。俺らミュールちゃんの神様の名前しらないんだぜ?そんなの貰ったってどうやって使えばいいんだよ」
「神の名を教える事はできません。ですけど、もしも本当にこれの持ち主が加護を受けるに足る存在なら、自然と神は耳元にそのいと尊き御名を囁くことでしょう」
微笑みながら言うミュールに空気が凍り付いた。
自分のよく知る人物が突然聖書の引用を使って宗教の勧誘をしてきたような、そんなうすら寒さが漆黒の剣とンフィーレアを襲ったのだ。
「……というのが決まり文句なのですが、あまり気にしないでいいです。ただのお守りとして身に着けて貰えればいいなぁと、ただそれだけなので」
凍り付いた空気を溶かすように明るく振る舞うミュール。
その様子にどうやら狂信者ではないようだとペテル達は胸をなでおろした。
「そういう事でしたら、ありがたく受け取りますね。ありがとうございますミュールさん」
「こちらこそありがとうございます。受け取ってもらえなかったらどうしようかと」
手にした銅鏡をポーチへとしまい終えるのを最後まで見守ったミュールはニコニコと笑いながら立ち上がるとモモン達のいる方向へと踵を返した。
「それじゃあ私は食事に戻りますね」
「はい。どうぞごゆっくり」
去ろうとするミュールに代表としてペテルが答えると、ミュールは明かりもないのに全く危なげない足取りで闇の中へと溶けるように消えていった。
その姿が見えなくなり、ルクルットの聴覚でも足音が聞こえなくなるほどの時間が経った後。
ルクルットが普段見せないような神妙な顔でつぶやいた。
「ミュールちゃんってさ。可愛いけど時々ちょっと怖ぇよな」
そんな言葉に四人分の苦笑いが同意した。
第三話ぶりに名前の出たゲシュペンストシュバルツリッター。
あの一文はこの時のために!
……なんか無駄な所に伏線を用意しているのを見て去年のスライム狂いは何を考えていたのだろうと思う今日この頃です。
ボールペンを反面教師に徐々に変わっていくモモンガ様。
未だ後ろ向きの至高の二人と、未来に希望を託すミュルアニス。
そしてそんな三人ばかりに力を注いだ結果影が薄くなっているナーベラル。
す、すまぬ……すまぬぅ……。
ナーベラルファンの方、ごめんなさい。