『悪いだけの人間なんて居ない・だったよな、貝木が私に言った言葉は』
「貝木さん」は「わたし」の後ろから聞こえてきた声に、怪訝な表情で応えます。
『なんだぁ、まだ他にも居るじゃねえかぁ』
「貝木さん」は遠目から私達を確認した後は、ほとんど「忍野さん」の方に視線を向けていた為でしょう、「わたし」の背後で土下座をしていた人を見落としていたみたいです。
『貝木が私にしたことも、悪人とはまったくの別物だった、どちらかと言えば気前の良い親戚の叔父さんみたいだったな、戦場ヶ原先輩と阿良々木先輩が貝木をあそこまで嫌悪している理由が、私には正直なところ分からなかったのだ、だが・今の話を聞いて、ほんの少しだが分かった気がするぞ』
「神原さん」はゆっくりと立ち上がり、「貝木さん」の正面へと体を向けて、「神原さん」らしい含みの無い笑顔で言いました。
『駿河・どうしてお前が此処に居るぅ、お前の身体はもう怪異とは決別した筈だろう、普通の人間に戻ったお前が怪異絡みの問題に首を突っ込むなぁ、さっさと帰って婆ちゃんの飯でも食って寝ろぉ』
「貝木さん」は履き捨てるような口調で「神原さん」に言います、ですが「神原さん」はそんな「貝木さん」の台詞を聞いてもまったく表情を変えません。
『悪いな・貝木、私はあなたの良いところを知ってしまったからな、今のあなたの台詞が私を気遣っての事だというぐらいは分かるぞ』
『あぁそうだ、それで構わねえよぉ、構わねえから大人しく言う事を聞いて帰れぇ、千石と阿良々木の妹も連れてなぁ、子供の出る幕じゃねえからよぉ』
『残念だがそれは出来ない、私は阿良々木先輩から今回の件を任されているからな』
『阿良々木が駿河に頼んだだぁ…、そうか・阿良々木に俺の携帯番号を教えたのはお前かぁ、まぁいい・結果としてお前が巻き込まれる前に俺が来たのは僥倖だぁ、臥煙遠江にあの世で会わせる顔が無くなるところだったぜぇ』
『貝木が何を考えているか知らないけど、私達はこのまま帰る訳にはいかないのだ、賀茂が呪い返しを受けているのも、相馬が【玉藻前】に憑りつかれているのも、原因は私達にあるのだからな』
『な・んだとぉ…詳しく話せぇ』
「わたし」がさっき皆さんに話した内容を、改めて「貝木さん」に話しました。
『その話が嘘じゃねえならぁ、【玉藻前】に狙われてんのは千石と阿良々木の妹ってことになるなぁ、つまり・駿河は関係ねえってことだろぉ』
『僕もさぁ、出来るだけ未成年の子供を巻き込みたくは無いんだけどねぇ、臥煙先輩は既に【玉藻前】と一戦交えている、その姪っ子である元百合っ子ちゃんが標的にならないという保証は無いのが現状だ』
『忍野ぉ・この状況はいったいなんだぁ、俺は臥煙伊豆湖とはウマが合わねぇ、だが・俺はあの人の実力は誰よりもよーく知っているつもりだぁ』
「貝木さん」は本当に信じられないのでしょう、「忍野さん」に向ける視線はとても厳しいです。
『先輩の不手際って訳でもないけど、貝木君の言いたいことも分かる、何でも知っている先輩にして先手を取れなかった相手さぁ、【玉藻前】が如何に用心深く隠密裏に行動していたかが窺えるね、…そして【玉藻前】が姿を現した…、既に下準備は整っていると考えるべきだろう』
『私の叔母である臥煙伊豆湖とは、忍野さんの目からから見ても、そんなにも何でも知っている人なのだろうか?』
『そうだねぇ、僕の場合は事が起こってから・つまり怪異現象が起こってから状況判断を行うんだ、まぁ・怪異現象という言い方だと分かりにくいから、そうだなぁ怪異になる前のよくないモノや低級の怪異が一定量以上に集まった状態と考えて欲しい、そうなってから始めて僕は行動を起こすのさ』
『1度は怪異現象に遭い僕と縁を結んだ者については、その後どういった怪異と遭遇するだろうという予測は出来る、だが・縁も所縁もない者がこれからどういった怪異と遭遇するかなんてことは分からない』
『それに対して何でも知っている先輩というのは、怪異現象が起こりそうな場所を特定し、その町に住むありとあらゆる人間を調べ上げるんだぁ、勿論そんなこと1人の人間が出来ることじゃないだろぅ、それを可能にしているのが先輩の持つネットワークであり・成せる業さぁ、まぁ僕も貝木君も・そのネットワークの末席に連なっているがねぇ』
『そして調べ上げた人間の中から怪異と遭遇するであろう人物を特定する、ただし・その方法は先輩独自の方程式によるものだから僕には説明のしようが無い、そして人物を特定したら・今度は自分の目でその交友関係を徹底的に調べるのさぁ、こういった姿勢には本当に頭が下がるよ、僕は横着だからねぇ、怪異の声に耳を澄ませておしまいさぁ、とまぁ・何でも知っている先輩は【知るべき事は何でも知っている】のさぁ』
『今の話を聞く限り、私の叔母とは裏社会のドンみたいではないか』
『いい表現だなぁ・駿河ぁ、あながち間違いじゃねえぞぉ、人間知られたくないことなんてわんさか有るってーのによぉ、臥煙伊豆湖ときたら【私は何でも知っている】だからなぁ、誰だってハッタリだと思うじゃねえか、ところがだ・実際に自分の知られたくないことを言われてみろぉ、この人は自分のことをいったいどこまで知っているのかってよぉ、震えちまうよなぁ』
『誰彼構わずに言う台詞ではない筈さぁ、先輩がその台詞を使う相手っていうのは、怪異と遭遇した者・もしくわこれから怪異と遭遇する者に対してなんだ、【私は何でも知っている】【君が怪異と出逢った事を知っている】【君がもうすぐ怪異と遭遇する事を知っている】といった先輩の台詞っていうのはさぁ、大抵は言われた相手が気付いていない、自分が怪異を呼び寄せたこと、自分が怪異に惹かれたことをねぇ』
『叔母は気付いていない相手に気付かせようとしているのだな、では実際に何でも知っていると言われた相手が怪異との遭遇を理解したら、その後は具体的に何をするのだろうか?』
『その質問に答えるのは難しい、先輩の場合は必要と思われることは何でもするからね、ありとあらゆる手段を講じるから一言では無理さぁ、でも・先輩の遣り方を敢えて一言で言えば【千手先の詰め将棋】ってところかなぁ』
『それについては同意見だぁ、臥煙伊豆湖は見落としなんかしねぇ、先の先の先の先を読んで行動するヤツだぜぇ、それが後手にまわるなんて信じられるかぁ、何か別の目的があんじゃねえかってよぉ、俺ならそー考えるがなぁ』
『なるほどねぇ…、ことの真意は取り敢えず後回しにするとして、まずは僕の推論を聞いて貰いたい』
『始めに【玉藻前】が、不完全とは言えどんな経緯を辿り今世に復活をしたか、【相馬珠美】相馬を姓に持つ人間は大勢いる、しかし美しい珠という名を持つものは限られてくる筈だ、その中にあって【殺生石】に触れた人物となると…、その確率は言うまでもなく低いだろぅ』
『さっきも言ったがぁ、俺がばら蒔いた【殺生石】は偽物だぁ、名前以外には何の効力もねえよぉ、第一に本物の【殺生石】の封印が解けてねえのに、どおして【玉藻前】が復活できるぅ』
『順番が変わるがいいだろう、【殺生石】の封印はいま不安定な状態に有る、そもそも封印というものは大地の気の流れを利用して行うものさぁ、貝木君には竜脈と言った方がしっくりくるかなぁ、どちらにしても大地が変わらずにあり続けることで封印はその効力を発揮する、さて・今から約1年半前にこの国を襲った大震災のことは覚えているね、千年に一度の大震災・観測史上最大のマグニチュード9.0・そして最大震度7という、誰もが体験したことのない大地震だ、この地震がもたらせた被害について、大半の人は津波による惨状を思い出すだろうねぇ、津波が直接人の命を・住む家を根刮ぎ奪う映像は衝撃的だったからさぁ…』
『太平洋側の沿岸に関してはぁ、津波で滅茶苦茶に成ったからなぁ、確かに竜脈も糞もあったもんじゃあねえなぁ、だがぁ【殺生石】があんのは内陸だぞぉ、津波の影響なんてえもんは受けていねえよぉ』
『その通りさぁ、津波の惹き起こした凄惨な光景に目を奪われて、もう1つの大事な変化に対してはあまり注目がされていないのが現実だ』
いつもの様に見透かした話し方では有るのですが…雰囲気が違う気がします。
何でしょう…「忍野さん」の言う大事な変化とは?
『大震災がもたらせたもう1つの被害、それは・日本列島が東北から関東にかけての山脈を中心に太平洋側、そして日本海側へと真っ二つに裂けた事さぁ』
『な・ん・だとぉ…、そんな話は初耳だぁ…』
『まぁそうだろうねぇ、裂けたと言っても精々30センチ程度だからさぁ、ひと雨降れば裂け目は埋まってしまう、だからこそ誰もがそのことを見落としてしまうんだ、さて・竜脈にいたってはどうだろうかぁ、1度分断された竜脈が元に戻る為にはそれ相応の時間が必要となる…、つまり・今この東日本に張り巡らされた封印や結界といったモノは…、その殆どが停止状態にある』
『………』
「貝木さん」は「忍野さん」に視線を向けたまま何も言いません。
『忍野さん、封印っていうのは・玉藻前を【殺生石】に閉じ込めている力のことですよね、結界っていうと・都の南北や鬼門それに裏鬼門の方角に神社や仏閣を配置するっていう、アレのことですか?』
沈黙に耐え兼ねたという訳でも無いのですが、「わたし」が以前読み漁った本の雑学を聞いてみました。
『意外なことを知っているねぇ・元照れ屋ちゃんは、ほぼそれで合ってる・あとは風水を利用して細かな位置決めをするんだけど、今回の被害でもっとも厄介なモノ・それが南北と鬼門・裏鬼門の結界さぁ、東北から関東に繋がる山脈が裂けただろう・これを地図で表せば一目瞭然で、現在の都・つまり東京から見て、南北の線それと鬼門(北東)裏鬼門(南西)の線を引く、そして青森の恐山から山脈伝いに東京へ線を引いてごらん、南北と鬼門・裏鬼門の線を両断しているのが分かる筈さぁ』
『忍野ぉ、お前の言いたい事は分かったぁ、もう説明は要らねえよぉ、俺がお呪いのオプションに使った【殺生石】がぁ【玉藻前】を復活させたぁ、使った時期が悪かったぁ・そうだろうぉ』
『そう・なるねぇ』
『そうか…、低級の妖狐を呼び出す呪いで…最上級の九尾を復活させたかぁ、人生何が有るか分からねえもんだなぁ…、いいだろう・これは俺の教訓だぁ、俺が責任を取るべき案件だぁ、忍野・お前はガキ共の安全を見てやれ』
「貝木さん」が「忍野さん」に笑いかけました。
『貝木、またあなたは・らしくない事をするつもりかい、今度は誰の為にらしくない事をしようとしているんだい、今のあなたはお金の為になんていう見え透いた嘘は付けないぜ』
「余接ちゃん」は、後ろを向いて歩き出す「貝木さん」に言います。
『金の為だぁ・斧乃木ぃ、そして俺が遣ることは普通の事だぁ、これから俺が遣ることは将来への投資ってやつだぁ、覚えておけぇ・斧乃木ぃ』
両手をポケットに入れた「貝木さん」は、顔だけ振り向いて「余接ちゃん」に応えました。
『なー貝木、あなたは詐欺師なんだろう・偽物なんだろう、本物の大妖怪を相手に勝算は有るのかー』
『心配するな・駿河、俺は詐欺師だぁ、相手がなんであろうが話が出来るなら騙すまでだぁ、お前たちの出る幕なんてーもんはぁ、これっぽっちも有りはしねーよぉ』
『貝木君、【玉藻前】は絶世の美女らしいからねぇ、虜にされない様に気を付けてくれよ』
『くだらねえ冗談だなぁ・忍野ぉ』
『待ってください! 貝木さん』
「わたし」は「貝木さん」を呼び止めます、ですが「貝木さん」は片手を挙げてそのまま歩いて行きます、走って後を追いかけようとした「わたし」の肩を「忍野さん」が掴みました。
『【玉藻前】は貝木君に任せよう、僕たちは呪いをカケル君の【蛇切縄】を解くことが先だからねぇ』
「忍野さん」はいつもの涼しい笑顔で言いますが、でも・どこかが違います…。
「貝木さん」は振り向くことなく参道の鳥居の奥へと歩いて行き、姿が見えなくなりました。
何とも言えない不安が沸き起こります…、
どうか・無事にまた会えるようにと祈らずには居られません…。