赤き龍の道程 作:盾雪
ご注意ください。
午後7:00。
イッセーが帰らないことを心配した両親に掛かってきた一本の電話。誘拐犯からか!? と勇ながら出てみると、電話の向こう側の相手はよく知った人物であった。
「はい、……はい。ああ、そうなんですか! えぇ。……じゃあ一誠はそちらで……。分かりました。家内にも伝えておきます。……いえいえ、そんな。こちらこそいつもお世話になって居ますから。……はい、それでは。!? またまた、そんなお気遣いありがとうございます。はい、よろしくお願いします……。はい、失礼します……」
電話が終わり、父親は受話器を戻す。
深刻そうな様子から一転。彼は頬を掻きながら、苦笑を浮かべた。
「誰からだったの!?」
「紫藤さんさ。連絡が遅くなってしまってすまない、とのことだ」
「お父さん、それで……一誠は」
「あぁ、母さん。心配ないよ。一誠の奴は紫藤さんのところと一緒に旅行に行かせてもらえるんだそうな」
「えぇ!? それで、何処へ!?」
全く持って初耳だ。
一誠の母は驚愕する。
「イギリスだそうだ。何でも、応募していた海外への旅行券が当たったのはいいが、四人まで行けるそうなんだ。それでイッセーくんもどうかな、と持ちかけられて……」
「はぁ……それでついて行ったと。でもイギリスだなんて……」
紫藤さんの所は信仰している宗教上、英語に触れる機会も多い。そのため娘のイリナちゃんも含め、英語に堪能であるという話を紫藤さんの奥さんから聞いていたため、大丈夫であろうとは思う。
「どうやら紫藤さん、旅行券についていた飛行機のチケットの有効期限が明日までということに気づいてなかったみたいで。急遽、ということらしい。今日から1ヶ月。その間はイリナちゃんの服を貸してもらえる、という話だから、寄っては行かない。まぁ、夏休みの宿題には事欠かないだろうし。……何よりも僕の仕事もあるから、家族で海外旅行というのは無理だろう。たぶん一誠も海外旅行なんてこれから一生に一度あるか、ないかかもしれない。滅多に無い体験だろうからさ。良いんじゃないか?」
一誠は無事。大丈夫。
「ふぅぅぅ」
「まったく……心配かけさせるな、うちの息子は」
「ええ……。まぁ、元気がいいのは良いことかしらね、お父さん」
「そうだな、母さん。帰ってきたら英語ぺらぺらの帰国子女みたいな状態かもしれないよ?」
「あら、それは良いわね。ふふふ。母さん鼻が高いわ」
張りつめていたものが解れて、それとない会話が弾む。
パスポートとかどうなったのかしら、とイッセーの母は疑問を浮かべたが、妙なコネクションのある紫藤家だ。何とかなっているのだろうと小さなことは捨て置いた。
入れていた冷えた麦茶が温くなっていたのを飲み、しばらくして今の家の状態に気づいた。
「となると、しばらく二人きりなのかしら」
「そうだね……久しぶりに夫婦水入らずの時間を楽しんでください、と紫藤さんからも言伝されたよ」
ふふふ、はははと二人は笑う。
「……食器棚の上の戸棚に、高いお酒を隠してたはず。久々に二人で飲もうか、母さん」
「もう、私に内緒でそんなもの買っていたのね? ……でもグッジョブよ、お父さん」
……息子が夏休みの宿題を持って行ってないことに気づくまであと五時間。
-●○●-
「イッセーくんも男だ。帰ってくると言ったんだから、きっとすぐに帰って来るさ」
「イッセー君……」
空港でイリナの父親、紫藤トウジは携帯をしまう。
パスポート云々が突っ込まれなくてよかったな、と内心安堵し、天界への報告で後からなんとでもなるだろうと自分を安心させておく。ダメだったら、それはもう正直に話さなければならないだろう。
小さな覚悟を決め、見上げてくるリュックサックを背負ったイリナの頭をなでた。
「……すまないね、イリナ。本部へ戻れと命令があったから……。イッセーくんが帰ったとき、迎えてあげれないことを許してくれるかい?」
「……ううん、そうじゃないの」
「じゃあ、どうしてそんなに悲しそうなんだい?」
「うん……。私、あの時イッセー君になにもしてあげられなかった。私が強かったら。あの時、イッセー君が捕まったとき、助けてあげられたんじゃないかなって……」
いつもは明るく振る舞うイリナは、此処には居なかった。居るのはまだまだ幼い、悩める少女。父親の撫でていた手を握りしめる女の子であった。
どうして私はあの時一緒に飛び出せなかったのだろうか。若しくはもっと力があれば、もっと強ければ、助けにいけたんじゃないか。……そんな後悔を胸に抱いて。
娘のいつもと違う様子に、イリナの母は彼女を慰めるように抱き上げる。
「イリナは優しいね……。イリナが優しい、良い子に育ってくれて、お父さんもお母さんも嬉しいよ」
「うん……」
良い子に育ったかもしれない。優しく育ったかもしれない。
――でも、私は……!
弱い。
この苦渋はジクジクと幼いイリナの胸を締め付けた。
この時からだろう。
近い未来、イギリスのプロテスタント教会で、戦士の素質を見いだされ、そのまま滞在することが決まり教育を受けるようになってから。
神への信仰よりも、強さを求めるようになったのは。
――イッセー君は私が守る。
……もしかしたら、好きな人イッセーへの恋心からかもしれない。
-●○●-
「あー……ちょっとこの部屋で待ってろ。いいか? 絶対出るんじゃないぞ?」
「……わかった」
面倒なことが絶対起こる。目が切実であった。
イッセーのそんな予感は当たっている。確実に悪影響を及ぼすだろうアザゼルの部下も含めてだが、この『神の子を見張るものグレゴリ』の本部には赤龍帝とは絶対会わせてはいけない奴がいる。
将来的には会うことになるだろうが、今はまだ早い。
「じゃあ俺は朱乃を連れて……や、朱乃も此処にいろ。お前、いまは親父と会いたくないだろ?」
朱乃は無言で頷く。
「だろーな。んじゃ、行ってくるわ」
ヒラヒラと手を振りながらアザゼルは出て行く。
そんな背中を見送り、残された朱乃とイッセーは互いに顔を見合わせた。
「えっと……」
イッセーは言葉に詰まる。何を話しかけたらいいのだろうか、と。
生憎とイッセーにはイリナ以外の女子との交流は少ない。
その理由の一つはよくある話。この年頃の男子が感じる特有の感情だ。自分から女子と話していたりすると冷やかされたりするので、女子に対して積極的な行動が出来ないのだ。
――じゃあイリナはなんなんだ。
というのは聞くまでもなく。……彼女は彼女で特別なのだから仕方ない。
女子よりも男子と遊ぶのは勿論のこと。部屋遊びよりも木登りのほうが楽しいと感じるし、毛虫がいれば、木の棒で捕まえて来たりする。ドッジボールでは男子に混ざって剛速球を敵陣に放ち、反対に男子よりも率先して面と向かいあいボールをキャッチしに行ったりする。
男の子より、男の子らしい。
それが彼女という存在だ。
未だに「あれ、なんで女子トイレに行ったんだ、アイツ?」と、他の男子諸君からは疑問符が飛ぶこともしばしば。その後すぐに「あぁ、そういや女だったや」と解決するだけマシなものだ。世の中、そのまま誤解されると言う事も少なくないのだから。
もう少し女らしくすれば、その恋心にも気づくだろうに、とイッセーの内側からクラス風景をみているドライグが哀憐のまなざしを向けているくらいである。
イッセーの女の子への接し方が出来ないもう一つの理由には、イリナが睨みを利かせ、話しかけたいのに話しかけないようにさせていた、というのもある。
イリナとごっこ遊びという名の修行に励んでいたイッセーは、これまで先日捕まったという変質者として逮捕された紙芝居のおっちゃんに出会うことはなかった。イリナに付き合って紙芝居を見る機会もなかったのだ。
そう、未だエロスに目覚めて居らず、そこそこにルックスも良く鍛えられた肉体を持ったイッセーは結構モテるのである。
おっぱいおっぱい言っている何処かの高校生とは違うのだ。
要約)大体イリナのせい。
まぁ、それはともかく。
そんな男の子みたいなイリナに対して、男の子への接し方しかしてこなかったイッセーが、朱乃という『同世代の可愛い系女子』の代表みたいな子への対応が出来る訳がない。
「あ、あの!」
「はいぃいっ!」
どうしよう、と考えながら唸るイッセーに朱乃は声を掛ける。
びっくりしたイッセーが出した声に朱乃も肩をすくめるが、胸に手を置いて落ち着く。
「えっと、あの……、ちゃんとお礼を言ってなかったと思うから……」
朱乃はイッセーに申し訳なく思う。
いや、申し訳なく思う以外にも、色々と思うところはある。
どうして、お母さんも助けてくれなかったのか。どうして、助けにもならないのに飛び込んできたのか。なんで、お母さんは助けられなかったのか……。
そんな不平不満は今もぐるぐると胸中でめぐっている。
だが、自分と同い年ぐらいの男の子に、「悪い大人からお母さんと私を助けて」というのも無茶な話だというのは幼いながらにわかっていた。
だから、子どもの自分だけでも助けてくれたことには感謝すれど、不平不満は言えるような立場ではないというのも朱乃はわかっていた。
それに彼は姫島でも、堕天使の関係者でもなかった。むしろ知り合いですらなく、今日初めて会ったばかりだというのに、その身を犠牲にしてまで自分を助けようとしてくれた。
彼が勝手にしたことかもしれない。独りよがりであったかもしれない。
でもその行動には善意こそあれば、悪意はない。
――だから、お礼は言わないと。
「ありがとう……」
朱乃は万感の思いを込めて、頭を下げながらその言葉を吐く。
「別におれは……駄目なことだって思ったからだしさ……」
母親を助けられなかったことに悩んでいるイッセーも、少しだけ救われた気がした。
そのお礼の意味を込めて、イッセーも頭を下げる。
「でも、ごめん! 俺が弱いばっかりに朱乃ちゃんのお母さんのこと、助けられなくて……!」
「やめてよ、イッセーくん! それをいったら私はもっと弱いから……!」
「いや俺が弱かったから……!」
「だから私はなにも出来なくて!」
頭の下げあい合戦が勃発。
既に帰ってきていた堕天使の総督様は、呆れた様子で小さい人型ドラゴンと部下の娘を見ていた。
「なにをやってんだか……」
『っ……!?』
そのアザゼルの一言で、朱乃とイッセーの謝罪会は終わった。
自分たちの姿を思い返し、それを見られていたとあって、少し恥ずかしくなった二人は顔を下に向けていた。
「イッセー。これをつけてみろ」
「腕輪……?」
「本来は神器の機能を抑制するアイテムなんだが、ちょいといじって龍の気を抑えるようにしている」
言われて腕につけても、変化は起きない。
「なにもおき……おお!? おおおぅ!?」
と、怪訝におもっていたが変化が起きる。龍の外殻や鱗は形を変え、人の肌へ戻っていく。手の甲を抓ってみるとゴツゴツとして痛覚が薄れていた体は元の人間の体に戻っていた。
「ありがとう、アザゼルさん!」
「いや、気にするな。偶々そういう研究をしていたってだけだ……。まぁ、お前がそれでドラゴンの姿に戻らないって保証はできねぇ。しばらくは此処にいてデータを取らせてもらいつつ、調整をする。お前も親にドラゴンの姿を見られるわけにはいかないだろうからな」
「うん……」
イッセーは自分の体を触りながら、アザゼル言うことに頷いていく。
イッセーが持っている物……『赤龍帝の籠手ブーステッド・ギア』は戦争の引き金になりかねない代物だ。
だからアザゼルは本当のところ幼い赤龍帝を帰したくはない。
だがしかし、とアザゼルは考える。
……このまま『神の子を見張るものグレゴリ』のもとにおいておきたい、とは思うが此処においておく事で多大な問題が起きるのは確実と言える。起きなかったら自分の黒歴史の朗読会を開いてもいい。
……監視役で誰かを付けて人間社会で生きてもらう、というのがベターだ。
「イッセーくん……」
そんな事をアザゼルが考えているとは微塵も思っていない朱乃は顔を手で覆い、指の間からくりくりっとした目をのぞかせている。
「まぁ、なんだ。取り敢えず前を隠したほうが良いかもしれないな」
「……うわっ!?」
朱乃の様子に疑問符を浮かべていたイッセーはようやっと、自分の格好と誰がいるかというのに気がついた。