モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。 作:rairaibou(風)
「こりゃあ、敵わん」
戦闘不能になったキノガッサをボールに戻しながら、カントー・ジョウトリーグAリーガー、オグラはそう呟いた。
観客たちの歓声が、五月蝿いくらい耳に届いていた。それの内何割かは負けた自分を案ずるものだと頭で理解してはいても、敗北という結果の前にしては、素直に受け取れない一面もある。
Aリーグ昇格一年目のオグラは、Bリーグを一期で駆け抜けた勢いそのままに、Aリーグでも好調を維持した、特にエースポケモンであるキノガッサとのコンビネーションは素晴らしく、Aリーガー達の力量を持ってしても、短期間での対応は難しかった。
彼は結局七勝二敗の好成績で今期Aリーグを終えた、Aリーグ一年目の若手であることを考えると、十分に驚異的な成績だった。展開によっては、そのままチャンピオン決定戦に駒を進めてもおかしくなかった。
だが、それに待ったをかけたのがオグラの対面にいるリーグトレーナー、カリンだった。あくタイプのエキスパートである彼女は今期新戦力としてドラゴンポケモンのサザンドラを投入、使用するポケモンのポテンシャルという壁を見事に乗り越え、七勝二敗でオグラと並んでいたのである。Aリーグでは、同率一位同士のトレーナーはプレーオフを行い、勝ったほうがチャンピオン決定戦に駒を進めるのである。
そして、その試合でカリンは見事にオグラを叩いてみせた。
審判員はカリンの勝利を宣言した。勝負を決めたポケモンであるサザンドラをボールに戻した彼女は、歓声に気を取られること無く、オグラに向かって微笑んだ。
綺麗な顔をした人だなあ、とオグラは思った。この場所で、こんなに綺麗な人に出会えるなんて、思っても居なかったのだ。
リーグトレーナーは、皆総じて素直だ。というのが、オグラの持論だった。ポーカーフェイスを気取って、ファンや記者には自らが望んでいるキャラクターを見せつけることが出来ても、一度試合の場に出てしまえば、とたんにその本性が現れ、涼しさを忘れた戦う人間の顔になる。オグラは、肯定的な意味で、リーグトレーナー達のそういう表情を見るのが好きだった。
優雅に水面を移動しているように見えるスワンナが、見えない部分で両足を必死にばたつかせているのを、水中に住むポケモン達が知っているようなものだ。美しく踊っているように見えるバレリーナも、瞬間瞬間を写真として切り取ってしまえば、歯を食いしばっている場面があるかもしれないし、ふくらはぎを膨らませてバランスをとるために必死に堪えている場面があるかもしれない。
僕が必死なように、皆も必死なんだ。オグラは同世代の出世株に比べて、ハングリー精神をむき出しにしているCリーガー達との対戦を数多く重ねていた。皆必死だった、それはCリーグという、リーグトレーナーとして人間にあらずのような扱いを受けることもある自分達の地位を、一つでも上げることが目的なのだと思っていた。
ところが、Bリーグ、Aリーグと、リーグの格を上げていくにつれ、その考えは間違いであることに気づいた。リーグトレーナーとして一応の地位がある彼らは、時にはCリーガー以上の必死さをその全身から醸し出していた。戦いに臨む覚悟が違う、それがプライドの重さなのだと知った。かつて自分が押しつぶされかけていたもの以上のものを彼らは背負っていた。
今期Bリーグで九勝二敗という好成績を残しながらも、電撃的に引退を表明したクロサワと言うトレーナーに世間がどれだけ驚嘆の声を上げても、オグラは特にそれを不思議とも勿体無いとも思わなかった。むしろ、あれだけのものを背負いながらよくあの年齢までリーグトレーナーを続けることが出来たものだと感動すらしていた。クロサワと同世代のイツキ、カリン、更にはワタルは、自分からしてみれば常軌を逸した精神力の持ち主だった。
だが、この試合、カリンは自分にそのような表情を一切見せてはくれなかった。人はそれをポーカフェイスだと簡単に表現するかもしれないが、それともまた違うだろうとオグラは思っていた。ポーカフェイスは得てして冷たいものである、言わば冷たいという表情を貼り付けることによって、表情を読めなくするのである。
カリンの表情は、決して冷たいものではない、温かく、生気に満ちている。そう、自然なのだ。チャンピオン挑戦者決定プレーオフと言うこの大舞台、言い換えれば究極的な非日常において、彼女は自然だった。
「凄い人だ」
どうせ歓声にかき消されるだろうと、オグラはそう呟いた。カリンのパーティはお世辞にも出来のいいものとは思えないし、サザンドラをぽいっと放り込んだところですぐに強力なパーティになるわけでもない。
自分なら、悪タイプの弱点である格闘タイプや虫タイプを牽制する意味で、ファイアローを投入するだろう。フェアリータイプへの牽制として、毒タイプか鋼タイプも欲しい所。メタグロスか、あるいは最近のはやりを考慮すればクレッフィもありえるかもしれない。
そこまで考えて、オグラは馬鹿らしくなって頭を振った。自分がこんなことを考えても無意味だ、その行き着く先は、サザンドラだけが面影としてぽつんと残るだけの、ザ、現環境と言ったパーティだろう。
考え方から何から、根本から自分とは違う。その違いが、今回はカリンの方に良いように振れたのだろう。
オグラは感動していた。カリンが素晴らしいトレーナーであることを、その肌で感じ取ることが出来たのだ。
並のトレーナーであれば、この試合で見せつけられた差によって、押しつぶされてしまうだろう。だが、オグラというトレーナーは、その差をとてもポジティブに受け取ることが出来るようになっていた。
「まあいいさ、生きてさえいればいつかきっと次がある。生きていることの、なんと素晴らしいことか」
次第にオグラに向けられ始めた、眩く光る敗者への声援を背に受けながら、彼はニッコリと笑ってそう言った。
☆
『皆様こんばんは、カントー・ジョウトリーグチャンピオン決定戦の模様をお伝えしてまいります』
その言葉と共に映しだされたのは、観客で満員になったセキエイ高原特別対戦場だった。まだ試合開始には随分と時間がある。
しかし、観客で一杯になっているのは観客席だけではなかった。セキエイ高原特別対戦場、関係者控室もまた。この一戦を楽しみにしていたリーグトレーナー達で一杯だったのだ。比較的若手のトレーナーから、すでにリーグトレーナーを引退しているベテランのトレーナーも居る。
「テレビの音量を上げたいんだけど、いいかな」
引退こそしてないものの、すでに大ベテランの領域に踏み込んでいるイツキが、一応周りのリーグトレーナー達に了解をとってからカチカチとテレビモニターの音量を上げた。最も、それを断れる人間は数少ないだろうが。
『本日は解説として、元リーグトレーナーのクロサワさんに来ていただきました。本日はよろしくお願いします』
モニターに映し出された二人に、控室のリーグトレーナー達は少し笑った。クロサワは流石に落ち着き払っていて、サングラス越しにカメラにガンを飛ばすほどの余裕があった。
『俺はもうポケモンリーグを引退して素人みたいなもんだが、去年ここに座っていた奴に比べればはるかに良い解説をする自信があるので、まあよろしく』
クロサワは相変わらずむちゃくちゃな挨拶をしたが、アナウンサーも流石に慣れと覚悟があったようで『よろしくお願いします』と軽く流した。
「最近、クロサワさんのあの感じ結構人気らしいですよ」
席に戻ったイツキの隣に座っていたジョウトの若手Aリーガー、ニシキノが、ひらひらとモニターを指差しながら笑ってそう言った。
「ああ見えて頭が良くて茶目っ気のある男なんだよ」
イツキもニヤニヤ笑ってそう返した。
『それでは、本日の両対戦者の仕上がりについて、クロサワさんはどのような見解でしょうか』
『その前に、まずは今日のチャンピオン決定戦の妙を説明する必要があるな』
『妙、と申しますと』
『いいか、二年前にキシがチャンピオンになって以来、カントー・ジョウトリーグは遂に若手が世代の主導権を握り、チャンピオンロード世代含む旧世代を完全に追いやろうとしていた。Aリーグではニシキノ、オグラ、シバタらキシと同世代のトレーナー達が上位を占め、今期のシルフトーナメントに限っては更にその下の世代であるクロセが、準決勝で疲弊していたとはいえチャンピオンを倒して優勝している』
『クロセ選手は今期Bリーグにおいて十勝一敗の成績で昇格も決めていますね』とアナウンサーが合いの手を入れた。
『その通り、最初は戦いのたの字も知らない馬鹿共に無茶苦茶言われていたキシも、チャンピオンになってからパーティをある程度固定化させ、十数年ぶりの挑戦者ワタルを見事に倒している』
これは余談だがね、とクロサワが続ける。
『俺もポケモンリーグを引退し、まだまだヒヨッコではあるが所謂コメンテーターと言う存在になった。この仕事は難しい、今みたいに蓋を開けてみなければわからないことをどうなんだと聞かれれば、一先ず何かを答えなくてはならん、そしてそれが外れてしまえば、分かっていない奴だと批判されるのだろう。食っていくためとは言え、非常にリスクの大きな仕事だ。だが、だからといって新たなチャンピオンに対して、やれ強くないだの、あんな事をすれば誰でも勝てるだのとしたり顔で上から攻撃するのは好かん』
クロサワはそこで一息置いて、胸ポケットから小さなメモ帳を取り出し、それで膝をポンポンと叩いた。
『俺はメモなんてまどろっこしいことは大嫌いなんだが、キシのチャンピオン就任についてどうのこうの言っていた連中の名前はここにメモしてある。コメンテーターとは言え、この世界に絡んでいる以上、彼らもトレーナーとしての一面はあるだろう。まあ俺に勝つのは無理だとしても、彼らがどれだけ高貴で崇高な戦いを見せてくれるのか、今から楽しみでしかたがないよ』
さて、閑話休題だ。とクロサワはそのメモを再び胸ポケットにしまった。
『今期のAリーグにおいても、若手のオグラが開幕から勝ち続けていた。もちろんその後ろを三度目の挑戦を狙うワタルが追いかけてはいたが、直接対決でオグラはワタルに勝利し、そのまま突き進むかと思われた。だが、それに待ったをかけたのがカリンだった。彼女はオグラに土をつけ、自身も好調を維持したままプレーオフにまで勝負を持ち込んだ。そして奴はオグラに勝利して、今日、ここセキエイに居る』
『ジョウトの大御所のAリーグ優勝に、世間も大きく湧きましたね』
『そして、それこそが妙なんだ』
「随分と、踏み込むね」とイツキが呟いた。
『考えてもみろ、もしここでカリンがキシに勝つなんてことが起こったら、そりゃとんでもないことだ。一度完全に入れ替わったはずの世代の波が、また大きくうねることになる』
『しかし、カリン選手はAリーグを優勝した実力者なわけですから』
アナウンサーは、そうカリンを擁護した。彼は、クロサワがカリンとキシのこの試合を、殆どキシ側が勝つと予想していると思ったのだ、そして、何の気なしにチャンネルをザッピングしてこの放送にたどり着いた画面の向こうのライトな視聴者が、その予想で他のチャンネルに切り替えるのを避けようとした、比較的形勢が互角であると、なんとか取り繕うとした。
しかし、アナウンサー自身はキシの勝利を殆ど確信していた。新規精鋭のチャンピオンであるキシと、長年Aリーグに居ながらもAリーグ優勝の経験が一度しか無く、パーティにも偏りのあるベテランとの力関係はハッキリしているように思えた。それはアナウンサーだけでなく、世間の総意だった。
だが、クロサワはアナウンサーのその発言に機嫌悪くため息混じりに鼻を鳴らすと『馬鹿か、そんな事はよくわかっている』と声を上げた。
『カリンが実力者であることを疑っているリーグトレーナーなんて一人も居ないと断言できる。そんな能無しはバッジを半分も取ることが出来ない』
『しかし、あなたはこの状況を妙だと』
『俺が妙だと言いたいのは、カリンが若手包囲網を完全に攻略してこの場にいるということだ。いいか、俺の見る限り若手は誰も怠けちゃいない、むしろ年々と力をつけている』
「嬉しいことを言ってくれるね」
イツキが笑って隣のニシキノを小突いた。ニシキノも満更でもないといった風に頬を緩める。
『それなのになぜ、カリンがAリーグを優勝することが出来たのか、若手含む新世代はその情報戦略と孵化育成の分業制で、完全に旧世代を喰っているのにもかかわらずだ』
『要因の一つとして、カリン選手が新たに投入したサザンドラが上げられると思いますが』
『それも含め、大きな要因はカリン側が一歩踏み込んだからだと思っている』
『踏み込んだ、と言いますと』
『勝負に対する姿勢が変わったのさ、俺の知る限りカリンは勝負を楽しむタイプのトレーナーだ、勝ち負けに大きなこだわりは無く、自らの力を客観的に評価することが出来る精神的な強さがある。負けても大崩れせず、勝っても自身の課題を見直せるその強さが、カリンをAリーグの女帝にしているんだ。そのカリンが、この一年はサザンドラをパーティに投入し、勝利を意識した立ち回りを見せている。その変化こそが、このチャンピオン決定戦に繋がっているんだ』
なるほど、と分かったような分かってないようなつぶやきをしたアナウンサーを半ば無視して、クロサワはさらに続ける。
『この試合は、とんでもない試合になるかもしれない。そして、その結果によっては、これまで俺達が積み重ねてきた歴史そのものが、根本から崩れることになるだろう』
☆
控室の扉が開いた。現れたトレーナーに、控室は少し緊張を帯びた反応を見せる。下部リーグをそれぞれ一期で抜けてみせた天才、クロセは、現役リーグトレーナーの何割かからは、未だに警戒の目で見られていた。
「おお、クロセくん。さ、さ、ここが開いてるよ」
開口一番に彼に好意的に語りかけたのは、モモナリだった。一枚ガラスのど真ん中付近、イツキとニシキノの隣に陣取っていた彼は、一つ席をずらして、クロセのためのスペースを作った。
ありがとうございます。とクロセは安心したような表情を見せて、その席に腰を掛けた。
こういう時、モモナリの無神経さは貴重だな、とイツキは彼を評価していた。ある意味では、クロセの出現によって最も割りを食ったトレーナーであるにも関わらず、自らよりも随分と若いと言う一点しか見えていない。最も、クロセがいつかのクロサワのように一匹狼で生きることを選んでいる風ではない以上、それはクロセにとってもありがたいことなのだろう。戦うことを日常と捕らえておきながら、それを社会性にまで持ち込むことはない、無神経、ノーてんきではあるが、よく言えば豪胆で器が大きいといえるのではないだろうか。
「エキシビション以来だね」
イツキはそうクロセに声をかけ、会話のきっかけを作る。
「はい、そうっスね」と彼は答えたが、その返答は硬かった。
クロセという少年は、その類まれなる強さが、普段の言動には余り現れないタイプのトレーナーだった。驕るでもなく、誇るでもなく、ただただ等身大の少年像を彼は常に表現していた。
彼にとって、イツキやニシキノは雲の上の存在だった。勿論、その強さに対してはクロセも無条件に格下であることを認めるわけではない、だが、彼らの成し得てきたことや、Aリーガーと言う地位に対しての尊敬心は、例えばそこら辺にいるバトルに憧れる少年と同じくらいにはあった。
つまり彼は、Aリーガー二人に囲まれているこの状況に、少し緊張していたのである。
「昇格おめっとさん、モモナリさん共々、来年は容赦しねえぞお」
イツキの奥から、ニシキノがおどけて声を上げた。Aリーガーであるニシキノの立場からすれば、モモナリやクロセは厄介な侵略者であるのだが、彼はライバルであるキシ以外のトレーナーには、細かいところを気にせず割とフランクに接するところがあった。
「ちょっと、ほどほどにしてくださいよ」
クロセはニシキノとは初対面だったが、笑いを交えながらそう答えた。ニシキノの言葉によってだいぶ気持ちを落ち着かせることが出来たようだった。
「それじゃ、三人はこの試合どうなると思う」
小さなメモ帳とペンを手に取り、モモナリがその三人に質問をした。「まだ今週のネタ無いんですか」とニシキノが野次りながらも「俺は最後で」と腕を組んだ。クロセは不安げにイツキと目を合わせ、イツキは彼の気遣いを察して「それじゃ、僕から」と口火を切る。
「やっぱり気持ちとしてはカリンに頑張って欲しい、カントーリーグにジョウトリーグが併合された年以来の挑戦だからね」
うんうん、とモモナリとニシキノは頷いたが、クロセの反応はイマイチだった。カントーリーグとジョウトリーグの併合など、クロセから見ればもはや歴史の一部だった。
それを察して、イツキはクロセに説明するように続ける。
「かつてジョウトリーグは非公式だけど独立した地域リーグだったんだ。今で言うホウエンリーグやシンオウリーグに近い。カントーリーグと併合して公式リーグになった時、ジョウトリーグチャンピオンだったのはカリンだったが、彼女は特にその地位を考慮されること無く、一般のAリーガーとしてカントー・ジョウトリーグに組み込まれたんだ」
その年代の詳しい話は、モモナリですら知るところではない。大ベテランのイツキだからこそ踏み込める領域だった。
「公式と非公式の差があったとはいえ、ジョウトのトレーナーやファンから見れば決して面白い話じゃない。だがカリンがAリーグを一位で勝ち抜けると、その不満は期待として爆発することになったんだ。あの年のチャンピオン決定戦は、形式上の構図はチャンピオンと挑戦者だったが、実際の構図はカントーのチャンピオンであるワタルと、ジョウトのチャンピオンであるカリンとの格を決定する戦いだった。まだワタルがレッドに敗北してから日が浅かったから、世間も両者の格は互角かややカリンの方が上だと認識していたんだ」
不意に飛び出した伝説のトレーナーの名前に、モモナリは少し顔を上げて反応した。
「あの年のセキエイの雰囲気は異様だった。カントー、ジョウトどちらのファンも押しかけていた。試合も一進一退の攻防だった、ワタルはドラゴンのポテンシャルを十分に発揮させたし、カリンは単純な手持ちのポテンシャルではワタルに大きく劣っていたが、その読みの深さと精神力で試合をコントロールした。本当に僅かな差だった、運が絡んだと行っても良いかもしれない、本当に僅かな差で、ワタルが勝利したんだ。彼女のチャンピオン挑戦は、それ以来になる」
「その間、ずっとAリーグだったんですよね」とクロセが真面目な顔で聞いた。
「そう、カリンにはそれが出来るだけの実力と才能がある。ただチャンピオン含めAリーガー達のレベルが上がって、Aリーグ一位の座からは遠のいているけどね、しかしサザンドラを投入して直ぐに結果を出すあたりは流石としか言いようが無い」
だが、とイツキが神妙な面持ちになる。
「どちらが有利かと言われれば、チャンピオンのキシに分があるだろうね。パーティをある程度固定化しているとはいえ、やはり理論値で固められたパーティは強力だし、あのカイリューを止めることが出来る選択肢がカリンには少ない。クロセ君はどう思う」
そう手渡され、クロセはうーんと唸って頭を掻いた。
「俺はカリンさんと手を合わせたことがないのでわからないッス。でも試合を見る限りではカリンさんもキシさんも相当に強いトレーナーだと思います。だけど、合理的というか、勝つための戦略が細かいところまで配慮されているのはキシさんの方だと思いますね」
続いてニシキノが矢継ぎ早に重ねる。
「キシが勝つと思うね、あいつはそういう奴だ。いつもいつも俺の予想というか、願望みたいなものを尽く打ち砕きやがる。俺はカリンさんが好きだし、勿論勝って欲しいけど、ジョウトの希望は、奴には格好の餌だ」
なるほど、なるほど、と、モモナリはせせこましくペンを走らせた。ニシキノのキシに対する人物評はとても興味深いものではあったが、恐らく書くことは出来ないだろう。
「君は、どう思うんだい」
モモナリのペンが止まるのを見計らって、イツキがそう切り出した。その言葉に、クロセも、ニシキノも身を乗り出す。その三人と同じように、モモナリも来期からはAリーグの一員、その試合予想は、とても興味深いものだった。
モモナリは、気恥ずかしそうに笑いながらペンの先で額を掻いた。その質問を全く想定していないようだった。誤魔化せるものならば誤魔化してしまいたかったが、聞いてしまった手前、そうしてしまうのはあまりにも不義理がすぎるだろう。「僕は」と一つ呟いた後に、しばらく言葉を選ぶために考えこんだ。
「僕は、カリンさんが勝つと思っています」
それは、三人の意見と真向から対立するものだった。
「それは、なぜ」
「僕は、カリンさんこそがカントー・ジョウトリーグ史上、最も才能のあるトレーナーだと思っています。初めてカリンさんの試合を見た時、僕は興奮でその夜寝ることが出来ませんでした」
「そんなに、凄かったんスか」
クロセが食い気味に身を乗り出した。
「凄かったね、とんでもない技術を持った人だった。ポケモンとのコンビーネーションを深めるために、妥協をしない人だった。トレーナーという概念に終着点があるのだとすれば、彼女はそのうちの一つの領域に、すでに達しているのではないかと思った位だよ」
目を細めるモモナリに、クロセはへえ、と感嘆混じりのため息を吐いて、再び椅子に深く腰掛けた。
「始まるね」とイツキが言った。
三人が一枚ガラスの向こう側に目を凝らすと、チャンピオンと挑戦者がそれぞれ入場を始めるところだった。
☆
キシとカリンのチャンピオン決定戦は、カリン側が試合の主導権を握る展開からスタートした。
一旦戦況が落ち着いたところで、『クロサワさん、ここまでの動きは』とアナウンサーが解説を求めた。
クロサワは一つ咳払いをして、うんうんと自分の頭の中を整理するように唸った。試合外の時の態度は横柄でアナウンサーを小馬鹿にすることも多いが、いざ試合となって解説を求められれば、チャンピオン決定戦経験者らしい豊富な知識や経験談からなる解説を、バトルというものを初めて見る視聴者にもわかりやすく伝えるように努める、クロサワが解説として求められる理由の一つだった。
『まずお互いの開幕だが、これはカリンの方に大きな分があった』
『キシ選手の一番手はマリルリで、カリン選手はラフレシアでしたね』
『そうだな、キシの考え方としては、カリンのサザンドラを意識した一番手だ。序盤からサザンドラで戦況を荒らされるのを警戒したわけだが、カリンが一枚上手だったな。キシの選出はちょっと安易だったのかもしれないが、ここにも理由がある。それは後に説明することになるだろう』
『その後の展開はいかがでしょう』
『カリンが上手くやっているという印象だな。まずマリルリの交代を読んで『にほんばれ』の状況を作ったのが大きい、ラフレシアの特性『ようりょくそ』は『にほんばれ』の状況下なら行動が倍程度にスピードアップするというものだ、日差しが強いから栄養がよく回るんだろう。ラフレシア自体は決して素早さに主張のあるポケモンではないが、さすがに倍になれば敵うポケモンは限られてくる、一昔前に流行った『天気変更戦術』で勃興した特性だな。素早さをカバーすることが出来れば、ラフレシアは現環境でも十分に通用するフェアリーキラーになりうる』
『キシ選手が交代先として選択したのはメタグロスでしたね』
『ラフレシアの主な攻撃手段である草タイプと毒タイプの攻撃のどちらにも耐性がある上にエスパータイプの技で弱点をつけるからな、チャンピオンらしい安定した交換だとは思うが、同時にチャンピオンのこだわりも見える選出だ』
『と、申しますと』
『はっきりと言ってしまえば、カリンのパーティと対面するとき、メタグロスの選出自体がちょっと痛い。悪タイプのエキスパートであるカリンから見ればエスパータイプのメタグロスは格好の的だ。二、三年前までのキシならば確実にパーティから外していただろう。それでもこのポケモンにこだわったのは、チャンピオンとして、パーティの固定化を目指しているからだろう』
『チャンピオンとして、ですか』
『そうだ、考えても見ればワタルはドラゴン使いであることを世間にアピールしながらも、あれだけ長きにおいてチャンピオンの地位を防衛し続けていた。これはあくまで俺個人の予測にすぎないが、ワタルに対する尊敬心のようなものがあるのかもしれない。相手の力を十分に受けたうえで、勝利する』
なるほど、とアナウンサーが相槌を打ったが、果たしてどこまで深くこの話を理解しているのかはわからない。
『とにかくだ、メタグロスに対してカリンはラフレシアの温存を選択し、新たにヘルガーを戦況に送り出した。恐らくラフレシアの居座りと交代でのサザンドラを意識したであろう『れいとうパンチ』は食らってしまったが、『にほんばれ』の状況下でヘルガーを繰り出すことには成功したわけだ。そして、ヘルガーの『あくのはどう』や『イカサマ』のような攻撃を嫌ったキシの交代をカリンはきっちり読んで『わるだくみ』でヘルガーの火力を底上げしたわけだ』
その解説が示す通り、現在対戦場には電子レンジの機構を取り込み炎タイプを複合しているロトムとヘルガーが睨み合っていた。対戦場の上空にはラフレシアの特殊な花粉が固められたものが浮遊し、太陽の光を取り込んで『にほんばれ』と似たような状況を作り出している。
『この状況はカリンがある程度想定していたと考えたほうが良いな』
『何故でしょうか』
『キシ側のメンツに『にほんばれ』の状況下でのヘルガーを受けることが出来る選択肢が非常に限られているからだ。メタグロスの居座りは悪タイプの技が怖い、特殊技に大した抵抗のないローブシンは『にほんばれ』での『オーバーヒート』を通されて一撃もありうる。マリルリや、まだ確定ではないがマンムーなどのポケモンはヘルガーの裏芸である『ソーラービーム』が怖い。そうなると残りの選択肢はこの状況のようにロトムか、エースであるカイリューに限られる』
『なるほど、キシ選手が今回ロトムのパターンとしてヒートロトムを選択しているのはこの状況を予測していたと考えてよろしいのでしょうか』
『まあ、そういうことだろうな。キシは普段は水タイプのウォッシュロトムを使用しているが、やはり『ソーラービーム』がリスクとして存在する。ヒートロトムへのフォルムチェンジはマリルリの一番手選択が裏目に出てしまった場合の最後の保険といったところだろう』
クロサワはもうニ、三言葉を続けようとしたが、不意に『動く』と一つ呟いた。その言葉にアナウンサーが対戦場に目を凝らしたタイミングで、ヘルガーが雄叫びと共にその体から『あくのはどう』を放出した。
ヒートロトムは引かない、電撃を纏いながらそれに突っ込むと、ヘルガーに体当たりを決めて『ボルトチェンジ』でキシのもとに戻る。
『なるほど、『わるだくみ』で強化された攻撃はロトムの耐久性で受け、交代の選択肢を手にするわけか。ヘルガーは耐久に主張があるポケモンではないから『ボルトチェンジ』のダメージも馬鹿にならない』
『交代先のポケモンは何でしょう』
『見てりゃわかることだが、恐らくはローブシンだろうな、『マッハパンチ』がヘルガーに対して刺さっている』
キシが新たに繰り出したポケモンは、クロサワの予想通りローブシンだった。
『ここは戦況を大きく左右する場面だな』
『詳しい説明をよろしくお願いします』
『カリンが悪タイプのエキスパートであることを考えれば、『マッハパンチ』が最も安定した選択肢といえる。ラフレシアで受けることは可能だが、恐らくあのポケモンはマリルリのピンポイント対策に徹するだろう。だが厄介なのはミカルゲの存在だ。ミカルゲは素早さの低いポケモンだから、無償降臨を許してもダメージを入れることが出来る、しかしそれでは戦況を大きくキシ側に持っていけるわけではない。例えば『じしん』などの技を選択すればヘルガーを倒しつつ、ミカルゲに交代されたとしても悪くないダメージを与えることが出来るのだが』
その途中で、お、とクロサワが声を上げた。対戦場ではローブシンが動き始めたのを確認したカリンが、ヘルガーをボールに戻す。
『さあ技がどうなるか』
新たに繰り出されたポケモンに、ローブシンが『マッハパンチ』を打ち込む。しかし、その攻撃は確かに新たなポケモンに向かっていたのにもかかわらず、空を切ったように空振りした。カリンが選択したポケモン、ミカルゲは悪タイプでありながらゴーストタイプも複合し、格闘タイプに対して耐性があった。
『キシ選手は『マッハパンチ』を選択していたようですね』
『良く言えば安定、悪く言えば保留的と言ったところだな』
『戦況は未だにカリン選手側が有利でしょうか』
『この瞬間的にはカリン側が大きく有利だろう、ミカルゲは『サイコキネシス』の選択肢もあるし、耐久力もある。展開的には殆ど勝負は決まっていると言ってもいい、だがお互いのトレーナーの人間性やパーティのバランスを考えればこれでようやく五分といったところだろう。まあ、理由はすぐに分かる』
☆
カリンのミカルゲが、キシのマンムーを『シャドーボール』で沈めた。
『決まりました。これによりキシ選手の手持ちは残り二体。カリン選手大きなリードを維持したまま終盤戦に突入します』
アナウンサーは若干興奮気味にそう叫んだ。戦いに関しては情報を詰め込むことしかできない立場である彼にも、カリンの序盤作戦の成功から、中盤の立ち回りまでの素晴らしさは当然のように理解できた。
『いいや、まだ戦況は互角だ』
それに水を指すように、クロサワが落ち着き払って言った。
『しかし、五対ニですよ』
『あくまで数の上ではそうだろう。だが残っているポケモンの状況とポテンシャルを考えればまだまだキシにも主張がある』
ミカルゲに対し、キシは新たにマリルリを繰り出した。タイプの相性を考えれば、至極当然の選出といえる。
『結局カイリューを一度も出さずに温存か。相当な自信だな』
『詳しい説明を』
『詳しいも何もそのままさ。元々キシのパーティとカリンのパーティとではポテンシャルにおいて大きな差があった。序盤中盤はカリンが見事な立ち回りで押していたのは確かだが、あれほどの立ち回りを見せてようやくポテンシャルの差が埋まったと考えたほうがいい。チャンピオンであるキシのカイリューには、それだけのポテンシャルがある。キシがここまでカイリューを一度も対戦場に登場させなかったのは、つまらない妨害技でカイリューの動きにケチが出るのを防ぐためだ。逆に言えば、カイリューさえ無傷ならば、ある程度の物量の差はひっくり返せるという自信が見える。リスクのある読み合いをせず、安定安定を拾っていたのも、下手なことをするよりもそのほうが結果的には有効だからだろう』
なるほど、と相槌を打つアナウンサーに、クロサワは、『更に』と続ける。
『挑戦者であるカリンは、恐らくフェアリータイプや氷タイプのような露骨な対策を持ったポケモンを選択しない。奴は長らく馬の合う悪タイプのエキスパートとしてリーグを生き抜いてきた天才だ。今更目先の勝利のためにそのこだわりを捨てるような事はしないだろう。キシはある意味で挑戦者の天才性を信頼しているといえる』
カリンはミカルゲを手持ちに戻し、新たにラフレシアを繰り出した。だが、すでに日差しは弱くなっており、『ようりょくそ』による素早さの強化は見込めない。
ラフレシアはマリルリの『じゃれつく』攻撃を食らうが、防御力に強みのあるラフレシアにとって、その攻撃は大したダメージではない。
更にラフレシアは攻撃態勢を取ったが、キシはマリルリを手持ちに戻す素振りはない、逆にマリルリも戦闘態勢を取り『れいとうビーム』をラフレシアに向かって打ち込んだ。
氷タイプのその技は、草タイプであるラフレシアにとっては脅威であったが、特殊な攻撃である『れいとうビーム』はマリルリの得意なものではない。
なんとかそれをこらえたラフレシアが『ヘドロばくだん』を敢行する。
『ヘドロばくだん』はマリルリを確実にとらえた。フェアリータイプのマリルリにとって、その攻撃は効果が抜群だ。明らかに体から力が抜け、戦闘不能となる。
五対一となった戦況に会場は大きく盛り上がり、アナウンサーも同じように興奮しながら叫んだが、クロサワは至って冷静にコメントした。
『恐らく最後はカイリューとサザンドラの対面になる。大暴れするカイリューになんとか四体のポケモンで抵抗し、ラストのサザンドラに託すといった格好だ。しかし、麻痺状態にさせても『しんそく』があり、やけど状態にして物理攻撃を弱体化させても、カイリューは特殊技が豊富だ。カイリューの特性『マルチスケイル』を考えると、そう簡単に勝負は決まらないだろう。そもそも、妨害技を決めさせてくれるかどうかも微妙だ』
☆
控室は、妙な緊張感に支配されていた。いわゆるチャンピオンロード世代であるカリンが、数の上ではチャンピオンを押しているという事実が妙にむず痒く、出来過ぎていて不安といったところだった。
ここまでの流れは、カリンの上手さが際立っていると言ってよかった。だが、キシ側も安々とカリンの手のひらの上で踊っていたわけではない。
「キシは最後の最後までカイリューを温存したか、気持ちの強い良いトレーナーになったな」
対戦場に現れたカイリューを目やりながら、イツキが感心した風にそう呟いた。
それに合わせるように、モモナリも同じく感心して「カリンさんとしては不安が残りますね」と続ける。
「やっぱりカイリュー温存はキツイッスよね」
クロセが遠慮がちに言った。自身の感覚が周りとズレていないことに多少の嬉しさがあるようだった。
「カリンさんとしてはどうしてもカイリューを戦線に引きずり出して何らかのダメージを与えたかったんだろうけど。キシもそう簡単には乗らないわな、カリンさんも上手いことプレッシャーを掛けてはいたんだけど」
クロセの呟きに、ニシキノが答えた。同じジョウトのトレーナーとしてカリンの強さを讃えつつも、同時にライバルであるキシの手腕にも、対抗心まじりの敬意を抱いているようだった。
対戦場では、カイリューが『しんそく』の攻撃でラフレシアを安全かつ迅速にきっちりと戦闘不能に追いやった。カリンもラフレシアを温存することはせず、死に出しでタイムラグを無くす方針のようだ。
「次のポケモンは」と、イツキが考えを巡らせるために呟いた。それに反応して、クロセ、モモナリ、ニシキノの三人が「ミカルゲ」とほぼ同時に発言した。
「ブラッキーはほとんど戦闘不能みたいなもんだし、ドンカラスは無傷だからまだとっておきたい」
ニシキノの分析通り、カリンのブラッキーはチャンピオンのポケモンの攻撃を受け続け、もはや虫の息であった。
「ミカルゲなら『ふいうち』も出来ますし、『かげうち』も選択肢にあります。『マルチスケイル』の構想を破壊するにはピッタリのポケモンッスね」
カイリューの特性である『マルチスケイル』は体力に十分な余裕があるときに効果を発揮するもので、受けるダメージを半減してしまうという強力なものだ。カイリューのタフネスさを象徴する武器の一つだった。その特性のおかげで、キシのカイリューは氷タイプやフェアリータイプ、更には同族であるドラゴンポケモンとの対面においても、体力に余裕がある限り強さを発揮することが出来る。
ミカルゲ自体は要石を引きずる緩慢な動きをするポケモンではあるが、『ふいうち』や『かげうち』は相手の行動を先制することのできる技なので、カイリューの『マルチスケイル』を引き剥がすにはもってこいのポケモンだった。
モモナリも負けじとそれに続く。
「『しんそく』を無効化出来るのも大きいしね」
カイリューが時折見せる技の一つである『しんそく』は『ふいうち』や『かげうち』と同じく相手の行動を先制することの出来る技の一つだが、『しんそく』の速さは『ふいうち』や『かげうち』を遥かに超える。たとえば『こおりのつぶて』などの先制技を敢行されても、『しんそく』ならばその攻撃が自らに届く前に相手に攻撃することが出来る。
しかし、単純な物理攻撃である『しんそく』はミカルゲのようなゴーストタイプのポケモンには効果が全く無い。ミカルゲはカイリューの有効な攻撃手段を一つ潰し、先手を取る選択位を一方的に持っていることになる。
少しばかりの考慮時間ののち、カリンが対戦場に繰り出したポケモンは、三人の予想通りミカルゲだった。タフネスなポケモンではあるが、戦いのダメージが色濃く残っているように見える。
「ダメージ狙いなら『ふいうち』、確実性を求めるなら『かげうち』だけど」
ニシキノが予想を固める前に、カリンが動いた。
ミカルゲは自身の影をカイリューの真下にまで伸ばし、そこから伸び出る何かでカイリューを攻撃した、先制技の『かげうち』だった。勿論カイリューにとっては大した攻撃ではない、しかし『マルチスケイル』を引き剥がすには十分だった。
控室は、カイリューが何らかの攻撃をミカルゲにぶつけるのは殆ど確実だろうと思っていた。ドンカラスにしろブラッキーにしろ、カイリューと対面して倒しきることが出来るとは思えない。このまま力で押し切ってサザンドラとの最終決戦に全てをかけるだろうと思っていたのである。
しかし、カイリューの動きは控室の殆どのトレーナーの予想を裏切った。カイリューはツノと触覚から冷気を放出すると、自らに似せた氷の立像を、前面に創りだしたのである。
ああ、とモモナリが大きく声を上げた。
「『みがわり』だ」
その言葉を引き金に、控室はざわめきを強めた。チャンピオンであるキシの手腕に、恐れを表現する言葉すら飛び交っていた。
「ここで抜くことが出来るか」
イツキがため息混じりに言った。ラストの一匹で、相手が手負いの厄介なポケモンであることを考えると、ここは絶対に倒しきる攻撃をしたくなる場面である。
しかし、対戦場のキシはその感情を押し込めて、『みがわり』を選択した。相手を倒す手段でなければ、『マルチスケイル』の強みをも消してしまう選択であったが。控室という無責任な空間で考えを巡らせれば、それは十分理にかなっている選択だった。
「なるほど、『はねやすめ』ッスね」
その気付きについて、最も早く声を上げたのはクロセだった。
『みがわり』は体力を消耗する技だが、『はねやすめ』で体力を回復することが出来ればそれをチャラにすることが出来るだけでなく、再び『マルチスケイル』の状況を作ることが出来る。
ニシキノも唸る。
「ミカルゲの行動を縛ったな。『かげうち』では身代わりを壊せるかどうか不安だし、『はねやすめ』を考えると『ふいうち』も怖い。妨害技もそもそも通ら無い上に、並の攻撃だとまず間違いなく先手を取れない」
対戦場のミカルゲは、氷の立像に『かげうち』で攻撃を加える。相手より先に行動する事が目的だった。
しかし、その攻撃では立像は砕け切らない。キシのカイリューが身代わりを盾に『はねやすめ』をしていることが確認されると、控室からは大きな溜息が聞こえた。
「見事な立ち回りだ」
イツキは感嘆しきりだった。
「恐らくキシはカイリューを無傷のまま次に回せる」
彼の言葉通り、体力を回復したカイリューは、『ドラゴンダイブ』でミカルゲを地面に叩きつけ戦闘不能に追い込んだ。ミカルゲも『かげうち』の先制攻撃で食らいついてはいたが、その攻撃はカイリューの身代わりを砕くだけで精一杯だった。
控室が次のポケモンを予測するより先に、カリンは次のポケモンを繰り出した。現れたポケモンに、控室はどよめいた。三つ首をもたげた漆黒のドラゴン、サザンドラだった。
「ここでか」
首を傾げながらモモナリが呟いた。その選出はあまりにも急ぎ過ぎのように見えた。
「考えられないことじゃない」とイツキがモモナリのつぶやきに応える。
「ドンカラスを保険に回したのだろう、サザンドラの強力な特殊攻撃力でカイリューを沈めるか、最悪でも体力を半減以下にするのが目的」
しかし、と悔しげに続ける。
「あまり楽観的な手ではない、カイリューのあの立ち回りで、カリンは賭けに出なければならなくなった」
「ある程度のダメージを与えれば『りゅうせいぐん』がある」
ニシキノが叫ぶ、彼はこの勝負の結末をある程度予測しているようだった。
「お互いが削りあった後に『しんそく』をサザンドラが耐えればカリンさんの勝ちだ、耐えられなかったら」
そこまで言った後に言葉を切って、イツキと同じように、悔しげに次を続ける。
「ドンカラスじゃあ厳しい」
言葉こそ発しないが、モモナリとクロセも概ね同意見だった。
先手を取ったのはサザンドラだった。三つ首がそれぞれおぞましい雄叫びをあげたかと思うと『りゅうのはどう』でカイリューを攻撃する。同族であるドラゴン族の技だが、『マルチスケイル』のおかげで致命的なダメージにはならない。
カイリューも『りゅうのはどう』を受け止めながらサザンドラとの距離を詰め、『ドラゴンクロー』を打ち込み、サザンドラを地面に突っ伏させた。
『ドラゴンクロー』は決して破壊力のある技ではないが、命中率の安定性に優れた技だった。安定性があり弱点をつけるこの技でサザンドラの体力を削り、次の『しんそく』に勝負をかける。
「あ」とクロセが呟いた。
観客達の興奮は最高潮に達していた。旧世代であるカリンがその素晴らしい立ち回りでチャンピオンキシに迫ろうとしていた勝負が、遂に決着しようとしていたからだ。
サザンドラが『しんそく』を耐えることが出来れば、サザンドラは『りゅうせいぐん』を撃つことが出来る。ドラゴンタイプの技でも最高クラスの威力を誇るその技は、サザンドラの主張点であり、代名詞でもあった。
だが、その高ぶりは、予想もしない形で爆発することになる。
カリンが、地面に突っ伏したサザンドラを、ボールに戻したのだ。観客たちは戸惑う、ここでサザンドラを入れ替えるのはあまりにも消極的だし、自らを負けに近づける行為にも思えた。
しかし、観客の誰かが、審判員がポケモンの戦闘不能を表す旗を上げているのに気づいて、声を上げた。その声は、波紋のように観客席に広がった。そうして、観客の殆どがその現象に気付く頃には、歓声ではない声がセキエイを覆い尽くすことになる。
カリンのサザンドラが、カイリューの『ドラゴンクロー』で、戦闘不能になったのだ。
エッセイ部「モモナリですから。ノーてんきに行きましょう。」の「37-僕が神を信じた日」付近の話です。
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