彼は、夢を見ない。なぜなら、夢より心躍るものが
「…………」
起床時間、午前四時。
いつもの時間に、少年はいつものように目を覚ました。
いつものように布団から出て、いつものように着替える。
いつものジャージに着替えて、いつものように洗面所で顔を洗って、いつものように歯を磨いて、いつものように寝癖を直す。
いつも、いつも、いつものように繰り返す。毎日、変わらない習慣を続けている。
そのいつもが、少年にとっては何よりも大切で。どんなものよりも眩く輝く宝石だった。
時よ止まれ──などと、戯曲のように願ったりしない。
確かに、今という『時』は止まってくれと思いたいくらいに美しい。
しかし、勘違いするな。時は摩耗させ、枯れ落ちてしまうだけではない。より美しく、より絢爛に輝かせる。
少しずつ、少しずつ。原石から研磨されていく。煌びやかに、鮮やかになっていくのは、非常に見ていて楽しい。
外へ、出ていく。いつものように、己を鍛えるために。昔の自分より、今の自分より、ずっとずっと強くなるために。
──そこには、いつものように、彼の宝石が待っていた。
「おはよう、十四くん」
「ああ。おはよう、なのは」
栗色のツインテールを黒いリボンで束ねた少女が、彼を待っていた。
彼女は少年にとっての、何よりも大切な宝石。何よりも失いたくない支え。
彼女がいる。彼女が笑う。彼女が怒る。彼女が泣く。彼女が見せる千変万化の表情を見るだけで、少年は満足だった。満たされ、安らぎ、幸せだ。
少年──
少女──高町なのはに
心の底まで、心を奪われていた。
高町なのはは、魔法少女である。
そして、加添十四は魔法少年で
魔法──それは、この地球ではない世界の技術。
空を飛ぶ、火を出す、風を起こす、雷を降らせる、水を逆巻かせる、一瞬で遠いところへ移動する、ビームを出す──など、人自身が超自然的な現象を引き起こすことができる。
限られた人にある体内の器官、リンカーコア。これが魔導を持つ才である。
大気中に含まれる魔力素と呼ばれるものを体内のリンカーコアに取り込み、魔力として変換する。
その魔力を、緻密なコードとプログラム、計算式で構成される術式に送り込み、魔法として起動する。
彼らにはその才能に恵まれた。
高町なのはは、九歳の時に。異世界からの来訪者と、災厄を齎す願いの宝石によって眠れる才能が開花し。
加添十四は数か月前。異世界からの殺人鬼に、何もかもを奪われた際に覚醒した。
彼らはその才能を発揮した。
少女はその力で、滅びを食い止め、誰かのために使った。
少年はその力で、滅びをもたらそうとし、己のために使った。
彼らはぶつかり合った。己を貫こうと。信じて決めた道を、切り開いていった。
少年は、少女の大切なものを奪おうとする己の歪みを許せず、悪に身を落とし、死を願った。
少女は、少年の歪みと嘆きを聞き入れ、善であることを全うし、彼を止めるためにを奔走した。
結果、少女は勝利し。少年は敗北した。
それは『妖精事件』と名を残し、少年は今もその罪の償いをし続けている。
「……けど、十四くん。普段は魔力を完全封印っておかしいよ、やっぱり」
「しゃーなしだろ。普通は使える時だけ使えればいいんだよ、こういうもんは」
事件後、加添十四は緊急時以外の魔力完全封印が施された。魔力の源、リンカーコアそのものに封印措置がされており、こうなってしまえば飛行魔法はおろか、通話魔法である念話すら不可能となってしまう。
なのはは、この裁定に関して不満を持っていた。十四はもう、同じことを繰り返したりしない。それなのに魔法を奪うなどとは、信じていないも同然ではないのかと。
これでは魔法の訓練もまともにできない。磨いていない錆びた力など、より危険な状況を生むのではないかと懸念しているのだ。
魔法は、とても繊細な力である。扱いを間違えれば、街ひとつ滅ぼすなど容易い力を持っている。
せめて、すべてを取り上げるのではなく、適度なリミッターを課すなど他にもやりおうがあったはずだった。
「いいんだよ。俺にはまだ早いオモチャだったってことだ」
「けどっ」
「心配してくれんだろ?ならいいさ、その気持ちで腹いっぱいだよ」
なのはは、とても優しい。事件後、その優しさに触れて加添十四を自称していた残骸から、本来の人格が戻ってきている。家族に囲まれていた頃の、心優しかった普通だった少年へと。
少年が同年代の少女を名前で呼ぶのは、彼女だけである。少年にとって少女は特別であり、彼女と共にあるなら何を無くしたって惜しくなかった。
己の魔法程度、いくら捧げても痛くもなんともない。
「やりおうはある。魔法だけが全てじゃない」
十四は、自分の拳を握る。長く、空手をやってきた拳だ。小学生同士の喧嘩ならどんなに体格差があろうとも勝てる。場合によっては、中学生が相手だって勝機はある。
これも立派な力だ。武器だ。鍛え続ければ、魔法にも劣らない力になることを知っている。
「……うん」
なのはは、頷く。表情はまだ、曇ったままだった。
彼女はどこまでも。どこまでも、自分を責め続ける。少しでも至らないところがあれば、それをいつまでも。
事件が終わった後は幾らか和らいだようであるが、それでも相変わらずなところであった。
かつての自分がそうであったように、彼女もまた業を背負っている。業を背負っていない人間など、この世にはいないのだろう。
彼女の助けになりたい。彼女を支えたい。高町なのはという宝石に魅せられた少年は、そう突き動かされたのはごく自然なことだった。
「行くぞ」
握った拳をひらいて、なのはの方へと手を伸ばす。
気恥ずかしい、赤くなった顔はそらしている。少年の、精一杯の勇気を出していた。
自分にできることなんて、これくらい。こんな、ちっぽけなこと。だが、こんな些細なことで彼女の支えになれるなら。彼女の助けになれるなら。十四はそれに、臆したりしない。
なのはは、その差しのべられた手に迷わず取った。
「うんっ!」
その笑顔は、昇る朝日と相まってより輝かしく光る。
十四は心の中で少し詫びる。眩しすぎて、直視できないことを許せ。決して、照れているわけじゃないぞ。
────少年と少女の「いつもの」は、何よりもかけがえのない宝物である。