神は、時に気まぐれで、残酷だ。
「あー……この人間、殺すわ」
神の御言葉は、大天使である私にも到底理解が及ばない。
そういうと、あたかも我々の考えをはるかに超越した、深いお考えがあるかのようであるが、恐らくそんなことはないのだろう。
今、私の御前にあらせられる、いわゆる『神』という御方の御言葉からは、そのような雰囲気が全く感じられないのだから。
それでも、我々天使は、神の僕。逆らうことは許されない。
しかし、理由を聞くことくらいは許される。
「神よ、一体この青年はどのような過ちを犯したというのでしょうか?」
盗みか、はたまた殺人か。どのような罪にせよ、人が天命を全うすることもなく死ぬというのは、慣れたこととはいえ、心苦しいのだ。
だから、我々天使は、そのような人間の魂を回収する際に、罪を聞いておきたくなるのだ。
誰にも理解されないまま死ぬのは、人間にとっても辛いだろう……というのは、さすがに、我々、天使のエゴであるのかもしれないが、それでもだ。
「うむ、よくぞ聞いたな天使よ。……実はな、私は以前、あるミスを犯した」
「ミス?」
「うむ、ミスだ。それによって、この青年は命を落とすはずだった…………」
「しかし、今は生きていますね。して、何か問題でも?」
「……神といえど、全知全能ではない。私はこのミスを非常に悔いた。心からこの青年に詫びたいと思ったのだ」
「それで、助けてやったのですか、神としての掟を破って……しかし、この者は、それにも関わらず、罪を犯したと」
「違う、この者は、死の運命を、自力で跳ね除けおったのだ……」
「なんと!……人間が、ですか?……それで、何が問題なのです」
「その、死の運命を跳ね除けた事だよ。……私はミスを悔いた。だから、せめてこの人間に『転生』をさせてやろうと思ったのだ。もちろん、そのための準備も整えてあった……なのに、だ」
『転生』……生き物の魂を、今までいた世界線と異なる世界に運ぶ秘術である。それを、神は行おうとしていたのだ。
あろうことか、神はこのために、『彼』のための理想郷となる世界を、新たに一つ、作り出してしまったらしい。
世界は、神が一人で治めており、一人で治めるからこそバランスが保たれている。だから、世界をもう一つ新たに作り出すということは、神の負担を相当数増やしているということだ。
もちろん、こんな事は前例があるはずもなく、相当な労力を使ったのだろう。だから、予定通りに死ななかった『彼』を殺そうとしているのだ。
……それでも、我々天使は、神の僕。逆らうことは許されない。
たとえ、それが神の自分勝手な癇癪であろうとも。
しかし、思考の自由くらいは許される。
「……わかりました、それでは、すぐにこの青年のもとへ天使を向かわせましょうか」
「いや、いいよ。……私は少々気がたっていてね。……自ら手を下そう」
「……承知いたしました」
……こんな気持ちになったのはいつぶりだろうか。……かの青年があわれでならない。
気づけば、私は、すっかり『彼』に入れ込んでしまっていたのだった。
天使としての慈愛の精神が私をそうさせるのであろうか。……早く、忘れたかった。
数日後、暗い気持ちのまま、私は再び神に謁見した。
「……あの人間の事だが」
神が重い口を開く。
死んで、別の世界に転生させたに決まっている。神の力から、人間が逃れることはできないのだから。
……いちいち報告されなくてもわかっているのだ。
「……まだ殺せていない」
そう確信していた私にとって、この神の言葉は、実に意外で、不思議で、嬉しいものだった。
「……そうですか」
平静を装いつつ、神への業務の報告など、すべきことをなす。
内心、かなり喜んでいた私であったが、次の神の言葉は、そんな私の喜びを、粉々に打ち砕くものだった。
「……本腰入れてあの人間殺す」
……ああ、終わりだ、神が本気になれば、今度こそ人間など……
…………それでも、我々天使は、神の僕。逆らうことは許されない。
……『逆らうことは』だ。……少しの関与は許される。
気づけば、私は人間界に降り立っていた。
「……私も馬鹿だな、人のことは言えない、か」
ここまで来てしまったのなら、もう仕方がない。あの人間を探すしか、私には選択肢がなかった。
天使としての能力を使えば、彼を探すのは容易なことであった。
……とにかく、会って、すべての物事を伝える。
そうすれば、きっと、今まで神に命を狙われても生き延びるという奇跡を起こし続けてきた彼ならきっと……そんな、淡い希望を抱いていた。
「……見つけた!」
早く、早く彼のところに行かねば、神の魔の手が、いつ彼に及ぶかわからない。
彼は、人通りの少ない、狭い路地にいた。自転車や歩行者もおらず、軽自動車ならちょうど一台分ほどの幅だ。
私は、危険を最小限に抑えるため、彼の正面に回り込み、押し倒して、伏せるような状態に持ち込んだ。
彼の顔が赤くなるが、気にせず話を始める。
「……落ち着いて聞いてください、私は天使です」
「……は?え、いやいや、天使……?」
「信じられないのも無理はありませんが、緊急事態なのです。早く何か行動を起こさなければ、あなたは神の手によって殺されます」
「?あんたさっきから何言ってるんだ?」
「……このままでは要領を得ませんか。……そうですね、最近、死にかけたことはありますか?」
「え!?……2,3回ほど、あるけど……なんでそのことを?」
「私が天使だからです。そして、それらは全て神によって仕組まれたことなのです」
「神とか天使とか……あんたの言ってることの方がよっぽど要領を得ないぞ!?」
「……言ってもわからないようですね。……来ます、気を付けなさい」
そう言い残して、少しの間、彼から離れたところに飛んでいく。
我々は、神の与える死の運命には関与してはならない。続きは、彼がこの運命を乗り越えたらだ。
彼がゆっくりと立ち上がると、すぐ後ろから、猛スピードで自動車がやってくる。
狭い路地の為、よけるスペースはない。
「う、うわあああああっ!」
ドンッと、鈍い音がする。
人が車に轢かれる音だ。
今度こそ駄目だったか。彼の命運は尽きたか。最悪の事態が頭をよぎる。
「や、やっちまった……お、おい、大丈夫か……?」
「ぐ……き、救急車……」
「……!い、生きてる!待ってろ、すぐに救急車を……」
結果として、彼は助かった。
迅速な対応によって彼は一命をとりとめ、後遺症もないそうだ。
医師には「また君かね」と、若干呆れられたそうである。
「……どうも」
「……またあんたか」
私は、病室にいた彼を訪ねた。病院内というのは安全なようで、その実、人を殺すための道具に溢れている。生かすも殺すも人次第とは、人間たちの言であるが、なるほど、言い得て妙というものか。
「なあ、あの時の『来る』って、俺の事故の事、あらかじめ知っていたのか?」
「ええ、天使ですから」
「……信じるよ」
「……え?」
「信じる、あんたが天使で、俺が神に狙われてるって話、中々かっこいいじゃん、そんなのってさ」
「……かっこいい?」
私たちは、人間のことを知っていたようで、まだまだ、知らない部分もあるようだ。私は、ますます人間というものに惹かれるようになった。
その日から、私たちは行動を共にするようになった。
彼が外に行く時も、家にいる時も、いつも一緒に。
私たちは運命には介入できない。しかし、そんな私でも心の支えにはなれた。……なぜだか、不思議な満足感があった。
しかし、別れの時というのは、突然に訪れる。そこにはあらゆる思想も、信念もない。
ある、晴れた日の事だった。
その『死の運命』は、私には感じ取ることができなかったのだ。
彼を殺そうとしたのは、彼を殺せたのは、今までの、神が差し向けた運命ではなく、ただの偶然だったのだ。
今、まさに死への運命をたどろうとする彼を、私は見捨てることができなかった。
運命への介入。天使には許されない禁忌。それを私は犯した。
人には見えないが、私の翼は、かの希臘人のように無残な姿となっていた。
それでも、あくまでも気丈に振る舞おうと、彼には問題ないという風に手を振って見せる。
……瞬間、時が止まった。
その空間には、私と、彼と、もう一人。……神しか存在していなかった。
しかし、この空間を認識できるのは、私と、神だけで、彼はただ、そこにいるだけに過ぎないのだが。
「……残念だよ、まさか、大天使たる君が、禁忌を犯してしまうとはね」
「……それなら、もう私は神の僕ではない、と」
「……そういうことだね、そして、折角私が人間界へ降臨したのだから、君の運命も同時に終わらせておこう」
神は、無慈悲に彼の方へ手を伸ばし、そこから放たれた一筋の光が、彼の胸を貫く。
「あ……」
「……そう悲観するな、彼の魂はしっかり転生させるのだから。……君が禁忌を犯してまで守る価値があったのかは、知らないがね」
光に貫かれた彼の体が、光に包まれて、不定形の火の玉のようになっていく。
肉体の死。魂だけになったのだ。
「さあ、これから君を転生させるわけだが……ふふ、ありきたりですまないが、特典をやろう。なんでもいうといい、どんなことでも叶えてやろう」
神が、慈愛に満ち溢れた声色で、囁くように言う。
「……本当に、なんでもか?」
彼の魂が、それに呼応する。
「もちろん、これは神でさえ破ることのできない掟なのだ、嘘を言ってはいけない、というね」
「つまり、今、『なんでも叶える』と言ったから何でも叶えなきゃいけないわけか」
「そういうことだね。……こんなことならもっと早く死んだ方が良かったとか思わないでやってくれよ?」
「………………」
「さあ、願いを」
「……願い」
魂だけとなったものは、嘘をつくことができない。嘘というものは、生きているものだけのものだからである。
死人は、嘘をつく必要性がなく、だから、つけない。
「……そうだな、俺を神にしてくれ、今すぐだ」
数分考えた後、彼の魂はそう言った。
「……なんだと?」
瞬間、神の顔がこわばる。
「どうした、できないか?なんでも叶えるといったのにか」
「できる、できるが……それをすると、世界のバランスが崩れるのだ」
「なぜ?」
「この世界は、私が一人で治めている。もう一人神が誕生すれば、それは世界のバランスを崩すこととなるのだ」
「そうか、天使に聞いた通りだ」
「知っていたのか!?ならばなぜそんな願いを!」
「何を言ってるんだ?神が二人いるのがまずいなら、一人になればいいじゃないか」
「貴様、まさか……」
「……あいにく、俺は人間『だった』んでね、そんなに高尚な精神はないよ。あんだけやられて、恨むなってのが無理な話だと、そう思わないか?」
「……自分がもう一度死ぬかもしれないんだぞ」
「生まれたての力に溢れた神と、神を作り出して疲弊している神、どちらが強いかは明白だがな」
「……ナシだ、無効だ、そんな願いは」
「無理だね、自分で言っただろ?……こんなことを、人間はどういうか教えてやるよ。『因果応報』……って言うんだ。……地獄に落ちろ!」
「……よかったのですか?」
すべてが終わった後、私は彼に尋ねる。
「何が」
彼は、不思議そうな顔をする。
「神になってしまって、ですよ」
「少なくとも、人間よりは面白いんじゃないかな?……それに、そうしないと君も救えない」
翼が焼け落ち、私は天使ではなくなった。そしてそれは、天使としての死を表すことに他ならなかった。
魂だけになってしまった私を、彼は優しく抱きしめる。
「……また、会おう」
「…………はい」
……別れというのは、突然に訪れるものである。そしてそれは、とても辛く、悲しいことであると知った。
今まで天使であった私が、しかも、彼が神である今、こんなことを言うのはおかしいのかもしれないが、人間に触れて、すこしだけ感性が人間に近くなったのか、今の私には、理不尽な運命に対して、こう言う他はない。
……神は時に気まぐれで、残酷だ。と。
それでも、私は生きてゆこう、この世界が私を許す限り。
まともに書いたのは多分これが初めてですが、たまにはこういうのもいいなあ、と思いました。