赤き龍の道程 作:盾雪
イッセーもイリナの居ない日常に慣れ、しっかりと年相応に遊ぶようになった。
密かにイッセーに焦がれていた女子たちは、イリナが居ないことでイッセーに好意を向けようとするが、どうにも近づき難い雰囲気が漂う。近寄りがたく、それでも惹かれてしまうような妖しい気配。
それに「周囲の嫉妬も買うだろうし」ということで呼び出しはしても、告白をできるような猛者はイッセーの周囲に居なかった。
……イッセーがグレモリー卿に貰ったお土産が原因なのだが、それは誰も知る由は無い。
有り体に言えば既に唾を付けられている、という事だ。魔力にはそんな使い方もあった。
――家にある八つのチェスの駒。
それが何なのか知るにはあと四、五年掛かりそうだがそれも先の事である。……まだ語る必要はないだろう。
-●○●-
――……そうして時は流れた。
麗らかな日射しの下、桜の花びらが風に舞う卒業式の日。
ちょっと化粧を施して隣に立つイッセーの母と礼服で身を固めた父はイッセーの肩に手を置いて、写真を撮ってもらう。
イッセーも緊張しているのか、やけに背筋が伸びていた。
シャッターがたかれて、光に目を伏せそうになるのをこらえた。
――兵藤一誠、12歳の春。……無事、卒業式を迎えた。
「それじゃあ、私たちは先に帰ってるわよー?」
「夕食は食べにいくんだからなー! 早く帰って来いよー」
「ああ、わかってるよ!」
ちょっと寄っていきたいところがある、とイッセーは両親に告げて、駆けて行った。
『似合ってないな、相棒。馬子にも衣裳と言うんだったか?』
「そういうなよ。……俺だってわかってるって」
イッセーの通う小学校は私服登校で、販促されている制服は入学式、卒業式ぐらいしか着る事が無かった。いっそのこと制服で統一してしまえばいいのに、とも思ったが……それももう終わったことだ。
『随分と懐かしい場所にくるものだ。草木の成長は早い』
「もう、来てなかったからな……。おっと。服が汚れちゃうな」
夕食にはこのままの格好で行く、と両親が言っていたのを思い出して、イッセーは上着を脱いでおく。
これから入っていくのは茂みの中だ。……イリナと幼稚園に入る前から過ごした、長くお世話になった場所だった。……随分と長い間訪れていなかったせいだろう。来るものを拒むように、草木はそこへの入り口を隠していた。
……む。どうしても服が引っかかるな、これ。……ズボンを脱ぐのはさすがにまずいし。
『見られたら変態だ、と言われるだろうな。やめとけやめとけ』
木々の成長もだが、イッセー自身も成長していた。ただでさえ成長して穴の大きさが小さくなっているところに、大きくなった身体を潜り込ませればどうなるか。……想像するに難くない。
はあ、と大きくため息を吐いてイッセーは思い出の場所に行くことを諦めた。
――チリンチリン
「あれ、なんだっけか……聞き覚えのある音だ」
イッセーがベンチに座って、缶のカフェオレを飲んでいると聞こえてくる鈴の音。
聞いたことがある音だ。いつも、いつも聞いていた鈴の音。その時いつも自分は誰か――いや、イリナと一緒に居た。
「……でも何時聞いたんだろ」
イリナと一緒に居て聞いていたのなら、それこそ毎日と言って良いほど聞いた覚えがあるはずだ。此処まで耳に残っている音だ。何の音なのかはわからないはずがない。――でもわからない。
わからないことをこうやって考えているのは不毛だろう。――百聞は一見に如かず、ともいうし。
ちょっと見てこようか、と音の鳴る方へ引き寄せられるようにイッセーはベンチから立ち上がった。
……音の正体は紙芝居をするおじさんの持つ鈴だった。開始の合図に、鈴の音を鳴らしていた。
子どもが数人集まっていて、全員がその顔から楽しみだという感情を滲みだしている。
「あー思い出した。あの紙芝居のおじさんか。……俺、見たかったのにイリナが居たから見れなかったんだよなぁ……」
見覚えのある自転車に紙芝居の箱。
ずっと憧れていたように思う。……あの頃の自分は「見たい見たい」と思っていたが、イリナに邪魔されて見れなかったのだ。ほかにもイリナと一緒に身体を動かしていた方が楽しかった、というのも理由の一つ。
――たしか小学校に入る前ぐらいの年だった。何時しかあの紙芝居の鈴の音は聞こえなくなり、何時しか自分も見たいという思いを忘れたのだ。
「あぁ、そういえばそうか……ずっと聞いてたな」
あの音色はイリナと組手をしているとき、ずっと耳に入っていた。――だからか、とイッセーは納得が行く。
小学生の6年間はとても長い。まぁ、半生に近い歳月だ。懐かしいと思うのも仕方がなかった。
『嫌な予感がするんだが……』
――ちょっと見ていこう。
イッセーはドライグがそういうのを聞きながら、そう思った。
衝撃的だった。革新的で、改革的だった。未知との、邂逅だった。
『ふははは! 人間というものは、面白いものだな! まったく訳が分からん! 関係なさすぎるだろう?!』
そう、それは圧倒的なまでの――――。
『……ちょ、ちょっと待て相棒? お前、感動しているのか?』
クハハハハ、と高笑いしていたドライグが慌てる。
「ああ……といってもまだ、頭の整理が追いついてないんだけどさ」
『まぁ、確かに歴代の赤龍帝にもそういう奴はいたが……。……あれほどのものとなると、異常性癖だからな? わかってるか?』
「そうか。そうだよな……うん」
イッセーは正気に戻った。最近になって身体に現れるくらいに性衝動が育ってきたせいもあるのだろう。ついあの紙芝居に見惚れてしまったが、どう考えても異常である。
確かに子ども受けが良いのはわかるが「あれはあんまりだ」とちょっと醒めた頭で考えた。
――どんぶらこ、ばいんばいん。
「おっぱいって、よくあんなに淡々と言えてたなぁ、あのおじさん。というか流れてはこないだろ、普通」
『……まぁ、な。あれは変態だ。考える事が判らん』
「そっかぁ……」
――どんぶらこ、ばいんばいん。
妖艶にして甘美な響き。あの紙芝居を書いたあのおじさんはアレに人生と情熱をかけていた。
『ま、ちょっとはわからないでもなかったが……』
「うん……」
想いが、情熱が、滾りが。
ドライグもイッセーも。人を魅了するあの艶のあるタッチから、二人はおじさんの人生を感じ取ったのだ。故に、良いのかもしれないと思ってしまった。
くい、とぬるくなったカフェオレをイッセーは飲み干す。
――おっぱい。
乳房であったり、女性の胸部であったりと色々と呼び名のある、誰しもが母から与えられしもの。
――揉めるだけじゃない。……吸えるんだ。
漢の浪漫、とあの紙芝居屋は語っていた。二人は「『そうなのかもしれないな」』と感想を抱いて懐かしい公園を立ち去る。
イッセーが天高く後ろに向かって放り投げた空き缶は、スリーポイントかくやと言わんばかりに公園のゴミ箱へと吸い込まれていった。
この後卒業祝いに少しお高そうな食事に行った。そこでイッセーに両親が驚く。
イッセーのナイフとフォークを使い食べる姿には目を見張るものがあったのだ。
どこで覚えてきたのだろう、と気になったが、つまらないことを聞いて食事がおいしくなくなるよりマシだろう、と両親はイッセーの表情から察した。
-●○●-
……春休み。
特に受験を考えていないイッセーは市立の中学校へ行くことを決めていた。そのため、学校側から課題らしきものは特になく、のんびりと小学生最後の時間を過ごしていた。
グレモリー公爵から貰ったお土産の大半は飲食物で、とっくの昔になくなっている。
唯一あると言えば八つのチェスの駒と、ヴェネラナに教えられたグレモリー家の家紋が入った万年筆。どちらもイッセー宛に持たされたものであり、いつも目につく場所である机の上に飾っている。ちなみに悪い虫避けを機能させているのは万年筆の方だ。
今、そのうちのチェスの駒一つを手にして眺めていた。
「にしても、なんなのかなコレ? 感じる気配的には、悪魔関連の物なのだろうとは思うけどさ」
『……悪魔の気配をより濃く感じるな。ドラゴンの俺からしてみればあまり気持ちのいいものではないぞ。俺すら侵そうとしているように感じる』
色濃い気配だ。確かに手にしているだけで侵されているかのような感覚がある。……気配を打ち消す様に龍の気を迸らせているおかげか、体に変調もないが。
「つっても、グレモリーさんから貰ったものだし。眷属悪魔とかなんとかに関係ありそうな気はするんだよな」
『きっとあの二人の事だ。いつかはお前に会いに来るだろう。……それまで保留にしておいたらどうだ?』
八つの同じチェスの駒。同じ駒であれば恐らくポーンだろう。
何故、これをイッセーに渡してきたのか。勘ではあるが、いずれ必要となるモノに違いない。……でなければ渡しては来ないだろうから。
手に持っている駒を元に戻した。横にはイリナと自分の映った写真を飾っている。
あの時の事は忘れたくとも忘れない。だが何時でも思い出せるように、思い返せるように……こうして並べて飾っていた。
「イリナのやつ、元気かな……行ってみようかな」
家に帰った後、イリナの家に行けば家財道具すべて無くなっており、もぬけの殻となっていた。
唯一、玄関のポストに手紙が残っていたのが、イッセーに宛てた内容だった。
それには父親――紫藤トウジ本人から
あの色々あった夏休みが終わって、担任経由で渡されたイリナからの手紙も大体同じような内容だった。
年度末の春休みを利用して、イリナの所に訪れてみてもいいかもしれない、とあの時イッセーは思ったが、余りよくないとドライグに窘められた。
曰く、――北欧や西洋の方には聖書の者どもと同じく、神話生物が住んでいる。
イッセーの力だけでは、倒すどころか撤退を選ぶことも困難な存在は数多くいるのだ。
――……でも、今ならいけないこともない。
アレからドライグとする夢の中での修行は、当時から比べるとかなりハードになっている。――夢の中で何回死んだか。イッセーは一万を越した辺りからもう数えていない。
――『冥界のケルベロス程度なら倍加無しで仕留められるだろう』
というのがイッセーの成長を見たドライグの言だ。
仮に、もしあの時。擬似禁手により神器が完全にバーストを起こし、機能不全に陥り放浪していた――あの時に出会いでもしたら。イッセーと朱乃は確実に死んでいる。……まぁあの時は、後ろから超強いお父さんがストーキングしていたので万が一の可能性も無かったのだが。
だが、もし今あの時と同じ状況に陥ったとしても、そんなことは無いと断言出来た。
『まぁ、行くのなら夜道と人気のない場所は避けること、不必要に他の神話体系の領域へ踏み込んでいかないことだな』
「……なんか、それ娘を一人暮らしさせる親父の台詞みたいだな」
『実際、気を付けるべきだろうが! ……誰が親父か』
「しかし否定しないドライグさん、マジで親父!」
『ぐぬぬぬ……!』
左腕と喧嘩している様子を見られでもしたら、痛い子認定は免れない。……まして、これから中学一年、二年生へとなるのだから、そんな精神病を持っていると確実に思われるだろう。
……げに難しきは実在することを説明する事か。
証明の方法と言えば実物を見せる他なく、かといって一般人に明かすわけにもいかず。……もしそんなところを見られて評価されれば、甘んじてその
何れそんなときが来ることを知らない一体と一人は、暢気にじゃれ合うのだった。
……結局行くことにしたイッセーは、両親にイリナの所に行ってくると告げて家を出た。
駅へと行って、最寄りの空港に行く。……フリをした後、雑居ビルの陰に隠れる。
気配を消して龍の翼を生やしたイッセーは、
誰かが偶然目撃でもしていれば、UMAかUFOとして新聞の一面に載っただろう。
初速はソニックブームがでる一歩手前ぐらいだろうか。イッセーが陸から離れる時、周辺のビルが風圧で少し揺れた。街を歩く女性のスカートもめくれた。
そんな迷惑を掛けたことに心の中で謝罪しながらも翼を羽ばたかせる。途中で人間の身体のままでは凍えてしまいそうだったため、イッセーは龍の気を高めて全身をドラゴンに変えた。
最近では服ごと龍化できるようになってきたので、ちょっと便利になっている。……しかし、それがドラゴンにより近づいている証拠ということにドライグもイッセーも気づいていない。
ドラゴンになってしまった部分は、人間がベースであったのだが、ドラゴンがベースになりつつあるのだ。とはいっても全身が完全なドラゴンになってしまうわけではない。
これから先何事も無ければ、人間の部分はそのままだろう。
イッセーはコンパスを頼りに西から東へ。アメリカの上空を経由してイギリスに行くつもりだった。
アジア圏、インド辺りは『特にやばい連中が居る』とドライグが言うので仕方なくだ。まぁ、それが何なのかはまだ知らない方が良いと、ドライグはそう判断して具体的に何が居るのかはイッセーに言っていない。
……別にアジアを避けるだけなら、アメリカ経由で行かなくとも行けるのだが、地図の見方が微妙にわかっていないイッセーは態々遠回りをして行くつもりである。
ドライグもおかしいなと思って頭をひねったが黙っておくことにした。
「なぁ、これってやっぱり不法入国ってことになるんじゃないか……?」
まぁ、でも一つ言えるのは密入国である、ということか。領域侵犯でもある。人間の感性を持っているイッセーには大きな問題だった。
『心配性な奴だ、お前は。……ドラゴンだろう? 人間どもの法に縛られて、何がドラゴンかッ!』
「いや、でも俺さ? 一応人間でいるためにアザゼルさんの所行ったんだけど……?」
『まぁ、人化は高位のドラゴンだと、当たり前の技術だからな』
「……はぁ!? なんだ、それ!! 初耳だぞ!?」
『だって言ってなかったもーん』
ドライグ、きっしょい。
渋くて厳ついオッサンの声で「もーん」は無い、とイッセーは精神的ダメージを受けた。
今のはさすがに無かったか、とドライグも自分で言って少々傷ついているが。
『……実際、今の相棒は実力にして大体中級の堕天使、悪魔程度だ。成り立てのお前が、高位のドラゴンなわけがないだろう?』
「まぁ、そうだけどさ……」
それでも、あの時でも一言言ってくれれば、あんなに切羽詰まった選択をしなくてよかったかもしれない。……もう二年以上経っているが、朱乃と過ごしたサバイバル生活は少し精神的に来るものがあった。出来る事ならもうしたくない。
滅入っている様子が伝わって来てドライグはイッセーにフォローを入れる。
『あーその、なんだ。ほら、大型連休が終わった後話しただろう? あの時白い龍が近くに居たとな。だから雑魚な相棒は早急に逃げ出さなければならなかった』
「……で、ドライグの思惑通り俺はアザゼルさんを裏切るようなことをさせられた、と」
『だからそれは体裁の為だと言っただろうが。堕天使から逃げ出すのはまず不可能。必然、わざと、ということになる。他の勢力に、現赤龍帝は堕天使が歯牙に掛けない、その程度の存在だというアピールの為だと』
「聞いた聞いた。でもそれなら普通に監視されてますという証を持っていたら良かったのにな」
発信機が着いていただろう腕輪を思い出す。
『…………それに、人からドラゴンになったんだ。通常のドラゴンとはお世辞にも言えない。だから、龍の気を操る方法として、不完全とはいえ仙術をお前に教えたのだろうが? ん?』
フォローの最中で、文句が多いと思ったのかドライグの言葉尻からは苛つきが見られた。
ぶーたれていたイッセーも、ドライグが自分の為にと思ってやったことなのはわかっているので、ちょっと反省する。
「はいはい。感謝してますとも。……しっかし、仙術ってアレ、気を操る術の総称だって聞いてたけど……」
『あぁ、何度も言うが相棒の技量だとアニメだとか漫画だとかの再現は無理だぞ。憧れる気持ちはわかるが』
「ドラゴン波はやっぱ無理か……」
ちぇっとイッセーは舌打ちする。
「あ、そういや白い龍ってどんな奴なのかな……」
夢の中でみたドライグのように「力強くてカッコいいドラゴン」というような印象は『白』という色からは感じない。どちらかというと「スマートで綺麗なドラゴン」というイメージがある。人間で例えると、女装させても映えるイメージ。逆も可。
『いけ好かない奴だ』
どんな奴なんだろうかと想像を膨らませていると『断言』といった風にドライグは即答した。
「それだけ……? いや、そうじゃなくて。今代の白龍皇っけか? そっちの方。人間だってのはわかるんだけどさ」
『あ、相棒? お前、まさかと思うが気づいてなかったのか……?』
「……ん? どういうことだ?」
ドライグの声は震えていた。
『いや、俺はてっきり分かっているものだと……。あーあーどう言ったのもかー……』
うわぁ、と衝撃の事実に気が付いたドライグは苦悩の声を上げる。そんな様子にイッセーは首を傾げていた。
既に遭遇しているというのにイッセーは気が付いていないという衝撃の事実。確かに気づかなかったかもしれない、とドライグは嘆いた。
……空を飛んでいる間。気流を掴み、余り翼を羽ばたかせていないが、倍化はずっと続いている。些細な会話を続けている間にもイッセーの空を飛ぶ速さは徐々に徐々に上がっていた。
イッセーがイギリスに到着するまであと2000キロ程度。