赤き龍の道程 作:盾雪
「到着いたしました」
「……あ、はい。ありがとうございました」
いま正気に戻った、という様子のイッセーにグレイフィアは微笑みを浮かべる。
返事をするイッセーは、再度一顧し、すっぱりと断ち切った。今となっては確かめようが無いし、うじうじ考えても仕方がない。
荷物を持って駅のホームへと降りる。
「グレイフィアさん。ちなみに、此処はどこなんですか?」
「此処は駒王町の地下でございます。ちなみに申しますと一誠さまが存じているであろう、駒王町の駅、その地下です。悪魔は結構、人間界に進出しているのですよ?」
「へぇ……」
天上は遥か遠く。ホームの全貌はイッセーの目ではとらえきれないほど広い。イッセーの記憶にある駅のホームはもっとこじんまりしていたように思う。やっほ、と声を大きく出してみれば返事が戻ってきそうだった。
「さぁ、こちらです。着いてきてください」
グレイフィアに案内されるまま、イッセーはエレベーターに乗り込む。
「エレベーターを出てからはお住まいのある人間界です。……お送りする手段もございますが、如何いたしますか?」
「いや、そこまでしてもらわなくても、大丈夫です。歩いて帰れる距離ですので……」
「かしこまりました」
イッセーには思うところが一つあった。
イリナへ両親にしばらく帰らないことを伝えるように頼んだが、それが実際に自分は今両親の中ではどうなっているのか。
何処に行っていたのか、追及されることを頭に入れて置く。
――まずは話を合わせないと。
話はそれからだ。でないと、どう受け答えして良いものかも判別しかねる。
イッセーが一抹の不安を抱えていても、エレベーターは上へ上へと昇って行った。
しばらくすると重力を感じて、イッセーはエレベーターが地上に出たことを知る。イッセーはエレベーターを降りてグレイフィアに振り返った。
「ありがとうございました! グレイフィアさん!」
「……はい。一誠さまもお気をつけておかえりなされますよう、案じてさせていただきます」
深く綺麗なお辞儀をして、イッセーの目からグレイフィアの姿は閉まる扉で消えていった。
――なんだか、凄く長かったような気がするな。
『貴重な体験だからだろう。堕天使のところから悪魔の元へ。中々できない体験だしな。生きて人間界に帰ってこれたのは奇跡と言える』
「やっぱりそうだよなぁ……」
貰ったチケットを悪魔関係者だとグレイフィアに教わった駅員に見せ、改札を通してもらう。
いざ帰らん。
イッセーは勇みながら、駅の構内から日のあたる場所へと出た。
-●○●-
――うぅ……。
『どうした、何を怖じ気付いている?』
「いや、だって……」
懐かしく感じてしまう、今現在両親が居るだろう自宅の玄関の前でイッセーは立ちすくんでいた。
――何を言われるだろうか。
――何と言えばいいのだろうか。
いざその時が迫ってくると及び腰になってしまっていた。逃げ出してしまいそうでイッセーは怖い。
両親に伝わっているだろう自分の長期外出の話に合わせるより、あの奇々怪々な生物たち――冥界生物や魔物を退治するほうが余程簡単な気がする、と若干物騒な発想が浮かぶ。
『イッセー、それは戦闘狂の考え方だぞ……』
ちがうやい!
呆れたように言うドライグにイッセーは自分の思考を反芻しつつ、実際ドライグの言う通りであったことに若干の不安を覚えた。
ドアノブに手を掛ける。もう一度、ドアの正面を見て覚悟を決めた。
「た、ただいまー……」
恐る恐る声を掛けると返事はなく、台所の方からタタタと足音がする。
そして廊下に現れたのは、エプロンで手を拭いながら出てきた記憶に相違ない母親の姿。帰ってきたのだとイッセーは思った。
「お、お父さん!? お父さん!! イッセーが、イッセーが帰ってきたわよ――!!」
「何――!?」
目を見開いて、母は父を呼ぶ。良く無事で帰ってきた、とイッセーは揉みくちゃにされた。
「で、イギリスはどうだったの?」
「きっとお前の事だから、会話は全部イリナちゃんにやってもらってたんじゃないか」
グレモリー卿に持たされたお土産等の荷物を置いて、イッセーは二人から不可解な話を聞く。
――俺はイリナ達とイギリスに行ってたのか。
「あーうん、大丈夫だったよ。というか酷いなぁ父さん、母さん。日常会話位はできたよ」
自分はイギリスに行ってきたのだ。イギリスに行って、イリナの家族と観光と生活をしてきたのだ、と記憶をすりかえるように自己暗示をする。
はろー、はわゆー、あんふぁいんせんきゅーあんぢゅー
学校で習った英語を似非外国人風に話して誤魔化す。「なんだ、それは」と、それを聞いてイッセーの両親は笑った。
「……それで、お前の姿しか見えないんだが、紫藤さんのお宅はどうしたんだ?」
「……いや、空港まで送って貰った後、用事があるとかで俺一人で帰ってきたんだ。……あとで無事に帰って来た報告の電話をかけないと」
イリナ達が帰って来ていない。そう知って、イッセーはどうやら大変な事をしてもらったのかもしれない、と家に帰る前にイリナの家を訪れるべきだったかと後悔する。
イリナの事だから、ポストか家の中に自分が今、両親二人の中でどうなっているのか書置きでもしているのかもしれない。
ただ、イリナの一家がこの町に現在居ないとなると、家族ぐるみで自分が堕天使の所に行くことを隠してくれたことになる。
『――お前が
確かドライグの話だと、自分の宿っている
――教会の信仰する神をも殺す道具だったはず、と思い返して危惧する。
三大勢力の話は聞いた。聖書に記される堕天使、天使、悪魔は実在し、それら以外の異形らも実在する。
堕天使と悪魔には「襲われて殺されるということはあまりないのでは」と楽観視できないこともない。
だが、天使は得体がしれなかった。それに自分の知らない未知の生物から命を脅かされる危険性はある。
天使となると聖書だったか。「関係する本を読んでどんななのか知っておこう」とイッセーは内心、辟易とした。長い本を読むのは面倒臭い。
そんな事を考えていると、父親に顔をまじまじと見られている事に気づいて、イッセーはどうしたのだろうかと思う。
「イッセー、お前ちょっと顔つきが大人になったな。」
「……そうかな?」
つい自分の顔を触った。変化しているようには思えず首を傾げた。自分はまだまだ子どもだし、大人と言うにはまだ色々と知らないことが多すぎる気もする。
「あっちで何かあったの?」
何かあったと言えばあったし、無かったとも言える。イギリスに行っていたのだから。
「……色々あったよ。……だからじゃないかな」
でも無かったことにするには大きすぎるだろう。――人が、一人死んでいるのだから。
イッセーの目の前で。――自分の無力さゆえに。力があれば助けられたかもしれないというのに。
「へぇ、そう……。その色々ってイリナちゃんとチューしたとか?」
「お、そうなのか? 一歩前進したのか? 二人が仲良くて父さん嬉しいなぁ!」
「ち、違うよ! してないし!」
慌てて否定する。実際にはそれに近いことがあったために、動揺が顔に出ていそうだった。
「あははは! なんだ、それ! ……でも、なんかあったんだな?」
「……。うん。事故とか事件とか、そういうのじゃないけど――ちょっとまだ話せそうにないから、何時か話すよ。……ごめん」
「……イリナちゃんと何があったか、ちゃんと話してくれなきゃだめよ?」
「うん……ごめん、母さん」
イッセーの両親はイリナが関係している事で、何かあったのだろう察する。そして、イッセーが何か自分たちに悪いと思う何かが起きたのだろう、とも。
今のイッセーの表情は知っている。本当に自分が悪いと思ったときに謝るときの、その表情だ。
自分たちの知らないところで息子は何かをした。本人が、事件でも事故でもないというのなら、人さまに迷惑を掛ける事ではないだろう。でも、本人的には悪いことをしたと思っている事だ。それは、イッセーが謝ってきている自分たちに悪いと思っている事だ。
――なら無理に聞き出しても良くない。
二人はイッセーを信じて、自分から話してくれることを待つことにした。
リビングにある壁掛け時計は午後二時を指していた。
「……お昼ご飯には遅いし、晩御飯にはご飯を食べるにはまだ早いわね……。イッセー、おやつにしましょうか」
「…………うん」
――悪い事をしたのに、言えなくてごめんなさい。父さん、母さん。
「元気だせ、イッセー。それでも楽しかったんだろ?」
「うん」
――いつか、絶対に話すから。
父親は、息子の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
イッセーは意気消沈としながらも、ある決意を持ちながら母親の出すおやつを待っていた。
-●○●-
イッセーが家に帰った後の残りの夏休みはとても慌ただしかった。何故かって疑問は捨て置く。誰に聞いても察しが付くことだ。
特に今年は酷かった。
――夏休みの日記が三週間弱埋まっていない!
大概がテレビを見て過ごしました、と書いてしまいそうなアレである。
イギリスに行っていたイッセーにはあんまり思い出になりそうな事が無い。というか無い。でも、イギリス旅行の事を日記に書かないと、本当に自分がイギリスに行ったのか両親が怪しむ。
勿論、馬鹿正直に、ドラゴンになった、堕天使に会った、ファンタジーの世界に行ってきた、悪魔に会った――……なんてこと、日記に書けるわけもなく。書いたとしても、悪ふざけが過ぎるということで、担任から両親に電話が行くだろう。そんなバレ方なら、なんのために話さないでいるというのか。意味がねぇ、である。
まぁ、でもそんな風にバラしてしまえば、後顧の憂いはなくなる。
それもいいのでは? という誘惑が頭をよぎるが、ちゃんとすべきところはしたいと思うイッセーにそれは出来なかった。
この夏休みの思い出という名のラスボス。
このラスボスの事を考えつつ、やっていたら他の宿題はいつの間にか終わってしまっていた。
「あれ、終わったのか?」
考え事をしながらだったというのに、手慰みやっていたら残る課題はあと一つだけ。
……随分と頭の造りも変わってしまっているようだ。
そのことに自覚のないイッセーは頭をひねりながら、思い出をイギリスでの思い出を考えていく。
「これって日記じゃなくて作文じゃん……」
三週間ほど前のあの日。イギリス旅行をイリナに誘われた、と取りあえず書き始めて、段々と埋めていくうちに。イッセーはそう思い至って呟いた。
……ラスボスを倒した後の裏ボス(読書感想文)は聖書を熟読したので割と書けた。
――……そうして忘れられないだろうイッセーの濃い夏が終わった。
一言ではとても表せない。濃くて深く、そして暑かった夏が。
――イリナが居て、ドライグの居るいつもの日常。
それですら、今はもうないものだ。自分たちがそれを失くした。他ならぬ自分たちが。
後悔はないとは言い切れない。だが、それでもあそこで入っていかなければ、きっと後悔していた。……そしてあの場で自分は理不尽を痛感し、その身に余るものを抱えたのだ。きっとこの場に居ないイリナも。
「とても残念なお知らせですが、紫藤イリナさんは転校していかれました。急な話でごめんなさい、とイリナさんからお手紙をもらっています」
……そう。イリナはイギリスに行ったきり、日本に帰ってきていない。
絶対に帰ってくると約束したのは誰と誰だったか。――ああ、そうとも。自分とイリナだ。
あの場で、ドラゴンという異形の身となったイッセーの太くなった小指を握って、イリナは約束した。
分かってはいる。理解もしている。熱く胸の奥は燃えたぎっているのに、頭はひどく冷たかった。
「(――もしかすると、ドラゴンになって頭の造りも変わっているのかもな)」
初めてイッセーはそのことに気が付いて、宿題が早く終わったことに察しがついたが、今はどうでもよかった。
担任の先生から「イッセーくん、後で職員室に来てください」と呼びつけられたのを窓から外を眺めながら聞く。「聞いているのですか」と怒っているような声を耳に入れながら、イッセーは遠くの木の側面から落ちていく蝉を見る。
夏はもう終わったのだ。
……もう残る数は少なくなって、最後の力を振り絞る蝉たちの声を聴きながらイッセーは無性に悲しくなった。
担任の教師とクラスメイトも、話を聞いていなさそうなイッセーの態度がおかしいと感じた。
――一番仲の良かったのはイッセーだし、仕方がないのかもしれない。
――少し乱暴な物言いをしたが、イッセーもイッセーで思うところがあるのだろう。
いつもは仲の良い二人を冷やかすクラスメイトも。やんちゃな二人に手を焼かされる担任教師も。
全員が「そっとしておこう」「怒らないでおこう」と思うほど、その姿は哀愁に満ちていた。
秋がやってくる。そして冬が来て年を越す。
きっと今年もそれはかわらないだろう。きっとこの場にいる全員もそれは変わらない。そうして些細なイベントだけがある日常は過ぎていくのだ。
……しかしイッセーのその日常にイリナは居ないのである。
他の更新もするっつってたのに、俺は一体……。