モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 147-再会の二人

 国際電話だった。

 電話口の向こう、カロスポケモン協会理事の男は、初めは世間話を散らしていた、しかし、いくら自分の懐が傷まないとはいえ、世間話のためだけに使って良い回線ではない、しかし、初めから切り出さないあたり、現時点ではまだ公式なものでもない。といったところなのだろうか。

 特に興味のないカロス地方のスイーツの話に耳を傾けながら、カントーポケモン協会理事オークボは、一先ず何を言われても良いように心の準備をしていた。もう並大抵のことでは驚かない自信があった。

 やがて、向こうの男が一つ小さな咳払いをした。それは緊張した時のその男の癖だった。

 それは、カントーリーグ所属のあるAリーガーのスケジュールを工面して欲しいと言うものだった。いずれ公式なオファーを出すであろうが、先手を打っておきたいとの旨。

 提示された日程は、殆ど不可能と断言できるものだった。シーズンの真っ只中と言ってよく、何日か前にリーグ戦が、そして直後にはシルフトーナメントの本戦が控えている。そんな時期に海外遠征、しかもエキシビジョンなどと無茶も良いところ。向こうの男に地位がなければ、何も言わずに受話器を置くだろう。

 そして、電話口の向こうの男がそれを理解していないとは思えなかった。気楽な男ではあるが、地方間に対する最低限の気配りはできる男だった。

 と言うことはつまり、電話口の向こうの男、ひいてはカロスポケモン協会そのものが、何らかの板挟み状態にあるということなのだろう。

 オークボは、それとなく電話口の向こうの男に探りを入れた、彼もオークボの思惑を理解していたようで「他言無用だぞ」と固く前置きしたうえで、あるイベント名を口にした。

 ははあ、なるほどねえ。と、オークボは大きく背を反った、その名のインパクトは、カロスリーグを板挟みの状態にさせるのに十分なものだった。

 うんうんと十分すぎるほどに唸った後に「まあ、君の頼みだから、なんとか頑張ってみるよ」と溜息混じりに言ってから受話器をおいた。そして、重ね重ね礼を言っていた彼を思い出してふふふと声を殺して笑う。

「随分と、恩を売ったなあ」

 さすがのカロスポケモン協会も、カントーリーグトレーナーの人間性までは把握してはいないようだった。何をそんなに焦っているのかと身構えたものの、何の事はない、とてつもなく簡単な仕事だった。

 確かに、Aリーガーの九割はこの話に面白い顔はしないだろう。多少の金になるとはいえ、何が面白くて過酷なスケジュールを組まなければならないのか。

 しかし、その男に限ってはそうはならない。あの男ならばたとえ無償でもその話に飛びつくだろう。

 オークボは早速内ポケットからポケギアを取り出した。

 仕事は簡単、『モモナリ』の項目にカーソルを合わせて発信音を鳴らし、「リベンジのチャンスだぞ」とただ一言言えば良い。

 

 

 

 

 カロスポケモンリーグチャンピオン、カルネはカロスの歴史上稀に見る猛者であると共に、カロスを代表する女優としての一面も持っていた。

 否、彼女の場合、常にトレーナーとしてよりも女優としての存在の方が大きいと言って良いだろう。カロスリーグのファン達は彼女が女優であることを当然のように知っているが、カルネがカロスリーグチャンピオンである事、もしくは彼女が今後カロスリーグの歴史を語る上で無くてはならないレベルの存在であることを知らないファンは何人もいるだろう。

 女優生活数十年を記念して今春に出版されたカルネの女優としての自伝は、必然的にカロスでのベストセラーになることとなった。そして、それに伴い、あるエピソードが注目されることとなる。

 そのエピソードは、あるトレーナーとのポケモンバトルについてだった。女優としての自伝にポケモンバトルの事が書かれている事自体がすでに異端であるというのに、その内容はさらに強烈であった。

 映画会社との不利な契約のもとに炊きつけられた、エキシビジョンとは名ばかりの査定試合、当時リーグトレーナーですら無かった彼女にあてがわれた対戦相手は、海の向こう、強豪の地カントーの若獅子だった。彼女は彼との試合に勝利し、自由を勝ち取った。そして、彼女はこの試合を、自らが人間として一つ大きくなるきっかけだったと称していた。

 自伝の中では、相手のトレーナーの詳細は伏せられていた、当然の配慮といえるだろう。しかし、発達した情報化社会は、すぐさまそのトレーナーがカントーリーグ所属の現役リーグトレーナー、モモナリだと言うことを丸裸にした。

 情報をむさぼることを快感としている者達は喜んだ。モモナリと言うトレーナーは、彼らの退屈を紛らわせる情報に事欠かなかったのだ。

 やがて、カルネとモモナリの試合を見てみたいと言う声が上がるようになった。普段はポケモンバトルに興味を示したことのない層からも、その声は上がっていた。

 そこには、単純な興味の他に、少しばかりの同情心があったのだろう。自国のヒーローであるカルネの栄光の裏にある巨大な影の一つに対する同情。事実、モモナリと言うトレーナーはカルネとの試合以降、本来期待されていた活躍を出来ていないように見えていた。

 その声はカルネの周辺の人物にも届くようになり、彼女の女優生活数十年記念セレモニーに、彼女とモモナリのエキシビジョンマッチが組まれることになる。カルネがそれに気づいた頃には、すでにモモナリのスケジュールは押さえられていた。

 

 

 

 

 エキシビションマッチを前日に控え、ホテルシュールリッシュでは関係者を集めた前夜祭が開かれていた。

 主役であるカルネは、様々な目的から自らに声を掛けてくる関係者達に真摯に、機械的に対応しながら、カントーポケモン協会理事、オークボを探していた。体調不良で欠席したモモナリの代わりに挨拶をしていたので、この会場にいることは間違いないだろう。

 カロスにはない系統の中年男性を探せば、彼はすぐに見つかった。彼女はなるべく気配を殺すことに努め、別の関係者に目をつけられないように「オークボさん」と声をかける。

 オークボは、満面の笑みで彼女を迎えた。

「ご活躍は、カントーにもしっかりと届いています。あの頃に比べて、ますます美しくなられましたね」

 差し出された右手を、カルネは両手で握り、同じく微笑みを返す。この世界に入ってから、何度となく繰り返した行動ではあったが、駆け出しの頃を知るこの男に対しては、少しばかりの気恥ずかしさがあった。

「ありがとうございます。全て、貴方達のおかげだと言っても過言ではないと思っています」

「まさか、全ては貴女の努力と不屈の精神の賜物ですよ。私は女優業については全くの無知ですが、リーグチャンピオンが背負っている世界の重さについては、よく知っています」

「貴方達には、また迷惑をかけてしまいました。まさかあの自伝がここまでの騒ぎになるとは思っていませんでしたから。馬鹿なことはやめるようにとも掛けあってはみたのですが」

 リーグトレーナーとして、カルネもこの時期に海を渡ってエキシビジョンをすることの無謀さに関しては良くわかっていた。しかし、彼女がそれを止めようとした頃には、その計画は大きく膨らみすぎていたのだ。

「なあに、何の問題もありませんよ。貴女との対戦だと伝えたら二つ返事での了承でしたからね。こっちとしてもカントージョウトリーグの良い宣伝になります」

 彼女らは、もう少し世間話を続けた。そしてカルネは、話題を変える為の沈黙を一瞬作ってから「彼は」と問うた。勿論彼とはモモナリのことだろう。体調不良というのが仕方無しの方便であることくらいカルネはわかっていた。

「あいつは、やっぱりホテルから消えましたよ。もう病気みたいなもんなんです、新しい土地、新しいポケモン、新しいトレーナー、目の前に冒険があると思い込んでしまったらもう駄目。それを止めようにも、それこそ貴女クラスのトレーナーでなければあいつをコントロールすることなんてできないでしょうね」

 ふふ、とカルネは思わず笑ってしまった。傲慢なことを言ってしまえば、例えばこの会場を見渡してみれば、あまりにも多すぎる関係者達が見える、そのうち何割かは、関係者と呼ぶにはあまりにも遠すぎる、関係者の関係者達だろう。それらは皆、女優の自分に価値を感じているからこの場にいるはずなのだ。

 もしモモナリがこの会場にいて、自分を見つけるなり貼り付けたような笑顔を晒して手を握ってきたとしても、彼女はそれを不思議とは思わなかっただろう。むしろ、そうなることを覚悟していたと言っても良い。

 だが、モモナリはこの会場にはいなかった。女優としてのカルネよりも、カロスのトレーナー達と戦うことのほうが魅力的だったようだ。

「少し、妬けますね」

 その言葉を予測していなかったのだろう、オークボは一瞬呆けたような顔を見せたが、それを悟られまいとすぐに苦々しそうに喉を鳴らし、話題を逸らした。

「しかし、私共からすれば、この話を受けた貴女の勇気を賞賛したいですね。ハッキリ言いますが、モモナリや私達はこの試合で失うものなんて何一つありませんよ」

「あら、カントージョウトAリーガーはそこまで軽くはないと思いますけど」

「現時点で三勝三敗、可も無ければ不可もない数字です。チャンピオンとして、祭りの主役として、貴女が背負っているものに比べれば、無いと断言しても良いようなものです」

 失礼は承知ですが、と前置きして続ける。

「あの男は本気ですよ。空気を読むなんて器用なこと、とても出来るような男ではないし、会場の雰囲気に飲み込まれるような繊細さのある男でもない」

「ええ、楽しみです」

 瞬間、カルネの瞳に、スッと新たなハイライトが生まれたような気がした。女優ではない、トレーナーとしてのカルネの表情だった。

 

 

 

 

 試合前にかわされた握手、モモナリの手には、女優に対して遠慮のない力が篭っていた。

 緊張など、するわけがない、目の前の男がどうしようもないほどの馬鹿であることを、カルネはよく知っていた。

 隠し切れない闘争心の現れなのだろう、彼がどのような思いを持ってこの試合に望むのか、痛む右手を伝わって感じることが出来た。

 だから、カルネもモモナリの右手を思い切り握り返すことでそれに答えた。自分が地位に慢心せず、この試合に全力を尽くすという決意を表したかった。勝敗にかかわらず、この勝負が誇り高くあることを証明したかった。

 二つの笑顔のもとに、真っ赤に跡のついた右手が二つあった。

 

 それにしても、この下卑た雰囲気は何なのだろうか。と、カルネは思った。

 ミアレシティ、満員のエキシビジョン会場。二人の戦いを今か今かと待ち望んでいるはずの観客席からは、何故かカルネが忌み嫌う品のない感情を感じる。

 たった一度だけ、彼女はそれと同じものを感じたことがあった。それは、十数年前、このミアレシティでの、エキシビジョンでの事だった。

 自らをトレーナーとして認めていなかったあの会場、それと同じ雰囲気が今ここにある。

 そうか、と彼女は理解した。

 今この会場は、モモナリをトレーナーとして認めていないのだ。

 行き過ぎた熱狂は、狂気な信仰と化す。

 今この会場にいる殆どの観客は、カロスリーグチャンピオン、カルネの、もしくはカロスを代表する女優、カルネの熱狂的な信者達。

 彼らからすれば、モモナリはカルネをより引き立てるために存在する生け贄にすぎない、モモナリがこの試合に勝つなんて微塵も思っていない。このエキシビジョンが、勝負だとすら思っていない。

 ふと、モモナリと目があった。彼は、笑っていた。これから起こることが楽しみでたまらないと言った風に、満面の笑みだった。

 馬鹿でよかった。と、彼女は思った。もしモモナリがこの雰囲気に僅かでも心を痛めているようだったら、きっと自分はこの男相手に全力で挑むことは出来なかっただろう。

 お互いのボールが宙に待った。立場が変わろうとも、肩書が変わろうとも、目があった時がトレーナー同士の勝負の始まりであることに変わりはない、否、変わってはならない。

 カルネの一番手はルチャブル、機動力とパンチ力に優れるそのポケモンは、未だに彼女のパーティの特攻隊長として活躍していた。

 対するモモナリの一番手はカバルドン、場に現れると同時に背中から『すなあらし』を吹き出す。

 ここからだ、とカルネは腕で細めた目を守りながら『すなあらし』を見据えた。

 

 

 

 

 ミアレシティ、エキシビジョン会場、モモナリ側控室。

 オークボは、突然の訪問者に驚くことはなかった。

「驚いたね、この状況をどう説明したら良いものか私なりに考えていたのだが」

 訪問者、ジーンはオークボのその様子に少し驚いていた。突然の訪問で驚かれないほうが稀だった。ダンサーとして、俳優として、映画監督として、起業家として成功を納めていた彼は、カルネを愛称で呼ぶことの出来る数少ない大御所の一人だった。

「もう驚くこともありませんよ」と、オークボはジーンに席を勧めながらため息混じりに呟いた。

「人生は何が起こるかわからないとは言いますが。カロスの言葉を多少理解できるだけだった若造が、何の因果か今ではあの大女優カルネとちょっとした世間話が出来るまでになってしまったんですよ。もう多少のことじゃ驚きませんよ」

「なるほど、随分と大変な人生を送っているようだね」

 懐から葉巻を取り出しながら、ジーンは笑った。忘れもしないあのエキシビジョンマッチ前夜、オークボに対しては多少頭のいい男と言う程度の認識しかなかったが、年季の入った優秀な男になっているなと感じていた。

 モニターでは、モモナリのカバルドンが『あくび』でルチャブルの眠気を誘っていた。ルチャブルが眠ってしまう前に交代しなければならないが、ルチャブルはカバルドンに対して『フェザーダンス』をしているので、一応の仕事はしたといえる。

「この行動はですね」と、説明しようとしたオークボを、ジーンは「結構」と制した。

「あの日以来、私も多少バトルについて見聞を広めたんだ。彼女の住んでいる世界を、少しでも知りたかったからね」

 カルネはルチャブルを手持ちに戻し、新たなポケモンを繰り出した。

 地響きとともに現れたポケモンは、ドラゴンポケモン、ヌメルゴンだった。

「本気だね」と、ジーンが呟いた。

「彼女の代名詞としてどんな試合にでも顔を出さなければならないサーナイトと違い、ヌメルゴンは『出さなくても良い』メンバーだ。君達は光栄に思って良い。このようなエキシビジョンで、彼女のメインメンバーを引きずりだした」

 しかし、と更に続ける。

「まだ安心というわけでもない。私はこの試合、彼女の負けも大いに有り得ると考えている」

 オークボもその言葉には驚いて、小さく声を漏らした。彼もまた、ミアレシティに溢れていたカルネへの信仰を感じ取っていたのだ。

「意外です、逆張り主義の評論家ならともかく、貴方からそのような言葉が聞けるとは。ぜひとも、見解を」

 ジーンはまだ火のついていない葉巻の香りをゆっくりと堪能し、ポケットからカッターを取り出しながら「君も男なら、わかるだろう」と返す。

「男は名声で生きている。失った名声を取り戻すために戦う彼は、手負いの獣と同じだ。それこそ名声を取り戻すために何だってするだろう」

 モニターの向こうでは、カバルドンがヌメルゴンに向かって『ステルスロック』を撒いている。状況は、淡々とモモナリ有利なものになっていた。

「私は止めたんだ」

 独り言のようにジーンが呟く。

「このエキシビジョンで、彼女が得るものなど無いに等しい。私なら、この馬鹿げた茶番を止めることが出来ただろう。彼女や君達と違って、私はファンなどという存在に気を使う必要もない」

「なら、どうして」

「仕方がないだろう、彼女がやりたいと言ったんだ。彼女と、彼、当事者同士が望んでいる以上、我々が手出しできる話ではない」

 それに、とジーンは更に続けようとしたが、ヌメルゴンが攻撃体勢に入ったのを確認して言葉を止める。

 ヌメルゴンが繰り出した複数の光線は、空中で一旦星の形になってからカバルドンに降り注ぐ。ドラゴンタイプの技でも最高峰『りゅうせいぐん』だった。

 しかし、カバルドンはタフで頑丈な体を持っている。『りゅうせいぐん』を受け止め、更に『あくび』を敢行する。さらなる入れ替えを強制し、『ステルスロック』のダメージと、手持ちの無償降臨が狙いだった。

 カルネは、モモナリの選択肢にガブリアスが存在することを知っていた。しかし、ここでヌメルゴンを引っ込めてサーナイトを繰り出すという選択は、あまりにも稚拙。

 二人は、殆ど同時にポケモンを手持ちに戻した。仕切り直しとなれば対戦場の支配を進めているモモナリが主導権を握る事となる。古株で老獪なカバルドンで対戦場のコンディションを整え、若く荒削りだが実力確かなガブリアスに繋ぐ、それは今期カントージョウトAリーグを三勝三敗という成績で食らいついている男の得意戦術であった。

 ガブリアスと同じく『すなあらし』の状況を有効に使うことが出来るポケモン、アーマルドのことを考えると、カルネはサーナイトもパンプジンも出しづらい。アマルルガはもってのほかで、ルチャブルもジバコイルが怖い。安定した選出はほとんど不可能と言ってよかった。

 そして二人は、やはりほとんど同時にボールを投げた。

 カルネが新たに繰り出したのは、二体目のドラゴン、ガチゴラスだった。遙か一億年前、無敵の暴君として君臨していたその強大な生物は、体に突き刺さる『ステルスロック』に表情を変えることもなく、モモナリの前に立ちはだかる。

「誰が逆らえるものかね」

 ジーンが溜息をつく。

「ドラゴンに、古代の暴君。それらを無条件に従えている彼女に、一体誰が個として逆らうことが出来ようか」

 カルネ、そして観客席は、吹き荒れる『すなあらし』の中必死に目を凝らして、モモナリ陣営を見やった。アーマルドはもちろんの事、ガブリアスとも同等かそれ以上に殴りあうことができるそのポケモンに、一体どのようなポケモンが立ち向かうのだろうか。

 『すなあらし』の向こう側から、一筋の水流がガチゴラスを襲った。その水流は冷気を纏っており『れいとうビーム』として、ガチゴラスにダメージを与える。

 弱点の攻撃ではあったが、暴君、ガチゴラスはそんな事では止まらない。狂ったように『りゅうのまい』を踊りながらモモナリ陣営に踏み込むと、自身に攻撃を与えた相手、ゴルダックに向かう。ゴルダックも『アクアジェット』で先手を取るものの、我を忘れたガチゴラスに効き目は薄い、そして、ガチゴラスは『かみなりのキバ』でゴルダックに食らいついた。

 元々の力強さに加え、『りゅうのまい』でポテンシャルを底上げしているとなれば、たとえ不得意な攻撃とはいえゴルダックを一撃で倒すのに十分だった。

「一先ず、この読み合いは彼女が勝ったということだろうな」

 ジーンは満足そうに背もたれた。

 カルネが一時的ではあるが読み合いでモモナリを上回り有利に立っている。ジーンも、オークボも、観客たちもそう思っていた。

 しかし、カルネはそう考えていなかった。

 予想外のダメージだった、『れいとうビーム』で弱点を突かれたとはいえ、氷タイプの攻撃はゴルダックの得意とするところではない、それに加えて岩タイプを複合しているガチゴラスは『すなあらし』の影響をいい意味で受けるはずだった。

 ところが、ガチゴラスは彼女の想定以上のダメージを受けているようだった。彼女はすぐにそれがゴルダックの特性『ノーてんき』によるものだと理解した。

 迂闊だった。対戦場を支配する『すなあらし』、自陣を縛る『ステルスロック』、それらと自らの選択肢、さらに相手の選択肢の豊富さが、カルネの脳内からそれを消し去っていた。

 勿論、もうほんの少しの時間さえあれば、彼女はその要素にも気づき、気を配ることも出来ただろう。だが、モモナリが仕掛けたサイクル戦は、対戦のテンポをより速いものにしていた。

 衰えていない、と彼女は感じていた。十数年前、彼女に牙を向いたあの判断力と決断力は、あの頃と変わらず、否、経験と戦力、更には剥き出しの闘争心を従えてより強力なものになっていた。

 確かにガチゴラスはゴルダックを一撃で下した。しかし、モモナリからすればそれは十分に想定できたことなのではないか、この読み合いで負けているのは実は自分の方ではないのか、一抹の不安がカルネの中に生まれていた。

 三流のトレーナーならばそもそもその読み合いに気付かない、二流のトレーナーならばそれに気付きつつも、ただの悪い予感として、極力考えないようにするだろう、一流のトレーナーは、読み合いの敗北を予感しても、その不安を押し殺し、次の勝負に力を注ぐ。瞬間的な敗北の予感から、もしかすれば相手が特別な状況下ならば自分よりも上回っている存在かもしれないという不安を、素直に受け入れることが出来るのは、彼女が類稀なる強さを持ったトレーナーの一人であるということの証明であろう。

 そして、彼女がこの段階でモモナリの力量を素直に受け入れたことは、後の展開に大きく影響することになる。

 

 

 

 

 あの厄介な『すなあらし』はもう晴れていた、しかし、その間に作られたモモナリ側のアドバンテージは、カルネの狂信者達の余裕を無くすのに十分だった。

 トレーナーとトレーナーが対峙していれば、それは戦いであり、戦いである以上、どちらかには勝利があり、どちらかには敗北がある。しかし、狂信者達はそれを理解していなかった。

 当然ながら、カルネの狂信者たちにとって、カルネの存在は絶対である。その絶対の存在が、遥か海の向こうの、カリスマ性の欠片もない、しかも過去に一度勝っているはずの男に押されている。

 観客席の狂信者たちは、もはや祈るような気持ちで戦況を見つめていた。

 モモナリのピクシーは『ムーンフォース』をヌメルゴンに叩き込んだ。ヌメルゴンはフラつき、観客席からは悲鳴が上がる、そのヌメルゴンはカルネのラストの一匹だった。

 しかし、種族的におとなしい性格とはいえヌメルゴンもドラゴンの一角である。自慢のタフネスさで弱点攻撃に見事耐え、足を踏み込んで、『アイアンテール』をピクシーに叩き込んだ。

 吹き飛ばされ地面に叩きつけられたピクシーはそのまま動くことができない、誰がどう見ても戦闘不能だった。

 観客席は湧いた、これでモモナリも残り一体。『すなあらし』の状況下で力を得たアーマルドとガブリアスによって生まれてしまったアドバンテージを、彼女はこの土壇場で五分の状況に引き戻したのだった。

 ピクシーを手持ちに戻したモモナリは、すぐにラストのポケモンを繰り出した。彼の六体目は、未だベールに包まれていた、狂信者たちは息を呑む。もしそのポケモンがフェアリータイプのポケモンだったり、氷タイプのポケモンだったり、ヌメルゴンと同じドラゴンタイプのポケモンだったりすれば、カルネが勝利する確率はより低いものになってしまうだろう。

 現れたポケモンは、電気タイプと鋼タイプを複合するポケモン、ジバコイルだった。狂信者たちは一先ずほっとする。この組み合わせならば、炎タイプの攻撃を操ることが出来るヌメルゴンにも分がある。

 そして、一歩タイミングを遅らせて、今度は歓喜の声を上げる。彼らはこの組み合わせがカルネの方に分があることに気づいた。ヌメルゴンはジバコイルの弱点をつけるのに対し、ジバコイルの得意技の一つである電気技には耐性がある。さらにヌメルゴンは特殊攻撃に対する頑丈さには定評があるのだ。どうやら戦況は、彼女らの教祖であるカルネに大きく傾いているようだった。

 しかし、また一歩タイミングを遅らせて、観客席のある男が叫んだ。その男はポケモンバトルに対する造詣が深く、ポケモンの技や特性に詳しい、所謂オタクというものだった。

 その男に、観客席は注目した。奇しくも、彼が次の言葉を発したのは、彼に十分なほどの注目が集まってからだった。

 彼は両手で後頭部を抱えながら「引き分けだ」と叫んだ。

 

 

 

「なるほど『だいばくはつ』か」

 ふんふん、とジーンはモニターから流れてくるリーグトレーナーの解説に耳を傾けながら頷いた。オークボもその解説に耳を傾けながら、なるほど、と唸った。

 ジバコイルの特性『がんじょう』は、どんなに強力な攻撃を喰らおうとも、必ずわずかの体力を残して耐え切るというもので、ジバコイルの場持ちを強力にしている特性である。

 そして、ジバコイルは『だいばくはつ』を選択肢として持っている。爆発の衝撃を直接相手にぶつけるその攻撃は、特殊攻撃に強いヌメルゴンでも痛いダメージとなる。

 そして、カルネのヌメルゴンは、先制技を習得していない。

 単純な素早さの勝負では、ヌメルゴンが先手を取るだろう、しかし、どんな攻撃をぶつけようとも、ジバコイルは必ず耐える。それはつまり、ジバコイルに必ず『だいばくはつ』の機会が回ってくるということだった。

「おそらく、ヌメルゴンは耐えられないだろうね」

「『こらえる』などの技では」

 オークボの指摘に、ジーンは首を振った。

「私は長く彼女の試合を見ているが、ヌメルゴンが『こらえる』をしたところは見たことがない、やらないのか、あるいは出来無いのかは分からないが、あまり有力とはいえないだろう」

 まあ、良いじゃないか、とジーンは小さく笑った。

「落とし所としては悪くない。十数年か越しのエキシビジョンマッチ、彼女は引き分けでチャンピオンとしての最低限のメンツは守り、彼は彼女に引き分けると言う名誉を拾う。最後に気持よく握手でもしてお互いの健闘を称え合えば、よく出来た話になるだろう」

 そう言って、彼は腰を上げようとした。しかし、それまでとはトーンの違うオークボの「いえ」という言葉にそれをやめた。

「恐らく、モモナリはそれをしないでしょう」

 モニターの向こうで、ヌメルゴンが動いた。

「どうして、それが現状ではベストだろう」

「もし彼の手持ちが二匹ならば、彼はそれをするでしょう。しかし、モモナリは、名誉を拾いません。そんなに賢い男だったら、私も苦労してませんよ」

 その言葉に、ジーンはなにかを返そうとしたが、ヌメルゴンが攻撃の体勢に入ったことがわかると、彼ら二人はそれに釘付けになった。

 

 

 ヌメルゴンの『かえんほうしゃ』は、的確にジバコイルを捉えていた。

 それは攻撃だった。補助技でも『こらえる』や『まもる』のような技でもなかった。つまり、この後の『だいばくはつ』を防ぐのは難しい。

 引き分け、狂信者たちの脳裏にはそれが浮かんだ。彼らのヒーローであり、ヒロインであり、教祖でもあったカルネの引き分け、彼らは信じたくなかった。

 エキシビジョンだからだ、と誰かは思った。エキシビジョンなのだから、彼女が本気を出す必要なんて微塵もないじゃないか、と思った。

 同情したからだ、と誰かは思った。十数年前に道を踏み外してしまった憐れなカントーのトレーナーに対する彼女なりの同情なのだと思った。

 イベントが無茶だったのだ、と誰かは思った。そもそもどうして彼女の女優としてのキャリアを祝うフェスタにこんなエキシビジョンをねじ込むことがどうかしている。彼女のペースが崩れても当然だろうと思った。

 特性『がんじょう』によってヌメルゴンの攻撃に耐え切ったジバコイルは、攻撃の体勢を取る、そう、攻撃の体勢をとった。

 観客席が戸惑うより先に、ジバコイルは体中を反射する光を一点に集める。

 誰かが『ラスターカノン』と叫んだ。鋼タイプの技でも高威力の特殊攻撃である。そして、今それを撃たんとしているジバコイルは、ポケモンの中でも最高クラスの特殊攻撃力を持つポケモンだった。

 観客も、狂信者も理解した。この男は、カルネに勝つつもりだと。『だいばくはつ』での確実な引き分けを捨て、己のポケモンを信じ、僅差での勝利を掴むつもりだと。

 カルネとヌメルゴンは、そんなことわざわざ予感せずとも分かっていると言わんばかりに、ジバコイルにとどめを刺すために動く。

 ジバコイルの『ラスターカノン』がヌメルゴンに突き刺さった。しかし、ヌメルゴンは体勢を崩さず、それを受け止める、しかし、ジバコイルの攻撃はまだ続く。

 モニターの向こう、例えば過去にトレーナーだったことのあるような男は、ヌメルゴンがその攻撃で倒れてしまうことを望んでいた。かつて夢見た、チャンピオンに勝利すると言う夢を、その戦いにのせていた。

 観客席の狂信者たちは、ヌメルゴンがその攻撃に耐えることを祈っていた。彼らは信じていた、カルネは強く、誇り高い人間であることを。そして同時に、対戦相手の海の向こうの男が十分な実力を持っていることも理解していた。

 彼らはようやく、戦いと言うものに釘付けになっていた。

 ヌメルゴンが動いた。

 ヌメルゴンは『ラスターカノン』を受け止めながら、息を吸い込み、『りゅうのいぶき』を何とか放った。ドラゴンタイプの技の中でも威力の低めの技だが、それが精一杯だった。

 そしてそれは、確実にジバコイルを捉えていた。元々『かえんほうしゃ』で大きなダメージを受けていたジバコイルは、その攻撃で力を失い、音を立てて地面に崩れた。

 ヌメルゴンもまた、ジバコイルの『ラスターカノン』で大きなダメージを負っていた。しかし、彼女はジバコイルを倒したことによる安堵でふわりと飛んでいってしまいそうな意識を強大な精神力を持ってして保ち、踏みしめるようにバランスを整えた。

 審判員の判断を待つまでもなかった、最後まで立っていたのはカルネのヌメルゴン。彼女が勝者であることは疑いの余地が無かった。

 

 

 

 

 会場は、統一性を持った拍手で彼女らを祝福していた。

 カルネの勝利という、彼らにとっての安堵は、対戦相手だったモモナリの健闘を称えるだけの余裕を与えていたのだ。

 そのど真ん中で、カルネとモモナリはお互いの健闘をたたえ合って握手を交わした。

 お互いがお互いの手を、思っていたよりも柔らかいと気がつけるほど、優しい握手だった。

「いい勝負でした」

 カルネは、本心からモモナリにそう言った。それは通訳としてモモナリの横に立ったオークボを通して、彼に伝わる。

「僕も、そう思います」

 モモナリも、本心からカルネにそう返した。それは通訳として彼の隣に立っていたオークボを通して、彼女に伝わる。

「貴方がここに立ってくれたことで、あの日苦しんでいた少女は救われました」

「大したことじゃありませんよ。僕だって貴女が本気で相手をしてくれたことで、やっとあの日の後悔を消すことが出来ました」

「私は今日この試合を一生忘れないでしょう、私の中で最も価値のある、最も誇りのある勝利の一つでしょう」

「それは僕も同じですよ、今日の負けは、カントーに帰っても自慢できる。誇りを持てる敗北でした」

「また会いましょう」と、どちらかが言った。

 

 

 

 

「一つだけ、教えてほしい」

 エキシビジョン会場カルネ側控室、彼女を待ち受けていたジーンは、何の前触れもなく彼女に問うた。

「あの場面、相手が『だいばくはつ』を選択していたらどうだった」

 恩人の質問に、カルネはうーんとまるで少女がするように首を傾げた。

「その方が、私は楽ですね」

 その答えにジーンは驚いた。

「どうして、引き分けだぞ」

「引き分けですけど、それは相手がほとんど負けを認めたようなものです。そんなことまでして、引き分けという結果で満足する様な相手だったら、取るに足りません」

 言っていることは倫理的にもっともなようであったが、それでもジーンは首をひねった。

「しかし、それではあまりにもヌルすぎるだろう。結果として、彼は敗北してしまったわけだ」

「あの瞬間、私は負けも覚悟していました。バトルに精通している人が見ればわかるでしょうが、私はあくまで結果として勝利を拾っただけで、お互いが勝者にも敗者にも成り得たと言っていいでしょう」

 それに、と彼女は続ける。

「彼はやらないだろうなと思ってました」

 わからんなあ、とジーンはため息をついた。

「彼の通訳も同じようなことを言ってたよ、一体なぜかね」

 カルネはニコっと笑って答えた。

「彼は馬鹿ですから。本当に、どうしようもない程の」




エッセイ部『43-ミアレガレット』付近の話になります。
感想、評価、批評、お気軽にどうぞ
誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。
また、世界観についての質問についても、できるかぎりは答えていきたいと思います。

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